あとがき

 

 マレイ・ラインスターという名のSF作家がいる。特に思い入れのある作家、というわけではないが、このひとの作品に「メド・シップ」なるシリーズがあった。
 背景としては、交通網が完全には整備されていない宇宙開拓時代を舞台としていたように記憶している。主人公は“メド・シップ”と呼ばれる緊急医療船に乗って辺境をめぐる若きドクターで、つねに未知の病原体や思わぬ事故の可能性と背中あわせで開拓に従事するひとびとのため、宇宙を放浪しながら緊急事態にそなえている、というようなストーリーだった。
 いってみれば、ある意味できわめて地味な物語にはちがいないのだが、非常にサスペンスにみちたおもしろい作品であったこともまちがいない。もっとも、くわしい内容に関しては霧の彼方で、主人公の名前もよく覚えていないくらいなのだから、それもアテにはならぬといわれてしまえばそれまでなのだが、ひとつだけとても印象に残っているものがある。
 マーガトロイドと呼ばれる生物に関してである。
 これは、孤独に辺境を巡回する主人公の無聊をなぐさめるペットの名前なのだが、このマーガトロイドが、「まったく、とんでもない事件だったなあ、マーガトロイド」と主人公に呼びかけられると、手のひらのなかでチーチーチーと鳴いてこたえるラブリーなやつだったのだ。
 実をいうと、マーガトロイドというのが、そのペットの名前だったか種族名だったか、という点さえあやふやで、「なあ、マーガトロイド」という呼びかけがあったのかどうかも非常にあやしいのだが、とにかくひどくその小動物のことを愛らしく感じたことだけは印象に残っている。
 このマーガトロイドは、私が記憶しているかぎりでは活躍らしい活躍はしていない。ただ主人公と同じ船に乗りこみ、SOSを発する世界に起こった数々の問題を孤軍奮闘してようやく解決した主人公を、ただチーチーチーと鳴きこたえることで迎えるだけの、ほんとうに無聊をなぐさめる以外に何もしない存在だったように記憶している。
 だが、物語の内容や主人公の行動などはすっかり忘れているのに、このマーガトロイドのことだけは覚えているのだから、考えてみれば不思議なものだ。
 本作(『白熱の雪原』)にでてくる、マーガトラとイディなる生物は、このマーガトロイドから名前をいただいた架空のいきものだ。その生態も容貌も、マーガトロイドとはまったくかけ離れたもので、まさに名前を借りてちょいと変更を加えただけなのだが、やはりこれらの生物がでているあいだは、作者の頭のなかのどこかでマーガトロイドが「チーチーチー」とラブリーに鳴いて無聊をなぐさめてくれていたような気がする。

 さて本作は、盗賊ジルジス・シャフルードを主人公としたシリーズのひとつとして書かれたものだ。スペース・オペラを読んで育ってきた作者としては、このシリーズはぜひ書きたかった世界の、ひとつの結晶といっていいかもしれない。もっともできのほうは作者の判断では語れるものではない。ともあれ、その原像のひとつにはまちがいなく、レースを描いた話、というものが存在している。
 ただし、その原像は宇宙レースとでもいうべきもので、この作品のように地上、それも限定された場所を舞台にしたものとは赴きがややちがう。が、まあそちらのほうにもおいおい手をつけていきたいと考えている。
 もともと、スペース・オペラ作品において宇宙レースという題材は、ひとつのジャンルとはいわないまでも、シリーズものではよく扱われる定石的なエピソードといってしまっていいだろう。
 F1や二輪、またラリーなどの、現実のモータースポーツには作者はさほど興味をもっているわけではなく、たまたまテレビをつけたらやっていた、というような状況でもないかぎり目にする機会もないのだが、スペース・オペラにおけるレースには強く魅かれてやまない。
 考えてみれば不思議な話かもしれないが、おそらくはレースそのものだけでなく、その裏にひそんだ陰謀やさまざまな思惑、そして人間関係などがそこで描かれていることこそ、そこにひきつけられる大きな理由となっているのだろう。
 残念ながら、この作品でそういったものをうまく表現できたというわけにはいきそうにないのだが、いつかふたたび、今度は本格的な宇宙レースを手がけたときにでも、それらのものにまた挑戦してみたいと考えている。
 しかしまあ、シャフルードは主人公のくせに活躍しないこと。どうしてこう、ぐうたらなヤツなのかなあ……と考えるのはやめておこう。

1998年5月 赤木 錠、もしくは青木無常

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