シャハラザード
ふるい、ふるい時代の、さらに伝説のなかの姫君の名だ。
シャハラザード。
千の星をこえ、千の闇をこえ、千の時間をも超越し、虚無のはてへと盗賊を運ぶ。
その腕は灼熱の炎。その足は光を超える。その瞳は虚空を見透し、その口から吐く息は闇をも引き裂く。
シャハラザード。星を引き裂き太陽をつらぬく、悪夢のなかから浮上してきた褐色の姫君。
濃紺から星空をちりばめた黒へとかわる天をぬけ、淡い宝石のように青い大気層をまとった惑星サディレシヤを眼下にして“アマーバーシャ”は軌道上にたどりついた。
大地と海とをゆっくりと後方におきざりにしていきながら、しばらくのあいだ周回軌道をすすむ。
やがて、パイロット・シートのマヤが口にした。
「ついたよ」
ものおもいにふけっていた姫君が、はっとして顔をあげる。
フロントヴュウをうつしだしたメインスクリーンにそのとき、星のかがやく漆黒の闇のなかから波紋をおしわけるようにして、何かがうかびあがりはじめた。
褐色の、巨大な船だった。
優雅な曲線を主体にした細ながいボディの、巨艦である。
四方に機関部をはりだした後部は、少女のウエストのようにくびれた部分をはさんで左右にわずかに突出した構造物を付属させた胴部へとつづき、そしてその部分から頭部へとむけて船体は先細りにゆるやかなラインを構成している。そして船首部分にわずかなふくらみがあり、そのさきは寺院にある鐘のような形に、ゆるやかに収束していた。
全体の印象は、海棲大型哺乳類か、あるいは水棲の巨大な恐竜を思わせるものであった。
「“シャハラザード”」姫の肩ごしに、ラエラが話しかけてきた。「わたしたちの母艦です」
「シャハラザード」
サフィーヤ姫はくりかえした。
そのとき、まるでそれにこたえるようにして、マヤの前のコンソールで通信機が声を発した。
『おかえりなさい。ジルジス。それにみなさん。いま収納ハッチをひらきます』
やわらかな、おちついた調子の女性の声であった。
まあ、と姫はちいさく言葉をもらす。
まだ仲間がいるとは考えていなかったからだ。
そのまま“アマーバーシャ”は艦体前方の突出部をめざして接近した。
姿勢制御噴射が艇体前部で白い霧のように虚空にふきだされる。
その前面で“シャハラザード”の胴体突出部の後端が、ゆっくりと口をひらきはじめた。
内部からのびたガイドラインの光列が、帰還するわが子にむかって腕をのばす母親のように、平行に点滅する。
それにそってマヤは、静かに“アマーバーシャ”を開口部にむけてすべらせた。
内部は、探査艇の鋳型ででもあるように“アマーバーシャ”の艇首部分とぴったりとあわさる形になっていた。
ここん、と、姫が予想していたよりはエレガントな音とともに、軽い衝撃が艇内にはしりぬけた。同時に艇体後部の開口部が、音もなくとじていく。
『乗艦準備が完了しました。ようこそ、サフィーヤ姫。歓迎いたします』
女性の声がそういうとともに、艇体側面のハッチが上下にひらく。
ジルジス、シヴァがまず乗艦した。
気どったしぐさで近づいてこようとするレイをおしのけてラエラが、騎士のように優雅なしぐさでサフィーヤ姫に手をさしのべる。
「さ、こちらへ」
レイがまたもや芝居じみたようすで、嘆きの言葉を口にしはじめるのは完全に無視して、ラエラは微笑みながらいう。
姫もつられて笑いながらラエラの手をとり、“アマーバーシャ”をあとにした。
ラエラに手をひかれたまま角をふたつほど曲がり、さらに短い通廊をすすんだ。
左右にはいくつかのドアがあったが、それには手をふれることもせずラエラはまっすぐにコクピットをめざした。
ふたりが近づくと、前面で自動扉が音もなく左右に口をあけた。
「どうぞ、サフィーヤ。ここが“シャハラザード”のコクピットです」
艦体のおおきさにくらべて、内部のひろさは思ったほどではなかった。
天井もあまり高くはない。いちばん背の高いレイが、頭をぶつけずに移動ができる、という程度だろう。
