下タ沢会によせて(覚書)

2月 − また餅のはなし −

 2月1日には、また餅をつくものだった。それは何んの餅といったのか、何んの神 様に上げるためだったのか思い出せない、もしかして、2月正月とでもいったろう か。ただ小正月についてもらった餅が、その頃になくなるので、私たちには楽しみ だった。

 餅は2〜3日すると、カチカチに凍って箱の中でビツシリくっついていた。私の家 では、餅を入れるのに、鉱山で使うダイナマイトを入れた空箱(1尺×1尺×2尺くら い)などを利用していた。スキーなどから帰ると、ぬれた物をカゴにかけるももど かしく、大至急ワタシを持ってきて、ユルギのホドのオキ(燠)をかき出して、箱 の中の餅を火箸の先ではが(剥)して(1枚1枚はなかなかはなれないで、3〜4枚く っついて剥れることが多かった。それをワタシにのせると、凍っていたのがとけて、 はなれてくる)、焼いて食った。それで火箸の先1寸くらいは、餅を剥すテコ代りに するものだから、曲ったり、それを伸ばしたりするものだから、デコボコと曲り真 直ぐだった。それで正月の餅は、凍るものだとばかり思っていたが、軽井沢に移っ てきた、曲りなりにもストーブを焚くようになったら、何日もしないうちに、餅に カビが生えてきて、餅にもカビが生えるのか(当り前のことだが)とあわてたこと を思い出した。

 餅を焼くので思い出したが、スキーなど外で遊んで暗くなる頃帰ってきても、夕 ゴハンはまだできていない、その支度のが待遠しくて、ママ鍋(チバ釜)の底のコ ビ(オコゲ)をとってきて、ワタシに上げて焼いて(一寸ショウ油をぬって、また 少し焼く)食った。あの香ばしい匂や味が忘れられない。

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