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『動きだした』
 通信プロセッサから、レイの声がひびいた。
 海べりの防波堤上に寝ころんでいたジルジスが起き直る。
 ふわあ、と大あくびをした。マヤがあきれて目をまるくする。受信機をかねる耳もとのピアスからも、レイのあきれ果てた嘆息がわざとらしくひびいた。
『弛緩しきってるな。きさまはまったくあいかわらずだ。つきあいきれん』
「まあそういうな」のんびりとした口調でジルジスはいう。「方向は?」
『予測3、のラインだな。スピードは通常』
「予測3ね。了解」
 とたん、ジルジスのとなりに腰をおろしていたマヤはすばやく堤上から飛びおり、道路わきに駐めておいた浮遊車(フライア)に飛びこむ。
 エンジン音が、うなりはじめた。
 よっこらしょ、と声をあげながら伝説の盗賊は大儀そうに立ちあがる。
『まったく緊張感のないやつだ』
 回線をとおして、心底あきれ果てた声がそういった。
 とりあわずジルジスはフライアに乗りこみ、
「ごくろう。ワダア」
 簡潔にいって、有無をもいわせず回線をオフにする。
「いくよ、ジル」
 アクセルをふみこむマヤにうなずき返し、ジルジスは
「コール、ラエラ」
 ピアスがしばし、オルゴールの音色をひびかせた。ふいに、それがとぎれる。
「ラエラか?」
『ああ』
「予測3」
『了解。七、八分てとこだ』
「わかった。ワダア」
 短いやりとりで通信を切る。
 今回の作戦は単純だった。
 標的は、ワルシード・バハリの絵画『湖畔を見つめる貴婦人』だ。フレミング美術館所蔵といわれ、公開もされている品物だが、そちらはいま贋作にすりかえられている。騒動がもちあがっていないから、まだそうと知られてはいないのだろう。
 プロに依頼して盗みださせたのは、もちろんタリクだ。もともとは一帯の麻薬流通を牛耳ってきた“自由貿易商”だが、ここ数年は美術品などの盗品をさばく仕事のほうも順調に拡大しつつある。
 バハリの絵画もその一環として、顧客から依頼されての仕事だった。
 もともと、ジルジス・シャフルードが狙っていた品だ。鼻先をかすめられたかたちになる。
 だから今度はジルジスのほうが横からかっさらうことにした。
 が、どこに品物が隠されているのかが、つきとめられなかった。
 タリクの顧客のほうはすぐにでも品物を手にしたがっている。が、税関の目をかすめる工作が必要なため、絵画はどこかに秘蔵されたまましばらく動きがなかった。
 それが今日、移動されるという情報をつかんだのだ。
 軌道上に待機したシャハラザードから、レイがタリク配下の運び屋の動きにチェックをかけた。半日以上待ったかたちになる。
 あげく、標的は複数に別れて、ばらばらの方向に向かった。攪乱が目的だ。が、連合宇宙軍の最新技術より進んだシステムを搭載したシャハラザードの監視機構は、ばつぐんの精度をほこっていた。ばらばらに別れても、品物の積みこみに関して偽装はほどこされなかった。どの車が本命かは、軌道上から観察するレイには一目瞭然。
 標的をつみこんだフライアの車種を伝え、つづいていくつかある予測ルートをマヤのフライアのナビゲートシステムに転送し、ついでどのルートをとるかを確認するまでが軌道上のレイの仕事だった。
 あとは単純だ。タイミングをあわせて、ラエラが輸送車を銃撃する。足をとめさせることができれば、ジルジスとマヤが乗りこむ。銃撃戦に発展した場合は、ラエラに集中させておいて別方向から奇襲をかけるプランだった。力押しだ。
 海岸沿いを、ジルジスとマヤを乗せたフライアは疾走する。
 やがて、問題の輸送車と併走する道路に入った。
 ナビゲータのディスプレイに、標的を示す赤の点滅があらわれる。
 が――ラエラのフライアが、見あたらなかった。
 計画では、標的の背後から接近して襲撃をかけることになっている。
「ヘンだね」
 マヤがつぶやいた。
「寝すごしたのかな」
 のんびりとジルジスがいった。
 まさか、とマヤは眉根をひそめる。
「ジルじゃあるまいし。なにかあったのかな」
「かもな。コール、ラエラ」
 ジルジスの呼びかけに、チョーカーに仕込まれた通信プロセッサが反応して、呼びだし音のオルゴールをひびかせはじめる。
 返答はいつまでたってもなかった。
「ワダア。返事がない。どうやら何かあったらしい」
「どうする?」
 ちらりと、横目で問いかける。
「ふたりで襲撃かけるか」
「でもラエラは? だいじょうぶかな」
「さっきシヴァのほうから連絡があったのは覚えてるか?」
「うん」
「そっちの動きが、たぶんラエラの失踪と連動するだろう。任せておけばいい」
 だいじょうぶかな、とマヤは心配顔でくりかえした。
「ラエラだぜ」ジルジスが笑いながらいった。「心配ない」
「わかった」
 すぱりと、マヤもいった。
 そのまま車線をかえる。手なれた動作でステアリングをふりまわし、あっというまに道路から道路へとシフトした。
 午後の幹線道路。交通量は多いとはいえないが、それなりに混雑している。かわしながら、標的の積まれたフライアに接近した。
