宝石と拳銃

 

 噴きだす赤の色彩にうめつくされて、視界はまったくきかない。おそらくはストライダーに常備されているはずの発煙筒を使ったのだろう。屋外で、かなり離れたところからでも容易に識別できるようにつくられたものであるせいか、煙は一向に晴れる気配がない。
 かまえた銃口が正確にシャフルードをポイントしているかは、はっきりいってジュニーヴルには確認のしようもなかった。だが、勘に賭けていた。
「動かないで」
 もう一度鋭くいいはなち、トリガーをひく。
 ぴし、と煙のむこうで音があがる。敷石がはじけとぶ音。
 勘だけに頼ったでたらめな威嚇だが、効果はあったと確信した。うらづけるように、
「わかった。おおせのとおりに」
 赤煙のむこうから、とぼけた答えが返ってきた。
 なつかしい声だった。追いつづけて追いつづけて、ようやくたどりついた声。
「会いたかったわ、シャフルード」
「おれもだぜ、ジュニーヴル」
 熱意をこめた呼びかけに、打てばひびくように答えが返る。
 ジュニーヴルは頬を上気させて短く笑う。
「ながかったわ、シャフルード。ずいぶんと活躍してくれてるようで、うれしい限りよ。それでこそ、あなたを広域指名手配に推奨したかいがあるってもんだわ」
「おいおい」盗賊が苦笑する。「妙なもんに推奨してくれるなよ」
「あら、お気にめさなかったかしら」すまし顔で、ジュニーヴル。「罪をつぐなえば、もう二度と推奨なんてしないわよ。そういえば、かわいらしい女の子といっしょだったはずね。そこにいるの?」
「ああ。妬いてるのか?」
「だれが」反射的にいい放ち、後悔のほぞをかむ。「とにかく、これで何もかもジ・エンド。おとなしくつかまる気、ある?」
 うーん、と、考えるようなうなり声がきこえてきた。
 あげく、
「ないな」
 予想外の返答がもどってきた。
 いや。実に盗賊らしい答えだ。
 苦笑しかけ――気配が動いたのを察知した。
「いったはずよ、後悔しなさい!」
 言葉よりはやく、トリガーをしぼっていた。後悔したのは、自分のほうだったかもしれない。
 まちがいなく撃ちぬいたはずだが――勘が、妙な感触を手のひらに伝えてきた。
 熱線が触覚の延長上にあるわけではない。常識で考えれば、視界のきかない状態で放った銃撃がなにをヒットしたかなどわかるはずはないのだが――不思議なことに、多くの刑事仲間がジュニーヴルと同じように、撃ったものの手ごたえをたしかに感じると述懐している。
 この場合の感触は、異様だった。
 だんじて、人間の肉体を撃ちぬいた触感ではない。
 むしろもっと硬質のもの、そう、たとえば――
「ステルト――」
「ご名答」
 返答はすぐ近くからひびきわたった。
 ぎくりとして銃をポイントし直すよりはやく――後頭部に衝撃を受ける。
 以前にも、おなじように昏倒させられたことがあった。同じ轍はふまない――意地で決めたことだった。歯をくいしばり、気力をふるいたたせる。
 だが、相手もまた以前とおなじではなかった。
 銃を握った手の甲を、ぴしりと手刀らしきものが打ちすえたのだ。
 ぶざまな声だけは出さずにすんだが、的確にツボをおさえられていた。一瞬で力がぬけて、あっけなくブラスターをとり落としてしまう。
「もらったよ」少女の明るい声音が、煙のむこうでそういった。「いま、あんたをねらってる。動かないでね」
 今度はジュニーヴルが硬直する番だった。
 正直にいえば、銃を手にしていると思われる少女をこわいとは思っていない。警戒すべきは、シャフルードのほうなのだ。不用意に動けば、少女がひきがねをひくよりはやく、手痛い一撃を加えてきそうな気がしてならなかったのだ。
「へえ、さすが、永久刑事のブラスターだね。麻痺モードなんてついてるんだ」
 そんな少女のセリフにつづいて、盗賊がからかうように口にした。
「麻痺モード? あまり使ったことはないんじゃないか?」
「失礼ね、どういう意味よ」
 憤然といったのは、図星だったからだ。
「じゃ、いま使ってあげるよ」
 待ってよ、と抗議を口にするひまもなく、衝撃が全身を打ちすえた。
 痛みはないが、するするとからだから力がぬけ落ち、よろりと倒れこむ。
 ふわりと、そのからだを盗賊の手がささえた。
 なつかしい感触だった。
 状況とはおよそそぐわない感覚がよみがえる。やすらぎと、幸福感。
「ジュニーヴル、このペンダントはおれのだな?」
 やけにやさしげな口調で、盗賊がいった。
 だからなによ、と答えようとしたが、口が動かない。
 静かに横たえられる頭上から、黒ずくめの盗賊はさらにいう。
「会えてよかった。つぎも楽しみだ」
 似合わないわよ、心のなかでつぶやき、そうでもないか、とつけ加える。もちろん相手にはきこえないことがわかっていたからだ。
 背中にまわされていた手がすりぬけて――
「いくぞ、マヤ」
 声が背中を向けた。
「あ、待って」
 元気よく叫ぶ少女の声が追随し――ふたつの足音が遠ざかっていく。
 必ず追いついてみせるわ。
 投げかけた言葉はむろん、届かない。それでもあの男には、まちがいなく伝わっているような気がした。

