※お願い:リンク先から戻るときは、ブラウザの「戻る」ボタンをクリックして下さい。 毛馬内川原大神楽「川原万歳」。 尾去沢出身。明治四十二年秋田師範卒。大正十年頃女子師範付属小学校訓導、県内大学校を歴任。 東京興信所勤務。曙出身。昭和八年七月三日没。 大湯。 平成19年鹿角市文化功労者。「不老倉鉱山誌」の著者。 「上津野」研究発表バックナンバーNO.2 ・同NO.19 ・同NO.22 ・同NO.26 。 「鹿角の民謡」伝承者。八幡平。 「曙小学校校歌」作詩者。 昭和61年鹿角市文化功労者。 「鹿角の民謡」伝承者。尾去。 関東学院大学学長などを歴任。 毛馬内月山神社は坂上田村麻呂が勧請したと伝えられる。また八幡平の名も。 元慶の乱を平定。 鹿友会員。秋田県技手中罹病、大正五年四月郷里小坂で病没。 「小坂高等女学校校歌」作詩者。 昭和55年地方自治・産業の振興で鹿角市功労者。 黒溝台に名誉の戦死。 碇発電所などに勤務。 平成19年鹿角市一般表彰。 旧曙村三ケ田出身。五元美術連盟会員。画家。 毛馬内氏に替わって毛馬内城主となった桜庭氏は、本姓を宇多源氏佐々木氏と云い、 南部氏初代光行の奥州下向に際し建久二年(1191)甲斐国から随行したと伝える甲州譜代で、 安芸・福士・三上各氏と共に四天王の一人に数えられる家柄である。 (1657)毛馬内へ転封 − 鹿角のあゆみ。 高瀬吉五郎の著した「囲碁一筋の佐々木孝助伝」に登場する人物。 薄命の地理・民俗学者。 農学士として東京市衛生試験所の技師、高知県立農学校など。 マタギ伝説「左多六とシロ」。 |