白銀に赤
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ゼッケン3 チーム名:フォーチュネイト(フォーチュネイト)
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「だめ。切られたわ」
憤然と息をつきながら、ジュニーヴルは隣席のザシャリにいった。
返答はなく、ザシャリはぽかんとした顔を前方に固定させたままだ。
「何があったの? むこうでも、何かあわただしい雰囲気だったけど」
いいながら客席前方の大型スクリーンに視線をやり――つう、とまぶたを細める。
「そういうこと」
ジュニーヴルはつぶやいた。抑揚を欠いた口調。
「ひどい……めちゃめちゃだよ、あのパイロット」
「たしかにね」
ひそめた眉に冷たい怒りをのせて、ジュニーヴルはバックレストに深く背をあずける。
画面のなかでは、鮮血が一面の白にぶちまけられていた。
つぎつぎに。
フォーカスは、さっきまで四位の位置につけていたはずの迷彩色のストライダーにあわせられている。
おそるべきスピードの疾走。
直進だ。
暴走するマーガトラの群れも、まるで無視した疾走である。
右往左往するマーガトラの群れはつぎつぎに、膨大な鋼鉄の重量の突進をうけて跳ね飛ばされ、ふみつけられ、ひきつぶされていく。
純白の羽毛におおわれたまるい、のどかな巨躯が鮮血をまきちらしながらつぎつぎに雪上に横たわり、舞いあがる無数のイディがマーガトラの哀しげな悲鳴と連動するように、稲妻状の閃光を一帯に走らせていた。
「ひどいよ。逮捕しなきゃ、ジュン」
「あんた、あいかわらずのんきね」つぶやきに近い口調。「この惑星の自然保護法に抵触する行為かどうかもわからないのよ。そもそもこのレースに、こういうコース設定自体が許諾されていることからして、罪に問うことそのものが困難でしょうね。ましてあたしたちには、完全に管轄外」
「でも見過ごすことはできないよ。すぐに逮捕しなくちゃ」
唇をかみしめ、ザシャリは感情的な述懐をくりかえした。
「この場面を見せつけられてるひとは、たぶん全員そう思ってるわ」無表情にジュニーヴル。「でも、できることは何もない。ほとんどのひとたちにはね」
「でも、ぼくたちは刑事なんだよ」
ザシャリが必死の形相でジュニーヴルをふりかえる。
「そのとおりよ」冷徹にジュニーヴルはこたえた。「単なる刑事にすぎないわ。あたしたちに、あれを裁く権利はないの」
なおも何かいいかけて――ザシャリは唇をかみしめた。
「それにしても不自然ね」画面に視線を釘づけたまま、ジュニーヴルはつぶやいた。「このレース、賞金か何かでるの?」
「でることはでるけど」ザシャリは困惑に眉根をよせる。「たいした額じゃない。レースに参加するためにかかる費用とトントンくらいだ。たしかにおかしいな。こんなまねをしてまで、勝敗にこだわるような賞金じゃない。栄誉って点なら……」
「ますますあり得ないわ。栄誉でなく汚点そのものの行為だもの」
「じゃあ、どうして……」
直接はこたえず、ジュニーヴルは唇を軽くかみしめた。
そしていう。
「この機体のチーム、ちょっと背後関係洗ってみて」
「なるほど」モニタ画面をながめやりながら、ジルジスはつぶやいた。「合理的だな」
「だからって!」
マヤが激して叫ぶ。
イディ、まぼろしのクラッドゥ先住民、そしてマーガトラをもまったく無視して強引な直進を敢行する迷彩のストライダーは、ぶちまけられた赤い液体の軌跡をあとに、いまや最先頭におどりでていた。
タイガーパターンの機体が追随するように、“ガイズ”の通過跡をトレースして直進を開始する。
「なりふりかまっちゃいない。人非人だ!」
なおも憤慨の口調でマヤが叫ぶ。
腕を組んでナヴィゲーターシートに身をあずけたジルジスは、無表情に黙したまま。
