銀の夜

 

 身におびていたナイフまで奪われた状態でうしろ手にしばりつけられて、ラエラとマヤは砂上にひざまずかされた。
 その眼前に、十数機のデザートガレーがつぎつぎに降下していく。
 膨大な量感のある方形の浮遊戦車が、威嚇するようなエンジン音をひとしきりひしりあげて沈黙する。
 死角はまったくなかった。
 もっとも、寸鉄おびずにひざまずかされた状態のマヤとラエラには、もとより反撃のすべひとつない。
 歯をくいしばったまま、にらみすえるように視線をあげる以外、できることはなにひとつなかった。
 着地したデザートガレーのハッチがつぎつぎにひらき、銃を手にした兵士たちがわらわらと姿をあらわす。
 それらの一団がずらりと整列してマヤとラエラをとりかこんだ。
 それを待つようにして──後列まんなかに着地した浮遊戦車のなかから、ふたりの男がおもむろに姿を見せた。
 ひとりは将校らしき金線の入った軍服をきた男──ティギーン将軍である。
 そしてもうひとり──
 ターバンの額に血のようにあざやかな赤の宝石を飾った、豪奢な装飾のほどこされた貫頭衣(ディスダーシャ)とながいマント(パトウ)をなびかせて堂々とした足どりで歩みだす大男──エル・エマドでも、有数の強力な宇宙軍をほこるサディレシヤを統治する最高権力者、ザハル王そのひとであった。
 獅子を思わせる精悍な顔つきの王は、砂上にひざまずかされたふたりの女たちを、見くだすようにながめやる。
「どちらがシャフルードだ?」
 静かにきいた。
 重く底ひびくような、深い声音だった。
「ジルジスはここにはいないよ」
 見おろす王を真正面からにらみあげながら、ラエラがこたえる。
「なるほど。それは残念だ」
 王はさして残念でもなさそうにそういった。
 それから──
 ゆっくりと、視線をめぐらせた。
 三人の兵士につきそわれるようにしてたたずむ、サフィーヤ姫にむけて。
 姫君は胸の上で手を組みながら、うったえるような目で王を見かえした。
 王はそんな姫君の視線を、無言のまま受けとめる。
 心なしか──絶対支配者の瞳に、かなしみに似たものが宿っているように、姫君には思えた。
「姫よ」
 王は静かにいった。
 そのまま、ながいあいだ無言で、サフィーヤ姫の美貌をただ見つめていた。
 姫もまた無言で、王を見つめかえす。
 そうしてどれだけの時間、ふたりは言葉ひとつかわさず、見つめあっていたのか。
 ──最初に気づいたのは、兵士のひとりだった。
 その男は、信じられぬように目を見はって四囲を見まわし、あわててとなりの兵士をひじでつついた。
 そのときにはもう、ほかの者たちもほぼ同時に、気づきはじめていた。
 ラエラも、マヤもまたそれに気づいて、顔をあげ、ぼうぜんと目を見ひらいて周囲を見まわす。
「“銀の夜”だ……」
 兵士たちのひとりが、魂をぬかれたような口調でぼうぜんとつぶやいた。
 言葉どおり──
 広大な砂漠の空を、まるで砂粒が銀粉にでもとってかわられたかのように、無数の銀のきらめきがうめつくしているのだった。
 闇の底を月光にあわく照らしだされて、きらきら、きらきらとそれらは、まるでふりしきる雪のようにあわく、音もなく、ゆっくりと、まぼろしのように舞いおちてくる。
 しばしだれもが──マヤとラエラに銃をつきつけた兵士や、屈辱的な姿勢で砂上にひざまずかされたマヤやラエラ自身までもが──声もなく、その夢幻的な光景に見入っていた。
 銀の夜。
 五十年、あるいは百年に一度とおこらぬ、自然の気まぐれが生み出す稀有なる奇跡。
 その奇跡を目にすることができた者は、ひとつだけ──たったひとつだけ、心の底からの願いなら、かなえることができるという。
 ラグシャ砂漠で人類がはじめてそれを目にしたときより、連綿と語りつがれてきた、伝説の夜であった。
 そこにたたずむすべての人々が──いま、自分がなぜここにいるのかということさえ忘れはてて、その夢幻的な光景に、ただぼうぜんと魅入られていた。
 が、やがてふいに──
「サフィーヤ」
 ザハル王が、静かな、ささやきかけるような声音で呼びかけた。
 いまだ魂をうばわれたままの茫漠とした表情で、呼ばれたサフィーヤ姫は、ふりしきる銀の奇跡から王のおもてへと、ゆっくりと視線をめぐらせる。
 静かに見つめる王の目に、いきあたった。
 深く、遠い視線だった。
 まるで──とどかぬ深淵のかなたにたたずむ想い人を、狂おしくもとめているような視線。
 サフィーヤ姫の胸が高鳴る。
 その瞬間だけは、姫君はふりしきる奇跡の夜のことさえ忘れて、王を見つめかえしていた。
「サフィーヤ」そんな姫君に、王は万感の想いをこめてもういちど、呼びかけた。「願いがかなうぞ。ひとつだけ──な。……そなたは、なにを願う?」
 静かに、そう告げた。
 言葉には、魂の叫びがこめられていた。
 おれの願いはひとつだけだ──そう叫ぶ王の声が、姫君の耳にはとどくようだった。
 わたくしはなにを願う?
