いえなかった言葉(おまけ)

 

「断固として拒否します、マヤ」
 立体映像の女はいいきった。顔は無表情だが、胸前で腕を組んで、仁王のように立ちはだかる姿勢だ。
 マヤは抱いた猫の頭をなでながら、
「そんなこといわずにさあ、シャハラ。ちゃんとボク、しつけるから」
「いやです」
 きっぱりとした否定。ブブブと音とともに、映像が左右にブレる。怒りの表現かもしれない。
「あなたがその不潔な生きものを抱えているかぎり、この扉がひらくことはあり得ません。了解しましたか?」
 立体映像の女――シャハラ、つまり盗賊シャフルードの所有する偽装戦艦“シャハラザード”のAIの疑似人格は、いいながらぐいと指をマヤの鼻さきにつきだす。ふだんは見せないオーバーアクションだ。よほど猫がきらいなのだろう。
「だって。ほら見てみてよ、シャハラ。こんなにかわいいんだよ。下は、季節は春でもまだ夜は風だってつめたいし、こんなちっちゃな捨て猫をひとりでほうりだしちゃったら、凍え死んじゃうじゃないか」
「そのことに関しては、私の関知するところではありません」
「もう。お願いだから、飼わせてよ〜。なんだい、おしっこのちょっとくらいひっかけられたからって」
「小水だけではありません。大便の粗相も受けました。それも、私の心臓部に」
「べつにいいじゃないか、それくらい」
「だめです。文句があるなら、私の性格設定をしたおとうさまにどうぞ」
 おとうさま、とシャハラがいうのは、設計に加わったレイのことである。
「レイのやつ、けっこうきれい好きだからなあ」
 マヤは嘆息した。
「とにかく、その不潔な生きものをつれていますぐここを立ち去ってください、マヤ。でないと私の我慢もそろそろ限界です。あと一分以上ここにいる、というのなら、連射ブラスターでその不潔な生きものもろともあなたを灼き払って消毒します」
「ちょ、ちょっと待ってよ。消毒って、あの、シャハラ」
 マヤは抗議しかけたが、シャハラの秒読みはすでにはじまっていた。同時に、乗降ハッチ上に隠された秘密パネルがちゅいーんと音をたててひらき、なかから連射ブラスターの銃口がマヤ――正確には、マヤの抱いた子猫――に向けて突き出される。
 マヤはあわてて背をむけ、退散する。
 簡易連絡通路は、別名、さかなの骨と呼ばれている。アコーディオン状の機構が港側の乗降扉からのび出て、船舶の扉に連結されるかたちだ。足もとも梯子の桁のようにとびとびで、走って移動するにはとても向かない。客船用の係留ドックとちがい、個人所有の貿易船などに解放されたドックは、このように安価で簡易な施設であることが多い。
 港側の扉を、とびつくようにひらきながらマヤが通路をあとにしたとき、リミットは五秒前までに達していた。本気で銃撃を加えるつもりだったかどうかは謎だが、すくなくとも銃口を向けてきたのはまちがいなかった。
「ふー、あぶなかった。まさか本気だったのかなあ」
 にー、と猫が鳴いた。あごさきから首のわきを指でくりくりしながら、案外本気で撃ってきたかもしれないぞ、と思い改めてぞっとする。
「困ったねー、猫ちゃん。どうしよっか」
 うなー、と猫がこたえるように鳴いた。

