ザハル

 

「そうか」ジルジスはいった。「それは困ったな」
「やーい。ざまをみるがいい」
 勝ちほこったようにレイがべろべろと舌をだす。
「あんただって同じ立場だろうに」
 ラエラがあきれながらレイの頭をこづいた。
 ああっきみはまたそうして私の心をふみにじる、とまたはじめようとするのをラエラは手をふって制する。
「で、どうする?」
 ジルジスにきいた。
 ジルジスは、ふたたび艦長席にどっかりと腰をおろしてあごの下に手をあて、ふむ、とうなった。
 そのとき、
『もうひとつ、あたらしい展開がおとずれました』
 スクリーンのなかでシャハラがいった。
 全員の視線が、いぶかしげによせられる。
 シャハラは無表情につづける。
『追尾してくる高速戦艦より、超光速通信(ハイパー・ハーティフ)がとどけられています。どうしますか?』
 ほう? とジルジスは目をむいた。
「何者から?」
『サディレシヤ王ザハルです』
 ジルジスは、つうと目をほそめる。
「わかった」ふんぞりかえった姿勢で足を組み、ジルジスはいった。「つないでくれ」
 シャハラはうなずき──一拍の間をおいて、メインスクリーンの映像が変化した。
 ザハル王の精悍な顔があらわれる。
 全員の注視がふりそそぐなか、王はいささかも動じたようすなくゆっくりと視線をめぐらせ──サフィーヤ姫の前で、その視線をとめた。
 無言のまま、見つめる。
 姫もまた言葉もないまま、見つめかえした。
 そうしてふたりは、通信回線をとおしてながいあいだ、声もなくただ見つめあっていた。
 が──ふいに王のほうが姫から視線をはずした。
 ジルジスに目をむける。
『シャフルード。降伏しろ』
 ジルジスの口もとに、嘲笑がうかんだ。
「降伏? なぜ?」
『きさまらはもう逃げられん』王は淡々という。『兵装でも数でも、こちらのほうが有利なのは自明だろう。無益な抵抗はやめろ。命だけはたすけてやる』
 ジルジスは笑った。声をたてて。
「おもしろいことをいう。数はともかく、武装の点でどちらが上か、それでは試してみるがいい」
『きさまは愚かだ、シャフルード。サフィーヤがそこにいるから、おれが手かげんをするとでも思っているのだろう。だが、そうとはかぎらんぞ』
「ほう」
 と、ジルジスは身をのりだした。
 口もとに、獰猛な微笑をうかべて。
「いい覚悟だ。うけて立つぜ、ザハル。あの世で後悔するがいい」
 いってジルジスは、ぱちりと指をならした。回線を切れ、というシャハラへの合図であろう。
 が──それをさえぎるように、王が口をひらいた。
『待て』
 ブラックアウトしかけたスクリーンに、ふたたび王の姿がうつしだされる。
 ──身をのりだして、うったえかけるような目をよこしていた。
 回線がつなぎ直されたのを知って姿勢をととのえ──
 あらためて王は、サフィーヤ姫に目をむけた。
 遠い、手のとどかないところにいるひとを、狂おしく求めるようなあの目をして。
 しばしそうして姫君を見つめ──やがてザハル王は口にした。
『エル・エマド気質、というがな、サフィーヤ』
 姫は、いぶかしげに眉をひそめる。
 かまわず王はつづけた。
『ハイン大学でのことだ。フェイシスの連中が、無数のカップルをつくって恥ずかしげもなく人前で愛を語らっていたのを、そなたもおぼえているだろう』
 王の言葉に、姫君の脳裏にまたあの光景がうかびあがる。
 青い空のもとで、王とふたり言葉すくなにすごした、あのまぼろしのような時間の光景が。
 そしてあのときに王が口にしかけた言葉も、また。
 そのときには、おれは、そなたを──
 とくん、と胸が鳴いた。
 姫は息をのみ、王の言葉を待った。
 王は、静かな視線を姫君にむけたまま、いう。
『おれもアリシャールも、それにエル・エマド圏内から留学していたほかの連中も、たいていそれを気恥ずかしく感じていたものだ。おれにはとうていああいう真似はできん。そう考えていたし、そんなことをする必要があるとも思えなかった』
 そこで口をつぐみ、姫を見つめた。
 サフィーヤ姫もまた、胸の上で手を組んで王を見つめかえす。
 ひたむきな視線で。
 それを受けて──王が、笑った。
 静かな、おだやかな微笑であった。
『だが、おれはまちがっていたのかもしれん』そして、口にしたのである。『一度もいったことはなかったな。サフィーヤ。おれはそなたを、愛している。おれはかならず、そなたを迎えにいくぞ。何度でも。かならずな』
 それだけだ、と最後につぶやき、スクリーンの前で手をふった。
 姫が思わず手をさしのべながら腰をうかせた。
 が、そのときにはすでに、スクリーンはブラックアウトしたあとだった。
 あ、と、放心したように姫はつぶやき──ふと、室内につどう全員の視線をあつめていることに気づいて、頬を染めながら腰をおろした。