“アマーバーシャ”の艇内よりはややひろいスペースに、全体を見わたす位置にシートがひとつ。それより一段低い場所に、まんなかのシートをかこむようにして六つのシートがならんでいる。そして艦首方向に、さらに一段低くなった位置にふたつのシート。
すべてのシートは、前方にむかってコンソールをそなえている。
位置的に、最前列のふたつのシートが操縦席だろう。コンソールも、いかにもコクピットといった雰囲気である。部屋の中心に位置するシートが、艦長席といったところか。現実にジルジスはそこに腰をおろしている。
パイロットシートにマヤがつき、シヴァはそのうしろの六つのシートのうちのひとつに腰をおろした。レイはシートにはつかず、マヤのうしろに立ってコンソールをのぞきこむ。
「さ、サフィーヤ、こちらにおすわりください」
ラエラがいって姫を、六つのシートのうちもっとも入口に近い場所にすわらせた。
ラエラ自身はその前の席に腰をおろす。
マヤとレイは、なにやら言葉をかわしながら発信準備らしき操作をおこなっていた。シヴァも黙々とコンソール上でなにかの作業を開始している。ジルジスは──まんなかのシートにふんぞりかえって、目をとじていた。
また眠っているのかしら、と、なかばあきれながら姫は思った。
きき耳をたてると、たしかに寝息をたてている。だらしなくひらいた口もとからは、よだれがたれていた。
しばしぼうぜんと姫は、そんな盗賊の寝顔を見つめた。
が、やがてふいに、笑いの衝動がこみあげてきた。
眠りこける盗賊の顔を見ているうちに、あたたかい好意のようなものがあふれかえってくるのに気づいたのである。
笑い声にラエラがふりかえり、サフィーヤ姫の顔を見て微笑みかえした。
「あ、ラエラ」ふいに思いだして、サフィーヤ姫はいった。「もうひとりのかたは、どちらにいらっしゃるのですか?」
え? と瞬時ラエラは目をまるくした。
その顔が、ああ、と納得いったようにうなずくよりさきに──
『わたくしはここにいます、サフィーヤ姫』
目の前のコンソールから声がした。
は、と首をかしげて姫は、きょろきょろと周囲を見まわす。
「顔でも見せてやんなよ、シャハラ」笑いながらラエラがいった。「人間てのは、相手の顔が見えないとおちつかないもんなのさ」
『それは何度もきいています、ラエラ。納得はなかなかいきませんが』“声”がいった。『たとえば、コミュニケータなどでは、映像機能のないものでも問題なしに交流しているはずですから。でも、そうですね。わかりました。姫、コンソールのモニターをごらんください』
いわれてサフィーヤ姫は視線をモニターにおとした。
額に銀鎖と宝石をつらねた飾りものをつけた、褐色の肌の女性がそこに映しだされていた。
姫君と目をあわせると、ちいさくうなずいてみせる。
髪と瞳の色は青。年齢は二十代といったところだろうか。健康的な褐色の肌だが──どことなく無機質な印象があった。
『どうぞよろしく、サフィーヤ姫』モニターのなかでその女性がいった。『わたくしがシャハラザードです。シャハラとお呼びになってください』
「シャハラザード……え、それではまさか」
「そうです、サフィーヤ」とラエラがこたえた。「彼女はわたしたちの六人めの仲間──偽装戦艦シャハラザードの、中枢コンピュータです」
モニターのなかで、娘がことりと首をかしげてみせた。
「まあ」と姫は両の手で口もとをおさえた。「そうだったんですか。そうとも知らずにわたくし、失礼してしまいましたわ」
『お気になさらず』と、シャハラ──機械のなかの女性は、フラットな口調でそういった。『映像のあるなしは、わたくしには意味はありませんが、顔が見えないと話しにくい、とおっしゃるかたは大勢いらっしゃいます。理解はできませんが、こうしてあわせることはできます』
「まあ、そうだったんですの」姫はいった。「それはたいへんですわね」
ラエラがふきだした。
映像の女性も、ふしぎそうにことんと首をかたむける。
