9

 

 咲き乱れる赤のつらなりの彼方に、黒い盗賊はいた。
 港に映える灯りのゆらめきを、ぼんやりとながめやっている。
 心ここにあらず、という風情だ。いまなら、簡単に殺せそうな気がした。
 最初に会ったときと、状況は似ていた。すでに知っている。見かけどおりの男ではなかった。伝説ですら、この男はおきざりにしている。
「待たせたか?」
 アルムルクから声をかけた。
 ぽかんとした表情で盗賊はふりかえり、
「よお」
 友人にでも話しかけるような気楽さで、そういった。
 アルムルクは苦笑する。
「絵は手に入れたのか」
 ならんで立ち、ともに海に視線を投げかける。
「ああ」
「タリクは?」
「死出の旅路だ」
「気の毒に」
「自業自得さ」
「まあそうだな」
 しばし、沈黙。
 港は、静まり返っている。昼間はせわしなく行き交うタグボートのたぐいも、いまは係留されて静かに波にゆらめくばかり。
「ここは、いいところだな」
 やがてぽつりと、盗賊がいった。
 アルムルクはかすかに笑い、うなずく。
「ああ。ここは、いいところだ」
 そしてまた、沈黙。
「ふられたよ」
 それから、気安い口調でアルムルクはそういった。
「あいつは難攻不落だ」
 ジルジス・シャフルードも同意した。
「一度は落ちたんだがな」
 アルムルクがいうと、伝説の盗賊は悪童のようにくちびるをとがらせてにらみつけてきた。
 思わず、笑った。声を立てて。
 そしていった。
「あきらめたわけじゃない」
「むりやりにでも、奪っていくか?」
 問いかけに、無言で黒ずくめの男の横顔を見つめる。
 よく切れる刃物のような、容貌だった。
「ああ。邪魔するやつには、容赦はしない」
 わかった、とシャフルードは無表情にいった。
「銃でいいか?」
 アルムルクの問いに、盗賊は赤い幅広の腰帯から黒い銃をとりだしてみせる。
 ハンドガンにしては巨大で、無骨だった。鈍色のかがやきは、伝説どおりの不吉さだ。
 ふたたび腰帯にそれを戻し、盗賊はすたすたと距離をとる。
 アルムルクも、ふところから銃をぬきだし、ベルトにたばさんだ。
 そして、向かいあう。
 微風が、かすかに吹きすぎた。
 盗賊の黒いパトウがひるがえる。無造作に背中にたらした黒いターバンの端が、ゆらめいた。
「伝説か」
 アルムルクはつぶやいた。対峙している影は、まぎれもなく伝説のなかからあらわれた男だった。
「ラエラとおまえ。銃なら、どっちが上だ?」
 アルムルクは不敵に笑みをうかべつつきいた。
「ラエラだな」
 シャフルードは平然と、そうこたえる。
「なら、おれの勝ちだ」
 ふん、と盗賊は鼻をならした。
「勘なら、おれのが上だそうだぜ。ラエラにいわせりゃ、段違いだ」
「きいたよ」アルムルクはいい放った。「勘では、おれは殺せない」
「いつでもいい」
 黒い盗賊が宣言し――
 時が凍結した。
 彫像のように、ふたりの男は向かいあったまま、ながいあいだ、ただたたずみ――
 銃声が、交錯した。

 ひざをつき、赤い血で敷石を染めていくのをながめやるアルムルクに、盗賊は静かに歩をよせた。
 苦しげに息をつきながらアルムルクは伝説の盗賊を見あげ、苦い笑いを口もとに刻む。
「おまえ……勘だけの男じゃないな……。勘で動いていても……下地がある」
 盗賊は笑った。
 黒い微笑だった。
「それに気づくやつは、あまりいないんだがな」
 ふん、と鼻をならし、ついでアルムルクは、がは、と血を吐いた。
 くそ、と毒づきながら姿勢を変えようとする。
 シャフルードがそれに手を貸した。
 意外そうにアルムルクは見あげたが、あえて抵抗はせず身をまかせた。
 街路樹に背をもたせかけ、吐息をつく。
 視界の端で、赤い花がかすかに風にゆらめいていた。
 荒かった息が、ゆっくりと速度を落としていく。
 盗賊が、無表情に見つめていた。――ひざをつき、同じ視線の高さで。
 アルムルクは笑ってみせた。
 獣が、牙をむくように。
 そして首をたれた。
 黒ずくめの盗賊は、しばしその姿を見つめてから、立ちあがり、背をむけて、海に向き直る。
 小砂利をふみしめる音がしたのは、それからずいぶんたってからのことだった。
「ラエラか」
 ジルジスは静かにつぶやく。
「ああ」
 女はこたえ、横たわるアルムルクを無表情に見おろした。
「まちがってたか」
「あんたらしくないね」ジルジスの問いに、ラエラは笑いながらそうこたえた。「思ったとおりにやるだけだろ?」
 ああ、と頬に笑みを刻みながら盗賊は目を閉じてうなずく。
 夜が、静かに明けようとしていた。
 海風が盗賊のパトウとターバンの端をひらめかせる。
 やがて、黒ずくめの男はふりかえった。
「さきに帰ってる」
 いって、返事を待たずに歩きだした。
 女は呼びかける。
「ジル」
 ぴたりと立ちどまった。ふりかえらない。
 黒い背中に、ラエラは問いかける。
「もう戻らないといったら?」
 一瞬の間をおいて、ジルジス・シャフルードはこたえた。
「好きにすればいいさ」
「そういうと思った」さばさばと笑いながら、“千の目”のラエラはいった。「あいにくだけど、とうぶん離れるつもりはないね。あんたのそばにいれば、たいくつだけはせずにすむ」
 盗賊は背を向けたまま鼻で笑い――そして歩き去った。最後までふりかえらず。
 残された女は、足もとの花に手をのばし、手折る。
 ものいわず横たわるアルムルクの前に両ひざをつき、指さきで花をはじいた。
 音もなくあざやかな赤が宙を舞い、死んだ男の胸に落ちる。
「血のように赤い、か」
 ラエラはつぶやいた。
 下生えを染めた血の色が、のぼりはじめた太陽に照らされてあざやかにうかびあがった。
「ぜんぜんちがうよ、アルムルク。血の色とアル・ファリラの花の色。ぜんぜんちがう」
 ささやくような口調で呼びかけ――
 かすかに、笑う。口もとだけ。
「きこえないか」
 つぶやき、そのまま静かに目を閉じた。

いえなかった言葉――了

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