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ほう、とタリクは息をついてパネルを閉めた。二十二年前に夭逝した若き天才の手になる至高の芸術が隠され、開閉部分もクリーム色に統一された壁と見分けがつかなくなる。偽装は完璧だった。万一、音響探査や透視探査のたぐいをほどこされても、この壁のむこうに空洞があり、そこに密輸出の盗品が隠されていると察知されるおそれはまずあり得ない。それだけの処置を、船自体にほどこしてあるのだ。
配下のブレーンに長年研究させてきた新素材の成果である。このルートを確保するための目的で、一年以上も前から航宙会社とパイプを結ぶ一方で造船業にも手をだし、特製の船をすでにいくつか就航させている。この船もそのひとつだった。これでしばらくは税関の目を気にする必要もなくなる。
ほくそ笑みながら、パイプラインが複雑にからみあう機関室をタリクはあとにした。五人の護衛が前後を固める。
通廊に出たところで、先頭の護衛がとつぜん、背中から熱塊を噴出させながらすっとんだ。後方につづく一行が、なだれをうって倒れこむ。タリクもそれにまきこまれ、尻もちをつかされた。
銃撃がつづいた。正確に、四つ。それで終わりだった。
護衛は全員、あっけなく絶命していた。そして、尻もちをついた姿勢で目をむき見あげるタリクの前には――黒い盗賊。
「準備万端、てわけだな、タリク」
「……シャフルードか」
尻でいざりながらタリクはいう。
「ずいぶんと味なまねをしやがる。バハリは最初からここにあったわけか?」
「そのとおりだ」脂汗を流しながらタリクはいった。「美術館からもちださせて、ここに直行させたんだ」
「なるほど。造船段階から密輸にあわせてたってわけだな」
「なぜここがわかった? ビルティ造船もマハーリヤ運輸も、おれとは直接つながっていない。しっぽがつかまれるような書類操作はしてないはずだ」
「簡単だ。今日一日、おまえの動きも見はらせておいたのさ。おれはあとを追ってきただけだ」
くそ、とタリクはうめく。
「マトラクチュの野郎。失敗しやがったな」
「そういうことだな」
「絵はもっていっていい。金もだす。助けてくれ」
「ありきたりなセリフだぜ」
「ほかにどういえばいい?」
悲鳴のように、タリクがいった。そりゃそうだ、と盗賊は苦笑する。
薄くらがりに、かまえた銃口が橙色のゆらめきを発する。
「ひとつ、教えてくれよ」
ジルジスはいった。
「教えたら、命を助けてくれるのか?」
「いいや」
無慈悲に盗賊はいいきる。
「じゃ、いやだ」
子どものようなしぐさで、タリクはぶるると首を左右にふった。
黒ずくめの盗賊は冷笑する。
「ひとりで地獄行きはさびしいだろう。道づれをつけてやろうって、おれの配慮さ」
“自由貿易業者”は、いぶかしげに眉根をよせた。
もうろうとした意識を刺激したのは、波音だった。
「ドジふんだかな」
つぶやきながら、ラエラは痛む頭に手をそえる。
半身を起こした。
暗い。奇妙にかわいた、粉っぽいにおいが鼻につく。
床は感触からしてコンクリートだ。倉庫のたぐいだろう。
四囲を見まわす。天窓のむこうに、切りとったようにやや色の薄い闇がひろがる。かなり広い。
うめきながら上体をたてなおす。
四肢を軽く動かし、とりあえず支障がないのを確認する。武器はすべてとりあげられていた。
それから、暗闇に目をこらす。
ぎくりとした。
すぐ前の柱に、何者かが背をもたれ、すわりこんでいたからだった。
立てた片膝に腕をあずけ、静かにラエラを見つめる。
「アルムルクか?」
身がまえつつ、ラエラは問う。
ああ、と、男がこたえた。
女が吐息をついたのは、とりあえず殺されるおそれはない、とふんだからだ。
「わたしの居場所を、どうやってつかんだ?」
あらためて腰をおろしながらきく。
「シャフルードならどう襲撃をかけるか考えたんだ」抑揚のない口調で、アルムルクはこたえた。「マトラクチュの罠は、配下にさぐらせておおむね把握していた。あとはおまえの役割を推測して、予想できるルートに待機するだけだった」
「ずいぶん手荒だったじゃないか」
ラエラは苦笑しながら思い出した。問題のフライアに合流するため走りだしてしばらくもしないうちに、スモークで車内を隠したフライアに併走された。警戒心を抱いた瞬間、側面からの強襲を受けて一気に歩道端までおしやられ、ビル壁に押しつけられた。エンジンがとまる。
遠ざかる意識をむりやり押し戻し、応戦のために銃をかまえた。が、遅かった。
撃ちこまれたのは、麻酔弾のたぐいだろう。いまも頭の芯に残る痛覚の残滓がそれをうらづけている。
「油断だったよ」
苦笑しつつラエラはいった。
アルムルクは、笑わなかった。
「油断か?」
そういった。
闇のなかで、どういう顔をしているのかはわからない。
ラエラは声をのみこむ。
「むかしのおまえなら、反撃してきたはずだ」
返す言葉がないのを、ラエラは自覚した。
アルムルクは、ながいため息をつく。
