ラグシャガート

 

 繁華街は、王宮からはやや離れた西方の一角、大河ハシュヴァルをはさんで、ラグシャ砂漠をかたわらにのぞむ位置にあった。
 その繁華街でも、とりわけガラのよくない一角を、ラエラとサフィーヤ姫は徒歩で移動していた。
 途中、ラエラがあらかじめ用意しておいたデポがわりの安ホテルのひとつに立ちよって着替えをすませていた。
 サフィーヤ姫は、田舎からでてきた娘がせいいっぱい背のびをしている、とでもいったふうな派手めの色彩の、露出部の多いかわいらしいドレス。
 対してラエラは、一見遊び人ふうの男性に見えるような、マニッシュなかっこうをしていた。油断のならない、陽気だがその陰から危険さがにじみだしているような雰囲気の、四囲の街路にふさわしいような装いだ。
 ラグシャガートは王宮を擁したサディレシヤの首都である。姫君は後宮の窓辺から毎日のようにその景色をながめやっていた。
 が、こうして街を歩くのははじめてであった。
 まして繁華街など、故郷のそれですら目にしたこともない。
 だから、好奇心がおさえきれないようすが、ありありと見てとれた。
 そんなさまが、まさに夜の街のこわさをまだよく理解できていない田舎出の小娘そのものだった。
 ものめずらしさにきょろきょろと周囲をながめまわす姫君の肩を抱えこむようにして、ラエラはおちついた足どりで街区を横ぎる。
 所在なげにたむろした、一目でまともな種類の人間ではないと知れる連中が、つぎつぎに野卑な声をかけてくる。
 中にはまとわりついて離れようとしない者もいたが、ラエラは超然とした態度をくずさず無視を決めこんだ。あまり悪質な相手には手ひどい一撃をくらわせて路上に血をぶちまけさせることで、かたっぱしからまたたくまに黙らせていく。
 暴力ざたにはなれっこだとでもいいたげな、ならず者ふうの連中も少なくはない。だがケンカなれしたラエラのファイトぶりよりはむしろ、叩きふせられてぼうぜんと見あげるところへ頭上からにらみおろしてくる、冷然とした、圧力にみちたその視線こそ、そういった連中を一発でおとなしくさせてしまう原因のようであった。
 やがてふたりは、街でももっとも奥まった一角にある建物のなかに歩をふみ入れた。
 半地下式の階段をくだって、うすよごれた踊り場に立つ。
 目の前に立ちふさがった扉には、店らしき表示はいっさい出てはいない。が、ラエラがためらいなくそれをひらくと、とたんに騒々しい音楽と喧噪が内部からはじけだしてきた。
 はでな色彩のスポットライトがいくつも交錯してはおどりまわり、ブラックライトで陰影を強調された底にいくつもの紫煙がたちのぼっている。
 店内はバルコニーのように四周をとりまくテーブル席にかこまれて、さらに地下にメインのフロアがひろがっている。収容人数は百前後だろう。メインフロアのまんなかに位置するカウンターをふくめて、客席は八分の入り、といったところか。
 ラエラはサフィーヤ姫の肩を抱いたまま、スティールの階段をおちついた足どりでおりていき、カウンターについた。
 とまり木にサフィーヤ姫をすわらせると自分もそのとなりに腰をおちつけ、近づいてきたウエイターにオーダーする。姫君には、ラエラの口にした固有名詞はまったくききおぼえのないものだったが、でてきた飲料の味はわるくはなかった。
 おなじものを口にしながらラエラは、ついいましがた自分たちが入ってきたばかりの、階上のエントランスにむけて半身をひねるように視線をやる。
 とりのこされた子猫のような顔をして姫君が、もの問いたげに見つめているのに気づき、ラエラは苦笑する。
「ここで仲間と待ちあわせてるんです。脱出のだんどりは、そっちまかせなんでね」
 ああ、と納得いったようにサフィーヤ姫はうなずき、手にしたグラスをかたむけた。
 となりのストゥールに腰をおろした男が、カウンターの奥からのびる水ぎせる(ナルジーラ)のパイプをぷかぷかとふかしながら、どんよりとした顔つきのままろれつのまわらぬ言葉でしきりと話しかけてきた。