そして何かをいいかけたが、ふいに『失礼』といいのこして画面そのものから消失した。
と思ったら、マヤのついているシートの前面にある、全員から見える位置のメインスクリーンに“シャハラ”の映像があらわれた。
『サディレシヤ宇宙軍所属と思われる機体が、軌道ステーションから発進しました。どうやらさきほど“ファンタム”機能を解いたときに、偵察艇に発見されたものと思われます。迎撃しますか。それとも逃走?』
全員の目が、ジルジスのほうにそそがれた。
対して一味の首領は──眠りこけたままである。
「ジル〜」
とあきれたようにマヤが頭を抱えこむ。
『ジルジス。ジルジス。緊急事態です。起きてください。起きろってば』
ふいに、スクリーンのなかで“シャハラ”が、そういってこぶしをふりあげる動作をしてみせた。
同時に、ジルジスが頭をもたせかけたヘッドレストが、ばいんと音を立ててはねあがった。
「んぐ」
びっくりしたようにジルジスが目をさまし、ぼんやりと四囲を見まわす。
「ん、めしか?」
『あなたは本能的欲求しか頭にないのですか』
あいかわらずフラットな口調で、シャハラがいった。
フラットな口調なのだが、なぜだかいらだっているのがわかった。
このコンピュータは人格をもっているのかしら、と姫君は思った。
『軌道ステーションの軍港と思われる箇所から、三つの機体が発進するのを確認しました。形状、質量、各種データから推測して、高速戦艦であると思われます。どうしますか、ジルジス。ジルジス。ジルジス。きいているのですか。寝るなってのに』
またもや、きわめて人間くさい口調でシャハラが口にする。
ふいに姫君は、それがどことなくマヤの口調に似ているのに気づいた。
ふたたびばいん、とやられて、寝ぼけ顔でぶつぶつとジルジスがぼやく。
『迎撃か逃走か。はやく選んでください、ジルジス』
「うーむ」と伝説の盗賊はうなった。「迎撃か逃走か、それが問題じゃ」
わけのわからないことをいう。まだ寝ぼけているらしい。
「とりあえず逃げようよ、シャハラ。らちがあかないよ」
苦笑いをうかべながらマヤが助け船をだした。
『了解しました。航路は?』
「予定どおりでいいだろう」
といったのはレイである。
『はい、おとうさま』
いってシャハラは、にっこりと笑いながら小首をかしげてみせる。
「おとうさま?」
とサフィーヤ姫も小首をかしげた。
「ってのは、やめろと何度もいっているはずだぞ、シャハラ」
困惑をあらわにしてレイがいった。心なしか、頬が紅潮しているように姫には見えた。
『でも論理的にあなたはわたくしの生みの親です。おかあさまとお呼びするのは不適当であるのは納得していただけるでしょう』
「もう、いいから出発したまえ」
あきらめたような口調でレイがいった。かたなしである。
『はい、おとうさま』シャハラがふたたびにっこりと笑った。『ではこれより予定どおりサディレシヤ系より離脱を開始します。オーヴァードライヴ可能地点までの最短所要時間はU・Tで5・2385H後』
かすかな、やさしいうなり声が後方からひびきはじめた。
やがてそれに重々しく底ひびく、低い轟音が徐々に、まじりはじめる。
気がつくと、ほんのかすかに前方からのGがきていた。
「あの、ずいぶんと静かに動くんですね」
サフィーヤ姫はラエラにきいた。
「重力制御がはたらいているんですよ」ラエラはこたえる。「実際は、全力加速がかかってます」
まあ、と姫はおどろいた顔をしてみせる。
「こんなに完璧な重力制御なんて、はじめてですわ。ふつう、どんなに高級な船でも発進時のGをこれほどきれいにおさえることなんて、できないのでしょう?」
「まあ、この船もふだんはもっと荒っぽい出発のしかたをしていますけどね。こういう発進のしかたができるだけの性能は、たしかにあります。サフィーヤ、あなたが乗っているから、シャハラもいいところをお見せしたいんじゃないですかね」
「すごい性能ですわ」姫君はすなおに感心する。「いったい、どういったかたがプログラムなさったのかしら」