 姫君は王の視線をうけながら自問した。
 迷いが、胸の奥でうずまいていた。
 めまいのような感触が、姫君の魂をなやませた。
 甘美なめまいの感触であった。
 わたくしはなにを願うの──?
 ふたたび、自問し──
 つい、と王から目をはずし、ふりしきる銀のまぼろしを──そのかなたにあるはずの、雪のふる遠い故郷へと心をあそばせるがごとく、姫君は深い夜に遠い視線をさまよわせた。
 サフィーヤ、そなたはどうだ。雪というものを、知っているか?
 ふるさとに想いをよせて砂漠を見つめる姫君に、あの王宮のなかで王はそう問いかけてきたのだ。
 そして姫君はこたえたのだった。
 わたくしのふるさとでは、いつも雪がふっていました。
 と。
 そんなことを思いだしながら姫君は遠い視線を、はるかなふるさとへととばし──
「陛下」
 ふいに天界から地上へと、その魂がとつぜんにして戻ってきたのだ、とでもいうような顔をして口をひらいた。
 胸の前で手を組んだ姿勢のまま、二歩、三歩と足をふみだす。
「陛下、おねがいがございます」
 ひたむきな視線で王を見やる。
 それを、まぶしげな目をしてうけとめながら、王はうなずいた。
「申してみよ。サフィーヤ」
 姫君はうなずき、砂上にひざまずかされたふたりの盗賊に手のひらをむけた。
「わたくしは王宮に帰ります。ですから、このふたりは罪を問うことなく、このままここで離してあげてください」
「サフィーヤ!」
「姫さま、そんなのダメだ!」
 口々に叫びながら、ラエラとマヤは立ちあがりかけた。
 背後にひかえた兵がすばやく歩みより、背にまわされたふたりの手をとってふたたび砂上にひきすえる。
 砂に頬をつっぷして、ラエラとマヤは王をにらみあげた。
 そんなふたりをわきに、サフィーヤ姫は瞳だけで王を圧しようとでもいうように、おのが支配者にむけてじっと視線をすえていた。
 王はしばらくのあいだ無言で、そんなサフィーヤ姫の目を見かえしていた。
 が、やがていった。
「それはできぬ」
 姫君は、信じられぬ、とでもいいたげに目をむいた。
 かなしげな目をしたまま、王はつづけた。
「サフィーヤ。そなたはわかっていない。この盗賊どもを見よ。情けをかけられるくらいならこの場で殺せ──そういいたげな目をしているぞ。伝説にまでうたわれた者どもだ。それくらいのプライド、とうぜんのことだろう。そなたの言葉はこの者どもの自尊心を傷つけこそすれ、けっして情けにはならぬはずだ」
 はっとして、姫君は地に伏したふたりの盗賊に視線をむけた。
 ラエラは砂に半分顔をうずめたまま、くちびるの端にはげますような微笑をうかべてみせた。
「お気持ちだけでじゅうぶんです、サフィーヤ」
 そういった。
 その横でマヤは、泣きそうな顔をして姫君を見つめていた。
 自分の境遇を嘆いているわけではない。
 ただ、想いをのこしてふたたびかごの鳥とされようとしている姫君の身を案じて、涙を流しているのだった。
 姫はぼうぜんとした想いでそんなふたりを見つめ──
 きっ、とふたたび王に視線をもどす。
「それでも陛下、どうかこのかたたちをお離しになってください。わたくしは──わたくしは、このかたたちが罰をうけるところを見たくはない」
 いって、姫君はついと砂上に顔をそむけた。
 王は、そんな姫君をさらに無言で見つめた。
 が、やがていった。
「それほどまでにして、この星を出たかったのか」
 と。
 姫ははっとしたように、ふたたび顔をあげて王を見た。
 かなしげな目が、見かえしていた。
「それほどまでして、このおれのもとから離れたかったのか、そなたは」
 王は、つ、と目をそらして、ふりしきる銀の夜を見あげながら、疲れたような声音でそうつぶやいた。
「陛下──」
 呼びかけて姫は、つづく言葉がうかばないのに気づき、声をうしなう。
 そして半歩をふみだした姿勢のまま、王にむけて片手をさしだす姫に──
 ふいに、ぐいと王は顔をむけた。
 くちびるをかみしめていた。
 ばさりとマントをならして背後にはだけ、決然とした足どりで姫にむかって歩みよった。
 からだをぶつけるようにして立ちどまり──ぐいと、乱暴なしぐさで姫君の華奢なからだを抱きよせる。
「おれは、そなたがみずから心をひらくまでは、けっしてむりに奪うようなことはすまいと──そう考えていた」
