レディ・セット

 

 暁から濃密な青へと変化した空が、白銀の高台にずらりとならんだ無数の機体を睥睨する。
 ゆるゆると上昇しつつある太陽の白光がメタリックな反射をきらめかせ、その周囲で、あるいは機体上やコクピット内部で、待機する選手たちの目をすがめさせた。
 競技委員長のあいさつは手短にまとめられ、いそがしく飛びまわっていたネットワーク・クルーたちも、係員によって効率的に排除されはる。
「そろそろだね」
 漆黒の不吉な機体にあぐらをかいた黒ずくめの盗賊に、ラエラが呼びかけた。
 そのかたわらでは、おおげさなほどぶあつく衣服を着こんだレイがぶるぶるふるえながら、うらめしげな視線を四囲の世界に投げかけつつぶつぶつと文句をたれている。天才のこの私がなぜ好きこのんで寒冷地で死にぞこなうバカどもにまじってたたずんでいなければならないのか、とか何とかうめいているらしいが、寒さに弱いせいでいつもの饒舌さを欠いていた。
「レイ、ムリせずに、天幕のなかで待ってれば?」
 ジルジスの横で、これも盗賊のまねをするようにしてまったく同じ姿勢であぐらをかいたマヤがにやにや笑いながらいった。
「ばかもの」レイはふるえながらうめく。「私だってこのような愚かなまねなどしたくはない。だがそこのバカがだな、スタートくらい肉眼で見とどけろなどとたわごとをぬかして、この私をむりやりつれだしたのだ。うう、ぶるる」
「だからって律儀にでてくることはないのにさ」
 笑いながらラエラがいう。
 レイは目をむいてぷるぷると全身をふるわせ、おおげさな動作で天をあおいでみせた。
「ああ、わが夜の女神よ。私はきみがいるから出てきたというのに。このおそるべき凍てついた氷の大地よりなおも冷たきそのいいぐさ。なぜきみはそうしていつもいつも、この私の恋心を凍った言葉でなえさせるのか」
「調子でてきたじゃん」
 からかい口調でマヤが茶々をいれた。
 酔った顔つきを一瞬でさめさせ、じろりとマヤを一瞥してからレイは、思い出したように身をふるわせてだまりこむ。
 そのとき、設置された大会スタッフのつめる天幕の方角から、フィーとながく尾をひく笛の音がとどけられた。
「セコンドアウトだ」
 つ、と立ちあがりながら黒ずくめの盗賊がつぶやく。
 黒いスノー・ストライダーの上で、なお暗い底なし穴がぬうと上昇したかのような存在感を、ジルジス・シャフルードははなっていた。
 つづいてマヤも元気よく、ぴょんとはねあがるように立ちあがり、ストライダー内部にとびこんでいく。と――ふいに、ひょいと首だけのぞかせ、
「じゃ、ラエラ、よろしくね。レイ、風邪ひかないうちにとっとと帰ったら? レイの仕事はもうほとんどすんじゃってるんだし?」
 知的で冷徹なレイの美貌が、瞬時、とりのこされた子どものような顔をしたのをとらえてマヤは快活に笑い、ぴょこんとひっこんだ。
「なにがおかしい!」
「顔があかいぜ」
 にやにやしつつ、ジルジスがいう。
 ぎょっとしながら頬に手をあて、レイはわめいた。
「これは寒さに赤くなっているのだ」
「ちがうな。逆だろうが」
 ぼうぜんと目をむくレイに、高らかに笑いを残しながらジルジスもコクピットへと姿を消した。
「なんという臭いセリフだ」
 ぽつりとつぶやいたレイに、笑いかけながらラエラがいう
「さ、わたしもそろそろ待機地点に移動しようかな」
 レイは眉根をよせて抗議する。
「まだ時間は充分あるはずだぞ、ラエラ。あの天幕の内部には白ぬりマスクの男が陰気に眠りこけているだけだし、私ひとりでは退屈でしかたがない。もうすこしここで待機していてもいいだろう」
「で、愛の言葉をささやこうってのかい?」
「もちろんだとも」
 真顔でうなずくレイをしばし見つめ――ラエラはくすりと笑った。
「やめとくよ」目をむいたレイに、追いうちをかける。「ききあきた」
 自称銀河史上最高の頭脳が、ぽかんとあけっぴろげな顔をする。
 ラエラは楽しげに笑って、レイの肩をぽんぽんと叩いた。

