大乱闘
盗賊シャフルードのかたわらに、いつのころからか、まるで影のようによりそう姿が見られるようになったという。淡い褐色のながい髪を銀の鎖でたばねた、小柄で華奢なその少女の名はマヤ。“千の手”のマヤ。
人形のように華奢で可憐な、少年めいた美貌の少女だ。だが、そんな外見にだまされてはいけない。彼女もまた、まぎれもなく“イフワナル・シャフルード”のうちのひとり。そのこぶしは光よりもはやく、舞踏のように優雅な身ごなしで、機械のように正確に、素手でひとをたおすすべを知っている。
カナンの酒場で、賞金首のダイスをふくめた大の男五人を相手に大立ちまわりを演じ、五分とかけずに始末したのはいまでもその酒場では語りぐさになっているという。むろんそのとばっちりをうけて店はめちゃくちゃになったらしいが、修理費はダイスの首にかかった賞金から捻出されたらしい。
天使のように無邪気。猫のように気まぐれ。阿修羅のようにはげしく、太陽のように熱い。“千の手”のマヤ。
しゅ、と閃光のように手刀がはしった。
シャラ、と音をたてて鈴がなるのと同時に、血しぶきが天井にむけて噴きあがる。
崩おれたジャンキーの肩を、すかさずマヤは蹴りあげた。鉈のような一撃に、少女よりは頭三つも四つも大柄な男のからだがふわりと浮きあがる。
どがらしゃんと音をはじけさせながら、テーブルにむけて男のからだがつっこんだ。
グラスやプレートが盛大にはじけとび、その卓で談笑していた一団が腰をうかす。
一目でまともではないと知れる一団だった。
いちばん手前に陣取っていた、顔中でたらめな隈取りで狂的にぬりたくった男が殺気立ってマヤをにらみつける。
「なんだこのガキ、ここは子どものくるところじゃねえぜ!」
揶揄まじりの叫びに、
「だまれ」
低くおさえた声音を発するよりもはやく、マヤの小柄なからだがはじかれたように前方にむかってとんだ。
一瞬で、立ちあがった隈取り男のふところにもぐりこんだ。
ぎょっと目をむく男が言葉を発するひまさえ与えず、下からつきあげた掌底が隈取り男ののどもとをがん、と打つ。
「このガキ!」
周囲に立ちすくんでいた隈取り男のつれ三人が、怒声とともにいっせいにマヤにむけて殺到した。
瞬間、すっと、小柄な影が消失する。
いきおいのまま三人がなだれこんだ。
隈取り男と、テーブルにつっぷしたジャンキーにむけて、スクラムがくずれたようにどどどと一団はおり重なってたおれかかる。
すと、とマヤがいちばん上の男の背中におり立った。
「てめえ!」
叫びながらその男が立ちあがったときには、ふたたびマヤはふわりと、重力のくびきから解きはなたれたように飛びあがっていた。
起きあがった男の左肩口に、獲物をしとめる鷹のように鉤型にした指先をたたきこむ。
が、とわめいて男は左肩から崩れ落ちた。
同時に、頭をふりながら起きあがりかけたもうひとりの男の尻にむけ、マヤは着地と同時に、ばかにするようなかるいタッチの蹴りをくらわせた。
おおっと目をむきながら、男はさらにとなりのテーブルにたおれこんだ。
そこにいたのは、顔面にこれ見よがしにぎざぎざの傷をきざみこんだならず者ふうの巨漢だった。
医療技術の発達したこの時代に、こんなみにくい形の傷が、しかもこれほど明度をおさえた店内ではっきりと識別できるように残されている、ということはあり得ない。
まちがいなく、迫力をだすためにわざとつけられた傷跡だった。ほんとうの傷かどうかさえあやしいものだ。
が、立ちあがった巨体の量感と、なだれこんできたちんぴらにむける視線の陰惨さは、まちがいなくほんものであった。
「やかましいぞ、ガキども」
無造作にいって巨漢は、なだれこんできたちんぴらの腹を蹴りあげた。
