ファィト!

 

 各機いっせいにとびだして――とはいかなかった。
 空砲の音が反響するよりはやく――まさにフライングぎりぎりのタイミングを見はからって、数機の機体が反応したのだ。
 こぶしひとつの差で先頭を切ったのは――ジルジスの機体から三つ離れた位置に待機していた、深紅のストライダーだった。
 予選でのタイムで、ダントツの一位を記録した機体だ。カタパルトから打ちだされたような勢いで滑走し、数秒後にはぶっちぎりで独走態勢に入っていた。
「すごい」
 一瞬の差で追随しながらも、マヤは思わず口にしていた。
 一瞬の差が、数秒で数十メートルの差へと拡大されてしまっている。スタートのタイミングに加え、歩脚のパワーとスピード、さらにはスレッジ性能と機体とのバランスの絶妙さに支えられた、おそるべきスキルの冴えだ。
 雪煙を蹴たてながら深紅のストライダーはぐんぐん加速し、ルドイア樹林に一気に突入した。
「いきなり心臓に負担だ」
 唇をかみしめてマヤがつぶやく。
 が、泣き言とはうらはらに、少女はまったくためらいもせず、つづいて機体を森林へと飛びこませた。
 たちまち、眼前に樹幹が肉薄する。レバー操作で鋭く歩脚を駆使して、障害を回避。だが、スタート地点からここにたどりつくまでに乗せられたスピードは、ほとんど死んでいない。再度、樹幹。歩脚が白い煙を蹴りたて、反動とともに回頭する。そこに岩塊。
「いけっ」
 マヤの叫びと同時に、後部歩脚が地を打つ。ジャンプ。着地。眼前に樹木。補助腕と前部歩脚を使って、樹幹を打ちすえ反転。さらに障害。
 まさに、寸秒ごとに出現する障害をクリアしながらの、心臓に間断ない負担をかけつづけることを強いられる前進だ。
 むろん、眼前にあらわれた障害をただかわしつづけるばかりでは意味がない。瞬間的な判断をくりかえしながらも、さらに広い視野をもって森林の奥底まで見透し、最短最速のコースを見きわめながらできるだけスピードをころさず滑走しつづけなければならないのだ。
 ルドイア樹林――惑星クラッドゥでも、ごく一部の寒冷地を除いてはほとんど見られることのない特殊な樹林だ。テラフォーミングを受ける以前からの土着の生態で、地球環境化に絶滅も、また異常繁殖することもなく昔日と同様に静かに繁栄をつづけている。
 特徴は――丈の高い幹、樹上部に集中して存在する針葉の、腕のながい枝群――そして、各樹木のあいだに存在する間隔。およそ五〜二十メートル。立ち並ぶ樹木のあいだにはそれだけのスペースがひらいており、そこには下生えもなく白い雪面が清澄にひろがる。地形的な障害は多々存在するが、レース用のストライダーがすりぬけていく余裕は充分にあった。
 むろん、通常それは歩脚を使っての緩慢な歩行移動を前提としてのことだ。レースの初期から中盤にかけては、それが唯一のルドイア樹林踏破の方法でもあった。
 それが十数年前、一機のストライダーがスレッジ滑走による捨て身の森林突破を試みて成功してから、がらりと様相をかえることになったのである。
 ログ・フィクス。それがそのストライダーのパイロットの名だ。
 それ以前にも、がちょんがちょんと歩脚をふみならしながらの踏破にもどかしさを感じてか、あるいは自分の操縦技術にあらぬ幻想を抱いての結果か、滑走による森林突破をこころみた選手の数は少なくはない。
 が、すべてそれは事故によるリタイヤへと直結し、連鎖反応による大量の死者をだした大惨事へと発展したことも幾度かあった。
 つまりそれまではルドイア樹林地帯は、歩脚を使っての堅実な移動が唯一の手段と考えられていたのだ。
 それを一変させたのが、ログ・フィクスである。
 ログ・フィクス。本業はフライア・メーカー“カタオカ”のエンジニア。
 それ以前にもフィクスは、エンジニアとしてレースに参加していた。ピットクルーとして二回、機体に乗りこんで三回の経験を積んでいた。結果は惨憺たるものだったが、大きな事故もトラブルもなく、五回のレースに参加してきた意味はたしかに大きい。
 だが操縦者としての才能があるとは、六回めのエントリーまで、本人ですら想像もできなかったという。
 パイロットの体調不良による、不慮の代役。そういう経緯で抜擢されたのが、フィクスであった。
 もちろんストライダー操縦の経験はある。機体性能を追求するために幾度となく、みずからの手でコースを走らせてきたこともあった。樹林を滑走できれば、圧倒的な差をつけてゴールできる、との夢も早くから抱いていたらしい。その証拠に、瞬間的な歩脚の操作性能と、衝撃にたえられるだけの頑強さを追求してもいた。
