ヒッティング

 ゼッケン7 チーム名:デセス(フリー)
       機体名:“アイス・ナグワル”
       機体ベース:カタオカLS−5
              “アバド・ファドール”
       パイロット:シェリル・アレンバッハ
       エンジニア:エリック・ソルテラ

 ダンス。
 あざやかなほどのステップ。まるでコマ切れの映像をつなぎあわせたかのような、あまりにも唐突で、そして華麗な方向転換。
 通常、ストライダーを表現するのにもっとも多用される比喩は、蜘蛛だ。四本の歩脚の動きは現実に、蜘蛛の動作を参考にプログラミングされた部分もある。つねに人類のもっともよき指南役は自然現象に存在している。
 だが、紅のストライダー“アイス・ナグワル”には 、もっとふさわしい比喩表現があった。
 水すまし。あるいはその他の、水面をすべるように移動する特殊な水上生活者たちだ。
 前進と、ほとんどまえぶれなしの急激な方向転換。その姿は、スレッジの伸縮自在のエッジによる抵抗を利用しているとは思えぬほど流麗で、まさに水面をすいすいと移動する、針のように細い昆虫類を思わせた。
 背後に追随する四機は、比較するとかなり荒々しく、見ようによってはがさつとさえとれる移動をくりかえしている。歩脚が地を蹴りたてるたびに白い飛沫が爆発する炎のように盛大にはねあがり、あるいは打ちとばされたルドイア樹が激しく左右にふれながらどさどさと、こびりついていた樹氷を落下させる。
 勢い、四機が通過したあとは清澄だった雪面がみにくく荒らされることとなるのだが――先頭をいく深紅の機体の航跡には、それがほとんど見あたらない。
 むろん、反動を利用しての方向転換が主体だ。そのためにはほかの機体と同様、真白くおおわれた雪面上に幾度となく歩脚を打ちこんでいる。
 だが、ほかの機体のように、小爆弾が破裂したかのような無惨な傷跡をそこに残していくようなことはほとんどないのだ。
 ヴェクトルに応じた傾斜をともなう、放射状の秩序立った痕跡。それがシェリル・アレンバッハの操縦が雪上に残していくあざやかな爪痕であった。
 フットワーク。
 白いキャンバスの上に落とされた血痕のごとく、あざやかに前後左右にステップをふむ“アイス・ナグワル”の動きは、まさしく優雅なダンスそのものだった。
「これは……たしかに、差はひらく一方かもしれないわね」
 ルビーがつぶやく。
 異をとなえたのは、つい先刻、まったく同じ考えを最初に口にしたはずの、チャンドラ・シンだ。
「いや、わからなくなったぞ」
 え、と一同は眉をひそめて翁を見かえす。
 むっつりと画面に視線を固定したまま、チャンドラ翁は腕組みをする。
「後続の四機のうち、三機までが操縦法を変えてる」
「ほんとうだ」スタッフのひとりが声をあげた。「シェリル・アレンバッハを真似ているのか?」
「先駆者は最良の教師だ」
 翁がいった。
 モニタ内部にはたしかに、パイロットたちのとげつつある、さらなる進捗の姿が映しだされていた。
 もっとも的確に反応しているのは、深紅の機体に追随する漆黒のストライダー“バドラ・ブドゥール”だ。二本の歩脚のみを使用し、ロスを最小限におさえた動作でフットワークを展開する“アイス・ナグワル”のテクニックを忠実に再現し、みるみるその技量をあげていく。おそるべき吸収のはやさだ。
 すぐ背後についた、タイガーパターンの派手な機体“ナミル”が徐々に、その差をひろげられていく。
“ナミル”のパイロットも、方向転換に最先頭の一機と同様の流麗さを徐々に加えはじめてはいた。が、吸収のはやさは“バドラ・ブドゥール”のパイロットほどではない。紙一重の差だろうが、それは徐々に、だが確実に彼我の距離のひろがりとしてあらわれている。
 さらにその背後で――
「まずい」
 ティーズが思わずつぶやいた。
 長年スタッフとしてこのレースにかかわってきただけに、その観察眼はたしかに抜きん出ている。
 ほかのスタッフとともに、ルビーもまた身を乗りだした。
 事故に対する勘と危惧は、スタッフには共通の嗅覚と化している。その嗅覚が、いちように彼らの胸郭をしめつけたのだ。
 四機め――先行する二台と同様、その移動技術に変化を見せはじめていたストライダーが、異様な動きを見せたのである。
 ぎこちなくも、コツといえそうな動きをとらえはじめたと見えた、まさにその瞬間。
 突然、四本の歩脚がパニックにおちいったかのように、でたらめな動作を始めたのだ。