「どうだ?」
 ナヴィゲータ・シートに腰をおちつけたジルジスの問いかけに、起動準備を終えて待機状態のマヤは、にっこりと笑ってうなずきかえす。
「最高だよ。エンジンの機嫌も上々。ボクの調子も上々。おまけに天気まで上々。見てよ、この青い空。踊りたくなっちゃうね」
 さし示したモニター内部に、黒い盗賊はちらりと視線を走らせ――うかべかけた微笑をひっこめた。
 細めた目を画面に固定する。
「どうしたの?」
 けげんそうにききかえすマヤに、ジルジスは無言でディスプレイを指さした。
 画面内部には、雪上に整列したストライダーが映しだされている。
 各機体間を、出場チームのスタッフらしき一団があわただしく行き交っていた。スタートぎりぎりまでくりかえされる光景だ。
 焦点をどこにとっていいのかわからず視線をさまよわせながら、マヤはいぶかしげに眉をひそめ、
「なに?」
 さらに問うた。
「こいつらだ。場ちがいなやつらだぜ」にやりと笑って、ジルジスはつけ加える。「まるでおれちたみたいに、な」
 ちらりと笑いかえしながらマヤは、ジルジスの指さすさきに目を投げかける。
 三人。一見したところ、ごくふつうの防寒着を身につけたチーム・スタッフの一団ではある。着ている衣服が三人とも、暗い色のモノカラーという共通項は、派手な色彩のスタッフがうろついているなかにはたしかに異質さを感じさせないでもなかったが、べつだん怪しむほどのことでもない。
 が、ひとめ見てマヤにも、ジルジスのいわんとするところが理解できた。
 三人のうちのひとりは、防寒着の前面をひらいているところだった。あたり一面雪におおわれてはいたが、夜が明けて時間がたっている。快晴で風もなく、たしかにぶあつい防寒着に身をつつんで動きまわっていれば汗のひとつもかきそうなコンディションだ。
 のぞいた防寒着の内側から、ちらりと黒い色彩が見え隠れていた。
「なるほどね」マヤも視線をつと細める。「レースのスタッフよりは、暗黒街のバック・オフィスのほうが似合いそうな雰囲気だね、たしかに」
 ジルジスは無言でうなずき――にやりと笑う。
「もっとも、おれたちのほうが火薬の臭いはきついがな」

『ヘイ、ガキども。待たせたな。いまやおそしと待ちかまえるストライダーの威容を見ろよ。いよいよスタートだぜ。見てみな、いまラインのむこうに、スターターが立ちやがった。何てこった、笑っちまうね、あの旧態依然としたいでたち。はっはっはっは、まるで前時代の異物だぜ。センスを疑っちまうが――しかしまあ、それほど悪いってわけでもないかもな。おもちゃの鉄砲で、空砲が合図だ。ヘ、やつめ、気取った顔してやがる。きっと一世一代の晴れ舞台ってやつさ。無邪気なもんだぜ。スタートに人生かけてやがるんだ。応援してやろうじゃないか。おっと、いけねえ。応援しなきゃなんねえのは、これから激戦をくりひろげようって、熱い熱い無鉄砲なくそ野郎どものほうだったな。どうだい見ろよ、どの機体もこの機体も、いましも飛びだそうとじりじりしてやがる。おっと、スタート五分前だ。気どり屋のスターターが、いませきばらいしたのが見えたかい?』
「あ、ほんとにせきばらいしたね、ジュン。このレポーター、おもしろいねえ」
 モニター内部を見やりながらザシャリが気楽な口調でそういった。
 おもしろいのはあんたのほうよ、とため息とともに心中ジュニーヴルはつぶやく。
 ルディフ市警の屋上ポートから浮遊車(フライア)で空港までとび、そのあいだに手配されていたチケットを現地で受けとっていまようやく、セルヴァン雪原もよりの空港へととびたとうとしているエアライナーの座席におちついたところだった。
 正面スクリーンには、むろんクラッドゥ全土の住民がかたずをのんで見まもっているにちがいないセルヴァン横断レースの実況中継が流しっぱなしになっている。
 乗客は十割、立錐の余地もない、とは比喩表現にすぎないが、いかに警察権力でごり押ししたとはいえ、キャンセルシートをジュニーヴルとザシャリのふたりぶん確保できただけでも奇跡に近い盛況ぶりだ。
 むろん、このライナーの乗客のほぼ百パーセントが、レースのゴール地点めざす野次馬たちにちがいあるまい。機が到着するのはおそらくはレースのクライマックス時点、選手たちがゴールするのを見られるかどうかも微妙なタイミングだというのにこの混雑ぶりなのだから、おどろくべき熱狂だ。
 ジュニーヴルは、目をすがめて眼前のモニターに見入る。
 予選順位に沿ってならぶ百台近い機体の最前列に、その漆黒の機体は鎮座していた。
 異彩をはなっているのは、その一機にかぎるわけではない。百年つづいたレースだ。銀河中から強者がつどっている。特に最前列に居をしめているのは、そのなかからも選りすぐりの連中ばかりだ。機体自体が目に見えぬオーラのようなものを炎のように燃えたたせている。
 だが、それでもジュニーヴルには、くだんの黒い機体しか目に入らなかった。
 静かに燃える炎が、その瞳にうかぶ。ぺろりと、かたちのいいくちびるに舌をはわせたのは、あくまでも無意識の動作だ。
 そのときふいに、ザシャリのディスダーシャの懐中でオルゴールのメロディがちりちりと鳴りわたった。おや、と目を見ひらき、カード型のコミュニケータをとりだす。
 ディスプレイに露骨な媚び笑いを顔面にはりつけたアリー課長がうきあがった。
『ああ、これはどうも、永久刑事さん。お待たせしてしまって申し訳ありませんな。なにしろ非公開情報まであたっていたので。でもまあ、その甲斐はございましたですとも。ええ。盗賊とレースとの接点ですが、見つかりましたですよ。いや、これはなんというか、公開情報ではありませんでしたので、どうもその苦労したというか時間がかかってしまいましたが、まずまちがいございませんとも。盗賊の狙っているのは十中八九、私のさがしあてたこの品であることは確実でございまして……』
 待たせた詫びとも、苦労の主張とも、あるいはおのれの調査能力の自慢ともとれぬ愚にもつかない長口舌がつづきそうなのをさえぎって、ジュニーヴルはザシャリのコミュニケータをのぞきこみながら告げた。
「どうもありがとう。おつかれさまでした、アリー課長。ご協力に感謝させていただきます。ではさっそくで恐縮ですけど、データをこちらに転送してもらえます?」
 饒舌を中断させられ、瞬時お役所課長はしかめツラをうかべたが、すぐに愛想笑いの下にそれをおしこめ、ひょこひょこと首ふり人形よろしくうなずきはじめる。
『もちろんでございます。いやあ、永久刑事さんともなられますと、いろいろとたいへんでございますなあ』
 同時にディスプレイ下部に、データ受信情報の数字が上昇しはじめる。

