結末と補足

 

 事故処理と状況確認、さらには盗まれた“美神”の去就をめぐってひとびとが右往左往するなか、チャンドラ・シンはおきざりにされた子どものようにぽつりとひとり、腰をおろしていた。
 しきりに同情とはげましの言葉を投げかけていたとりまきどもには、実にひさしぶりに耳にする一喝をくらわせて退散させ、いまはまるでエアポケットのように静かになった一角で、老人はただぼんやりと天井をながめあげている。
 そこからやや離れた位置でルビーは、ジュニーヴルの説明をうわの空できいていた。老人のそんなようすが気になってしまい、とても刑事の相手をする気にはなれずにいたのだ。
「つまり、事故を起こすことは連中にとって計画ずくのことだったんです。たぶん、ストライダーに細工がしてあったんじゃないですかね。たとえば、赤い星マークがボディについていたと思うけれど、あれなんかかっこうの的じゃないかと思いますね。それを、あらかじめ配置していた仲間に狙撃させる。するとその衝撃を受けて何らかのスイッチが入り、スレッジのひとつが折れて機体が転倒するようになっていた」
「はあ」気がなさそうにルビーは返す。「でも、なぜわざわざそんな真似を?」
「ゴール前で大惨事を起こして、確実にみなさんの視線をそこに釘づけにするためでしょう。レースが白熱すれば人目はひきつけるでしょうけど、価値ある美術品の存在をすっかり忘れさせるほどの事態となると、なかなか確実な話にはならないでしょう? でも、デッドヒートを展開したあげくの、ゴール直前のクラッシュとなれば、いやでも全員の視線がそちらに集中する――そう考えて不思議はないと思います。事実、この部屋にこれだけ大勢のひとがつめていながら、だれひとり盗賊の侵入に気づきませんでしたね」
「それはそうですが」なおも釈然とせず、ルビーはききかえした。「でも、シャフルードなる人物は、あの大破したストライダーに搭乗していたはずじゃないんですか?」
「ごもっともな質問です」ジュニーヴルはにっこりと笑う。「あたしも、その点はいぶかしくてしかたがありませんでした。でも、こう仮定してみればつじつまがあうんです。つまり――その前に、あなたは盗賊シャフルードの仲間にマジュヌーンがいるといううわさをごぞんじですか?」
「いいえ」ルビーは眉根をよせる。「マジュヌーン、というのは?」
「つまり、能力の不安定な超能力者のことです。シヴァ、という名で知られた人物ですが、これが盗賊シャフルードの仲間といわれています。うわさの域をでませんけど、相当力の強い能力者だということですね」
「つまり、その超能力者が、機内の盗賊をクラッシュの瞬間に――」
「物質移動、とでもいえばいいですかね。テレポートと呼ばれる能力の一種だと思いますけど、搭乗員ふたりをクラッシュの瞬間に移動させたわけです。この部屋にね」
 口では軽くいったが、ジュニーヴルは人間を対象とした物質移動がそれほどたやすく行えるわけではないことを伏せていた。
 通常、超能力(ティール)はPSY波と呼ばれる特殊な波動をベースにして発揮される。このPSY波というのは、地球人であればたいていの場合は大なり小なり保持しているといわれる。その波動を計測できるほど強く発揮している、いわゆる超能力者と呼ぶべき人間はたしかにまれだが、だれでも無意識のうちに、ある程度はそれをはたらかせている、というのが通説なのだ。
 つまり、意識して手をふれずに物体を動かしたり、また他人の思考を読んだりというようなことは常人にはできないが、ある種の障壁のようなものをごく微弱にだが発することは、理論上だれにでも可能だといわれているのである。
 具体的には、念動力で岩塊を破裂させることができる能力者であっても、人間の頭蓋骨を粉砕することはかなり困難である、という事例をあげられる。
 つまり生きた人間は、無意識のうちにPSY波の防壁をはりめぐらせているために、ティールによる攻撃はある程度無効化されてしまうのである。
 もちろん、指数の異常に高い能力者であれば、そういった無意識の防壁を圧倒することも可能ではある。が、それだけの力をもつ者は、記録の上ではきわめてまれだという。
