ラン&ガン
「いつのまに――」
「だいたいあんなの、どっから出てきたの?」
疑問ももっともだった。上空から俯瞰できないジルジスたちにしてみれば、ランプの魔神の所業だとしか思えなかったにちがいない。
“セバスチャン”である。
がしがしがしと、ぶざまに巨大な後脚であがくように雪面を蹴りつけて懸命に滑走している。スピードはかなり遅いが――距離がある。
「なんだか」ジルジスがすなおな感想を口にした。「妙なかたちのストライダーだなあ」
のんびりとした口調に、マヤはハッと目をむく。
「そんな場合じゃないって。とにかく加速!」
叫びざま“バドラ・ブドゥール”に必死になって後方を蹴りつけさせる。
じりじりと、“アイス・ナグワル”に肉薄した。
はるか彼方に、特設タワーの威容がそびえ立っているのが見えてきた。ゴールはもう近い。
さらに“セバスチャン”のぶかっこうなリアもまたみるみる接近。
「あいつは問題じゃないや。一気にぶっちぎるよ!」
マヤの言葉に、ジルジスもうなずく。少なくともあの形状では滑走によるスピードは期待できない。となれば敵は深紅の機体だけだ。
“アイス・ナグワル”もまた全力疾走にかかっている。しかし、紙一重だがわずかに“バドラ・ブドゥール”のほうが速かった。ぬける、マヤは確信し、唇の端を笑いのかたちに歪める。
“セバスチャン”のテールがまたたくまに迫り、つぎの瞬間には後方におきざりになった。深紅のヒップも、もう眼前だ。
そのとき――またもや信じがたい行為が、おそらくはこのレースに見入っているであろう、すべてのひとびとの度肝をぬいた。
げひょん。
ときた。つまり“セバスチャン”が――とんだ。
跳躍したのである。
「バッタかい!」
ティーズがつっこんだ。
むろん、だれにも異論はなかった。
あまりにも常識はずれだ。障害地帯でも滑走、という姿勢が近年の常勝パターンである。そういう意味では、このチーム・セバスチャンは発想が後退している、とすらいっていい。
――革新的な後退だ。
モニタ内部で、引き離されようとしていた“セバスチャン”がひょーんと宙をとび、――ふたたび先頭へと踊りでたのだ。
どう考えても、まともな発想ではなかった。苦しまぎれにちがいない。
しかし、それを可能にできるだけの潜在力を、確実に内包してもいたのだ。
あらゆる意味で、規格はずれの機体であった。
“アイス・ナグワル”も“バドラ・ブドゥール”もともに、あまりの驚愕にか一瞬機体を左右にブレさせていた。
さもあろう。ジャンプするなど、予想できることではない。もしそれを想定して機体設計にたずさわっていたとしたら、ふざけているとしかいいようがない行為なのだ。
四足で着地した“セバスチャン”は、そのまま滑走にはうつらず、もう一度おり曲げた後脚で思いきりよく雪面を蹴りつけた。
がひょんと、ふたたび跳躍。
残念ながら、この狂気じみた移動法が“セバスチャン・ジャンプ”その他の呼称を冠せられることはついになかった。だれもこれを真似しようとしなかったからだ。なぜなら――
がべん、とふたたび“セバスチャン”が二機の眼前に着地する。その拍子に、衝撃を吸収しきれなかった前脚が折れ砕けた。
破片が四囲にとぶ。
だがさらに“セバスチャン”は――がしょん、跳躍した。
“アイス・ナグワル”も“バドラ・ブドゥール”も、もはや型破りなライバルには目もくれず、ただひたすら加速をつづけるのみだ。
ゴール地点は、目の前だった。
三つの機体が、横一線にならぶ。
「見ごたえたっぷりだねえ」
苦笑しつつラエラは、銃をかまえた。片目にあてたスコープ内に、“バドラ・ブドゥール”の機体表面、赤い星印をポイントする。
トリガーに指をかけた。
「朝だ、起きろシヴァ」
スタート地点の天幕のなか、レースの模様をうつしだすモニタに食いいるように見入ったまま、レイはいった。
ロッキングチェアに深々とうもれて目をとじていた仮面の男が、ふっとその瞼をあげる。
炯炯と光る眼光が、眼前に設置されたモニタ内部の映像をとらえる。
瞬時の沈黙――
「いまだ、シヴァ」
レイの言葉と同時に――シヴァの双眸がぎらりと輝いた。
「シヴァ、頼むよ」
つぶやきながらラエラは――トリガーにかけた指をひく。
ブラスター・ライフルの銃口が、音もなく火を噴いた。
「きたよう!」
叫ぶまでもなく、眼前にチェッカーが迫っていた。
“アイス・ナグワル”の深紅のノーズ、“セバスチャン”のぶかっこうな歩脚――すべて横一線。
「勝てた?」
マヤはジルジスに視線をやった。
「目的は果たした」
黒ずくめの盗賊は、にやりと笑う。
同時に、衝撃がおしよせた。
勘がはたらいたのかもしれない。パトロール・フライアから降りた瞬間、ジュニーヴルの注意をひいたのは、チェッカーフラッグを手にしたスタッフが待ちかまえるゴールラインでも、“翼をひろげた美神”の鎮座するタワーでも、そしていましもゴールラインにつっこんでこようとしている三機のストライダーでもなく――
タワー奥に盛り上がった小さな雪山の、樹林の内部であった。
きらりと一瞬、何かが輝く。
見おぼえのある輝きだ。ジュニーヴルの日常に、非常に近しい光輝。死を吐きだす光。
銃撃だ。
だが、標的は――?