 歩脚の動きは通常、そのほとんどすべてがコンピュータ制御にまかされている。パイロットの要求に応じてその都度、状況に最適な動作を瞬時にコンピュータが識別し実行するのだ。が、当然、それまでに知られていない状況や動作には、コンピュータは即座に対応することができない。
 となれば、革新的な技量を再現するには、マニュアルに切りかえるしか方法はあるまい。コンピュータ制御にまかせていればあり得ない歩脚のパニック的動作が、いま、四機めのストライダーを襲っているのである。
 機体は無意味で危険な逡巡を見せて樹間にブレ、不自然な回転をくりかえしたあげく機腹を見せて横転した。
 もちろん、そこまで保ってきたスピードはそのまま維持している。
 ど、と樹上から大量の雪塊が飛散、落下した。
 打ちすえられた鋼鉄のかたまりは反動で縦旋回を加えられ、きりもみ状に宙に舞う。
 つぎの瞬間、直径五メートルの樹幹に、その胴体がまともに叩きつけられた。
 コクピット部がくにゃりとアルミのように歪曲する姿が、モニタをとおしてはっきりと届けられる。
 ぱ、ぱ、と火花が接合部でひらめいた――と見えた瞬間、エンジン部がどすぐろい炎塊を噴きあげる。
 ごう、と爆煙の尾をひきながらスクラップと化した機体はさらに回転しつつ樹木、ついで雪上へとバウンドをくりかえし、炎の小球がつぎつぎに宙をおどった。
 落下したとき、そこにはすでにランド・ストライダーの原型はまったくとどめられてはいなかった。
 かたわらを、先頭集団を形成していた最後の一機が通過する。滑走をつづけながらも、深紅のストライダーの動作を唯一トレースしなかった迷彩色の一機だ。機体名は“ガイズ”。
「あ……」
 ティーズがうめきをあげる。ルビーも、気づいていた。
 滑走する五機めのストライダー“ガイズ”の進路上に――ふらりと、人らしき黒い影が立ちあがる光景に。
 事故を起こしたストライダーの搭乗員だったのだろう。
 映像はやけにあっさりとしていた。
 いささかもスピードをゆるめることなく疾走する迷彩色の機体が、立ちあがった影をかすめる。
 通りすぎたあとには、そこに人が立っていた痕跡は見られなかった。だが、まちがいなくひきつぶされている――直感的に、ルビーはそう判断した。
「わざとだな」
 ひやりとした刃のように、しわがれた声音がひびきわたった。
 わきあがった胸奥のどすぐろい想念を、その言葉は裏づけていた。
“ガイズ”のパイロットも、瞬間的に樹間の自殺的滑走に対応できるだけの技術的基盤はもちあわせていたはずだ。その証拠に、樹木や地形的障害はここまであざやかにクリアしてきている。ふいにあらわれたとはいえ、眼前に立ちふさがる障害が人間であることくらいは識別できただろう。
 通常の反応であれば、回避するために何らかの反射行動に移行していたはずだ。そしてその行為の結果は十中八九、さらなるクラッシュのひきがねとなったにちがいない。
 そういった意味でなら、まったく反応を見せずに出現した人影をひきつぶすのは、状況判断としては最適だったかもしれない。
 そして、わざとでなかったとすれば、その後の走行にその影響が見られないわけがない。不慮の状態でひとをはねとばしておいて、何事もなかったようにレースを続行するなど、ふつうの神経の人間であればできることではないからだ。
 が“ガイズ”はまったく最前とかわることなく、着々とコースを消化していく。
 つまり、この機体のパイロットは、眼前に突如出現した人間を、踏破の障害ではないと判断し――無視してのけたのである。
「なんてやつだ」
 ティーズがうめきあげる。
 ルビーもまったく同感だった。ルール上、問題のある行為とはいえない。故意であると証明することもまた困難だろう。まったく気づかなかったという可能性も否定しきれるものではないし、おそらく問いつめられればパイロットはそう主張するにちがいない。
 ある意味では、死傷者を大量にだすクラッシュとはまるで別次元の、レースの品位自体をどろまみれにする冒涜的な行為であった。
 ちらりとルビーはチャンドラ翁に視線を投げかけ――
 気づく。
 老人のしわがれた手が、かたく握りしめられていることに。
 顔貌はあいもかわらず不機嫌の仮面で鎧われていた。悲劇的な事故の光景と、さらにそれにつづく非人間的な行為とに対する動揺など、みじんも見出すことはできない。
 だが、握りしめられた手は、たしかに震えていた。
 怒りに。あるいは――恐怖に?