「ちくしょう、見てろよ。つぎの森に入ったら追いついて、クラッシュさせてやる」
炎の視線を迷彩機に向け、マヤは毒づく。
毒づきながらも、ステアリングをあやつる手の動きにはよどみがない。
運よく生きのびたマーガトラのみならず、死体と化したそれをも義理がたくよけながら、さらにスピードをあげる。
「熱くなるな、マヤ」静かな口調でジルジスがいった。「熱くなったら、負けだぜ」
「だって――」
ふりかえってマヤは――瞬時、ジルジスの無表情を見つめた。
無言で姿勢をただし、操縦をつづける。
氷よりも凍てついた冷たい何かを、黒の瞳の奥底に見つけたからだった。
スピードの維持につとめるマヤに、抑揚を欠いた口調でジルジスはいう。
「レース開始んときに、あやしげな連中がうろついてたの、おぼえてるか?」
「うん。防寒着の下に、黒服がちらっと見えてたやつらだね?」
「臭いを感じただろう」
意味ありげなものいいに、マヤはむっつりとうなずいてみせる。
ジルジスたちもまた闇の部分に棲息している。同種の人間の臭いには敏感だ。
「そういうことか」
「そういうことだな」
こたえた黒い盗賊の口調に、抜き身の刃のようなものを感じて、マヤはちらりと視線を走らせる。
うかぶかうかばぬかの、かすかな、かすかな笑み。
細められたまぶたの下、両の瞳から発される鋭利な視線。
それを見て、マヤも獰猛な笑みを満面にうかべた。
「じゃあ、遠慮することはないよね」
「ああ」にやりと笑って盗賊がこたえる。「おれたちの土俵だ」
すでに、先頭をいく“ガイズ”と、それに追いすがるかたちの“アイス・ナグワル”は第二のルドイア樹林に突入するところだった。やや遅れてあとを追う“ナミル”も丘陵地帯をぬけつつある。
それでもマヤは、累々と横たわるマーガトラの屍をさけるように、小刻みに機体をふりながらの雪原踏破をやめなかった。ジルジスもまた、その点については何もいわない。
差をつけられた。距離的にはわずかだが、そのわずかな差をうめるには困難が予想された。
ようやくのことで“バドラ・ブドゥール”も樹林地帯に突入する。
「さあ、こっからだよ」歯をむきだしにして、マヤはつぶやく。「丘陵じゃ好きほうだいやってくれたけど、こっからはそうはいかない。ひどい目にあわせてやるよ」
が、そのかたわらでジルジスは眉をひそめていた。
「そう簡単には、いかせないつもりらしいな」
けげんそうにマヤもモニタに目をこらし――
舌打ちをし、毒づいた。
「ちくしょう、どこまで汚いんだ」
「一貫した態度だな」
冷笑をうかべてジルジスがつぶやく。
「ブロックだ」
口調に非難をこめて、ティーズがモニタに罵声をあびせた。
対してルビーは、平坦な口調でこたえる。
「理にかなってるわ。さっきのとはちがって、これならルールはもちろん、過去にいくらでも同例をさがせる。賞賛されることはなくても、きわめてあたりまえの行為よ」
「ですが、この“ガイズ”がこれをやると、とてつもなく腹がたちませんか」
ティーズは奥歯をかみしめる。
第二のルドイア樹林に突入すれば、先刻の技量の差からして“アイス・ナグワル”がふたたび“ガイズ”を圧倒し、いずれぬき去るであろうことはだれもが予想していた。
うかつなことに、ブロックの可能性を失念していたのだ。
先頭におどりでれば、接近する後続に追いぬきをかけられぬよう、機体全体を使って防御にでるのは、べつに雪原レースに限らずごくふつうの行為にすぎない。
機体を障害として用い、後続の進路を妨害するのみならず、トリッキーな動きで幻惑を加えたり、樹幹を補助腕でわざと叩いて雪塊を落下させるなどで、後続のクラッシュを誘発させようとしたとしても、ルール上は問題とすることも困難だ。
