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 室内には六弦琴(ジーターラ)の音が物憂くよどんでいた。タブラなどとあわせて律動をあげれば扇情的にひびくジーターラも、ソロで聴くとひたすらけだるい。
 シャイーブ・マウトの杯を片手に、アルムルクはカウンターに頬づえをついていた。
 そして目を閉じた姿勢のままいった。
「タリクの雇った殺し屋だな」
 ストゥールをひとつおいた位置で、マトラクチュは、お? と目をむく。店に入ったのはついさっき。そのままこの席に腰をすえ、たったいま注文の品が手もとに届けられたところだった。
「おどろきましたな、シフ・アルムルク」イレム語の敬称つきで、アルムルクを呼びながらとなりのストゥールに位置をかえる。「見た目で職業をあてられたことなど、いままで一度としてなかったんですがねえ」
「殺し屋なんて職業を思いうかべる人間自体、ふつうはいまいさ」
 目を閉じたまま、アルムルクは薄く笑う。
「ま、それはおっしゃるとおりで」
 こちらもいつものにたにた笑いを取り戻し、マトラクチュ。
 のんびりしていていいのか、とアルムルクは問いかけた。
「仲間がふたり、殺られたそうだが」
「ほう。お耳がはやいですなあ。しかしあの連中は、単に近場で雇っただけのやつらでしてね」
「噂がいきわたらないよう注意しながら、ひとを雇って標的に近づけ、実力をさぐる。これがおまえの常套手段だったかな、マトラクチュ」
 マトラクチュは大げさにのけぞった。
「おやま、これまたおどろきました。私の名前までごぞんじで」
「腕のいいやつの情報なら、ひととおりは押さええてある」
「光栄ですなあ。ただ、われわれは職業柄、あまり名前が売れても困る部分がおおきいので、いまひとつすなおには喜べませんか」
「べつにおまえを喜ばせるつもりはないさ」
 アルムルクはくいと杯をかたむける。
「で、勝算は?」
「そこなんですよ」マトラクチュはわざとらしく顔をしかめる。「サリムとオグレの独断専行はともかく、状況からして的をし損じるなんてことはあり得ないと思うんですがねえ。なぜかシャフルードは、苦もなく切りぬけてしまいまして」
「直属の部下に、様子をさぐらせていたんだろう」
「いや、これはまいった。すべてお見通しですなあ」
「ああ」アルムルクは肩ごしに、ぎろりと視線を走らせる。「ほかにも知っていることはあるぜ」
「おお。有用な情報でしたら、ぜひお教えいただきたいものですが」
 内心の動揺は露ほども見せず、しゃあしゃあとマトラクチュはいった。
 目を伏せ、アルムルクは苦笑する。
「シムチエールに酔った状態で、どうやってシャフルードは切りぬけたんだ?」
「それがよくわからんのですよ」
 ふたたびアルムルクは横目で殺し屋を見やる。マトラクチュは手をさしだしていやいやの姿勢をとってみせ、、
「いや、実際どう説明すればいいものやら。なんでも、シャフルードのやつはラリってるはずの状態で、正確にサリムの頸動脈を切り裂いたんだそうで。どうもさっぱりわけがわかりません。なぜですかねえ」
 ふ、と、アルムルクはちいさく笑う。そしていった。
「本能、かな」
「は?」
「ほかにいい言葉が思いうかばない。勘とでもいえば近いか。危険を、目や耳でなく意識で感知しているんだろう」
「意識で、ですか」
「たぶんな。というよりも、肉体が危険に対して自動的に反応している、というだけのことかもしれん。いずれにしろ、やつを殺るのは至難のわざだ」
「さすがに、経験者のお言葉は重みがありますなあ」
 今度は、アルムルクのほうが目をむく番だった。
「おまえの情報も、馬鹿にはできんな」
「いえいえ、とんでもないことです。ですが、シフ・アルムルク。あんたなら、ヤツとかなりいいセンでわたりあえるんじゃありませんか?」
「おれがか」
「おとぼけにならないでくださいよ。シフ・タリクからきいてますぜ。あんた、“デラシネ”に属していたそうじゃないですか。“デラシネ”といえば往時は音にきこえた傭兵団(チルチェナーリェ)だ」
「いまは全滅してかけらも残ってないさ」
「全滅したのはあんたがぬけたあとだ。ということは――」
 片肘ついた姿勢で、マトラクチュはアルムルクの横顔をのぞきこんだ。
 にたにた笑いはあいかわらずだ。が――その目の光が、ちがっていた。
 油断ならぬ、まさしく殺し屋の目つきになっていた。
「おれが、じゃない」アルムルクは、ぐいと一気に杯をあおった。「おれと、もうひとりだ」
「ほう。そのおかたも、さぞかし腕のあるおひとだったんでしょうなあ」