「ああ、レイです」
と、こともなげにラエラはいった。
まあ、と姫はおどろき、あらためて尊敬の目を、たたずむ長身の青年の背中にむけた。
「あ、それでシャハラは、かれのことを“おとうさま”と」
「そうです」苦笑しながらラエラはうなずく。「もっとも、厳密にはレイひとりでなく、レイとレイのおとうさんとの共同開発で、この“シャハラザード”は設計されたのですけれどね」
「まあ。それでは船そのものが、あのかたの設計ですの」
「そう。それに、ティーズバードやアマーバーシャ。それらに搭載されている各種システムや武器もすべて、レイとかれのおとうさんがつくりだしたものです。“ファンタム”や“ディーヴァール”の性能など、おそらく帝国や連合をふくめて、この船に匹敵するだけのものはまずないでしょう」
「すごいひとだったのですね、かれは」姫はいった。「わたくしはてっきり、単なる口のわるい不平屋だとばかり」
「あたってますよ、それ」
ラエラが笑いながらいった。
そのとき、レイが顔をくしゃくしゃにゆがめながらふりむいた。
「ひどいぞ、ラエラ。それはあまりにもひどいいいぐさだ」
きみは私の恋心をどうしてわかってくれない云々、とレイはまたもや大げさな身ぶり手ぶりをまじえながら滔々とかきくどきはじめた。
そこへ、
「んん、うるさい、眠れねえじゃねえか」
と寝ぼけまなこでジルジスが乱入してくる。
むきになってレイがわめく。
「うるさいのはおまえのほうだ。だいたいおまえはなんだ、いつもいつもいつもいつもいぎたなく眠りこけているだけで何もしようとはしない。恥ずかしくはないのか? おまえなど、この私がいなければ、ただのこそどろでしかないくせに」
「ああ、いったな」
「いったがどうした、このこそどろ。その上、私とラエラのあいだにしょっちゅう横やりを入れやがって、このこそどろ」
「わっはっは。笑っちゃうね。何がラエラとのあいだに、だ。おまえなんかラエラに相手にもされてねえじゃねえか」
「それはちがう。それはちがうぞ、ジルジス」
「どーこがちがうってんだ、このいんちき野郎。脈なんざかけらもねえってのがどうしてわからないのかねえ、この朴念仁は」
「信じられない。きさまというやつはなんという愚か者なのだ。いいか、私はなあ──」
不毛なののしりあいがはじまった。コクピット内は騒乱の渦にまきこまれる。
「あの、あの、どうぞ争いはおやめください」
おろおろしてサフィーヤ姫がとめに入ったが、ふたりともきく耳もたぬように口角あわをとばして双方をけなしまくるばかりだ。
ほかの連中は、無表情なシヴァのみならず、マヤもまたまるっきり気にもしていないようすだ。
「あの、あの、おふたりのいいぶんはわたくしがきかせていただきますから、どうかそんなに興奮なさらず、冷静に」
姫がそういうと、
「そうかい、姫さん、だいたいこいつはねえ」
「なにをいうか、きさま。姫、このバカのいうことに耳をかしてはなりません」
とうとうラエラのかわりに、姫君をさかなにしはじめた。
ラエラにいたっては、そんな光景をおもしろい見せものを見るような顔をしてながめやっている。
だれも、とめようとさえしないのだ。
どうやら、このふたりがののしりあいは、日常茶飯事の光景らしい。
ようするに、ただのじゃれあいなのである。
そう気づいたが、サフィーヤ姫もいまさら知らんぷりはできなくなっていた。
口ぎたなくわめきちらしあうジルジスとレイのあいだに入ってサフィーヤ姫が必死に仲をとりもつ。
まるで酒場のような喧噪であった。
が、しばらくして、それにシャハラが割りこんできた。
『おとりこみ中のところ、たいへん申しわけありませんが』
ぴたりと、ジルジスもレイもわめきあいをやめる。
メインスクリーンの、褐色の女性の映像に目をむけた。
『ご注目どうもありがとう』シャハラが無表情に一礼して、つづける。『報告します。このままでは、あと三十分とたたないうちに、追尾してくる高速戦艦の射程に入ると推定されます』