 うつむいて、言葉をのみこむ。
 そんな姫のようすを、ジルジスはしばらくのあいだ無言のまま見つめていた。
 が、やがていった。
「シャハラ、反転して敵戦艦を迎えうつ。迎撃準備だ」
『了解しました、ジルジス』
 姫が、はっと顔をあげてジルジスを見つめた。
 それは無視して、ジルジスはレイに呼びかけた。
「レイ」
「いやだ」
 即座にレイがこたえる。
 まるで気にしたふうもなく、ジルジスはつづけた。
「ディスラプター・キャノンだ」
「ことわる」
 予想していたのか、レイはまたもや即座にそういった。
 が──姫は気づいた。
 マヤもラエラも、そしてあの無表情なシヴァまでもが、はっとしていっせいにジルジスをふりかえったことに。
 ディスラプター・キャノン──ジルジスがそう口にした瞬間、ピン、とはりつめたものが走りぬけたのである。
「おまえはやってくれるよ、レイ」
「それはおまえの見当ちがいだ。冗談ではない。私はやらない。断固としてやらない」
「だいじょうぶさ」
「だいじょうぶ、ではない」
「わかってる。シャハラ、スタンバイだ」
「シャハラ、スタンバイの必要はない。私はやらない」
「気にするな、シャハラ」
「気にするのだ、シャハラ」
『いったい、どちらの命令を実行すればよろしいのですか』
「おれだ」
「私のに決まっているだろう。おとうさんのいうことがきけないのか」
「頼むよ、おとうさん」
「だーっ。だれがきさまのおとうさんだ」
「おまえ」
「ばかもの。脳みそ腐っとるのか、きさまは」
「だいじょうぶだ。たのむぞ。シャハラ、スタンバイ」
『了解しました』
「ジルジス、きさまのその強引さには、ほとほと愛想がつきはてる」
「だが、おまえはやるんだろう?」
 にやにやしながら、ジルジスはいった。
 憤然と、レイはそんなジルジスをにらみかえしていたが──やがて鼻息も荒くいった。
「今度だけだぞ」
「そういっておまえは、いつでもおれをたすけてくれるのさ」
 ジルジスは笑った。
 ふん、と鼻をならしてレイは、荒々しい動作でその場をはなれた。
 マヤの右まうしろのシートに乱暴に腰をおろし、憤然とした態度でボードをたたきはじめる。
 すぐに、高速再生映像のように、コンソールを操作するレイの手が異常な速度で動きはじめた。
 舞踏か、あるいはピアニストの超絶技巧にも似た雰囲気がかもしだされる。
 もはやレイが夢中になっているのが、傍目からもうかがえた。
「あの……なにがはじまったんですか?」
 不安を胸にひそめて、サフィーヤ姫はラエラにきいた。
「ディスラプター・キャノンの……起動準備です」
 息をのんでレイを見つめていたラエラが、うわのそらでそうこたえた。
「ディスラプター……キャノン、ですか?」
「はい」と、なおも魂のぬかれたような顔をしてラエラはいい──ちらりと、ジルジスに視線をむけてから、姫にむき直った。「とても危険な兵器です」
「危険な兵器?」
 姫はききかえす。
 ラエラは真顔で、深くうなずいてみせた。
「一言でいえば、空間を引き裂く兵器です」おどろくべきことをいった。「理論的なことは省きますけど、壮絶な威力を発揮します。そしてそれだけではありません。制御がきわめてむずかしいのです。その制御はレイにしかできませんし、かれがそれを完璧にこなせるかどうかもわからないんです。微妙な条件を考慮した複雑な計算が必要ですから、すこしでも不備があればすぐに制御が困難な状態におちいってしまいます。だから、使用すればかなりの高確率で暴走してしまいかねないんです。そしてひとたび暴走すれば──わたしたち自身も危険だし、もし制御不能な状態におちいったとしたら、その結果がどうなるかは予想もつきません」
「予想もつかない、ですか?」
「ええ。まさに言葉どおり、予想もつかないんですよ。でも、そう、最悪の場合は──宇宙がほろびます」
 え、と姫君は目をまるくした。
 なにをいわれたのか、一瞬理解することができなかったのだ。
 ようやくのことで、相手の言葉の意味するところを理解するが、それでも感覚がおいつかない。宇宙がほろびる、ということがどういうことなのか、まるで想像がつかないのである。
「あの、それはいったいどういうことでしょうか」
 姫は困惑もあらわにそうきいた。
 ラエラは真剣な表情でいう。
「空間が無制限に引き裂かれてしまう可能性があるんです。その結果、崩壊の影響が全宇宙をまきこむことは、じゅうぶん考えられるそうです」
「そんな……」
 絶句して、姫はジルジスの横顔に視線をむけた。
 盗賊は、無表情に前方を見つめているばかりだ。
 とほうにくれて、姫はジルジスとラエラを交互に見つめた。
 が、ラエラは姫から視線をそらすだけだった。
 ごくり、と姫はのどをならす。
