夜への降下
あらわれた兵が身をかがめた女盗賊に気づくよりはやく、ラエラは銃のひきがねをしぼっていた。
声もなく兵がたおれこむのを、ラエラはすばやく走りよって抱きとめ、そのまま音もなく下生えのなかにひきずりこむ。
「さ、つぎよ」
いってラエラは姫君の手をひき、さらに前進をはじめた。
「あの……さっきのかたですけど、殺してしまわれたのですか?」
不安げにサフィーヤ姫が問いかけるのへ、ラエラは「しっ」とするどく制止をかけた。
「声をたてないようにしてください」
息だけでそう告げて、四周にむけてするどく気をくばりながら移動をつづける。
さらにふたりの兵士をたおしてしげみの中へと隠したころ、ラエラはふと──姫君の息が荒くなっているのに気づいた。
四囲に注意深く視線をおくり、
「すこし休みましょう」
短くいってサフィーヤ姫の手をひき、道からはずれた樹陰に腰をおろさせた。
ザックのなかから水筒をだして姫君にのませ、自分もすこしだけくちびるを湿してから声をひそめていった。
「あの兵士たちは、麻痺して眠っているだけです。朝になるころには、自然に目をさますでしょう」
それをきくと、姫君はほっと安堵の吐息をついた。
が、それに水をさすように、ラエラはつづけた。
「ですが、必要とあらばわたしは、相手に悪意があろうとなかろうとためらいなく殺します。そのことだけはおぼえておいてください」
サフィーヤ姫は、その言葉に、かなしげに眉をひそめた。
が、なにもいわずに視線を女盗賊からそらし、森のなかの深い暗闇をぼんやりとながめやる。
ラエラはため息をおしころしてだまりこんだ。
しばらくの間をおいて、
「さ、そろそろいきましょうか」
いってラエラが立ちあがりかけ──
その姿勢のまま、ぴたりと動作をとめた。
双の目をすがめ、きき耳をたてる。
どうしたのですか、とききかけて姫君は、ラエラのようすにただならぬものを感じ、ごくりとのどをならして黙りこむ。
なおもしばらくのあいだラエラは、用心深く耳をそばだてたまま立ちすくんでいたが、やがていった。
「眠らせておいた監視兵が見つかったようですね」
淡々とした口調だった。
サフィーヤ姫は小首をかしげる。
ラエラが硬直したようにうごかなくなってから、なにごとかと姫君自身も耳をすませてあたりのようすをさぐっていたつもりだった。すくなくとも、姫君はいかなる異変の兆候をも感じとることはできなかったのだ。
かちり、とラエラは銃になにかの操作を加え、そして真正面からサフィーヤ姫を見つめていった。
「こうなると、ことはむつかしくなります」
「では、ここまでですか?」
かなしげに眉根をよせてサフィーヤ姫がいうのへ、女盗賊は真顔のまま首を左右にふった。
「手はあります」
「それは?」
「あなたを、盾にとります」
返答に、姫は言葉をのみこむ。
ラエラはうなずいてみせた。
「あなたを殺すわけにはいかないから、追手のうごきはどうしても鈍ることになると思います。相手も麻痺レベルで応戦してくるでしょうが、まあ、なんとかなるでしょう。ただ──」
と、いいよどむ。
「ただ?」
サフィーヤ姫は静かに先をうながした。
「──ただ、麻痺レベルといっても、あたりどころによっては重大な機能障害をのちのち喚起する可能性がないとはいえません。それに、敵がそんな悠長な手段で対応してくるかどうかも確信があるわけではありません。いずれにせよ、あなたに危険がおよぶ可能性が格段に高くなります」
「かまいません」即座にサフィーヤ姫はいった。「わたくしはどうなってもかまいません。このまま、王宮に小鳥のようにとじこめられているよりは……。その方法でお願いします、ラエラ」
ひたむきな視線で、女盗賊を見つめる。
瞬時ラエラはそれを見かえし──静かにうなずきかえした。
「わかりました。それではとりあえず移動を開始します。もし追手が迫ってきたら、遠慮なくあなたを盾にとります。そのときは、せいぜいはでに叫び声でもあげてください。そうしてくれれば、敵のうごきが一瞬でもとまります」
「わかりました」
意気ごんだようすで姫君はうなずいた。
ふたたび前進を開始する。
ほどもなく、殺気だっているのが傍目にもわかるほどのあわただしい複数の靴音が、背後からきこえてきた。
曲がりくねった小道の角から先頭の兵士が姿をあらわすと同時に、ラエラは荒々しい動作で姫君の首を背後から抱えこんだ。
ここぞとばかりにサフィーヤ姫もまた、かんだかい悲鳴をあげる。
ぎくりと、出現した兵士が立ちどまった。かまえた銃口が一瞬、硬直する。
すばやくラエラは、姫のわきの下からさしだした銃のトリガーをしぼった。
つづいてあらわれた次の兵士にも、一撃を見舞う。
一瞬で、ふたりの兵士がへなへなと地にふした。
さらにいきおいであらわれかけた三人めが、あわてて地をけり、かたわらのしげみへと身をかくす。
それを追ってラエラの銃口がすばやく、的確に移動する。
閃光が闇に吸いこまれた。
命中したかどうかはサフィーヤ姫にはわからなかったが、そのときにはすでにラエラは、もとの方向へと銃口をポイントし直していた。
死角からちらりと顔をのぞかせた兵士へと一撃をあびせる。
その姿があわてて樹陰に隠れた。
数瞬の膠着状態ののち──
黒い影が、樹陰からとびだした。