“アイス・ナグワル”は突出したスキルでかろうじて事故を回避している。だがそれも紙一重だ。すくなくとも、見ている側にはいままで以上に間断ない緊張を強いられるシーンである。
しかも小面憎いことには、“ガイズ”のコース設定はきわめて合理的で、考え得るもっとも完全な進路をきっちりとおさえている。あいかわらず歩脚を四本フル稼働させてはいたが、そのこと自体が今度はブロック行為に有利にはたらいてもいる。
敵のコース選択にすこしでも隙を見出せれば、“アイス・ナグワル”もそれにつけこむことはできただろう。
技量の差はたしかにあったが、それがほんのわずかなものにすぎないこともまた事実なのだ。深紅の機体がブロックをさけて最適コースから逸脱した進路を選んだとしても、へたをすれば差がひろがるだけになりかねない。
となればブロックをぎりぎりの線で見切りながら、相手の隙をさそう以外に“アイス・ナグワル”のとり得る手段はないのかもしれない。つまりクラッシュぎりぎりのアクロバティック・ランがこのままつづくということだ。
負荷にはちきれそうな沈黙が、室内を占拠する。
そのなかで――ただひとり、まったくべつのモニタに視線を向けている者がいることに、ルビーはふと気づいた。
このレースに関するかぎり、だれよりも炯眼な老人の視線を追う。
第二グループをトレースしたモニタが、そこにはあった。
惨劇の跡もなまなましい丘陵地帯を疾走するストライダーの群れのなかに、特に目につく動きはない。
眉をよせ、老人の注意をひくものは何かとルビーは目をこらす。
わからない――が、ひとつ、奇妙なことに気がついた。
妙な機体が走っているのだ。
第二グループの先頭だが、徐々に追いつかれてきている形だ。滑走するスピードも、ほかの機体にくらべるとやや遅い。
だが、先頭を走っていながら追いつかれてきている――ということはつまり、それ以前にはもっと差をつけていた、ということになるのではないか?
機体をよく見てみると、ほかのものと比べてバランスがよくない。滑走を主体とするには、その後脚が大きすぎるのだ。
となると、その特性は――ルビーの思考がかたちを整える前に、スタッフのひとりが声をあげた。
「シファ・ルビー・シン」
視線を第一グループに戻す。
「あの虎模様の機体――“ナミル”も……」
ティーズの言葉に補足されて、皆の注意を新たにひいたものが何かを把握する。
先頭グループは、ふたつに別れていた。
突入と妨害をくりかえし、もつれあうように進行する二機から離れて、残りの二機は準最適コースを選択したのだろう。アタックとブロックでほんのわずかにペースダウンしたせいか、四機はほぼ同一線上にならんだ形になっていた。
そして、タイガーパターンのストライダーもまた――背後に肉薄する“バドラ・ブドゥール”にブロックをしかけているのである。
こちらのやりかたは、よりあからさまだった。
樹間のおおきい場所を選んで突入を敢行した“バドラ・ブドゥール”に、“ナミル”は旋回しつつ補助腕をいっぱいにのばしてふりまわしたのだ。
つまり“ナミル”が“バドラ・ブドゥール”に、なぐりかかったのである。
前脚を使って急制動をかけることで、漆黒の機体はクラッシュを回避した。が、これも紙一重だ。そしてむろん、制動をかけたことによって彼我の差が拡大する。
「あいつら……」
だれかのつぶやきが、スタッフたちの胸中を代弁した。
ただひとり――それまでかたくなに背もたれにもたせかけていた身を乗りだした、チャンドラ・シンをのぞいて。
「もう一波乱、確実にあるな」
ひとびとの視線が一瞬、老人の上に集中する。
気づいたのは、ルビーひとりだけだったかもしれない。
恐怖、嫌悪、怒り、忌避感。老人はあいかわらず、不機嫌でその顔面を鎧いつづけたままだ。が――その奥底に、ながいあいだ消えていた炎が、復活している。
情熱。それがその炎の名だ。