 が、パイロットがそのような危険な操縦に尻ごんでいた、という事実があった。
 ステアリングをみずから握ることとなり、ログ・フィクスはとどかずにいた危険な夢にチャレンジすることを決意する。
 無謀さか、冷徹な計算か、それはいまでも不明なままだ。おそるべき操縦技術、奇跡とも評された運のよさを背景に、圧倒的な記録でレースを制したフィクスのチームは、とうぜんのごとく翌年もエントリーした。が、森林踏破の秘訣をフィクスは記録に残すことなくその年にクラッシュ、鬼籍のひととなる。皮肉なことに第二のルドイア樹林の、まさに出口まで数メートルというポイントでの樹幹への激突が事故原因であった。
 いずれにせよ、ひとりの男が不可能といわれていたことをなしとげた事実は残った。
 壮挙をなしとげる者たちは、はるかな過去から連綿と存在しつづける。
 そして、不可能ではないと知らされたとき、ひとはつぎつぎにその障害をブレイクしていくことになる。
 事故から二年は、ログ・フィクスにつづくパイロットはあらわれなかった。が、三年後に開催されたレースで、くしくも五人の選手が樹林内を猛スピードで滑走し、激烈なデッドヒートを展開することとなる。しかもその五人の無謀な冒険者たちは、いずれもクラッシュすることなくゴールまでたどりつき、残りの参加者たちを圧倒的にひきはなす記録をマークすることとなったのである。
 爾来、このレースで上位を狙うためには森林内部を滑走してクリアすることが必須条件となったのである。
 唯一の例外が、四年前の、悪霊がかかわっているのではないかとまでいわれる大惨事がまきおこったときのレースで、この年は滑走を試みたストライダーは一機の例外もなく事故をまき起こすこととなり、なんと歩脚で堅実に障害回避してゴールをめざしたチームが優勝してしまうという、近来にない珍事が発生したのである。
 いずれにせよそれ以降も、スレッジによる滑走が結果をだすための必須条件、という点に、基本的に変化はなかった。
 が――
「見えた!」
 ピアニストのごとくコンソールに手を走らせながら、マヤはにやりと笑う。
 ディスプレイのひとつに、樹間をぬって移動する深紅の影をとらえたのだ。
「見てろよ」
 つぶやき、マヤは歩脚の回転をあげる。右に左に、たてつづけに襲う横Gの嵐のさなかで、少女の瞳がきらりと光る。

「これは……桁ちがいの技量です……」
 塔につめていた運営スタッフのひとりが、呆然とつぶやいた。
 むろん、ルビーもまったく同感だった。
 五台。
 偶然にも、ログ・フィクスの追随者があらわれた年と、同じ数である。
 深紅のストライダーを筆頭に、五台の機体が信じられぬハイスピードで樹間をすりぬけていく光景が、そこに展開されていく。
 いずれも、障害のない急斜面で直滑降するのとほとんど変わらぬスピードで、つぎつぎに立ちはだかる障害をクリアしてコースを消化していくのだ。
 滑走が主流となったとはいえ、そのスピードには限界がある――と今までは考えられていた。その常識をもくつがえす時代のおとずれを、この五台のストライダーの操縦者たちはいっせいに宣しているのであった。
 特に、最先端をいく深紅の機体と、一進一退でそれに追いすがる漆黒の機体、さらにその背後にぴたりとはりついて離れないタイガーパターンの機体のパイロットは、神業といってもたりぬほどの技量を披露していた。
 森林内の、標準的なコースに配置された無人観測器は、かなりのスピードで通過していく物体をも無理なくとらえられるよう調整された特注品だ。
 その観測器が、先行する三台の機体の動きについていくことができずに、不鮮明な映像を送信してきている。
 その不鮮明な映像ではさだかではないが、三機のストライダーは極端な場合、センチ単位の差でクラッシュを回避しているようにさえ見えた。
「奇跡か、意志か……」
 茫漠とした口調で、スタッフのひとりがつぶやいた。気取った言葉の内容が、おどろくほど画面の映像にマッチしていた。
 運と技量、どちらが欠けても、たちどころに死傷必須の事故へとつながるだろう。それだけに、展開されるデッドヒートは、まさに芸術の域に達しているといって過言ではない。
 超絶技巧のダンスにも通底する、おそるべき技量にうらづけられた奇跡だ。
 それが三台。