「それでは……そんなものの攻撃を直接うけた側は……とてもぶじではいられないのでしょうね……」
「ええ」目を伏せたままラエラはこたえた。「黒い闇に一瞬でのまれて、あとかたもなく消滅します」
 それをきいてサフィーヤ姫は息をのんだ。
 凍結した雰囲気のもと、レイが猛スピードでコンソールを操作する音だけが、コクピット内にしらじらしく反響する。
 姫はくちびるをかんで顔を伏せ、必死の表情でなにごとかを一心に考えつづけているようすだった。
 が、やがてふいに顔をあげ、思いつめた表情でジルジスにいった。
「あの……あの、ジルジス」
「なんだい?」
 静かに、ジルジスは姫を見かえした。
 無表情だった。
 息をのみ──サフィーヤ姫は意を決していう。
「わたくしのために、みなさんがこんな窮地に追いこまれたことは承知しています」
 うん、とジルジスは静かにうなずく。
「それで?」
「はい。あの……それなのに、こんなわがままなことをいうのは申し訳ないのですが……あの、ディスラプター・キャノンを使うのはおやめになっていただくわけには、まいりませんか?」
「それは、サフィーヤ姫」と、ジルジスは静かな口調でそういった。「どういう意味なのか、きかせてもらえるかい? 自分やおれたちの身にまで危難がおよぶのは避けてくれ、という意味なのか」
「もちろん、そういう意味もあります」
 意気ごんだ口調で姫はいった。
 それにはかまわずジルジスは、あいかわらず静かな口調でつづけた。
「それとも、ザハル王の身を案じてのことなのか」
 と。
 ──姫ははっと目を見ひらいた。
 盗賊の、真正面からの視線をうけきれずに視線をおとし──
 しばらくしてから、もう一度顔をあげ、しっかりとジルジスを見つめかえして、うなずいた。
「はい」
 その目には、つよい決意がうかんでいた。
 ジルジスは──あわく、かすかに、微笑んでみせた。
「サフィーヤ姫。きみは、ザハルを愛しているんだな」
 問いかけというよりは、確認の口調だった。
 姫君は盗賊を見つめたまま、その両の瞳をおおきく見はり──
 やがて、うなずいた。
「はい」そういった。「はい。愛しています。あのかたを。心から」
 言葉をかたちにして──そのとたん、ぽろぽろと、その目から涙がこぼれはじめた。
 そのことにサフィーヤ姫は、自分自身でおどろいたような顔をした。
 盗賊は微笑んだ。
 ちいさくうなずき、そして正面にむき直った。
「レイ、シャハラ、ディスラプター・キャノンの発射は中止だ。ブラスターで、敵船に致命傷を与えないよう攻撃を加える。交差戦準備」
「なんだと」そのとたん入力に熱中していたレイがものすごいいきおいでふりかえった。「ジルジス、きさまは私をばかにしているのか。せっかく暴走しないように完璧な下準備をととのえつつある、というのに。もしかしてきさまは、この私の頭脳を信用していないのか? それとも単に私を愚弄して遊んでいるだけなのか? あとのほうがありそうなことだな。ジルジス、きさま、許せん。いいか、きさまのようなやつはな──」
「申し訳ありません、レイ」そこへ泣きながらサフィーヤ姫がわりこんだ。「申し訳ありません。わたくしがわがままをいって、やめていただいたのです。どうか、そんなにお怒りにならないで。おねがい」
「あ、いや」にわかにレイはうろたえ、中腰になってしどろもどろにいいはじめた。「そそそ、そういうことならべつに問題はないんだ。いやいや、私はてっきり、またジルジスのいやがらせかと。なにしろこいつは性格が極端にわるいやつだから、その、つまり、あなたは気にしなくていいのです。つまりそういうことです。ああ、あのその、泣くのはどうかその、えーと、姫」
 見るからにおろおろしはじめた。
 そんなレイのようすを見て、姫はくすりと笑い、
「ありがとう」
 と口にした。
 レイはぽかん、と姫を見かえし──みるみる顔を真っ赤に染めながら、特殊兵装コンソールにむき直ってなにやら操作をはじめる。
「てれてやがる」
「うるさいっ」
 からかうようなジルジスの言葉に、はじけるように叫び声をかえす。
 マヤが、声をたてて笑った。
 そのとき、シャハラがいった。
『ジルジス、敵高速戦艦の最長射程内まであと一分です。秒読みを開始します』
「たのむ」いってジルジスは立ちあがった。「ラエラ、かわろう。砲撃はおれがやる」
 いわれて瞬時、ラエラは目をむいてジルジスを見かえした。
 が、無言でうなずき、席をジルジスにあけわたす。
 そして、
「サフィーヤ」涙をぬぐう姫に呼びかける。「こちらへどうぞ」
 姫君は泣きはらした顔でラエラを見あげ、くすんと鼻をならしながらうなずいて立ちあがった。
 つれだって、コクピットをあとにする。

 

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