「くだらない化かしあいの四年間だった。傭兵時代につくったパイプでルートをつくって、タリクと組んだ。五分(ごぶ)のつきあいだ。やつは組織を擁していたが、おれのほうは少数の配下がいるだけ。折半て条件は、ヤツにはさぞかし苛立たしかったことだろうよ。ずっと、おれを排除する機会を狙ってきてたはずだ」
「ずいぶんと苦労したみたいだね」
「どうかな」アルムルクはいった。声には、疲れたようなひびきがあった。「“デラシネ”にいたころのほうがよほど危険な目に会ってきたが」
「あそこじゃ、化かしあいなんざする必要はなかったさ」
だな、といってアルムルクは初めて、声をたてて笑った。
しばしの沈黙。
高くならぶ天窓からさしこむ微光に、ほこりが音もなく舞い落ちていく。
波音。
ふいに、ぱさりと、ラエラの眼前に何かが投げだされた。
目をこらし、ひろいあげる。
花だった。
闇にまぎれて、色まではさだかではない。それでもラエラにはわかっていた。
「血のような赤?」
「アル・ファリラだ」
花弁に、鼻をよせる。かすかな、芳香。
「もうどこにもいかせない」
アルムルクは、静かにいった。
ラエラは無言で、うずくまる影に視線を向ける。
立てた片膝に肘をあずけた姿勢のまま、男はつづける。
「おまえは、おれのものだ」
「わたしは、だれのものでもない」ラエラもまた、静かにいった。「だから、消えたのさ。あんたの前から」
「おまえはおれのものだ」
もう一度、男はくりかえした。
そして――ふいに動いた。
嵐のようだ、とラエラは思った。
嵐のように、飛びかかってきた。一瞬でラエラを組み伏せる。
両腕を床におしつけ、足で足の動きを封じた。声もださぬまま、ラエラも身をもがかせる。わずかに身じろぐことができるだけだった。完璧なおさえこみだ。
「おまえは、おれのものだ」
静かに、アルムルクは口にした。
吐息のような口調。
ゆっくりと、顔を落としていく。
くちびるを重ねた。
ラエラはあらがわず、受け入れる。
舌が、侵入してきた。歯の裏を丹念に刺激し、それから狂ったようにラエラの舌を求めてからみついてきた。女もそれにこたえる。
ながい時間、そうして、舌をからめあった。
やがて静かに、男が顔をひく。
見つめあった。
微光の下、瞳だけがわずかに光を反射した。
「会いたかった、ラエラ」
静かにいって、男はおさえつけていた手をはなし、女の背中に腕をまわした。
抱きしめる。
女はされるがままに受け入れた。
「こうしたかった。ずっと、こうしたかったんだ、ラエラ」
豊かな胸に顔をうずめながら、うわごとのように男はつぶやいた。
そして身を起こす。
ゆっくりと、女から離れた。
立ちあがり、数歩、あとずさる。
そして、いった。
「なぜだ」
抑揚のない声音。血の言葉。
「あんたに奪われるの、きらいじゃないよ」
淡々とラエラはいった。――手にした銃を、アルムルクの胸に向けながら。
抱きよせられたときに、アルムルクのふところからぬきだした銃だった。
「あんたに略奪され、自由にもてあそばれるのも、きらいじゃない」女はつづける。「だけどわたしは――あんたの所有物にはなりたくない」
男は無言で、たたずむ。
「わたしは、わたしのものなんだ」
ささやくように、ラエラは口にした。
影に沈みこんだまま男はながいあいだ無言のままだった。
やがていった。
「シャフルードは、おまえを束縛しないのか?」
くすりとラエラは笑う。
「あいつは、あんたとは逆だ。わたしが何をしていようと、まるで干渉してこない。たぶん、わたしがあんたといっしょに行くといっても、そうか、わかった、とでもいって終わりにしちまうだろうさ」
「だから、ヤツといっしょにいるのか」
「どうかな」ふたたび、苦笑する。「あいつもいうさ。おまえはいい女だとか、おれの女になれとかさ。でも本気かどうか、よくわからない。たぶん、本気なんだろうけど、その場の思いつきでそういってるだけでもあるみたいだ。男にするには、たぶんさびしすぎるだろう。もっと執着してほしい、って気にもなる。勝手なもんだね」
「いいや」アルムルクは、首を左右にふった。「で、おれは執着しすぎか?」
ラエラはこたえず、さきをつづけた。
「ジルジスのやつには、いつかいわせてみせるさ。愛してる、いくな、ってさ。そのときがきたら、わたしは笑いながらあいつにわたしを与え、そして去ってやるのさ」
くくく、とアルムルクは喉をならして笑った。
「おまえらしい」
愉快そうに、つぶやいた。
ラエラも笑う。
銃を手にしたまま。
アルムルクは、口調をかえた。
「だがおまえは、完全におれのことを見限ったってわけでもない」
女は、こたえない。
男は、つづけた。
「でなければ、おまえはここにはいない」
ラエラは、薄く笑っただけ。
男が一歩をふみだす。
「動くな、アルムルク」
いいつつ、ラエラは銃口をすえ直した。
「撃ちたければ撃て」いって、男はさらに一歩。「さもなくば、それをおれにわたせ」
手をさしだし、もう一歩。
あと一歩で、ラエラのかまえる手に手をのばすことのできる距離になった。
女はためらい――
アルムルクは足をふみだす。
その瞬間――銃口でゆらめいていた燐光が、だしぬけに移動した。
側方に。
ラエラが、放りだしたのだ。銃を。