黒髪に闇色のターバン。ゆるやかに波うつ黒い風よけ(パトウ)に長身をすっぽりとつつみこみ、その下には赤を基調とした幅のひろい飾り帯に、ブラックメタルのブラスター。
 ──裏街の娼婦街でささやかれる、伝説の盗賊の風体だ。名前はシャフルード。盗賊ジルジス・シャフルード。多くの人々がこの名前を知っている。
 氷河を凝縮して造形した宝石のような、冷徹な黒い瞳。その瞳に地獄を宿し、死と恐怖を降りしきる雪片のようにふりまく男。
 シャフルードの前では、どんな頑丈な扉も娼婦のようにみずからすすんでその足をひらく。どんな鉄壁の護りも赤子の集団よりなお無力。
 灼熱の炎と底知れぬ深淵を友とし、暴虐と冷酷を手にして歩き、死神と同衾して生きのびてきた。その口もとにはつねに冷笑がうかび、そのあとにつづく道にはいつでも、血まみれの死体が累々と横たわる。
 盗賊シャフルード。
 多くの人々がこの名前を知っている。もっとも、多くの人々が、この名前の人物は架空の存在であると信じている。
 この名をもつ男に現実に出会った、ごく一部の者たちをのぞいては。
 そして、その稀有なる経験にあずかった人々のうち、やはり多くの者たちは──その名をひそやかに口にするのだ。恐怖と嫌悪と、そして果て知れぬ闇への畏敬とをもって。悪魔、死神、野獣、地獄の王、そういったものとまったくおなじ意味で。まるで、気軽にその名を呼べば、その名にまつわる不幸な結末そのものまでが、自分の人生におとずれてしまうのだ、とでもいいたげに。
 では、現実にこの盗賊に出会った稀有なる体験をもつ者たちのうち、さらに残りの、ほんのひとにぎりの人々は、この男のことをどう考えているのか。
 そのひとつが、この物語だ。
 

 

 

盗賊シャフルード・シリーズ

 

『銀の砂漠の盗賊』

 

 

 

