シャフルード

 

「ジルジス!」
「ジル!」
 地に伏した姿勢のまま、ラエラとマヤは口々に叫んだ。
 影は月光を背にたたずんだまま、かすかにうなずいてみせる。
 まるで、物語のなかにさしはしまれた、挿絵のような光景だった。
 マヤとラエラをのぞいた、その場につどうだれもが、それを現実の光景とは、にわかには信じられずにいた。
 ジルジス・シャフルード。
 伝説の盗賊。
 それがいま──眼前に、月を背負って、悠然とたたずんでいるのだ。
「おまえが……」
 王は目をむいてその影を見つめ、つぶやくように口にした。
「おまえが……盗賊シャフルードか……」
 ため息のような口調だった。
「そうだ」
 影は静かにこたえた。
「おれがジルジス・シャフルードだ」
 と。
 金の月光を背に、頭のうしろにターバンの端を、そして黒いマントをゆるやかに風になびかせ、伝説の盗賊はたしかにそこにいた。
 あまりにとつぜんのできごとすぎて、そこにつどうだれもが、どう反応していいのかわからぬまま──いや、そもそも、自分たちがいま経験しつつあるこのできごとが、とても現実のできごとであるとはにわかには信じられぬまま、ぽかんとその姿を見つめていることだけしかできなかった。
 伝説はうたう。
 連合宇宙軍の戦艦の追撃をうけて、虚空に追撃者たちの無数の残骸を残して無傷で逃れきった男のことを。
 あるいは、五十人の護衛兵と、十数人の魔術師に護られた神殿の奥深くから、銀河にふたつとない至宝をこともなげに盗みだした男のことを。
 あるいはまた、なぞの先史文明遺跡の数々のわなをきりぬけ、正体の知れぬ生体兵器の攻撃をかわして奇怪な像を手にした男のことを。
 そして、その歩いた軌跡には、つねに血まみれの道を残してきた男のことを。
 その男のことを、多くの者たちは伝説のなかだけの存在だと思いこんでいた。
 それほどに稀有なる星のもとに生まれた者など、現実には存在しうるはずがない、と。
 その、存在しうるはずのない男が今、眼前にたたずんでいるのだった。
 ジルジス・シャフルード。
 盗賊シャフルードが。
「お……」
 ぼうぜんとしていたティギーン将軍が、ともすれば非現実的な重圧におしつぶされそうな気力をむりやりしぼりだすように、うめき声をあげた。
 それから、はっとわれに返るがごとく目を見ひらき、そして号令した。
「なにをしている。そいつをとらえろ!」
 みずからをはげますように、しいて荒げた声を立てる。
 さらに一拍をおいてようやく──
 われに返った兵士たちが、いっせいに銃をかまえて飛びだしかけた。
 その機先を制するように──
 盗賊が、一歩をふみだした。
 ゆっくりとした、なにげない動作でしかなかった。
 それでも──
 飛びだしかけた数十名の兵士たちが、ぎくりと硬直した。
 大股に足をひろげた姿勢になって盗賊はふたたび立ちどまり、腕を組んだまま口にする。
「ザハル王。おまえは“銀の夜”になにを願った?」
 と。
 ふいの言葉に、王は声をうしなったまま目を見はった。
 が、やがて、腹の底からおしだすようにおずおずと、口にする。
「知れたこと……」それから、気をとりなおしたように言葉を重ねた。「知れたことよ。想い人の心を、願ったのだ」
 ふふふ、と影が笑った。
「王の吐くセリフではないな」
 なにを、と、王はいきりたつ。
 それを制するように、盗賊はさらに言葉を重ねる。
「だがまあ、悪くはない」
 王はまたもや目をむいた。
 盗賊がなにをいっているのか、理解しがたかったからだ。
 が、すぐに吐きすてるようにいった。
「利いたふうな口を。ならば盗賊シャフルードよ。おまえはこの“銀の夜”になにを願うのだ」
 ははは、と、影は天に顔をむけ、声をたてて笑った。耳もとで、深紅のピアスが月光をうけ、盗賊の笑い声にあわせて幻のようにきらきらとかがやいた。
「なにも願うものはない」そしてそういった。「ほしいものがあれば、おれはそれを奪う。ただそれだけだ。さもなくば──」
「──さもなくば?」
 王の反問に、盗賊は苦笑とともにこたえる。
「おれがこの世から消え去るときだろう。ただ、それだけのことだ」
 ぼうぜんと目をむき──そして王はふん、と鼻をならした。
「またも、利いたふうに。命ごいでもするならば、まだしもかわいげがあるものを。のこのこと姿をあらわしたのが運のつきだ、この愚か者が。ありがたく、このおれがおまえにかわって名を残させてもらうぞ。伝説の盗賊を葬り去った男としてな。──なにをしている。とらえるのだ!」
 たたずむ影にむかって指をつきだしながら王は叫んだ。
 兵士たちはふたたび走りだしかけ──
 そしてまたもや盗賊の一挙動に、その出足をくじかれた。
 ばさり、とパトウをなびかせて伝説の盗賊は、芝居がかったしぐさでその片手を横水平にあげたのだった。
 まるで自分のほうこそ、号令をくだす一軍の将だ、とでもいうかのように。
 ぎくりと、再度凍結する兵士たちをはげまして王が叱声を口にしようとした、まさにそのとき──
 盗賊がいった。
「うごくなよ。死ぬときは、おれひとりではない」
 王は言葉をのみこみ、盗賊をにらみつける。
「なんだと?」
 対して盗賊は、声を立てて笑った。