疑問が形をなすよりさきに、解答が眼前につきつけられた。
おそるべき驚愕とともに。
ぱし、と、音をきいたような気がした。錯覚だったのかもしれない。
起こった状況は劇的だった。
群れなす観客の頭上ごしに、激烈な勢いでゴールラインにつっこんできた“バドラ・ブドゥール”が、がくりとその機体を崩れさせた。
ずど、と重い音が、今度ははっきりとひびきわたる。
同時に、漆黒の姫君が、きりもみ状に身をひねる。
一瞬、わざとそういうふうに機体操作を加えたのか、と思った。
なぜ事故だと思わなかったのか、あとから考えると不思議だった。これも勘だった、としかいいようがないだろう。
ともあれ――ゴールラインを割った瞬間、“バドラ・ブドゥール”は派手に横転し、そのままロデオの暴れ馬のように縦横無尽に荒れ狂いながらはねまわったのである。
死傷者がでなかったのは、奇跡以外のなにものでもなかっただろう。
タワーわきを横転しながらすりぬけ、観客席前の衝突防止ブロックに盛大に叩きつけられ、黒い機体がぴたりと下腹を見せて一瞬の静止。
一拍をおいて、どしゃん、と倒れこみ――つぎの瞬間爆発した。
無事にゴールした“アイス・ナグワル”のハッチがひらき、なかから深紅のスーツに身をつつんだふたりの女性が走りでてきたとき、ジュニーヴルは胸の宝石を握りしめたまま気が狂ったように群がる観客をおしわけ、最前列にでようとした。もちろん、立錐の余地もなく密集した人群れに、おし入るすきなどあろうはずもない。あえなく弾きだされ、呆然とたたずむ。
「ジュン」
叫びながら肩の下にザシャリがもぐりこむ。ほとんど気づかぬまま、ジュニーヴルは見ひらいた視線を――ふいに、ハッとしたように雪山の樹林にとばした。
「狙撃? でも、だれが……」
いいかけ、眉根をよせる。
「どうしたの、ジュン。狙撃ってなんのこと? あの山から、だれかあの黒いのを銃撃したってのかい? そりゃたいへんだ。ひとをやって、犯人をつかまえなきゃ」
「待って!」
ジュニーヴルは叫んだ。
えっ、と目をむいてザシャリが見かえすのには答えず、唇をかみしめる。
「ジュン、いったいどうしたって――」
いいかけるザシャリを手のひらでさえぎり、ジュニーヴルはつぶやいた。
「マジュヌーン」
「え?」
ぼけたリアクションを返すザシャリに舌うちひとつ、ジュニーヴルはさらにいいつのる。
「シヴァよ。マジュヌーンてうわさだわ。つまりこれは――計画どおり――」
呆然とつぶやき――ぎらりと、視線を転じる。
かたわらにそびえる、特設タワーに。
「チャンドラ・シンはあそこね」
いうよりはやく、ザシャリの腕からするりとぬけ出て走りだした。
「ちょっと、待ってよジュン」
この期におよんで、どことなくのんびりした口調でいって、あわててザシャリもあとを追う。