    憂愁の姫君

 姫君は砂漠を見ていた。夜だった。延々とつらなる荒涼とした起伏を、月がまぼろしのような金色にあわくかがやかせていた。
 姫君は、そんな砂のつらなりに魂をさらわれてしまったかのように、遠い視線をしていた。
「なにを見ている、サフィーヤ」
 ふいに背後からかけられた声にも、姫君はおしだまって人形のように無反応のままだった。
 あるいは、ザハル王が静かに室内に歩み入ってきたときから、姫君は気づいていたのかもしれない。激烈な継承者争いを群をぬいた統率力で制して玉座をもぎとった歳若き王は、音ひとつ立てずにいても、ただそこにいるだけで圧倒的な存在感をただよわせる。しなやかで、優雅で、そして自信にみちあふれた若々しい身ごなしは、いつものようにほこりたかき野獣を思わせて物理的な圧迫感をさえ発散する。
 そしてそんな王の入来を、やわらかな沈黙でもって姫君が迎えたのもまた、いつものことだった。
 はるかな視線が、王宮の外に果てしなくひろがる砂漠にあてどなくそそがれる。その目がそうして小ゆるぎさえしないのを見て、王の精悍な顔貌は瞬時、かなしみにゆがむ。
 だが王はすぐに威厳にみちた無表情をとりもどし、姫君のとなりに立ってその華奢な肩にふわりと腕をまわした。
「なにを見ている、サフィーヤ」
 そしてふたたび口にする。
 サフィーヤ姫は黙したまま、しばらくのあいだは、やはりあてどない視線を砂漠のかなたにおよがせていただけだった。
 が、やがて、夜の繊細な微粒子を破壊してしまうことをおそれてでもいるように、かぼそい声音で静かにこたえた。
「ふるさとを見つめております、陛下」
「帰りたいか」
 と王はいった。問いかけの口調ではなかった。
 姫君もまた、うなずくことさえしなかった。
 王は姫君を抱きよせようとする。
 彫像のような抵抗。
 かたくなな無表情は、魂を入れ忘れた氷の彫刻のようにうつくしく、ひえびえと凍てついていた。
 すこしでも王が力をこめれば、抱きしめるのは造作もなかったことだろう。
 だが王は、ふたたび哀しげにすこし眉をひそめただけで、それ以上むりに姫を抱きよせようとはしなかった。
「だが、そなたの故郷はもう、ここなのだ」
 そういっただけだった。
 それに対する姫君の反応も、沈黙だけ。
 そうしてふたりは、ながいあいだ黙りこんだままじっと砂漠を見つめていた。
 やがてふいに、王が口をひらく。
「そういえば、あやしげな盗賊がこの星系に侵入してきたという噂があるのだ。知っているか?」
 問いかけには、おもしろがっているようすがありありとうかんでいた。
 姫君は気をひかれたふうもなく無言のまま、ただ窓外をひたすら見つめる。
 王はさきをつづけた。
「なんでも、その盗賊のねらっている獲物というのは、サフィーヤ、そなたなのだそうだ。エル・エマドでも屈指の美姫を手に入れようなぞ、趣味はいいが無謀にすぎる。なにしろその美姫を護っているのは、これもエル・エマドでも屈指の王たるこのおれなのだからな」
 自信にあふれた声で笑った。
「なんといったかな、その無謀な盗賊の名は。なんでもずいぶんと有名な、伝説の盗賊らしいが。ううむ、シャフ、シャフル──」
「シャフルードです、陛下」そのときようやく、姫君は重い口をひらいた。「ジルジス・シャフルードです」
「ああ、そうか。たしかそういう名だった。シャフルードだ、その愚か者の名は。なに、心配することはない。けちな盗賊風情になど、このおれがみすみすそなたをくれてやるわけがないのだからな。それとも──」
 と、王はふいに真顔になって、白磁のような姫君の横顔を見つめる。
 姫はまばたきもせず、かたくなな姿勢をくずそうともしないまま、遠く砂漠を見つめつづけた。
「それとも」王は、ささやくような声で静かにつづける。「いっそ、どこのだれとも知れぬ盗賊にでもさらわれたほうが、気が晴れるとでもいいたいか、サフィーヤ」
「おたわむれを」姫君はため息のような調子でいった。「わたくしはただ、ふるさとへ帰りたいだけです。兄上の待つ、遠い遠いわたくしのふるさとへ」
「そうか」
 ふ、と、王は姫君から視線をはずし、つぶやくようにそういった。
 そして、思いだしたようにつけ加える。
「だがそなたの故郷はもう、ここだけなのだ」
 疲れたような、重い口調だった。
 はっとして姫君は、はじめて王の横顔に視線をむける。
 それに気づいて王はてれたように笑った。そして自分にむけられた宝玉の視線を、じっと見つめかえす。
 その、かたちのいいあごに手をかけ、くちびるをうわむかせた。
「サフィーヤ。おれの姫君よ」
 吐息だけでささやきかけ、王は姫君にくちびるをよせた。
 ゆっくりと。
 姫君は拒まず、ただいつものように全身を石のようにかたくこわばらせただけだった。
 そして王もまた──いつものように、ふたりのくちびるがふれる寸前でその動作を凍結させ──
 苦い笑いで口もとをゆがめながら姫君のおとがいから手をはなし、砂塵の吹きあがる夜の砂漠へと、静かに視線をおよがせるのだった。
 ほう、と安堵の吐息をついて姫君が、あげていた肩をおとす。
 そして、静寂。
 沈黙の時間はふたりにとって、永遠にもひとしいながさだった。そしてふたりにとってその沈黙は、もはやなじみ深い時間でもあった。
 眼下に、街の灯がともる。