 見た目はただのワンボックスだ。が、防弾対策は完璧なはずだ。
 ジルジスは愛用のブラックメタルのブラスターを手にする。
 銃口にアタッチメントをとりつけた。
 高火力貫通弾。宇宙戦艦などの外部装甲に使用される二十センチ・ルベン転換鋼でさえ一撃で貫通できる特殊弾だ。
 かまえ、運転席と後部座席のあいだを狙う。目的の絵画を灼きはらってしまっては元も子もないし、かといってドライバーを撃ち殺して事故を起こされるのもリスクが大きすぎる。あくまで、自主的に停車させるのが狙いだ。
 トリガーをしぼった。
 炸裂する。アタッチメントが灼けただれながら弾けひらき、黒いかたまりがワンボックスの側面に向かって飛翔。
 着弾と同時に、オレンジ色の炎が展開した。スパークを散らしながら、黒い穴を広げていく。
 すぐに、ワンボックスの助手席と後部座席の窓がひらかれた。
 ジルジスは眉をひそめる。
 そんなことにはかまわず、三つの銃口が窓からつきだされた。つぎつぎに銃撃を加えてくる。
 マヤがたくみにステアリングをあやつり、致命撃を回避する。
 そのあいだにジルジスは、崩壊したアタッチメントをとりはずし、本来のエネルギーカートリッジを装着した。
 応戦する。
 敵は、窓から身を乗りだしていた。
 時間にすれば、二分とたってはいまい。技術に裏打ちされたマヤの大胆な操縦でフライアはワンボックスに突入をくりかえして衝撃を加え、体勢を崩されたところにすかさずジルジスが銃撃をぶちこむ。射手はまたたくまに掃討され、生き残っているのは運転手だけとなった。
 観念したのか、ワンボックスはおとなしく路肩に車をよせる。
「撃たないでくれ。絵は一番うしろの座席だ」
 ドライバーが両手をあげて降車した。やけに若い。へたをすれば、マヤよりふたつみっつ上、という程度のハイティーンだ。
 油断なく銃口をポイントしながら、ジルジスは眉間のしわをますます深くする。
 運転手のいうとおり、死体のおり重なる後部座席の一番うしろに、厳重に封印されたキャンバスらしき包みがあった。マヤが扉をひらき、手をのばす。
「待て、マヤ」
 鋭く、ジルジスがいった。
 少女がきょとんとふりむく。
「急がないと、警察がすっとんできちゃうよ」
 マヤはいったがジルジスはこたえず、むずかしい顔つきで包みをにらみつけるばかりだ。
 が、やがていった。――運転手に。
「あけろ」
 え、と運転手は目をむく。
「あけろ、つってるんだ」
 くりかえし、銃口を左右にふった。
 わ、わかりました、とどもりながらドライバーは従順に後部座席にまわる。
 その動作をながめやりつつ、ジルジスはマヤをうながして数歩、後退した。運転手と距離をとるかたちだ。
「襲われたら、応戦して絵を死守しろ、とでも指示されていたか?」
 あわてて包みをひらいていく運転手に、ジルジスは問いかける。
「あ、ああ。ただ、もし全員やられてしまった場合は抵抗せずわたしてしまえっていわれてた」
「おまえさんにだけはずいぶんと慈悲深い指示だな」
 冷笑しつつジルジスはいう。たしかに、ころがっている死体はともかく、運転手自身はあまり荒事の経験もなさそうな、軽薄そうなチンピラである。
 最後の油紙をとり去り、運転手の若造は目をむいた。
「……そんなはずは」
「ねえよな。おまえさんにとっちゃ」
 でてきたのは、ただの額縁だった。中身はない。
「どうなってんの?」
 マヤも目をまるくしている。
「おまえらが命がけで護っていたのは、ただの額だったってわけだ。さて」
 いって、じっとジルジスは若者を見つめる。
 ぽかんと若者は盗賊を見かえすだけだったが――
 ふいに、ぐ、と喉を鳴らした。
 びくりと全身をふるわせ、硬直する。
 つぎの瞬間、白目をむきながら喉をかきむしりだした。
 路面に身を投げだし、のたうちまわる。
 やがてひくひくと全身を痙攣させ――しばらくもしないうちに、動かなくなった。
 呆然とマヤは目を見はるだけ。
「いくぞ。警察がくる」
 ジルジスはいって、さっさとフライアの助手席におさまった。
 あわてて運転席に戻りながらも、マヤは目をむいたままだ。
 車を発進させながら、どうなってんのと問いかける。
「ただの罠だ」おもしろくもなさそうにジルジスはいった。「ここにきて急に動きがでたのも、たぶんその一環だろう。わざと情報をもらしたのさ、タリクの野郎。あの額だか包みにだかはわからんが、皮膚から浸入するたぐいの毒でもしこんであったんだろうさ」
「そうか。この前の襲撃で、直接ジルを狙うのは危険だって判断したわけだね」
「だろうな」
 交わすかたわらを、赤燈をせわしなく回転させながら警察車両が通りぬけていった。ジルジスたちのフライアはすでに、流れる交通のなかにまぎれこんでいる。現場を遠まきに囲んでいた野次馬どもから事情聴取をして、いずれこのフライアも足がつくだろうがいまは追ってくる気配すらない。
「どうする?」
「そうだな……。いまなら、タリクも油断しているはずだ」

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