伝説の盗賊

 

 後宮をあとにして本宮への門をくぐったとたん王は、かたひざをついて侍していたティギーン将軍、そして先王につづいて長年側近をつとめている老齢のリダー大臣の姿にいきあたった。
 ティギーン将軍は三十をすこしこえたばかりの、気鋭の武人であった。口数はすくないがその言葉は重く、部下の信頼も厚い。上にたつ者たちはこの将軍の存在を少々うるさがっているようだが、ザハル王にしてみればそれもまた、たのもしく思える点のひとつであった。
「おう、ずいぶん待たせてしまったな」王はいいながら、歩調をゆるめもせず先に立って歩きはじめる。「ついてこい。おれは夕食がまだだ。食堂で話をきこう」
 ふたりの臣下は無言でうなずき、距離をおいて王のあとにしたがう。
 正庭をぬけて王宮の建物へと入り、通廊と階段のつづくながい道のりをへて、三人は王専用の食堂へとたどりつく。そのころにはリダー大臣は、高齢と肥満のせいで王の速度にあわせて歩くだけでも疲れはてたようすになってしまい、荒い息をついていた。
 食卓についた王がうながすようにうなずきかけるのを待って、将軍は前おきなしにずばりと切りだす。
「陛下。盗賊シャフルードはまちがいなくこの星に侵入しているようです」
「ほう。噂をききつけてから、厳戒態勢をしいていたはずだな、将軍」
「はい。ですが、まんまとだしぬかれてしまいました。申しひらきのしようもありません」
「なにをのんきなことをいっているのだ、将軍」とリダー大臣が、いまだひいはあと息をつきながら、にがりきった顔をことさらつくろう。「まんまとだしぬかれてしまった? しゃあしゃあとよくもまあ、そのようなことを口にできるものだな。重大な過失だぞ」
 さらに糾弾をつづけようとするのを、夕餉に手をつけながらザハル王はそっけなく制する。
「それはよい、リダー。不問にしておけ」そして将軍にさきをうながした。「で?」
「ラグシャガート時間で七日前、1327に星系外縁の監視衛星のひとつがとらえた映像の解析がこれです」
 いって将軍は、手にしたカードの表面にある、ちいさなボタンのひとつをおした。
 食事をしている王の眼前に、立体映像がうかびあがる。
「……これは」
 王は手をとめ、映像にしげしげと視線をおくった。
 漆黒の宇宙空間に、なにか巨大なものの影が、まるで水面にうかぶ波紋のようにぼんやりとうかびあがっている。
「“ファンタム”がかけられているな」
「はい」
「大きさは?」
「およそ四百メートル」
「巡航艦クラスか。盗賊風情とあなどっては、足もとをすくわれるかな」
「おおそれながら、陛下」ふたたびリダー大臣がわりこんできた。「かもしれぬ、どころではありませんぞ。この盗賊、まぎれもなくほんものです」
「ほう」
 王はかるく受けた。それはおもしろいと口にしながら眼前の肉をきりわけ、口もとにはこぶ。
 大臣はつづけた。
「威信にかかわることゆえ公式にはみとめられていませんが、このシャフルードなる盗賊には、銀河連合の宇宙軍でさえ何度も煮え湯をのまされている、という話です」
「ほう」王はわざとらしく目をまるくする。「連合ではか。こちらがわではどうだ? エル・エマドのほうでは」
「むろん、明に暗にさまざまな噂が流れていますとも」大臣はおおげさな身ぶりで得意げにいった。「国家だけでいっても、ジャシーン、バーリファマッド、ラシナル。非公式なものもあわせれば、おそらくはそのほか十数国から指名手配をうけ、あるいは賞金をかけられているという話です」
「それはたいしたものだな」
 王はどうでもよさそうな口調でいった。
