下タ沢会によせて(覚書)

つけあげ

 彼岸のゴチソウの中に「ツケアゲ」というのがあった。なんで「ツケアゲ」とい ったか知らないが、今はつくる人もいなくなったろうし、もちろん子供達もどんな ものか知らないだろう。
 米の粉をはたいて(米を搗いて粉にして)、水でといてトロトロになったものを ジャーッと油に入れて(フライパン?)揚げてくれた。砂糖も少し入っていて、う まかった。秋には大菊の葉っぱも入れてくれた。運動会やお祭りのときなどもつく ってもらったと思う。そういえば、ボタモチもよくつくってもらった。それは今の ように、いつでも好きなときに、ではなく彼岸とかお盆とかお祭とか節句とか、何 か節目の日であったように思う。今はボタモチとはあまりいわないで、オハギとい っているようだが、私達はボタモチであった。何にかの本に春、ボタンの花の咲く 頃つくるのがボタンモチで、秋、萩の花の咲く頃つくるのがオハギ、というとあっ たような気もするが、どっちでもいいが、小豆のアンコではなく、ゴマやキナ粉の こともあった。今こんなことを書きながら、ボタンモチにはやはり小豆のアンコが 似合う、オハギにはゴマやキナ粉がよく似合う。なぜか季節感がある、そんなこと を思っている。

 ともあれ、餅のようにペッタンコとつくわけでもないので、隣り知らずとか、半 殺し(ゴハンを半分つぶすので)とかもいうようだ。小豆のアンコの場合も、粒ア ンは半殺しということもあるようだ。

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