ぱ、ぱ、と閃光がひらめき、ふたりの左右でほこりが立つ。
ラエラは荒々しく姫君をつきとばしながら前方へと身を投げだし、ころがる黒影にむけてたてつづけにひきがねをしぼった。
間をおかず、もうひとりが樹陰がすべりでてきた。
正確な射撃で、ころがるラエラを追う。
が、ラエラの腕のほうがわずかに上だった。
先にとびだしたほう、つづいて援護を受けもつ兵士を討ちとり、ほぼ同時にラエラはしげみに身を隠し終えた。
地にふした姫をおきざりに、しばしのあいだ、ピンとはりつめた緊張の糸だけが四囲に立ちこめた。
が──ふいにラエラが立ちあがる。
「だいじょうぶですか?」
サフィーヤ姫に安否を問いかけて別状ないと確認するや、女盗賊はせきたてるようにしてさらに下降を開始した。
小道は王侯貴族の散策のための遊歩道として設置されたものだ。いきおい、歩きやすさには気をつかわれてはいる。だが深夜の逃避行、足もとさえおぼつかぬ曲がりくねった道を、しかも早足でくだりながらの移動である。ふだんであればゆっくり歩いて二十分もかければふもとの街へとたどりつけるはずだが、なかなかスムーズにはいかなかった。
さらに二回の応戦を経て、ふたりはようやくふもとまでたどりついた。
おりきる直前に遊歩道からはずれて強引にしげみのなかにわけ入り、てきとうなところで姫君に身をかくさせてから、ラエラは偵察にでた。
ほどもなく戻ってきた。
きびしい顔をしている。
「下の道路に封鎖線がしかれています」ラエラはいう。「通行止めにしているようですね。兵士たちがならんでいるだけで、浮遊車(フライア)は一台も通りませんでした」
姫君の顔が不安そうにゆがんだ。
ラエラはかすかに笑って姫君の背中を軽くたたく。
「打つ手はあります。浮遊装甲車があちこちとまっていたから、それを利用します。サフィーヤ、あなたはわたしが背負っていきますから、ただ必死にしがみついていることに専念してください。かなり手荒い突破行になりますが、なんとかなると思います」
「わかりました」
不安をのみこんで姫はけなげにうなずいてみせた。
もういちどラエラも微笑をかえし、姫に背中をむけてしゃがみこむ。
サフィーヤ姫が背にすがりつくや、ぽんとせりあげて一度だけ位置をただし、ラエラはためらいなく前進を開始した。
ほとんど音を立てずに、すべるように移動する。
そのまま、しげみのとぎれたところまで下降した。
眼下に片側一車線の道路。投光器をかかげた兵士たちが間隔をおいて立ちならび、王宮側を中心にしてライトを周囲にめぐらせている。
移動する光をさけてしゃがみこみながら、ラエラはすばやく状況を検討した。
手前に二台、さらにあいだをおいて一台の浮遊装甲車が、道路の外側にとまっている。パワーライトがその天井からぎらぎらとした光を丘側に投げかけ、各車輌の近くでは指揮官らしき人物が無線でやりとりをしていた。むろん、全員が武装している。
「よし」状況を見てとってラエラは口にし、背中の姫君をふりかえった。「目をとじて」
わけがわからぬまま、姫君はぎゅっと両のまぶたをとじる。
同時にラエラは、ライトの光が移動した一瞬の間隙をとらえて立ちあがりざま、すばやくなにかを投擲し、ふたたび身を沈めた。
けぶる月光の下に黒いものがゆっくりと落下し──
それが地上におちる寸前、まばゆい閃光を八方にはなちはじめた。
閃光弾である。
突如路上に出現した眩光に、兵士たちの視線が集中した。その一瞬の間隙をついて、ラエラはサフィーヤ姫を背負ったまま路上にとびおりた。
目をおおって立ちすくむ兵士たちのあいだをすばやく走りぬけ、孤立した一台の装甲車のタラップを一気にかけのぼる。
天井開口部から顔をのぞかせた兵士を蹴りの一撃で昏倒させ、手ばやくほうりだす。
そのあいだに、ふうっと閃光弾の光がやわらいだ。
タイミングをねらうようにして、もう一発をさらに見当ちがいの方向に投擲する。
最初の閃光弾のまばゆい光輝が、闇に吸われるようにして消失していくのと入れかわりに──さらに新たな閃光が太陽のようにそのおもてをひらいた。
無意味な銃撃音が二、三、飛び交い、叱責する声がたからかにあがる。
そのころにはもうラエラは、装甲車の内部に身をすべりこませていた。
運転席にひとり。攻撃コンソールらしきボードの前に腰をおろした男がひとり。
どちらも、窓外の閃光と混乱をうつしだしたモニターに見入っていたため、ラエラの侵入に一瞬気づかずにいた。
姫君を背負ったままラエラは銃をひらめかせ、ふたりを瞬時に昏倒させる。
すばやくサフィーヤ姫を手近のストゥールにおろし、操縦席にへたりこんだ兵士を無造作に床にころがり落とすと、すばやくそこにすべりこみながらコンソールに指をはしらせた。
かかりっぱなしだったエンジンはすぐに咆哮をはなち、ふわりと浮きあがるやフライアは、すさまじい横Gとともに回頭した。
ごう、という重低音にかぶさるようにして、筒を吹き鳴らすようなかんだかい異音がコクピット内に充満する。バール・システム──斥力を発揮する粒子を利用して、地上から浮遊するためのシステムが、急激に作動を開始するときに発する音である。サフィーヤ姫は思わず耳をおさえた。
その瞬間、はじかれるようなGが正面からのしかかる。
すさまじいいきおいでフライアは疾走を開始した。