 王宮は丘の上にあった。丘のふもとには、この星で一番の都市ラグシャガート。そして大河ハシュヴァルをはさんで、広大にひろがるラグシャ砂漠。
 やがてまた、ふいに王が口にする。
「知っているか、サフィーヤ。このラグシャ砂漠には伝説があるのだ」
 放心したように顔うつむかせていた姫君が、はっとして王を見あげる。
 ザハル王は、砂塵にけぶる金色の月に視線をむけたまま、つづけた。
「“銀の夜”を目にした者は、ひとつだけ願いがかなう、という伝説だ」
「銀の夜?」
 不思議そうに目を見ひらいて、あけっぴろげな表情で、姫君は王の横顔をながめあげる。
「そう、“銀の夜”だ」と王はいう。「この砂漠にはな、シハヤという名の、特殊な粒子がふくまれているのだそうだ。特殊といっても、とくに使い道やなにかがあるわけでもない、まあなんの役にもたたぬ砂つぶとかわらぬようなものらしいが。そのシハヤがな。ある気象条件下に、世にも不思議な性質を示すというのだ」
「シハヤ、ですか?」
「そう。シハヤだ。まあ、その気象条件というのがどういったものなのかは、おれにはよくわからん。湿度がどうとか、月の光の角度とか電離層がどうとか、まあそういったようなことだそうだ。なんでも、五十年、あるいは百年に一度くらいにしかそういう条件はおとずれないらしい。それほど稀有な現象、ということなのだろう。おれも父王や大臣などから話にきかされているだけで、実際に目にしたことはない。が──そう、そういった、百年に一度の夜にこの砂漠はな。まるで銀色の雪でもふるように、一面にあわいちいさな、つぶのような光にみたされるというのだ。まあ、おれは雪、というのがどういうものなのか、見たことがないのでよくはわからんのだがな。サフィーヤ、そなたはどうだ。雪というものを知っているか?」
 笑いながら顔をむけた王に、姫君は目をそらしながら「はい」とうなずく。
「わたくしのふるさとでは、いつも雪がふっていました」
 そして、砂塵にけぶる夜のむこうがわまで見透してしまいたいとでもいいたげに、せつなげな視線をはるかな虚空に投げあげた。
 姫君のふるさとは、光の速度を超える星船でも幾日もかかるほど遠い星のかなたにあるのだった。
 そうか、と王はこたえ、姫君の視線を追うようにして夜空に顔をあげる。
 風にまきあげられた砂に、にじんだ月がぼんやりとした光をただ投げかけていた。
 そうしてまたふたりは長いあいだ、しわぶきひとつたてぬまま、深い夜をただ茫漠とながめあげているばかりだった。
 さらにしばらくして、王がいう。
「さて、おれは例の、シャフルードとやらいう盗賊のいぶりだしの件で臣下と話をしなければならん。軍の実質的な統率者でな、歳は比較的若いが非常に有能な、ティギーンという男がいるのだ。そのティギーンが、盗賊のことをいろいろと調べにでていたのだが、今夜帰ってきた。そなたのようすを見てから報告を受けるといって、待たせてあるのだ」
「それでは陛下、はやくおいきなさいませ。あまりお待たせしては、ティギーンどのがお気の毒です」
「ほほう、サフィーヤ、そなたはまるでティギーンのことを知っているかのような口ぶりだな」
 と王はおもしろそうに口にした。
 姫君はちらりと王に視線をやり、やはりかすかに口もとに笑みをうかべながらこたえた。
「ええ、よく知っています。わたくしの脱走を三度にわたって阻んでいただいたのが、そのティギーンどのですから」
「そうだったな」と王は苦笑した。「となれば、そなたにとっては仇敵のひとり、というわけだ。このおれとならぶ、な」
 自嘲のひびきはなかったが、それでも姫君はその口調に、かなしみを感じたような気がした。
 だが、姫君がふりかえるよりはやく、王は背中を見せて片腕だけをあげ、ゆったりとした足どりで姫君の居室をでていった。
「おれは自分の部屋でそなたを待つ。いつものようにな。気がむいたら、くるがいい」
 言葉をおきざりに、王は姫君の視界からその姿を消した。
 心溶かさぬ姫君が自分の部屋におとずれることなど、これまでとおなじように絶えてないであろうことをよく知っている、とでもいいたげな口調だった。
 姫君はため息をついた。安堵のため息。
 王のことをきらっているわけではない。ただ、なかばさらわれるようにして故郷からつれだされ、まるで鳥かごにとらわれた小鳥のようにこの王宮で心楽しまぬ日々をすごさねばならないのがかなしいだけだった。
 故星をしのぶがごとく、もういちどはるかな憧憬をこめて深い夜のむこうがわへと魂をとばす。
 ザハル王は、まるでかけがえのない宝玉をあつかうかのように、姫君をたいせつに遇してきた。心ひらかれぬかぎり、くちづけでさえかわさぬと誓っていた。婚礼の用意はいつでもととのっていたが、姫がその気になるまではと督促することさえなかった。その心づかいがうれしくないわけではない。
 ただ、サフィーヤ姫はその魂を、ふるさとにおきざりにしたまま、ここにきてしまったのだった。
「おにいさま……」
 と、はるかな虚空にむけてつぶやく。
 むろん、こたえが返ってくるはずもない。
 そして、まるでそのかわり、とでもいうように──
 こつり、と、何者かの靴音が姫君の背後で硬くひびきわたった。
 ぎくりとして姫君はふりかえり──

 

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