「ああ」たん、とグラスをカウンターにおき、アルムルクはちいさく息をついた。「体術、接敵、状況判断、知識、あらゆる点で、ぬきんでていた。特に射撃に関してはな」
「そりゃあますますすごい。それに、シフ・タリクからきいたあんたの風評ともよく似てますなあ。あんたもあらゆる点でぬきんでていて、抜け目がないんだとか。それも、特に射撃が。そのひととあんたと、どっちが上なんですか。射撃」
「わからん」
 アルムルクは簡潔にこたえた。
 マトラクチュは無言でさきをうながす。
 シャイーブ・マウトのおかわりを要求し、グラスがとどくまでアルムルクは口をひらかなかった。
「五分(ごぶ)、かな」やがて、ぽつりといった。「おれも彼女も、的は外したことがなかった。乱戦のさなかでも、仲間の話じゃ正確さはおなじくらいだってことだな」
「ほう。女性ですかい、そのおかたは。ますますもってそりゃすごい。で、そのおひとはいまは何をなさってるんです?」
 しばしだまりこんだあと、アルムルクは自嘲的に笑いながらいった。
「自由にやっているようだ。あのころとおなじように」
 かきり、と音がなる。
 ほぼ同時に、ふたつ。
「お会いになってるんで?」
「ついさっきな。この星にきてるときいた。おれの故郷だ。むかし“デラシネ”にいたころに、ここのことについて少しだけ、話をしたことがあるんだ」
「ほう。どんな話です」
「アル・ファリラ。知っているか?」
 いえ、とマトラクチュは妙な顔をしながら首を左右にふった。
「花の名だ。血のように赤い花が咲く。戦闘の終わった戦場で、その花が咲いているのを見つけたんだ。彼女はその花をつんで、においをかいでいた。おれもその花が好きだった。ティマンラーイ埠頭を知っているか?」
「ああ。そういえば、いまごろの季節にはあそこで、赤い花がいっせいに咲き乱れてましたか。あの花が?」
「そうだ。あの血のような赤を見ていると、おれはなぜか何時間でも時間を忘れてそこにいられる。だからあの埠頭の遊歩道を、わけもなくおれはよく歩いていたんだ。そういう話を彼女にしていた。だから、もしかしたら、と思ってな」
「いってみたわけですな。埠頭の、遊歩道に」
「ああ」
「そこに、彼女がいた、と」
「そういうことだ」
「いや、ロマンチックな話ですなあ」いいながらマトラクチュは、足を組みかえた。拍子にカウンターの板にひざをぶつけ、派手な音をたてる。「いて。失敗だ。いやしかし、実にいい話だ。私もぜひあやかりたいものですよ」
「どうかな」
 アルムルクは前方、カウンター奥の窪み棚(ターカ)のなかにならべられたボトルの列をにらみつけるようにながめやりながら、そういった。
「いや、今日は有意義な話をきかせていただきました」
 いいながらマトラクチュが身軽く立ちあがった。
 ふん、とアルムルクは鼻をならす。
「仕事は完遂できなかったがな」
 なんの話で? と笑いながらマトラクチュは首をかしげる。
「勘だろうと肉体の自動的反応だろうと、実にあなどれないものだと、あらためて思い知らされましたよ。いや有意義だった。しかしどうすればいいのかなあ。頭が痛みますよ」
「それをおれに教えろ、とはいうなよ。そこまであつかましい話は、きいちゃいられない」
「おやま、これは手きびしい。まあ、それでは自分でなんとか考えてみますよ。シフ・アルムルク、あんたが思いもつかないようなアイディアでもひらめいたら、私の勝ちですかな」
 ふ、とアルムルクは笑った。
「失せろ。酒がまずくなる」
「こりゃまた手きびしい」満面に笑いをうかべる。「それでは、殺されないうちに退散退散」
 背をまるめて、ひょこひょこと歩きだす。
「待て」
 その猫背にむかって、アルムルクがいった。
 は? とふりかえるにたにた笑いに、
「金を払っていけ。おごる気はない」
 瞬間、にたにた笑いがしゅうとしぼんだ。殺し屋の顔がかなしげに引きゆがむ。
 なにやらぶつぶついいながらバーテンに金を払い、消えた。
 残ったアルムルクは、カウンターの下で銃にセイフティをかけ直した。銃口でゆらめいていたエルフィード反応の燐光が、潮がひくように消えていく。
「殺し屋に盗賊に、傭兵あがり」
 つぶやく。
 無関心をよそおってグラスをみがいていたバーテンが、ちらりと片眉をあげた。
「最後に笑うのは、おれだ」
 さらにつぶやき、アルムルクは銃をふところにしまいながらカクテルをぐいとあおった。

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