「なんの算段もなくでてくるほど、おれは愚かではないぞ、ザハル」
 王の名を、平然と呼びすてにした。
 かっと、王は頭に血をのぼらせる。
 それにはかまわず、影はさらにいった。
「おまえらの足もとに、地獄への扉を用意しておいた。それをひらきたければ、むりにはとめない。遠慮なく、おれに飛びかかってくるがいい」
 そして、かかげた片手のなかで親指を立てた。
 よくよく見れば、手のひらのなかに何かを握りこんでいるらしい。
 なにかの、スイッチのように見えた。
 起爆装置──?
 ふいに、王の頭のなかに、そんな言葉がうかんだ。
 それをうらづけるかのごとく、盗賊がいった。
「風で砂にうもれちまったがな。おまえらの足もとには、分子弾があちこちにちらばってる」
 ぎくりと、全員が足もとに視線をやった。
 盗賊はそんな反応を見て、ふたたび声をたてて笑う。
「そら見てみろ。ザハル、ちょうどおまえの足もとにのぞいているぞ。分子弾てのはな、火も爆発もおこらない。ただかちりと鳴って、一瞬後にはそこにあるもの何もかもが融解して、どろどろのかたまりになっちまうだけだ。死にかたとしちゃ、なかなか爽快でわるくはないかもしれないな。どうだ、ザハル。ここでおれといっしょに心中してみるか? 銀河史に名前が残ることは、まずまちがいなかろうな」
 いって、高らかに声を立てて笑った。
 王はくちびるをかみしめた。
 足もとの砂中から、たしかに金属でできた円盤状のものが顔をのぞかせているのだ。
 盗賊の笑い声が、四囲にひびきわたった。
 ふりつづけていた銀色の粒子の密度が、そのころにはうすくなりかかっていた。
 そしてそれを待ってでもいたかのように、盗賊の背後で地平線のむこうがわが、うっすらと白みはじめている。
 と、ふいに盗賊が笑いやめた。
 そして、はじめて声を荒げた。
「木っ端兵士ども、マヤとラエラから手をはなせ!」
 言葉に、ふたりを地におしつけていた兵士たちは、電撃に打たれたようにしていっせいに飛びさがった。
 ほとんど、反射的な行為であった。
 自分たちが砂中にうずめられた罠によって脅迫されていることも、その一瞬のあいだだけは頭のなかから消えていた。
 ただただ盗賊の一喝に、打たれたように反応しただけだったのだ。
「ジル!」
「ジルジス!」
 マヤとラエラは口々に歓声をあげながら立ちあがる。
 ジルジス・シャフルードはあいた手をふたりにむけてふってみせた。
「ラエラ。姫君をつれて、こっちへこい」
 盗賊の言葉に、ラエラは微笑みながら姫君をふりかえった。
 そして、たたずむサフィーヤの顔を見て──真顔になる。
 しばし女盗賊は姫君を見つめやり──
「きますか、サフィーヤ」と、きいた。「それとも──」
 あ──と、われにかえったように姫はつぶやいた。
 そして──
 背後にたたずむ王を、見つめた。
 かみしめたくちびるの端から血をしたたらせて、王はおそろしい形相で盗賊をにらみつけていた。
 姫はしばし、その顔を見つめあげ──
 そして、ふりかえっていった。
「いきます。つれていってください、ラエラ」
 はっとして、王が姫に視線を移す。
 が、そんな王からは顔をそむけたまま、サフィーヤ姫はみずから盗賊シャフルードのところへ走りだした。
 あわててラエラもあとを追う。
 そのあいだに、シャフルードのナイフで手首の捕縛をとかれたマヤが、丘状になった背後の砂漠へと姿を消していた。
 サフィーヤ姫は小走りに盗賊のもとへと身をよせた。
 そして、シャフルードの顔を見あげる。
 黒髪に黒のターバン。黒いマントの下の、赤を基調とした幅のひろい飾り帯に、ブラックメタルのブラスター。耳には深紅の宝石をはめこんだピアス。同じ色の宝石が、首をまいたチョーカーのまんなかにもきらめいていた。
 芝居じみたしぐさで片手をかざした盗賊の瞳が、ちらりと姫君にむけられる。
 深淵のように底知れない、闇色の瞳。
 伝説どおりの姿が、そこにはあった。
 そして盗賊はふたたび王に目を戻し──さらにその横にたたずむティギーン将軍に、その視線を移動させた。
「そしてもうひとり」
 といった。
 なに、と王は目をむく。
 ちらりと、かたわらに立つ将軍に視線をはしらせ、歯をむきだしにして盗賊に叫んだ。
「この上、まだ人質にこの男をとろうとでもいうのか?」
 ははは、と盗賊は短く笑った。
「人質など必要ないさ。おれは仲間を返してもらおう、といっているだけだ。さ、もういいだろう、シヴァ」
 そういった。
 わけがわからず、王は眉をひそめてティギーン将軍を見やった。
 将軍は──あきらめたような顔をしていた。
「おい、あの男はなにをいって──」
 いいかける王のわきで──
 将軍は懐中からなにかをとりだした。
 ノズルのついた、スプレーだった。
 ラベルはない。
 それを自分の顔にむけてかざし、将軍は人さし指でノズルの頭をおさえる。
 しゅう、と音を立てて白い液体が霧状に噴霧され──
 それをあびた将軍の顔面が、みるみる溶解しはじめた。
 あっけにとられた王の眼前で──溶けた将軍の顔の下から、まっ白な、ぶきみに無表情なマスクが出現した。

 

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