ラエラ

 

“イフワナル・シャフルード”と人は口にする。イレム語で“シャフルードの兄弟”。盗賊シャフルードの一味、といったほどの意味である。
 不吉なる伝説をともなった多くの名前が、この“イフワナル・シャフルード”として口にされる。なかには、盗賊シャフルードとはまったく無関係な名前もいくつかあるし、あるいは盗賊シャフルードの仇敵の名前さえそこにまぎれこむこともなくはない。
 それでも“イフワナル・シャフルード”──盗賊の一味としてかならず上げられる名前もまた、たしかにいくつか存在する。
“千の目”のラエラは、そのうちのひとつである。
 夜、という意味のその名前は、彼女の不吉な特性をよくあらわしている。
 彼女は夜の色をした狙撃用ブラスターを背に負い、夜の女王のように暗く、深く、そしてはなやかにねり歩く。かまえたブラスターにこめられる弾丸は地獄の苦痛を凝縮した恐怖そのものであり、その鷹のような視線にとらわれた獲物は、けっしてその銃口から逃れられはしない。
 灼熱の風にその黒くながい髪をなびかせ、背中に巨大な狙撃銃、腰には青のガンベルトに黒のハンドブラスターと無数のエネルギーマガジン。その銃口は、獲物を護る者たちの額にいつでもぴたりとすえられて、たとえこの世界の終わりの時がおとずれようともゆらぐことは決してない。
“千の目”のラエラ。地獄をその銃身にこめて優雅に歩く、夜の女王。