 しかも、さらにそれを追う二台もまた、先行する三機におとらぬ腕の冴えを見せている。彼我のあいだにかなりの差がひらいてしまったのは如何ともしがたいところだが――最初の十数秒をのぞけば、五台の移動するスピードはほぼ横一線にならんでいるといっていいだろう。
 ミクスト・アップ。おそらくこの五台のうち、後続する四台のパイロットはレース開始以前には、これほどの技量は発揮し得なかったにちがいない。むろん、これまでのレベルから考えれば比較にならないテクニックを秘めてはいただろう。
 が、先行する深紅の機体の、奇跡の操縦を見、それにくらいついていくことで、追随する四台もおそらくはみずからの限界を、まさにその場でひきあげてしまったのだ。
 不可能ではない、と知ったとき、ひとはいとも簡単に限界をのりこえていくことができる。むろん、それは稀有な例であるのはまちがいない。その稀有な場面がまさに、いま展開されているのである。
「それにしても……あの紅い機体のパイロットはすごいわね……」
 ルビーも、レース観戦というよりはおそるべき技量にうらづけられた感動的な舞踏をでも目撃している心境でつぶやいていた。
 言葉どおり――四台をひっぱるかたちで先頭をつっぱしる深紅の機体は、すでに広大な森林地帯のなかばまで達していた。去年までのトップチームの、倍のペースだ。
「一対だな」
 ふいに、ルビーの背後でしわがれた声がつぶやく。
 ルビーはふりむいた。
“翼をひろげた美神”をかたわらにおいたチャンドラ翁が、あいもかわらず背もたれにからだをあずけた姿勢のまま、モニターに視線を固定してしかめツラをしていた。
 見入っているのはいつものことだ。決して老人は、レースに興味を失ったわけではない。
 だが、これほどまでにみごとな技量を見せつけられて――なんという荒涼とした視線なのか。
 心中うかんだ底しれぬ想いの疑問を唾液とともにごくりとのみこみ、ルビーはモニターに視線を戻す。
 しばらく見つめているうちに、老人のつぶやく意味がのみこめた。
 映像がはっきりしないために明言はできないのだが、たしかに老人のつぶやくごとく、先頭をいく深紅の機体は、四対の歩脚のうち、前列の一対のみをもってして、あの奇跡の方向転換を実現しているらしい。
 ほかの四機を観察してみると、その点はあきらかにちがっている。残りの四機は、四本の歩脚に加えて前部の二本の補助腕をもフルに駆使して、かろうじて障害をのりこえていくかたちで疾走している。
「四本よりは二本のほうが動作が単純だ。そのぶん、反応がはやくなる。このさきはその差がでるぞ」
 チャンドラ・シンはひとりごちた。
 そうかもしれない、とルビーは心中つぶやく。
 そして、食い入るように画面に視線を釘づけたまま、ため息のような口調でかたわらのスタッフに呼びかけた。
「ティーズ」
 ティーズなる名のスタッフは、呆然としたまま言葉すら発せず、みなとおなじように画面に見入っているばかりだ。
「ティーズ」
 ルビーはもう一度、やや口調を強くして呼びかけた。
 それでも一瞬の間をおいて、ようやくスタッフが反応した。
「あ……はい、シファ」
「この操縦者はいったい何者なのかしらね。今年初参加の機体だと思うけれど」
「え……ええ、そうですね、シファ・ルビー・シン。さぞかし名の知れたストライダー乗りなんでしょうけど……」
 ため息をおしころしつつ、ルビーはちらりと視線をあげた。
 そして、皮肉にひびきそうになるのをつとめておさえて、告げる。
「悪いんだけどティーズ、あなたの前にあるコンソールをちょっと操作して、この機体のパイロットの素性を調べてもらえないかしら。ナンバーは――7よ」
 びっくりしたようにティーズは目を見ひらき、はいシファ、と女性につける尊称をくりかえしながらあわててボードを操作しはじめた。
 呼びだされた情報が、各自のディスプレイのサブモニター上に転送される。その場にいる者のほとんどすべての視線が、いっせいにそこにそそがれた。
「連合宇宙軍の翔尉か……」ルビーのかたわらでべつのスタッフが得心がいったように読みあげる。「なるほど、そうとなれば、この技量もなんとなく納得できますね。機体名は“アイス・ナグワル”。パイロットは――これは、女性か?」
「アレンバッハだ」あとを継いだのは、チャンドラ・シンのしわがれ声だった。「シェリル・アレンバッハ」

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