 苦渋をしぼりだすような口調でいった。
 姫君はぼうぜんと、間近に迫る王の、精悍な顔を見つめあげる。
「いつかきっと、そなたはおれに心をよせてくれる──そう思って、おれはただじっと待ちつづけていたのだ」王は姫君を見つめおろしたままいった。「だがそれは、まちがっていた」
 そしてぐいと──あらがうまもあらばこそ、姫君のくちびるにくちびるをあわせた。
 華奢なのどから悲鳴をもらし、姫君は必死に身をよじらせた。だが、おれるほど強く抱きしめる王の腕のなかでは、無益な、よわよわしい抵抗でしかなかった。
 ぼうぜんと、地に頬をうずめさせられたままそんなようすをながめあげていたマヤが、ふいに叫んだ。
「やめろ、このやろう!」
 叫びざま、なりゆきにぼうぜんとしていた背後の兵の虚をついて、うしろ足でそのひざを砕きにかかった。
 兵がうめいて崩おれる。
 捕縛から逃れてマヤは、バネにはじかれたように飛びだした。
 一瞬で王と姫君とのあいだにからだごと割って入り、いきおいで二、三歩うしろにひいたザハル王に、うしろ手をしばられたままみごとなバランスのまわし蹴りをたたきこんだ。
 ざん、と王は尻もちをついた。
 その姿勢のまま王は、野獣のようにたけり狂った少女を、ぼうぜんとした面もちでながめあげる。
 なおも突っかかろうとするマヤに、ようやくのことでわれに返った周囲の兵士たちがよってたかって飛びかかった。罵声をあびせながら、ふたたびマヤをその場でひざまずかせ、頬を砂上に手ひどくおしつける。
 姫君が悲鳴をあげながらおしとどめようとした。が、ふりはらいこそせずとも、どの兵士もマヤをおしつける手をゆるめようとはしなかった。
 そんなようすを、尻もちをついた姿勢のまま王はながめやっていた。
 が、やがてティギーン将軍の手をかりて起きなおる。
 衣服についた砂ぼこりを払いながら、王はマヤにむかっていった。
「無謀な小僧だな」
 ぎ、と、マヤが歯をくいしばった。
 反論を口にするよりさきに、
「陛下、この子は女の子です」憤然とした口調で姫君がいった。「小僧だなんて、失礼がすぎます」
 自分が最初におなじ印象を抱いたことは、すっかり忘れはてているらしい。
 ほ、と目をむき、それから王は苦笑いを瞬時うかべた。
 すぐに真顔にもどる。
「それは失礼をした」
 優雅なしぐさで、地に伏したマヤに一礼する。
 そしてつづけた。
「おまえは姫のために怒ってくれたのだな」
 その頬に、うっすらと微笑らしきものがうかんでいるのを見て──姫君も、マヤも、いぶかしげに目をすがめた。
 が、マヤはすぐに歯をくいしばって王を再度にらみあげた。
「だまれ、このくさればか王! いやがる女をむりやり手ごめにするなんて、男の風上にもおけないや、このくそったれ野郎! すっとこどっこい! おまえなんかきんたま握りつぶされて死んじまえ!」
 口汚くののしる。
 あまりのことにぽかんとしていた兵士たちが、はっとして口々に罵声をあびせながらさらに手ひどくマヤをおしつけ、力ずくで口をとざさせた。
 そんな光景を王はむしろ好ましげにながめおろしていたが──
 その王にむけ、マヤはむりやり半顔を上むかせて、つばを吐いた。
 砂上に伏した姿勢からとばされたつばは、むろん王の顔にまではとどくはずもなかったが、それでも着衣の端にかろうじてひっかかった。
 さすがに王の顔色がすっとかわった。
 兵士たちがさらにいきり立つのをおさえるようにして一、二歩ふみだし、地に伏したマヤになにかをいいかけようとした。
 そのとき──
「マヤ」
 ──この騒乱に気をとられていた一同の背後からふいに──静かな、おちついた声音が呼びかけてきたのだった。
 ぎくりとして、全員の視線がそちらに移動する。
 そこに──
 ふりしきる銀の夜の底、おぼろにけぶる月光を背に、黒のマント(パトウ)をゆるやかに風になびかせた、ひとりの男の影がたたずんでいた。
「馬に蹴られて死ぬぜ、マヤ」
 腕を組んだ姿勢で悠然とたたずんだまま、男は静かにそういった。
 ──盗賊、ジルジス・シャフルードであった。

 

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