よろよろとちんぴらはカウンターにむけてたおれこむ。
被害をうけたのは、喧噪そっちのけで小粋な蝶ネクタイをひねりながら、隣席の女性にくどき文句をしきりにささやきかけていた、口ひげのきざったらしい紳士ふうの男だった。
ちんぴらがなだれこんできたいきおいで、なみなみと蒸留酒をそそがれたグラスががちゃんと音をたててたおれ、高級そうな男のスーツに大きなしみを刻みこむ。
そのうえ、ちんぴらの流した鼻血が紳士のズボンのすそを盛大に汚した。
紳士は、隣席の女性に「ちょっと失礼」ときざったらしくことわってからつい、と立ちあがり、鼻息を荒くした巨漢にむけていいかけた。
「きみ、もめごとは内輪だけで──」
最後までいわせず、巨漢ががん、と紳士の頬をなぐりつけた。
がらがっしゃんと通りがかったウエイターをまきこみながら紳士は通路にたおれこむ。
その姿勢のまま紳士ふうの男は、自分のくちびるが切れて血を流しているのをちらりと見やり──
おもむろに立ちあがるや、巨漢に真正面から正対した。
やるか、と身がまえる巨漢に、にっ、と微笑んでみせ──
「きみには酒をのむ資格はない」
きざなセリフをこともなげに口にしながら、なぐりかかった。
ふたりはもつれあいながら右に左に盛大に被害を拡大しはじめた。
いっぽう、最初にマヤにぶんなぐられたジャンキーは、もはや完全に戦意をうしなった状態で、鬼のような形相になって襲いかかってくるマヤから必死になって店中を逃げまどっていた。
とうぜん、同種の騒乱の輪はどんどん拡大していく。
「うわー、まずい」ぼうぜんとそのようすを見守りながら、ラエラはつぶやいた。「マヤがああなったら、もう手がつけられません。サフィーヤ、かまわないからわたしたちはさきにいってしまいましょう」
いってラエラはサフィーヤ姫の肩に手をかけて視線をやり──
姫君が、となりのストゥールに腰をおろした血まみれの隈取り男をにらみつけているのに行きあたった。
がしゃんと、サフィーヤ姫はとても王侯貴族とは思えない荒々しい動作で、手にしたボトルの首を握ってカウンターにたたきつける。
ぎざぎざになった割れボトルの切っ先を、ぐいと隈取り男につきつけた。
「わーたくしの、つれ、つれ、つれのマヤちゃんに、なんの文句があるのよう」
「ちょ、姫……」
ぼうぜんと呼びかけるラエラに、姫君はくるりとふりかえり、にへらと笑ってみせた。
目が完全にすわっている。
言葉もなく、ラエラは姫を見かえした。
顔が真っ赤である。
「ちょ、ちょーっろ、待っへいれくらさいね、ラエランラン」
とびはねるような口調でそういって、ふたたびぎろりと隈取り男にむき直った。
隈取り男は思わず腰をひく。
ラエラは思わず、ウエイターに視線をむけた。
「ちょっと、彼女の飲み物はノンアルコールで、と指定しといたつもりなんだけど」
および腰でようすをうかがっていたウエイターが、ごまかすように愛想笑いをうかべる。
「はあ。ですが、その、おつれさまが、あのきれいな色の飲み物をわたしも飲みたい、と、そうおっしゃられるものですから……」
と、すこし離れたカウンターの上におかれたグラスを指さしてみせた。
毒々しい赤色の液体が、そのグラスにはそそがれていた。
“熱死病”という名の、ここいらではもっともたちの悪い酔いかたをする飲料であった。
ラエラは、もういちど天をあおいでため息をついた。
「“シフリーヤ”?」報告にきたカシム星佐に、ティギーン将軍は眉根をよせながらききかえした。「それはなんだ」