 この時代、地球人文明圏はおおきくわけて三つの領域に分類されている。ひとつは、フェイシスという科学技術にすぐれた有力な国家を中心に編成された、最大勢力である銀河連合圏。もうひとつは神聖皇帝統治下で魔術的文化を発達させた神聖銀河帝国。そして最後のひとつが、ザハル王の統治するサディレシヤをふくんだ、文明圏内のかなり広大な範囲にわたって分布するエル・エマド文化圏である。
 現時点では過去の技術に属するが“死者の道”と通称される超光速技術が最初に発見されたのが、旧フェイシス文化圏である。
 そして銀河帝国発祥の地である惑星トラントにおいて、フェイシス文化圏との最初の接触がはたされたのがそれよりやや後代のこと。
 エル・エマドに超光速航行技術が伝えられたのは、さらにそれよりややのちの時代、ということになる。が──それ以前からエル・エマド文化圏は現在とほぼおなじ規模の、広大な範囲にわたって展開していた。
“次元扉”と通称される原理不明の空間のゆがみを利用して、各惑星間の往来がひんぱんにおこなわれていたのがその原因である。
 だが逆にその“次元扉”の存在がエル・エマド文化圏を、連合や帝国領域などに比して国家間のつながりのよわい、非常に雑多な勢力図を展開させる源ともなっていた。
 つまり“次元扉”は定期的に出現するものではなく、その往来にはつねに不定期の通行障害が生じる危険があったのである。これにより統一的な国家や連合政府の成立は完全に阻害されており、超光速航法が伝来されてながく経つ現在においても、状況は一進一退をくりかえしているのである。
 このことにより、政治的・軍事的にエル・エマド圏は連合や銀河帝国にくらべると非常に力のよわい、弱小国家の雑多なよせあつめにしかすぎないのだった。
「たいしたもの、どころではありませぬ」
 にえきらぬ王の態度に、憤懣やるかたない、といった風情で大臣はおおげさにからだ全体をふるわせた。太鼓腹がぷるるとふるえる。まるでプディングのようだ。
 いつもながらみごとな腹だ、と王はひそかに感嘆した。
 そんな王の心中にはまるで気づかず、大臣は言葉をかさねた。
「ラシナルの一個艦隊を壊滅させたとか、名のあるバウンティ・ハンターの襲撃を苦もなくかたっぱしからしりぞけたとか、ハムトでは追撃にかかった機動警察を皆殺しにしてしまったとか、その手の噂ならこと欠きませぬ。なんでもシャフルードという男は、死神のように黒ずくめのかっこうをして、立ちふさがる者は幼児であろうとまるで情け容赦なく死の鉄槌をくだす人非人だとか。たったひとりで連合宇宙軍歩兵部隊を壊滅させた、という話もあります。まさしく悪逆非道のならず者。まるで怪物のようなやつだ」
 うう、おそろしい、と大臣はひとり、ぷるぷるとその肉づきのいい頬をふるわせる。
「噂はよい、リダーよ」王は苦笑をおしころしながらいった。「噂には尾ひれがつくものだ。そのシャフルードという男、とにもかくにも地球人であることはまちがいないのだろう? ならば、怪物などがでてくる道理はありえぬわ。それよりもティギーン、その盗賊め、すでにこのサディレシヤに侵入をはたしたのか?」
「たしかなことは、まだなにも」将軍は冷徹な口調でいった。「宙港で惑星サディレシヤへの入星者リストを洗わせています。憶測ですが、ふたりの不審人物がピックアップされました」
「ふむ。で?」
「ひとりは、奇怪な白いマスクをかぶった異様な風体の男です。入星管理局の職員が十日ほど前に目撃したのですが、見た目はともかく、パスポート、ヴィザ、また所持品などにもいっさい不審な点は見あたらなかったため、審査はパスさせたようです」
「マスクか。どんなマスクだ?」
「残念ながら映像は残っていません。が、シャフルードの仲間のひとりに“千の顔”のシヴァと呼ばれる男がいるそうです。その男がやはり、表情のない異様なマスクをかぶっているのだ、と。これはあくまで噂ですが」
 ふん、と大臣が鼻をならす。
 それは無視して、王はさらに将軍に問いかけた。