 サフィーヤ姫は愛想笑いをしながらてきとうに返事をかえす。ラエラは階上に視線を固定したまま、援軍をだそうとはしない。こういった場所で、この程度のちょっかいにいちいち口をだしていては身がもたない、といったところなのだろう。
 やがて、ふいにラエラが口をひらいた。
「きた」
 姫君はあわてて頭上に視線を移動させる。
 伝説の盗賊の、まさに実物に出会う瞬間なのだ。わけもなく鼓動がはやまり、頬が紅潮する。むろん、となりからちょっかいをかけてくるジャンキーの存在など、一瞬で頭のなかから消しとんでいた。
 頭上の扉は、音もなくしまるところだった。テーブル席で談笑する一団や、せまい通路でおどりまわる連中の姿ばかりが目についた。伝説の盗賊らしき者の姿は見あたらない。いや──
 酔いと喧噪のあいまをぬうようにして、すばやい身ごなしでスティールの螺旋階段へと移動していく影があった。
 とんとんとんと、まるで宙にういてでもいるような軽快な身のこなしで、その影はおりてくる。
 思ったより小柄だ、とサフィーヤ姫は考えた。
 子猫のように身軽でしなやかな動作も、イメージとはすこしちがう。
「ラエラ!」
 階段をおりきってすばやく周囲を見まわし、すぐに目ざとく止まり木のラエラを見つけて、小柄な影は頭上で盛大に手をふりまわしながらはずむような足どりで近づいてきた。
 そしてようやく、顔が見わけられる位置にきた。店内の照明が全体におさえられている上、スポットやストロボライトがせわしなく明滅しているために、よほど近くまでこないと、相手のりんかくくらいしか判別がつかないのである。
 よくあんな遠くからラエラの見分けがついたものだ、と妙なところで感心しながらサフィーヤ姫は、眼前に立つ人物をじっくりと観察する。
 やはり小柄だった。姫君自身、つね日頃自分の周囲にいる女性とくらべると背丈は低いほうなのだが、そのサフィーヤ姫とほぼおなじくらいの高さだった。
 全体的に華奢な印象だ。そでなしのシャツに白いハレムパンツ、手首には極彩色の鈴がシャラシャラと音をたてる銀色の腕輪(バングル)、足もとはすねのあたりまで丈のあるあみあげの靴。
 明滅するライトに幻惑されて髪の色などはよくわからない。肩まではありそうなその髪を、頭のうしろで鎖様のもので無造作にたばねている。
 目はおおきく、瞳はくりくりとよくうごく感じだ。好奇心をありありとうかばせて、姫君をじっと見つめている。口もとにうっすらとうかんだ微笑。
 全体に、まるで少女のような印象があった。歳は十四、五くらいにしか見えない。
 このひとがほんとうに、あの盗賊ジルジス・シャフルードなのだろうか、といぶかるように姫は目をすがめる。
 が、その疑問を口にするよりさきに、ラエラがいった。
「サフィーヤ、紹介するわ。マヤです」
「こんばんわ」
 紹介をうけると同時に、マヤはぴょこんと頭をさげた。なるほど、いわれてみればたしかに、ラエラはあらわれた人物がシャフルード本人であるとは一言も口にしていなかったような気がする。
「まあ、そうだったんですか」思わず言葉が口をついて出、ふたりがけげんそうに自分を見かえすのをみてあわてて手をふった。「いえ、ちがうんです。わたくしったら、てっきりほんもののジルジス・シャフルードがででくるものとばかり思っていたものですから。あ、あの、わたくし、サフィーヤと申します。どうぞよろしく」敬称をつけるかどうか瞬時まよったあげく、必要ないと判断してつけ加える。「マヤ」
「うん。こちらこそよろしく」
 マヤはにっこりと笑いかえした。かわいらしい微笑だった。
 さしだされた手を、サフィーヤ姫はあわてて握りかえす。