 思考波が介在する読心系のティールはまた話がすこしちがってくるが、念動系に話を限定するかぎりは、人間を一点からべつの一点へと移動させるなど、至難のわざと断言していいのだ。
 となると、シヴァなるマジュヌーンはそうとう値の高い能力を秘めているか、もしくは――ジルジス・シャフルードと、マヤと呼ばれる少女がよほどの信頼をシヴァによせているかの、どちらかの可能性しか考えられないのだ。それはつまり――
 意図的にPSY波による防御をはずすというのは、具体的には無垢にもひとしい信頼にあたる、といわれている。それを、シャフルードは仲間に対して抱いている、ということになる。
 いずれにせよ、きわめて無謀な賭けとしかジュニーヴルには思えなかった。ティールによる移動それ自体だけでなく、さらにはシヴァがフルタイムの念動力者(アタルウァン)ではなく、マジュヌーン――つまり、能力がとつぜん使えなくなったりする、きわめて不安定な能力者でしかない、という点においてもそうだ。
 あの抜け目のない盗賊のことだから、何らかの対策を用意していたと考えられないわけではない。
 が、それ以上にあの男なら、乗るかそるかのギャンブルを、わざわざ好んで選ぶような気がしてならなかったのだ。
 どうあれ、もちろんそのことをルビーに教えて話を複雑にする気はジュニーヴルには毛頭なかった。
「そういうわけですので、シファ・ルビー・シン、事情はおありでしょうがどうかわれわれにぜひご協力いただいて――」
 つづく言葉をのみこんで、ジュニーヴルは正面に腰をおろしたルビー・シンをいぶかしげに見つめた。
 まるで見当ちがいの方向に、その目を向けていたからだ。
 なにごとかと視線を追って――
 気がぬけたように呆然としているばかりだった老人――チャンドラ・シンが、目を見はりながら自分を見つめている姿にいきあたる。
「どうか――」
 しましたか? と口にしきる前に、翁はよろよろと立ちあがりながら問いかけた。
「それはほんとうか」
「それといいますと」
 わけがわからぬままきき返す。老人はもどかしげに言葉を重ねた。
「計画ずく、という話だ。その盗賊が“美神”を盗むために、わざわざ自分の命を危険にさらしてまで、そんな計画を立てたというのは、ほんとうなのか」
 かみつくような口調だった。
 いぶかしさに首をひねりながらも、ジュニーヴルはこたえる。
「あくまでも推論にすぎません。ほんとうのところは、盗賊自身が知っているだけでしょう。ですが――」女刑事はひと呼吸おき、「あたしは、あいつが計算ずくの賭にでたのだと確信しています」
 いいきった。
 ぽかん、と老人は、言葉もなくジュニーヴルの顔を見つめた。
 ジー、とルビーが気づかわしげに呼びかけるのも、きこえた様子すら見せぬまま、チャンドラ・シンはながい時間、そうしてただジュニーヴルを――そしておそらくは、その向こうの盗賊の幻像を――ただあっけにとられたように見つめつづけた。
 そしてふいに――笑いだした。
 腹を抱え、声をたてて老人は呵々大笑した。
 ルビーも、ジュニーヴルも、そして室内にいるすべてのひとびとも(もちろんザシャリも)、ひとしなみに呆然として、腹を抱えて笑いつづける老人をながめやるだけだった。
 そんな周囲のようすにはまるで頓着せぬまま、老人は苦しげに身をおしもんで笑いながら口にした。
「計算ずくか。そんな無謀きわまるまねを、計算ずくでやるバカがいたのか。とんでもない愚か者だ。救いようがない。まったく、とんでもない蛮勇だ。腹が痛いわ。笑わせてくれる。とてつもないバカだ」
 侮蔑の言葉を吐き散らしながら、老人は笑いつづけた。
 言葉とはうらはらに、爽快さすら感じているかのような笑いかただった。
 だれもが言葉もなく首をひねるなか、ルビーひとりだけが、老人の気持ちがわかるような気がしていた。
 忘れていたものをとり戻したのだろう。恐怖と倦怠という壁にさえぎられて、見失っていたものを。
 情熱と、勇気。
 盗賊の行動は、たしかにそのふたつに通底しているような気が、ルビーにもしていたのだった。