「その不審人物だが、マスクの下はどうなっていたのだ?」
「人工皮膚でおおわれていたそうです」将軍は無表情にいった。「なんでもひどいやけどを負ったためだということですね。職員の話では、マスクよりもさらに無表情で、不気味な面相だったとか」
「なるほど。その人口皮膚の下、透視画像はとらなかったのか?」
「残念ながら、そこまでは気がまわらなかったということでした」
「リダー、その職員はくびにしろ」こともなげに王はいった。「公の場からしめだせ。厳戒態勢の意味がわからぬ愚か者などに、国家事業にかかわる仕事につかれていては話にならん。わかったな」
「は……ははあ」
 とつぜん自分にふられて、大臣はうろたえ気味にかしこまった。
 そのときにはすでに、王は将軍にむきなおっていた。
「で、もうひとりは?」
「名前などははっきりと特定されてはいません」
 無表情にいいはなたれた将軍の言葉に、王は眉根をひそめて顔をあげた。無言のまま、説明を求める。
「これは、ファンタム型戦艦らしき艦影が観測されたのとおなじころ、七日ほど前のことですが、管理局のダストシュートから銃が発見されたのです。指紋などはいっさい検出されていません。ききこみの結果、不審な人物がダストシュートに何かを捨てていたという報告が入りましたが、通りがかりのことでくわしい人相風体はわかっていないのです。性別は女。年齢は標準時(U・T)で二十前後と推定。背かっこうに特徴は見られない、顔は直接見なかった、とのことです」
「なるほどな」
「これも噂の域をでませんが、シャフルードの仲間にはラエラという名の、射撃の名手の女がいるそうです。あるいは、その女である可能性も」
「ラエラ、か。その名の女はチェックしたのか?」
「はい。ですが、めずらしい名前ではありませんので」
「だろうな。それに本名で入国しているともかぎらん、か」
「もちろんマークはしていますが、さける人数に限界もあります。ラエラ名義で入星したうちの何人かは、現在位置を特定できない状況にあります」
「怠慢きわまるぞ、将軍」またもやリダー大臣が高飛車にいいはなった。「たかが女にだしぬかれるとは、いい面の皮だな」
 ティギーン将軍は顔色ひとつかえぬまま、おだやかに頭をさげた。
「よい」王は大臣の饒舌がはじまりそうなのを、視線で制した。「ほかにはあるか?」
「いまのところはそれだけです」
「なんともたよりない情報ばかりですな」王の視線に気づかなかったのか、重ねてリダー大臣は口にする。「ありふれた名前の女がひとりに、仮面の男、か。その仮面の男のほうはどうしているのだ。ん?」
「これも見失いました」
 なに、と目をむいたのは、今度ばかりはリダーだけではなかった。骨つきの肉を口もとにはこびかけた姿勢のまま、王もまたティギーンの顔をにらみあげる。
「申しひらきのしようもありません」将軍は無表情にこうべをたれた。「こちらは、あきらかに尾行をふりきられました。私の部下の落ち度です。むろん、責任は私にあります」
「あたりまえだ、この無能者め」
 ここぞとばかりにリダー大臣が罵詈雑言をあびせはじめた。
 将軍はそれには直接とりあわず、ただふかぶかと頭をたれて王の裁定を待つ。
 王はしばし威圧的に将軍をにらみつけていたが、ふいにふたたび手にした肉にむしゃぶりついた。
 ばり、と乱暴なしぐさで肉片をかみちぎってむしゃむしゃと咀嚼し、かたわらに侍す将軍をふたたび、じろりとにらみあげる。
「全力をあげてその男のゆくえをさがしあてろ」抑揚を欠いた調子でいった。「そのほかの兆候もさがせ。なんとしてでも、シャフルードとやらをとらえて、おれの前にさしだすのだ。死体でもかまわん。いけ」

 

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