ティーズバード

 

“千の顔”のシヴァ──ひとはそう呼ぶ。
 紫に、黒のふちどりの、すそのながい貫頭衣(ディスダーシャ)に身をつつみ、虚無と深淵をたたえた灰色の瞳を、その無表情な白いマスクの下にひそめた異形の男。
 そのマスクの下には、無惨に焼けただれて神経組織がむきだしになった、化物のような顔があるとも、あるいはまた、底知れぬ暗黒の深淵そのものが隠されているのだともいう。
 どうあれ、その白いマスクにはいついかなるときにも、かなしみも、よろこびも、怒りさえもがうかぶことは絶えてない。
 だが、ひとたびそんな仮面に別人の顔がメイクアップされたとき──そこには、その顔の人物そのものが出現しているという。ひとたびその顔が描きだされたとき、シヴァはシヴァでなくなり、性格からしぐさまで、寸分たがわずその人物そのものになりきってしまうのだ、と。
 ゆえに、ひとは呼ぶ。“千の顔”のシヴァ、と。
 そしてまた、シヴァの異名にはもうひとつ──
“マジュヌーン”シヴァ。

「ティギーン……おまえは……」
 ぼうぜんとつぶやく王の横で、ティギーン将軍の軍服を身につけた男は──異様な白いマスクを王にむけて口にした。
「ほんもののティギーン将軍は、ラグシャガートの市民病院で、身元不明の人物として眠っている」
「そうか、きさま……」なおもぼうぜんと、王はいった。「きさまが……“千の顔”のシヴァ、とやらか。……そうか、侵入者の手引きをし、追跡用の装甲車輌に時限爆弾をしかけたのも、すべておまえのしわざだったのだな」」
 将軍のかっこうをした男は、無表情な白いマスクをうっそりとうなずかせた。
「くそ……みごとにだまされたわ。いつから入れかわっていたのだ?」
「ちょうど七日になる」
 異様なマスクの男はいった。
 王はぎりぎりと歯をきしらせた。
「まるで気がつかなかった」
「人の顔は心を決める」つい先刻までティギーン将軍であった男は、おそろしいほど抑揚の欠けた口調でいった。「おれのこの顔にはいっさいの個性がない。それゆえに、そこにかぶせられ描かれた顔の個性を、おれは完璧に演じることができるのだ。その顔がここに描かれているとき、おれはその顔の人物そのものになりきっている」
「そんなことができるとは……とても信じられぬ」
 王はつぶやいた。
「信じないのはおまえの勝手だ」
 いって男は──“千の顔”のシヴァは、まったくためらいのない機械的な歩調で、王に背をむけ歩きだした。
「ではザハル王よ」かたわらにシヴァが立つのを待って、大仰な口調で盗賊はいった。「この銀河にふたつとない、美をきわめたこの宝玉、たしかにもらいうけた」
 いって、マントごとあいた片手をひろげ、ふわりと、つつみこむようにして姫君の肩を抱いた。
 同時に、背後から轟音がひびきはじめた。
 おどろいて姫がふりかえると、盗賊の背後の砂上に、つむじ風にまきあげられるようにして、大量の砂が複雑なもようを描きながら動きはじめていた。
 その上に──うっすらとさしはじめた朝日に照らされて、なにか波紋のようなものがゆらめくのが見えた。
 その波紋のような何かが、轟音とともに上昇をはじめる。
 かんだかい音がその轟音に混じりこみ、同時に、あわい紫色の粒子が、さかまく砂の乱流にむけてふきだしはじめた。
 バール・システムが作動したときに吐きだされる、浮遊粒子の変換した老廃物だ。
 となれば──
 流れるようなりんかくをした、目に見えぬ巨大な何かがゆっくりと上昇して、三人が待つ背後にまで接近し──
 ふいに、あふれだした陽光の下にうかびあがるようにして、あざやかな青の光沢が出現した。
“ファンタム・システム”。
 精密に計算された光学迷彩によって、疑似的に不可視の状態を実現するシステム。
 それはそうして今日まで、この砂漠のなかで姿を隠して待ちつづけていたのだろう。
 そのあざやかな青を、褐色の大地に同化させながら。
「むう……」
 と、うなりながら王は、とつじょ出現したその青い機体をにらみあげた。
 巨大な、青い鳥のようだった。
 翼を大きくひろげた、優雅で誇り高き巨鳥──
 それは──ナイフのようにきっさきのするどいノーズの、巨大な戦闘機にちがいなかった。
「姫」ラエラが、姫の肩に手をかけた。「“ティーズバード”へようこそ」
 シャフルードの影響でもうけたか、これも芝居がかったしぐさでついと手をさしのべる。
“ティーズバード”。
 イレム語で、鋭利な風を意味する。“青いナイフ”の異名をもつ、盗賊シャフルードの超高性能戦闘艇の名であった。
 姫の見まもる目の前で、宙に遊弋する戦闘機は、その腹部をゆっくりとひらきはじめる。
 下部乗降ハッチだ。
 ラエラに手をひかれてサフィーヤ姫は、機内に姿を消した。
 ついで“千の顔”のシヴァが乗りこむ。
 それから、盗賊シャフルードは優雅なしぐさで──まるでバカにするように──深々と王にむかってこうべをたれた。
 ──氷河のように冷徹で油断のない視線だけは、決して王からはずすことなく。
 王はそんな盗賊の姿を、歯ぎしりをしながら見おくることしかできなかった。
 最後に盗賊をのみこんでハッチは音もなく閉じていき、轟音を一段と高らかにあげながら、巨大な青い機体は一気に上昇した。
「陛下!」
 兵士のひとりが、くちびるをかみしめてたたずむ王のからだに手をかけ、ひいた。
「おさがりください、陛下。ここは危険です」
 まるで耳に入らぬように王はなおも、陽光をうけてきらめきながら上昇していく、ナイフのように鋭利な青い機体をにらみあげていた。
 が、やがて、くそ、とちいさく吐きすて、ばさりとマントをなびかせ背をむけた。
 大股に、憤然とした足どりでデザートガレーのハッチを目ざし──
 その背後でとつぜん──爆発音がひびきわたった。