「チャンドラ・ジー――」
 危惧にみちた呼びかけは――
「シファ・ルビー・シン、通信が入っています」
 ルーム最奥部からのスタッフの声に中断されることとなった。
「通信? レース中はカットしておくよう、いってあるはずよね」
 いらだちが声にまじるのを自覚しながら、ルビーはいう。
「はい、ですがどうしてもこのレースの責任者と直接話したい、といってきかないものですから。星際警察機構の広域捜査員と名乗っています」
「永久刑事が?」
 眉をひそめて、ルビーはききかえした。
 困惑顔でスタッフがうなずくのを見て、ルビーは逡巡を一瞬にとどめ「わかったわ」とこたえた。
「回線をこっちのディスプレイにまわして」

 肉薄した樹幹が右側方に消失し、ふいに眼前に純白の斜面が出現した。
 ルドイア樹林を、ついに突破したのだ。
 同時に、背後からおおいかぶさっていたジルジスの肉体の感触が、つ、と遠ざかる。
 ステアリングを握る両の手にかぶせられていた、おおきな手のひらもまた、ためらいもなく離れてしまう。
「どうだ。コツはつかめたか?」
 言葉の意味を、マヤは瞬時理解できずにいた。
 夢からとつぜん、むりやりさまされた感覚。
 ついさっきまで背中にはりついていた、ひろく、あたたかい感触がふいになくなってしまったことに、激しい喪失感をおぼえたのだ。
 頬を上気させたままマヤはふりかえり――
 首をかしげて、不思議そうに見かえすジルジスと視線をあわせる。
「どうした? ――おれと心中したいのか?」
 にやりと口端をゆがめて、前方を指さした。
 瞬時、ぽかんと氷河の瞳を見つめかえし――
 向き直った眼前に、巨大な岩塊が急迫しつつあるのを発見。同時に、一気に血がひくのを狂おしく自覚する。
「うわあ」
 叫びつつ、紙一重のタイミングで障害への激突をまぬかれた。強烈な横Gが襲いかかる。
 さらに、床下から硬質の感触。――アイスバーン!
 機体が不自然に横すべりし、一瞬だけコントロールを完全に喪失する。
 側方から、切りたった崖の壁が急接近。
「えい!」
 声とともにストライダーの歩脚で地を打ち、かろうじて激突をまぬかれた。
 その数瞬で、ひき離しかけていた背後のタイガーパターンの機体に、追いぬきをかけられていた。
「あん、もう」
 軽くコンソールを叩き、追随にかかる。
「死ぬかと思った」
 さして焦慮を感じさせない、のんびりとした口調でジルジスがいった。
「ごめーん」
 口にしつつ、心中ではジルのせいだよ、とつぶやいてみる。むろん、声にだして伝える気はない。
 樹林内で、懸命のコントロールと加速にもかかわらず先頭をひた走る“アイス・ナグワル”に追いつけないことに業を煮やしていた矢先、ふいに背中からおおいかぶさるようにしてジルジスがのしかかってきたのだ。
 ぎょっとするマヤにふりかえるすきを与えず「前を見ていろ」とささやきざま、黒い盗賊はステアリングを握るマヤの手に手をかぶせ、微妙なタッチのハンドリングを開始した。
 数秒で、マヤにも理解できた。よぶんな歩脚の動きは凍結し、前一対の足だけを使って方向転換する方針だ。
 切りかえたとたん、いままで縦横無尽に機内を荒れ狂っていたGが、おどろくほど軽減された。
 そして、むきになって追いすがっても一向に近づく気配のない深紅のストライダーの姿が、みるみる近づいてきたのである。
 観察してみると、たしかに“アイス・ナグワル”の操縦には理にかなったパターンがあった。ジルジスの補助は、それを忠実に再現したものだと理解もできた。
 そしてその瞬間、黒い盗賊と自分とが、かつてないほどぴったりと重なりあっていることを、マヤは狂おしく自覚したのだ。
 カッと血が頭にのぼり、一瞬、わけがわからなくなった。
 暴力的なほどの幸福感が、痛いほど胸をしめつける。
 ほぼ同時に――
 樹林をぬけて“バドラ・ブドゥール”は視界のいい斜面へとおどりだし、同時にジルジスがきたときと同様、まったく唐突にその身をひいてしまったのである。
 無数に形成された雪瘤をかわしつつ、マヤはちらりとうらめしげな視線をジルジスにくれた。
 助手席に腰をおろしたジルジスは、まるで気づかずフロントヴュウに見入るばかり。
「もう」思わずマヤはつぶやいた。「ジルのばか」
 ぽかん、と見かえす盗賊のまぬけ顔を横目に、くすりと笑いをもらし、
「いくよ、ジル」
 景気よくいい放つや、返事も待たずに後部歩脚で思いきり反動をつけ、一瞬で見きわめたルートめがけてスピードをあげる。
 斜面は急から緩へと移りはじめていた。第一の樹林の障害は終わったが――このさきにはセルヴァン・レース名物の、もうひとつの障害が待っている。その前に、ひらかれた差をできるだけつめておきたかった。
 タイガーパターンのストライダーはもちろん、あいもかわらずぶっちぎりで先頭をひた走る“アイス・ナグワル”にも、負ける気はさらさらない。
 加速。
 加速。
 さらに加速。
 先行する二台の軌跡を無視し、危険だが距離をつめられるルートを直感的に選択しながら、はためには無謀とさえ見える疾走をつづける。
 ちらりとリアヴュウに視線。
 つい先刻、森林内でクラッシュ事故にかかわったはずの、迷彩色のストライダー“ガイズ”が急接近しつつあった。障害のすくない地形で速度を確保できるようセッティングした機体らしい。じわじわと、彼我の差をちぢめつつある。
 ジルジスが、唇の端をいやそうな形にゆがめてみせた。
「気にくわねえな」
「ひき離しちゃうよ。安心して」
 いって、さらにマヤは加速する。
 そのとき、斜面が一時的にとぎれ――第二の障害地帯に突入した。

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