「どういうつもりですか、マヤ。ジルジスまで。私の意向はさきほどお伝えしたとおりです。変更はあり得ません」
「ん? いったいどういうことだ、シャハラ。いいからここをあけてくれ。話はなかできこう」
 しれっとした口調でジルジスはいった。マヤは猫を抱いたまま心配顔で、ジルジスとシャハラを見くらべる。
「どういうこと、も何もありません。まずはその猫をどこかにやってください。でなければ、私はこの扉を絶対にひらくことはありません」
 いって、ぐいと腕を組んだ。心なしか、顔にも憤怒の表情がうかんでいるような気がする。AIの疑似人格が憤怒するなどという話はきいたこともないが、設計者はレイである。どんな酔狂をしかけていないとも限らない。それに、シャハラは最初はほんとうにただのAIにすぎなかったはずだが、ジルジスたちと生活するうちにどんどん人間くさく変化してきたのだ。これほど頑なに猫の侵入を拒否するのも、そのあらわれだろう。
 対してジルジスは、はあ? と、わざとらしい表情で眉をひそめてみせた。
「猫? はて。シャハラ、いったいどこに猫がいるんだい?」
「ジル、もうやめようよう。こんなんじゃごまかせるわけないじゃないか」
「し。いいからおれにまかせておけ。シャハラ、扉をあけてくれ」
「ダメだといったはずです、ジルジス。なにをごまかそうとしているのか、私にはさっぱりわからないのですが、とにかく猫がいてはダメです」
「だから、猫などいないといってるだろう。ああ、もしかしてシャハラ、これのことをいっているのかい?」
 わざとらしいしぐさで両手をあげてジルジスは、マヤの抱える猫に視線をやった。うにょお、と猫がつぶらな瞳でジルジスを見かえす。
「シャハラ、じつはこれは猫ではないんだ」
 宇宙生成の秘密をおまえにだけ打ち明けてやろう、とでもいいたげな大仰な口調で、ジルジスはいった。手のひらで猫をさし示し、
「これは新種の動物で、ツノネコというのだよ。猫とはまったくの別種なのだ。ほら、見てごらん? ツノが生えてるだろう。猫とはちがうんだ安心したまへ」
 シャハラ(の映像)は、うたがわしげな顔つきをつくって猫を見た。みゅ、と猫。
 ジルジスはにこにこと微笑みながら、マヤの抱える猫の頭部をさし示してみせる。マヤはなかば心配、なかばはあきれ顔だ。
 ジルジスの手のひらのさきには、ツノ、と呼べなくもないことはないかもしれないけどやっぱりかなり無理があるんじゃないか、とでもいいたい物体がくっついていた。
 具体的にいえば、紙である。
 さらに詳細に説明すると、下の売店で購入したひとくちチョコレートの、包装紙であった。それをツノ型に破り裂いて、猫の頭に強引にくくりつけたのである。
「ツノネコ、ですか」
「そのとおり。新種の動物だから、おまえのデータバンクのなかにも入っていないはずだ。どうだい、めずらしいだろう」
 みゃ、と猫がマヤの腕のなかで身をもがかせた。
「こら、あまり動くんじゃない。そういうわけでシャハラ、扉をあけてくれ。それとミルクはあったかな」
 もぞもぞ。
「ですがジルジス。それはやはり私には猫にしか見えません」
「いやだから、猫にとてもよく似た新種の動物なのだよ」
 うみゅう。
「なにか、いやがっているようですよ、ジルジス」
「あ、こら、やめろ猫。とれてしまうだろ。いや、なんでもないんだシャハラ。とにかく扉をはやくあけてくれ」
 そのとき猫は、うみゃ、と鳴いて、うっとうしそうなしぐさで前肢をあげ、さささっと頭をかいた。くっついた異物がうっとおしくなったのだろう。
 紙製のツノは、あっさり落ちてひらひらと舞った。
「ああっ。いやこれはだなあ、シャハラ。うーん、いかん、このツノネコは病におかされてツノが落ちてしまったのだ。はやく応急手当をしないと。扉をあけるんだ、シャハラ」
 ちゅいーん。
 ハッチ上部のパネルが音をたててひらき、連射ブラスターの銃口がのぞいた。
「ジル、やばいよ」
「秒読みを開始します。十秒以内に立ち去らなければ排除します。十、九」
「いや、シャハラ、だからこの猫はだなあ、あ、いや、猫じゃなくて」
「いいからジル、さっさと逃げないと」
 いいつつマヤはジルジスのそでをぐいぐい引き、走りはじめた。しかたなくジルジスもあとを追う。マヤの腕のなかで猫がみゃあと鳴いた。
 扉にたどりつく前に、シャハラの秒読みはゼロに達した。
 同時に、どどどと音をたててブラスターが火を噴いた。
「うわうわうわ」
 あわ踊りを踊りながらふたりは港側の扉にタックルする。