「だれですか」
 と、サフィーヤ姫はふりかえりながら問いただした。
 不安が、その胸の奥にかま首をもたげていた。盗賊が自分をねらっている、とついさっき王に告げられたことが影響しているのかもしれない。
 その不安が形をとってあらわれたかのような人影が、そこに立っていた。
 後宮にはまるで場ちがいな風体だった。
 からだにぴたりとフィットした黒いスーツで全身をおおった、女だった。
 黒髪をうしろでたばねた女は、夜のように深い黒の瞳をまっすぐに姫君にむける。
「だれですか」
 不安と恐怖を必死におさえながら、姫君はもういちどくりかえした。
 そしてふいに、侵入者であるその女の顔に見覚えがあることに気がついた。
 三日ほど前から、あらたに姫につけられた七人の女官のうちの、ひとりであった。湖のようにすんで静かな、それでいてなにか激しいものを奥深くひそめているような、印象的なその黒瞳を、サフィーヤ姫はよくおぼえていたのだった。
「あなたは──このあいだ後宮に入ってきたかたですね。こんな時間にどうしたの? それに、そのかっこうは……」
 知った顔だと気づいて不安はいくぶんかはおさまったものの、かわりに不審がぬぐいがたくうかびあがる。
 女官として紹介はされたものの、新任の人間がいきなり姫君の身のまわりの世話をするわけではない。まずは見習いとして監督者の指示のもとに、備品の管理や後宮内の清掃などからはじめている時期のはずだった。まちがっても姫君の寝室に、それも声すらかけずに侵入してくる、などという無礼はありえない。
 そんな姫君の、不審にみちた凝視を前にして、女はいささかもたじろいだようすを見せなかった。無言でかたひざをつき、騎士がしてみせるような優雅なかたちで臣下の礼の姿勢をとって、ふかぶかと頭をたれた。
「無礼な侵入方法をとってしまって、申しひらきのしようもありません、サフィーヤ姫」
 そしてその姿勢のまま、つい、と顔をあげ、真正面から姫君の顔を見つめかえす。
 吸いこまれてしまいそうなほど深い瞳だ、と姫君は思った。
 めまいのような感覚が、瞬時、はしりぬける。
 頬が上気してくるのを感じて姫は、まるで魅力的な殿方を前にして胸ときめかせる娘のようだ、と他人事のように考えていた。
「あなたはたしか……ハガル、という名前でしたね。なんのご用?」
 動揺をさとられぬよう、しいておちついた口調をよそおい、姫君は問いかける。
 対して女は、あるかなしかの微笑で口もとをかすかにゆがませた。
「ハガルという名は偽名です、サフィーヤ姫。わたしのほんとうの名前は、ラエラ」
「ラエラ……」
 と姫は、舌の上の感触をたしかめるようにしてくりかえした。夜、という意味のイレム語の名だ。目の前で優雅に片ひざをついた黒髪黒瞳の美女には、ぴったりの名前だとぼんやり考える。
「そう、ラエラです。またの名を“千の目”のラエラ。──盗賊ジルジス・シャフルードの仲間です」
 まあ、と姫君は両の手で頬をおおいながら目をまるくした。
 意外感はあったが、なぜか恐怖は微塵も感じなかった。眼前の女性のもつ雰囲気が、噂にきく盗賊から想起されるような暴力的なイメージとは、およそかけはなれていたからかもしれない。
 わたくしをどうするつもりなのだろう、とかすかに疑問がうかんだ。
 それを言葉にするよりさきに、女──ラエラはいった。
「お迎えにあがりました」
 と。
 さらなる疑問に、姫君はますますその両の目をまるくする。それは自分をさらっていくのだ、という意味なのか。
 そんな姫君のあけっぴろげなようすを見て、ラエラは好意的な微笑をうかべた。
「盗賊ジルジス・シャフルードなる者が姫君をねらって暗躍している、という噂は、おききになっていることと存じあげますが?」
 いたずらっぽい笑みをうかべたまま、そうきいてくる。
「はい、それはたしかにきいていますけど……」
 すなおに姫君はこたえる。
「それはわたしたちがわざと流した噂です。まあ、わたしたちがあなたを拉致するつもりなのはまちがいありませんけど。ただ、べつに高貴なおかたをかどわかして身代金をふんだくろうとか、そういう目的ではありません」
「まあ。それではなぜ?」ことんと、小鳥のように小首をかしげて姫はきく。「そのシャフルードというかたが、わたくしをめとろうとおっしゃるのでしょうか」
 ぷっ、と、思わずといったふうにラエラはふきだした。
 わけがわからず見かえす姫の手前か、とりつくろうように真顔になり、それでも口もとをひくひくとさせたままいいつのる。
「わたしの見たところでは、ジルジスがあなたに懸想しているようすはありませんね」
「では、なぜ?」
 問いに、黒ずくめの女はにっこりと笑った。
「つまりこういうことです。あなたの兄上さまが、戦争勃発の危険をおかしてまで妹をむりやり奪いかえした、という噂でもたってはまずい。だから盗賊が姫君をねらっているという話を、わざと流したのです。つまり姫さま、わたしたちは──あなたの兄上、トラッダド王アリシャールさまの願いをききいれて、はるばるこの地までやってきたのです」
「まあ」姫君の顔がぱっとかがやいた。「おにいさまの?」
「はい。ザハル王のなさりようは、傍若無人この上ありません。姫、あなたとアリシャール王のおふたりは、わかれをおしむひまさえないうちに引き裂かれたのだときいています」
「そのとおりです」
 と姫はかなしみのかたちに顔をゆがませてうなずいた。
 ザハル王の統治するサディレシヤと、サフィーヤ姫の故郷であるトラッダド王国とは古くからいがみあってきた。接近と離反をくりかえしながらも両国のあいだにはつねに反目が存在し、特に先王の時代にはいつ戦争が起こってもおかしくない、というほどに険悪な雰囲気がただよっていた。
 さいわいにして、そんな危惧が現実化することなくサディレシヤの先王が崩御し、ザハルがあとをついだのだが──
 その数年後、トラッダドの、サフィーヤ姫の父にあたる先王が崩御し、アリシャールが王位を継いだ直後に、政治的空白状態をつくようにしてザハル王がサフィーヤ姫をめとることを一方的に宣言、拉致同様の強引さで姫君をトラッダドからサディレシヤへとつれだしてしまったのである。
 まさに戦争をも辞さない傍若無人な行為であった。
 が、ザハル王は、サフィーヤ姫の兄である現王アリシャールをよく知っていた。ザハル、アリシャールともに銀河連合中枢の国家フェイシス、通称連合セントラルにあるハイン大学に、ほぼ同時期に留学していたのである。
 連合気質の自由な雰囲気のもと、ふたりの王位継承権者はおなじエル・エマド出身の盟友として多くの時間を共有し、深く交流しあっていた。
 それだけに、ザハル王はアリシャールがこういう事態にどう対応するかまで見ぬいていたらしい。
 アリシャールは、穏和で忍耐強く、平和を愛していた。争いごとはとくに好まぬところであった。
 そしてザハル王の読みどおり、激怒する臣下や国民をアリシャール王みずからが説得し、戦争の危機は回避されたのである。
 が、二国の関係がこの一事でいっそう悪化したことはいうまでもない。
 ふたりの青年が王位につく以前から、主として両国それぞれの臣下団からサフィーヤ姫とザハル王子との婚姻については、幾度となく提案がでていたことは事実だった。先王たちはかたくなだったが、両国の臣下や国民のなかには、たがいの関係を改善したいとつよく願っている者もすくなくはなかったのだ。
 だが、ザハル王の暴挙にトラッダド国民の心情は一挙に硬化した。
 もともとサフィーヤ姫は、臣下にも国民にも強く愛されていた。宝石のようにたいせつな、国家の象徴のような存在とまで考えられていた。その宝石を、強引にうばわれてしまったのである。
 そのことが逆に、姫君を人質にとられたも同然、というジレンマを生みだしてもいたのだが、だからこそなおいっそうトラッダド国民の怒りの念は強かった。開戦を求める声こそおさえられはしたが、ザハル許すまじ、といった気運は国民のスローガンにさえなった。
 力関係としては、トラッダドにはサディレシヤにはないエネルギー資源が豊富に産出するために総合的な政治力といった点では均衡が保たれていた。が、話を軍事力にかぎればサディレシヤのほうが強い。戦争になれば敗北する可能性が大きいのはあきらかにトラッダドのほうである。
 サフィーヤの兄アリシャール王の判断は、そういう点でも正しいとはいえた。
 が、その一方で弱腰と評されてもしかたのない面もあった。アリシャール王は姫とザハル王の婚姻については話を白紙にもどしてはじめからもう一度よく話しあいたい旨、いくどとなくサディレシヤに通達していた。みずからおもむいてザハル王との会見を要請したことも一度や二度ではない。
 だがザハル王は強硬にそれを拒みつづけ、アリシャール王のサディレシヤ入国にさえがんとして応じようとはしないのであった。
 そのために、アリシャール王の意向はどうあれ、さすがにトラッダドの重臣、国民たちも報復措置として、ザハル王のトラッダド訪問だけは許すべきでない、と態度を硬化させてしまっている。
 サフィーヤ姫はいわば、そういった二国間の反目の犠牲となっているのだった。両国の関係が改善されないかぎり、サフィーヤ姫はザハル王によって故郷への帰還を阻まれつづけることだろう。まさにザハル王の言葉どおり、サフィーヤ姫は故郷をうしなったに等しい身なのである。
 かつての、ふたりの青年のハインへの留学時代、サフィーヤ姫もまた兄をたずねて幾度となくザハル王と顔をあわせていた。
 楽しい思い出もたくさんあった。そのころには、ザハル王にほのかな想いを抱いてさえいたものである。
 それだけにいっそう、いまの境遇にはかなしみに耐えぬものがあった。

 

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