「うわあ、でも、やっぱりお姫さまって感じだなあ」微笑みをのこしたままマヤは、大げさに目をまるくしてサフィーヤ姫の顔をのぞきこみながらいった。「ボク、ほんもののお姫さまなんか見るのはじめてだから、どんなひとがくるのか、すっごく楽しみにしてたんだ。でも期待以上にきれいなんで、びっくりしちゃった。なんていうか、まるで人形みたいな感じだ。とってもきれいだなあ。なんだか上品な感じだし」
 まあ、と姫は顔を赤らめる。
「ジルジスはどうした?」
 ラエラがきいた。
「一足さきにXポイントにいってるよ」
 マヤのこたえにラエラはうなずく。
「で、首尾は?」
「上々。予想どおり、なかなかできのいいシロモノだったよ。いまは、例の屋内駐車場にとめてある」
「OK。じゃ、サフィーヤ、そろそろ──」
 いいながらラエラがふりかえると同時に、
「よう、ねえちゃん、さっきからずいぶんとつれないじゃねえかよ」
 しきりとモーションをかけていた隣席のジャンキーが、サフィーヤ姫の肩になれなれしく手をかけてふりむかせた。
 びっくりして目をまるくした姫君に、もたれかかるように抱きついてくる。
「今晩おれと夜通し遊びあかそうぜって、いってんだよ、ええ? 見ろよ、ええ? なかなか手にはいらねえシロモンだぜ、こいつぁ。ちょいとかいでみろったら」
 よれよれとしたしぐさで、手にしたナルジーラの吸い口を姫君の口もとにむりやりおしつけようとする。
「ちょいとおじさん」その手首を、ぐいとマヤがつかんだ。「かっこ悪いぜ、そのモーションのかけかた。みっともなくってしかたがないや。今夜はね、ボクたちはあんたみたいなのにかまっちゃいられないんだ。ほかを当たってよ」
「なんだあ、てめえは」
 ジャンキーがマヤにむかってぎろりと目をむく。
「なんだっていいだろ。そのひとの連れだよ」
「んだとお?」
 いって男はふらりと立ちあがった。小柄なマヤを見おろすように、真正面からにらみおろす。
 対してマヤも、まったく動じたようすもなく、おちついた視線でジャンキーを見つめあげた。
「るせえぞ、よけいなちょっかい出すなってんだ。てめえなんぞにゃこちとら鼻っから用はねえんだからよ」
 いって、ジャンキーはマヤの鼻先にぐい、とこぶしをつきだしてみせた。
 足もとも意外にしっかりとしている。
 これはめんどうなことになった、とでもいいたげにラエラが眉根をよせる横で──男はだめおしのように口にした。
「すっこんでろ、小僧が」
 ぎょっと、ラエラは目をむいた。
 まずい、といったふうに腰がひけてしまっている。
 なにごとだろうと、サフィーヤ姫はマヤに視線を戻し──
 ついさっきまで冷静に対処していたマヤの顔色が、がらりとかわっていることに気がついた。
 食事をとりあげられた猫のように、敵意と怒りを満面にうかべて、マヤはジャンキーをにらみつけていたのである。
「あ、あのねマヤ、いまは時間がないから──」
 おそるおそるラエラがなだめにかかるのもまるで目に入らぬふうに──
 パン、とマヤはいきおいよく、眼前につきだされた男のこぶしを払いのけ、叫ぶようにしていった。
「いまなんてった!」
 はあ? と、とまどったように男は顔をしかめる。
 あちゃー、とラエラは天をあおいだ。
「なんだあ、急に興奮しやがって。おかしな小僧だなあ──」
 と、いいかける鼻先に──
 握りしめられたマヤのこぶしがめりこんだ。
 しゃらん、と手首をまいた腕輪(バングル)の鈴が、冴えざえとした音をたてる。
 ぶ、と鼻血をふきだしながら、ジャンキーはよろよろと後退した。
 スナップのきいた、ばつぐんの一撃だった。しろうとの技ではない。
 鼻血をたらしながら男がぼうぜんと目をむくのへ、
「小僧じゃない!」憤然としてマヤは宣言する。「あたしは女!」
 え、とジャンキーのみならず、おもしろがって視線をむけていた周囲のギャラリーまでもが、おどろきに目をむいていた。
 そのなかには、サフィーヤ姫もふくまれていた。

 

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