「どうやらドゥルガ教徒が自分たちの工房で独自に開発した、ゲリラ戦用兵器のことのようです」と、髭面をあざけり笑いのようなかたちにゆがめながらカシム星佐は説明にかかった。「一言でいってしまえば装甲車ですな。ただしこの機体自体には兵装はなされてはいず、主に武器や人員を運ぶことを前提にして開発されたものだってことです。ただ、おもしろい特徴がひとつありましてね。ふつうの乗用浮遊車程度の速力と、マイクロ波および専用のドリルを利用して数分で砂中に潜行できるっつう、特殊装備です」
「つまり、砂漠の砂の下にひそみ、ゲリラ戦をしかけることを想定しての機体、ということか」
無表情にききかえす将軍に、カシム星佐はそれもあるでしょう、とうなずいてみせた。
「ですが、むしろ逃走するときのことをより重視しているとおれは思いますぜ」
うむ、と将軍はうなずく。
「普通浮遊車なみのスピードを実現できたとなると、たしかにそうかもしれんな」
「金属反応を極力おさえることも重視してるってことなんで、一度砂中にもぐられてしまっては、発見は容易ではありませんぜ」
「うむ。だが、追跡隊の接近はどういう方法で感知する?」
「そこのところは、残念なことにおれの尋問した人間は知らされていないようでしてね」
くちびるをゆがめながらカシム星佐はいった。
将軍の背後で、ラグシャガート市街に視線をむけたままきき耳をたてていたザハル王がかすかに眉間にしわをよせる。
カシム星佐に尋問をうけたというドゥルガ教徒に、同情の念をよせたのだった。
「いま各種探知能力を可能なかぎり増強した偵察機を用意させています。あと一時間で、砂漠横断装備で再編成した追跡部隊の用意ができますぜ」
「王宮守備隊は?」
「おなじ轍をふむつもりはありませんが、編成はやはり追撃隊を中心に考えています。ドゥルガ教徒のほうは、シャフルードらしき襲撃者のために混乱状態におちいっているでしょうからね。今夜のうちに再襲撃が敢行されるとは、まず考えられないでしょうよ」
「わかった」とティギーン将軍がうなずいた。「わたしが追撃隊の指揮をとる」
すると瞬時、カシム星佐の髭面がゆがんだ。
よけいなところにしゃしゃりでてくるんじゃねえ──とでもいいたげな表情だ。
が、さすがにそんなことを口にはせず、へつらうような口調で星佐はいった。
「もちろんわたしもお供させていただきますぜ、将軍。賊が逃走するのに砂漠方向を選ぶのはほぼ確実でしょうが、どの方角に逃げるかは現時点ではまだ不明です。指揮官がひとりではあきらかに不足でしょう?」
いって、酷薄なひげ面をにやりとゆがませた。
一瞬、将軍は承認すべきかどうか考えこんだが、すぐにうなずいた。
「いいだろう。分担はあとで決定する」
「では、おれは出撃準備の指揮をとりに戻りますわ」
にたりと歯をむきだしにして、カシム星佐はふたたび獰猛な笑いをうかべた。そして将軍の返事を待たずにくるりと背をむけ、大股に退出していく。
ティギーンはザハル王のほうにふりかえり、こうべをたれて口にする。
「状況はおききのとおりです。わたくしも追撃隊の陣容を検討するために、いったん──」
みなまでいわせず、王は口をはさんだ。
「おれもいくぞ」
と。
将軍は瞬時、目をむいて王を見あげる。
ふりかえらぬまま、背中ごしにザハル王はいった。
「いつまでも指をくわえて見ているのはおれの性にあわぬ。うって出るぞ、将軍。こざかしい盗賊めに、一泡ふかせてくれる」
意をはかりかねてなおも将軍は王の背を見つめたが、その決心をくつがえすのは容易ではないと見たか「了解しました」と簡潔にこたえてさらに頭をさげた。
「では陛下も出撃のご準備にかかられるのがよろしいかと存じあげます」
うむ、と王は、盗賊がひそむラグシャガートの街を憎悪にみちた視線でにらみすえ、力強くうなずいた。