「どうしたの」
“ティーズバード”のコクピット内で、とつぜん襲いかかってきた衝撃と震動によろめきながらラエラは、パイロット・シートのマヤにむけて叫んだ。
 シヴァとジルジス・シャフルードは、席につくまもなく衝撃をうけて折り重なるようにかたわらの壁にたたきつけられている。
「わかんない! なにか──攻撃をうけた!」
「ジルジス!」
 切迫した口調でラエラは呼びかけた。
「ぎゅう」
 と緊張感を欠いた口ぶりで、シヴァの下じきになったジルジスがうめいてみせた。
 ああ、とラエラは天をふりあおぐ。
 サフィーヤは目をまるくしていた。
 つい先刻までの、冷酷にしてぬけ目のない盗賊のイメージとは、その姿があまりにもかけ離れていたからだ。
「うわ、戦闘機だ」
 マヤがいい終わらぬうちに、ふたたび激烈な衝撃が機内を縦横無尽にゆさぶった。
「レーザーだ! 直撃だよ」マヤの言葉が、悲鳴のようにひびきわたる。「ラエラ!」
「わかってる」
 すでにラエラは兵装コンソールを起動させていた。
「三機だ。迎撃する。マヤ」
 異常な震動をはじめた機内で、歯をくいしばりながらラエラがいう。
「わかってる! でも、エンジンやられちゃった」
「わかった。フォローする」
「じゃ、いくよ!」
 いいざま、マヤは機体をすばやく反転させた。
 その巨体に似合わぬ驚異的な旋回性能を発揮して、ティーズバードは接近しつつある戦闘機にむきなおる。
「くらえ!」
 ラエラの叫びと同時に、たてつづけに震動が機体をふるわせた。
 空戦用レーザーがつぎつぎに真紅の光条で天を切りさく。
 同時に、雷鳴をとどろかせながら蒼白の光芒をふりまいて飛翔する、幾つもの光球──プラズマ弾!
 たてつづけの迎撃をあびて、肉眼ではまだうす暗い天上に、ぽつりとうかぶ点にしか見えない敵戦闘機が、三方に回避行動をとる。
 が──そのうちの一機が、爆煙をあげて降下しはじめた。
「どんぴしゃだ。残り二機」
 にやりとくちびるの端をゆがめながら、ラエラがいった。
「でも、こっちももうながくもちそうにない」必死に機体コントロールをしながらマヤがいう。「ちくしょう、あのくさればか王。報復だ、ジル! あいつ、裏切りやがって! ジル、はやくあいつに分子弾くらわせてやってよ!」
「ああ、分子弾か」こんこんと後頭部をたたきながらジルジスは、シヴァをおしのけて半身を起こし──ちらりと、サフィーヤ姫に視線をむけてから、つけ加えるようにしていった。「あれはブラフだ」
「いいからはやく──はあ?」
「だからはったりだったんだ」と、あいかわらず緊張感のない口調でジルジスはいった。「あそこにうまってたのは、分子弾じゃない。ただの鉄皿だ」
 はあ? と思わずマヤはふりかえりながらもういちど口にした。
 そのうしろの席で、ラエラは眉をひそめてジルジスを見た。
 視線に疑問をうかべたが──それに気づいたジルジスが、ぱちりとウインクしてみせたのに気づき、あえて口はひらかず、ふたたび迎撃に専念する。
「鉄皿ぁ?」それには気づかず、マヤはすっとんきょうな声でくりかえす。「そんなあ。そんなのって──うわ」
 マヤの悲鳴よりさきに、さらなる衝撃が機体を震動させた。
 再度の、敵レーザーの直撃だった。