「困ったねー、猫ちゃん。シャハラ、やっぱり本気だよ」
 あぐらを組んだひざの上でまるくなる子猫の頭をやさしくなでながら、マヤはため息をついた。
 シャハラザードの前部ボディの上である。
 通常、宙港の係留ドックは無重量である。そのほうが整備や搬入などに都合がよいからだが、経済面から考えれば、人工重力の作用範囲を厳密に限定するのは不都合が大きい場合も少なくないため、ドックにも重力の影響がおよんでいる宙港もあることはある。さらにここのドックは、空気も循環していた。真空環境で、整備なども機密服を身につけなければならない例もあるから、この点ではここの宙港はやや上等だ。
 シャハラザードには、正規の乗降ハッチのほかに、いくつものエアロックが設置されている。すべて外部センサつきなので、見とがめられずに侵入するのは通常はできないのだが、シャハラの目をごまかす方法をマヤはレイからむりやりききだしていた。
 こっそり侵入するつもりで、整備員の出入りする扉から直接シャハラザードの船体にとりつき、ここまでよじ登ってきたわけだが、むりやり侵入しても今度は船内で悶着がくりひろげられるだけだし、あれほどいやがっているシャハラの気持ちも考えると(疑似人格の気持ち、などという哲学的な問題はマヤにはどうでもよかった)、だまし討ちのようなマネは気が進まなくなってしまったのだ。
「ボクたち、目的を達したらこの星離れちゃうしなあ。知らない場所だから、猫の世話みてくれるような知り合いもいないし。猫ちゃん、ひとりで生きていける?」
 背中をなでさする。みゅ、と、あいまいな声で猫はうめいた。夢でも見ているのだろう。
「むりだよなあ。あーあ。どうしよう」
 つぶやき、マヤはドックの天井をあおいだ。
 そのとき、ひざの上で子猫が身じろいだ。
 見ると、ひょいと顔をあげ、何かを見るしぐさ。
 なんだろ、と何気なく視線を転じ――
 湾曲した褐色の外壁のむこう側から、なにかが接近してくるのに気がついた。
 猫がひらりとマヤのひざから降り、フー、と四肢をつっぱって立ちあがる。警戒態勢だ。
 むろん、マヤも中腰になって身がまえた。
 がひょん。
 と音がした。
「船外作業ロボットだ」
 がひょんがひょんと六本足で器用に船体をつたいながら接近してくる機械は、たしかに攻撃等を受けて破損した外壁などを修理するための、万能型作業ロボットであった。もちろん――シャハラの頭脳に指令を受けて行動するものである。
「ちょ、ちょっと待ってよシャハラ。ボクたちまだ侵入してないってば」
 あわててマヤは弁解したが、ロボットはいささかのためらいもなく、がひょんがひょんと近づいてくる。見ると、前腕に工具を装着していた。あれで殴られでもしたら、ただではすまない。
「待ちなよ。待ちなってば、シャハラ。ここはとにかくボクの話をきいて」
 猫の前に立ちふさがり、マヤは必死にいいつのる。
 機械は動きをとめ、センサのならんだ頭部をかくんとかしげてみせた。
「あのね、シャハラ。猫っても、子どものころからきちとん仕込んでやればおしっこもうんちも、ちゃんとトイレでするようになるんだって。ボクいっしょけんめいこの子に教えてやって、そうするようにさせるからさ。だから、お願い」
 いって、拝みポーズ。
 ブーン、と機械はうなりながら、頭部を逆側にかしげてみせる。
 あと一押し、とマヤはふんだ。
 さらに説得を加えようと口をひらきかけ――
 がひょひょん、と――急激な動作で機械があとずさった。
 ん、どうしたんだろ、と今度はマヤのほうが首をかしげる。
 六本足をつっぱらかせて機械は、つまさき立ちのような姿勢をとっていたが、やがてその全身がぶるぶるとふるえだした。
 動物が、怒りにふるえているかのようなしぐさだ。
 いやな予感がした。
 おそるおそる、マヤは背後をふりかえる。
 猫がぶるると全身をふるわせるところだった。
 そのうしろには――できたてのほやほやの、排泄物。
「猫ちゃーん」
 へなへなとマヤは腰をついた。知らん顔で、猫はみゅうと鳴く。
 ――瞬間。
 がきん、と、床がなった。整備機械が、猫に工具をたたきつけたのだ。
「わ」
 マヤが叫んだときには、猫はすでにすばやく後退していた。
「待ってったら、シャハラあ」
 あわてて追いすがるマヤは完全に無視して、作業ロボットは逃げる子猫をひたすら追いまわすばかりであった。