 セルヴァン雪原横断レースのその年の結果は、すったもんだのあげくチーム・セバスチャンに栄冠をわたすこととなった。
 単純な着順なら、さして問題もなくはやい時点から確認されていた。接戦の末だから、ゴール・ラインを最初に通過したのはどの機体か、肉眼では判定不可能だったのはたしかだ。が、写真判定の結果ははっきりとしていた。“セバスチャン”“バドラ・ブドゥール”“アイス・ナグワル”の順である。
 では何が争点となったかというと――
 問題は、ふたつあげられた。
 ひとつはいうまでもなくチーム・アトラカンナールの“シャフルード”疑惑。
 この点については、チャンドラ・シンがついに“美神”に関する情報を開示拒否したために、そもそもほんとうにクリシュナ・エイシャがシャフルードであったのか、という点からして確証がない状態だった。
 しかし破損した“バドラ・ブドゥール”の残骸から、ジュニーヴルの推測どおりの細工跡が発見されたため、レギュレーション違反により失格、ということで決着がつけられることとなったのだ。
 もうひとつの紛糾のもとは、“セバスチャン”である。
 すなわち、二足走行や、後脚によるジャンプをレギュレーションの範囲内と考えていいか、という点において、スタッフの一部から疑義が提出されたのだ。
 そもそもチーム・セバスチャン自体が、四年前の大クラッシュの影響で、四脚走行中心のままレースを制した参加者であるという事実が判明した。
 そのことで歩脚による走行の可能性に目ざめたエンジニアのセバスチャン・リンゲンが、そこに主眼をおいた改良を追求したあげくのストライダーが“セバスチャン”である。が――
 レースの条件には“歩脚を四本以上有すること”という一項も明記されている。
 後脚によるジャンプが、少なくともルール上規定されている範囲内におさまる、という意見が大勢を占めたために、最終的には二足走行がこの点において違反ではないか、というのが争点となったのだ。
 結局、二足走行時には使われなくとも、まちがいなく前脚が存在する以上、問題とするにはおよばない、という判断が最終的には下された。
 こうしてレース結果は、一位、チーム・セバスチャン、二位、デセスというかたちにおちつくこととなったわけである。
 ちなみに“セバスチャン”はゴールした時点で、つぶれたカエルのようなかたちで大破した上、ジャンプと着地の衝撃が緩衝椅子(アクセラレーション・カウチ)の能力を越えていたのが原因で、搭乗員がふたりとも意識をうしなったあげく、標準時で一ヶ月近くも昏睡状態におちいっていたために表彰台にのぼることはついに果たせなかったという。
 さらにもう一点。
 チーム・ガイズのダーティな行為に関しては、ジュニーヴル・カーレオン刑事他一名の調査により、大規模なトトカルチョが非合法に展開されていたことが判明した。
 そして、一帯のマスコミをもまきこんでルビー・シンが大規模な抗議行動と、非合法行為撲滅キャンペーンをはったために、賭博を主催していた組織は壊滅的な打撃を受けることとなる。翌年以降のレースには厳重な監視をしくこととし、少なくとも賭博にからんだ理不尽な行為は極力排除されるようスタッフ一同尽力することが高らかに宣言されたことで、このスキャンダルに関しては一応の決着がつけられた。もっとも、その種の行為を完全に撲滅することなど、もとより不可能ではあっただろう。

 そして翌年、年若いエンジニアとともに、主催者としてのみならず、選手としてレースにエントリーしたチャンドラ・シンは――第二の障害地点であるミナリス丘陵において機体転倒、大破の惨事に見まわれ、帰らぬひととなった。
 以降のレースの主催はチャンドラの係累にあたるルビー・シンがひきつぐ意志を示したと伝えられる。
 事故現場では、イディの鱗粉から結像された、無数のクラッドゥ先住民の幻像が、炎をあげるストライダーをとりかこむようにしてたたずんでいたと、地元ネットワークの一局が報道した。その光景はさながら、レースに夢をかけて殉じていった老人のための墓標のようであったという。

白熱の雪原――完

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