 ふだんのマヤの操縦であれば、これほどたてつづけに直撃をうけるようなことはありえない。
 だが、最初の一撃がきいていた。
“ティーズバード”の機体にはラグナス・コートがほどこされている。レーダーを吸収し内部からの赤外線反応の漏出をおさえる機能のほかに、レーザーを反射する機能もそなえている。
 だが、直撃をうけて無傷というわけにもいかない。そして最初の一撃を、エンジンにくらっていたのだ。
 それによって、回避行動を思うようにとれなくなっているのである。
「どんな状態だ?」
 よろけながらパイロット・シートのとなりに腰をおろし、ジルジスがきいた。
「最悪だ! 暴走するよ」
「切りはなせるか?」
「むり」
「わかった。爆発する前に、おろせ」
 おちついた声音でジルジスはいった。
「やってみる」
 マヤがいう。顔面が蒼白だった。切迫している。
「もう一機だ」
 ラエラが得意げにいって親指をつきだす。
 言葉どおり、激しく旋回するモニター内部に、煙をあげながらきりもみ状に墜落をはじめた敵戦闘機の姿があった。残り一機。
「しかし、やつらいつのまにきやがった? 戦闘機はでていなかったはずだぜ」
 ジルジスはモニターに視線をやりながらつぶやく。
 その背後から、うっそりとシヴァが口にした。
「カシム星佐だろう。ティギーンの副官だ。おれが現場に近づけないよう手配しておいたのだ。それをおぎなうために、戦闘機をもちだしてきたのだろう」
「命令違反かよ」
「以前から強引な指揮ぶりが問題にされていた男だ。王もあからさまにきらっている。だからこそ、蚊帳の外にもおきやすかったのだが──裏目にでた。まさか徒歩で砂漠に逃げた人間を追うのに、戦闘機をもちだすとも思わなかった」
 ち、とジルジスは舌をうつ。
「しかたがねえな」通信機に手をのばした。「レイ、きこえるか、レイ」
 軌道上に待機するレイにむけて呼びかけはじめた。
 が、連絡がつくよりさきに、
「もうだめだ。つっこむよ、ジル!」
 マヤが叫んだ。
「またかい。不時着が多いねえ、マヤ」
 うんざりしたようにラエラが口にする。
「ボクのせいじゃないったらあ」
 マヤがぼやく。
 直後、激烈な衝撃が前方から襲いかかってきた。

「不時着しました、星佐」
 パイロットが口にするのへ、カシム星佐はにやりとその髭面をゆがめた。
「ふん、くされ盗賊ども。二機もおとしてくれやがって。これで落とし前がつくってもんだぜ。なあ。どうだ。おれの腕の冴え、見たか。ええ?」
「はい、おみごとでした」
 そうだろう、と星佐が自慢げに笑う。パイロット・シートの兵士はすなおに、そのとおりです、と賞賛した。
 カシムは、冷酷だが腕はたしかだった。そしてふしぎなことに、現場の指揮官として信頼もあつい。だからこそティギーンもザハル王も、ながいあいだその横暴ぶりを黙殺せざるをえなかった部分がある。
「よし、おろせ。援軍はもちろん要請しただろうな? ええ? よしいくぞ。くされ盗賊ども、いぶりだしてくれるぜ」
 星佐はいって、凶暴な笑みをうかべた。

 

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