「たいへんだね、マヤ」
 他人ごとのように笑いながらラエラがいった。
「たいへんなんてもんじゃないよう」
 ロビーの長椅子にぐってりとたおれこみながらマヤはうんざりとこたえる。猫がざらざらと頬をなめた。
「どっかにほっぽっちゃえばいいのよ。子猫だって、りっぱな猫さ。シャハラのロボットと渡り合いまでしたんだろ? どうにかするよ、自分で」
「そんなのむりだよう。側溝のわきでみゅうみゅう鳴いてるだけだったんだから。見てよ、こんなにちっちゃいんだよ。あーあ、どうにかしてシャハラの猫ぎらい、治せないもんかなあ。シヴァ、ちょっと超能力でシャハラの性格かえるとか、できない?」
「むりだ」
 仮面の男は無表情に否定した。
「だよねえ。あーあ。どうすればいいんだろ」
「いいアイディアがあるぞ、マヤ」
 ジルジスがいった。
「ジルはもういいよ」あきれ果てた口調で、マヤ。「どうせ紙のしっぽでもくっつけて、しっぽ二本猫だとかいうやつでしょ」
「いいや。今度は空飛び猫といってだな。なんと翼がついているのだ」
「はいはい。あーあ。ボク、この子のためにもう一度路上生活しなきゃいけないのかなあ。ねえジル。もしボクがまたスラムに戻るっていったら、いっしょにきてくれる? むりだよねえ」
「だから空飛び猫だ」
「はいはい。あーあ。困っちゃったねえ、猫ちゃん」
「お、いたいたマヤ。さがしたぞ。なんだ、全員集合か。たかだか猫のために、ひまなやつらだ」
 あらわれたのはレイだった。背後に、なんだか風采のあがらないおっさんをつれている。
「あ、レイ。めずらしいね、どこいってたの? ひとりで出歩くなんてさ」
「感謝しろよ、マヤ。その猫のひきとり手をさがしてきてやったのだ」
 え? とマヤは、がばと身を起こした。みゃ、と猫がとびすさる。
「このひとは宙港所属の整備員のチャムさんだ。無類の猫好きでな。その猫のことを話したら、ぜひ引き取りたいと申し出てくれたんだ。感謝しろよ、マヤ。この銀河一の天才である私にな」
「感謝するよっ」
 歓声をあげて、マヤはレイに抱きついた。ぶちゅうと頬にキスをする。ボクにキスされてもレイは喜ばないかな、と思ったが、予想に反して自称“史上最高の頭脳”は、みるみる真っ赤になってテレはじめる。
「あ、いや。べつにその、いいんだ。私の偉大さを認識したか? まあ、その、なんだ。まあよかったよかった」
「ありがと、レイ。大好きだよ!」
「そ、そうか」
「うん! ジルのつぎに好き!」
 いわれて、顔をあからめたままレイは複雑な面もちになった。ジルジスの風下におかれたのを嘆きたいところだが、マヤのあまりの無邪気な喜びように毒気をぬかれた、といったところだ。
 マヤはぴょんぴょんなしながら、さっそく猫を抱きあげるおじさんのもとにかけより、だいじにしてね、きっと会いにくるから、おじさんも大好き、などとたいへんなはしゃぎようだ。
 銀河標準時で十四歳。秘めた言葉とはまだまだ無縁の少女であった。

おまけおわり(^-^)(^_^)

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