「時間だよ、ジル」
 呼びかけながらも少女の視線は、前方視界モニターに釘づけになっていた。
 助手席に居をしめたジルジスは、ちらりとそんなマヤのようすを見やり、口もとを笑いのかたちにかえる。
 かつてスラムでの邂逅をはたした少女が、その格闘センスとともに持ちあわせていた才能を最初に見出したのはジルジスだった。
 フライア、エアストライダー、戦闘機、宇宙船――いかなる機体でも、コンソールによるコントロールを必要とするものであればマヤは、数日、極端な場合は数時間のシミュレーションで自在にあやつることができるようになる。そのレベルも尋常一様のものではない。一週間もその機体に接していれば、まさに星際規模のレースに出場しても優勝をねらえるほどの熟練の域に達してしまうのだ。
 それはこのスノー・ストライダーの操縦にしても例外ではなかった。
 スノー・ストライダー――一般には、ランド・ストライダーという呼称で知られている、歩脚を有した山岳登坂用の乗用機を、さらに寒冷地用に特化したものだ。
 ランド・ストライダーとはまさにその名のとおり、浮遊機あるいは航空機では到達の困難な特殊な地形に、主にその歩脚を駆使して搭乗者や物資を運送する機体のことである。通常、歩脚に加えて車輪もしくは走球(ボーラー)をそなえており、整地での走行も可能としているほか、浮遊システムを搭載した短距離用浮遊機としての機能をあわせもっているものが一般的だ。
 スノー・ストライダーも、主に寒冷地の山岳地帯、峡谷、森林といった場所をその活躍の場としたランド・ストライダーの一種だが、このレースにおいてはそれがさらに特化をとげている。
 浮遊システムは装備せず、ロケットエンジンのようなものも搭載してはいない。四本を下限、八本を上限とした歩脚と二本の補助腕、そしてスレッジ(そり)を下面に装着しただけの、簡易な機体だ。レース初期からのルールにより、浮遊システムや翼による浮遊・飛行、またロケット噴射のような爆発燃料による前方への推進なども禁止されていることからの特化である。
 初期においては歩脚を使っての移動が主とされていたが、いま現在、このレースにおいて威力を発揮しているのはやはりスレッジだった。そのため、参加している機体のほとんどは動きのはやい頑丈な歩脚を四本と、ストライダー用に発達した独特の形状のスレッジだけを装備し、あとは極力機体重量をおさえることに専念している。
 むろん、ジルジスたちのストライダーもその例にもれない。
 パネルにならぶモニターのひとつに、派手な色彩の衣服に身をつつんだスターターが、手にしたピストルを入念に点検している姿が映しだされている。
 ジルジスたちの乗った黒い機体は、最前列左端のほうに位置していた。
 眼前は、障害の排除された急斜面。はるか下方に、ルドイア樹の森林が横たわっていた。
 見たかぎりでは森林は、かなり遠方に見える。が、いざスタートしてみればあっというまに到達してしまう距離だ。
 四囲の機体の歩脚も、後方にむけて昆虫のようにくの字におりたたまれ、激発の瞬間をいまやおそしと待ちうけている。
「ま、軽くいこうや」
 言葉どおり軽い口調で、ジルジスがつぶやく。
 ちらりとマヤは横目でジルジスを見やり――熱にみちた笑みをうかべた。
『レディ……』
 眼前のスピーカーから、拡声器によって増幅されたスターターの声音がひびきわたった。
 頭上にピストルをかまえた派手な色彩が一瞬、風にゆらめいた。
 眩光はなつ朝の陽ざしを受け、その銃身がきらりと反射光を放つ。そして――
 合図の銃声が、鳴りわたる。

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