 閑散としたタワー裏をぬけて、そのままフライアの駐機場をめざそうと角を曲がったところで、
「ジューン、どこにいったんだい――あっ失礼」
 ジルジスはザシャリと鉢合わせた。
 ぶつかりそうになるところを、すばやく体をいれかえ回避する。勢いのままつっこんできたザシャリがきりきり舞いをしたあげく、舗道上にへたりこんだ。
「あっだいじょうぶですか」
 いったのはザシャリのほうだった。
 妙な顔をしてジルジスは、
「ああ。あんたは?」
 ききかえす。ザシャリは腰をなでさすりながらひょこひょこと起きあがり、
「いやー、ぼくはこう見えても刑事ですから。たいしたことはありませんよ。あなたのほうこそ、ほんとにお怪我はありませんでしたか。こんなところで、公務執行中に一般のひとに怪我させたなんてことになったら、刑事としてメンツが立ちませんからねえ」
 なにこいつ、とでもいいたげに呆然と目をむくマヤに苦笑を投げかけ、ジルジスはいう。
「それならだいじょうぶだ。おれのほうは何ともない。それより、急いでるんじゃないのか」
「あ、そうだったんだ。同僚をさがしてましてね。なんか赤い煙が非常口のほうからもくもくでちゃってるんで、正面玄関からこっちのほうにまわってきたんだけど、あなた、だれか見かけませんでしたか? ぼくの同僚は、背たけは小柄だけど、ちょっときつい感じの美人で」
「ほう。そいつはうらやましいな。惚れてるのか?」
 いやあっはっはっ、とザシャリはごまかした。
「あっちのほうをさがしたらどうだ」
 しれっとしてそういうと、エリート出身の永久刑事はにこにこと笑いながらぴょこんと頭をさげてみせる。
「ご親切にどうもありがとう。じゃ、お気をつけて」
「あんたもな」
 にこやかに笑顔をかわしあいながら、右と左にわかれた。
 用意していたフライアにかけよりつつ、眉根をよせてマヤがきく。
「なに、あれ」
「あれがザシャリだ。ジュニーヴルの相棒」
 苦笑しながらジルジスはこたえる。
 まさか、といった顔をして少女はザシャリの消えていった方角に目をやり、そちらとジルジスの顔とを交互に見くらべてから、あっけにとられた口調でいった。
「あの女のひとも、たいへんだね」
「さぞ楽しいだろうな」
 いってジルジスは、ほがらかに笑った。

 晴れはじめた赤煙の底に、さんざん見当ちがいの場所をさがしまわったあげくようやくのことで、ザシャリは倒れこんでいるジュニーヴルを発見した。
「ジュン! いったいどうしたんだ」
 叫びながら、さすがに切迫したようすでザシャリは華奢な半身を抱き起こす。
 軽くゆさぶられて、うっすらとジュニーヴルは目をひらく。どうやらあの少女は、麻痺モードでも最低レベルを選んで撃ったらしい。
 うずくように痛むこめかみをさすりながら、ジュニーヴルはけだるく問いかける。
「シャフルードは? どこにいったの?」
「え? いや、そういえば、それらしき人物は見かけなかったな。警備員も見あたらなかったし、いきあったひとといえば、ほら、あっちのほうで五分くらい前だったか、角を曲がるときにひととぶつかりそうになっちゃってさ。若い男のひとと、十代なかばの男の子だったけど。それがなんだか、感じのいいひとたちでねえ」
 ききながらジュニーヴルは目をむいて、ザシャリのひとのよさそうな顔を凝視する。
 が、あきらめたように、不機嫌につぶやいた。
「女の子よ」
「え?」
 無邪気にザシャリはききかえす。ため息をおしころして、ジュニーヴルはくりかえした。
「女の子なの、あいつといっしょにいたのは。たしかに、写真でみるとかなりボーイッシュな感じだけどね。あんた、顔見なかったの?」
「え? うん。それがなんか、赤い煙がもくもくしちゃっててさあ。あんまりはっきりとは、見られなかったんだ、ふたりとも。でも、どうして女の子なの?」
「あんたねえ」
 いいかけ、ぽかんと見かえすザシャリの顔を見て気力がなえた。
 深々とため息をつき、身を起こす。
「五分前っつったっけ? どうせむだだろうけど、さがしてみるよりないわね。どっちのほうにいったの?」
「え? でも、それより盗賊シャフルードをさがすほうがさきなんじゃないか? それに、そもそもどうしてきみはこんなところに倒れていたんだい? まさか盗賊に――」
 心底から心配そうな表情をしたザシャリを、ジュニーヴルは非難をこめて見つめた。ほかにすべきことを思いつかなかったからだ。全身から力がぬけ落ちていくのを実感する。
「あんた、大物よ」
 ぽかんとしている同僚に、もう一度深々とため息をつく。

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