11
「バーズ、あなたはここで待っていて」
そういったマニエーゼに、無口な相棒は眉をひそめて何かをいいかけた。
が、つづく言葉に、だまってうなずくしかなかった。
「彼女は、とても美しいとはいいがたい姿なの。たぶん、彼女もあなたには自分の姿を見られたくないと思うわ」
どんなに醜くとも、心底愛した相手ならその姿を目にやきつけておきたいものだ、という感慨もおれの胸のうちにうかんだが、口にはしなかった。こんなむくつけき大男より、彼女の意志のほうが尊重されてあたりまえだろうと思ったからだ。
大男はなにかいいたげだったが、結局なにもいわずにうなずき、ロビーの長椅子の上にその巨体をちんまりと落とした。無口もこういうときは便利かもしれない。
かっぷくのいい院長に案内されておれとマニエーゼはエレベータに乗りこむ。
パネルのボタンにはふれず、院長は白衣から鍵束をとりだしてそのうちのひとつをパネル下部のさしこみ口にこじ入れた。
ひらかれた蓋の内部に、さらに鍵穴。
そこに院長が鍵をさし入れてまわすと、音もなくエレベータは下降をはじめる。
表示は地下三階までしかなかったが、もう二階ぶんをエレベータは下降した。
扉がひらくと、暗闇が出現した。
院長はむっつりとだまりこんだまま、ためらいもなくケージからふみだし、わきの壁に手をのばした。
灯りがともされる。
ながい、殺風景な廊下。いかにも病院の廊下、といった雰囲気だ。
そのいちばん奥までおれたちを先導すると、院長ははじめて口をひらいた。
「警察ざたにはしない、というからここまで案内したんだ。そのことを、くれぐれも忘れないでくれたまえよ」
口調は高飛車だが、その底におびえが渦まいていることをおれは感じた。保身に汲々、といったところだ。
おれとマニエーゼがそれぞれうなずくのを待ってから、院長は廊下のいき当たりにあるその部屋の扉に鍵をさしこみ、まわした。
ひらかれた扉を前に、おれはマニエーゼの顔をみる。
女は、真顔でうなずいた。
おれはさきに立ち、歩をふみいれる。
薄闇のなかに、いくつものパイロットランプ。色はさまざまだが、点滅しているものはひとつもない。
そのほかに、常夜灯が奥にひとつ。
その光にしらじらと照らしだされて――いくつものカプセルがあった。
黄色い液体を満々とたたえたそのなかに――“彼女”はいた。
内臓だった。
脳からはじまり、眼球や脊髄などの神経系、食道、胃、腸、それから肝臓、腎臓など……人体内部を構成する主な臓器がひとそろい、そこに整然と配置されてうかんでいるのだった。
「サッシャの妹か」
「マディヤ、という名前だそうよ」
名前があったのか、と一瞬、意外に思った。
「分離したときに、両親がつけたのだって。美しい名前ね」
「ああ。サッシャとおなじくらいな」
いってから、マニエーゼもいい名前だとつけ加えようとしたが、やめた。場にはそぐわない。
あの港の見える公園で、呆然と海を見つめてたたずむバーズにつきあって所在なく樹幹にもたれていたおれにマニエーゼから通信が入ったのは、あれからずいぶん経ってからだと思う。
けだるい気分で通信プロセッサをオンにしたおれに、彼女はサッシャの妹を見つけたと告げた。
しかも、このままでは病院の院長に訴えられそうだからはやくきて加勢してくれ、などという。
あきれたことに、ほんとうに病院に不法侵入をくわだて、あまつさえ院長がひた隠しに隠していた情報すらあばいてしまったらしい。
むろん令状はないので違法捜査、いや、捜査どころかただの不法侵入にしかならない。訴えるなどといわれればさあどうぞ、ともいえない状況だ。
あわててかけつけると、なぜか鄭重に院長室に案内され、苦りきった顔の院長とにこやかに微笑むマニエーゼに迎えられた。どうもおれたちがつく前に話がついてしまったらしい。
ぶすっとだまりこむ院長にかわってマニエーゼがした説明を要約すると、こうなる。
サッシャは本来、双子として生まれるはずだったのだ。
分離がうまくいかず、くっついたまま生まれてしまう例はよくあるらしい。外科手術で分離するのは簡単だというのだが、サッシャともうひとりの場合はすこし事情がちがった。生後しばらくするまで双子であることがわからなかったのだ。
生まれたときは健康な赤ちゃんだった。平均より体重も重かったという。それはそうだろう。ふたりぶんなのだ。
数ヶ月して、異状が発覚する。赤ん坊の背中に異様なこぶが隆起し、それが日をおうごとに肥大していったのだ。
しかも同時に、ウラド型免疫不全症が発症した。もちろん赤子は滅菌病棟に隔離される。
その上で、遠隔操作で背中のこぶの中身をのぞいてみると、異様なことに人間の内臓がワンセットおさまっていた。分離するはずの双子のかたわれが、姉の身体内部に癒着して、そのまま生まれてしまったのだ。
通常の場合であれば、分離するのに問題はない。内臓がワンセット、といっても生きていくのに最小限必要なものがそろっているだけで、手足や骨格や筋肉、皮膚などといった部分は形成されていなかったのは問題だが、それでも人工のもので充分代用はきくのだという。
ウラド型免疫不全症さえなければ。
姉のほうは、滅菌病棟のなかにさえいれば問題はなかった。分離された妹のほうは、そうはいかなかった。
人工臓器にさえ拒否反応を起こし、生命維持が困難なほど過敏な体質だったのだ。
人間としての器すら与えることができず、それでも母親の子宮内とまったくおなじ環境を整えてやれば、生きのびることだけはできたという。
倫理上の問題がまずあった。人間としてあつかうべきなのか。
だが内臓だけとはいえ、あきらかに生育していた。両親は、たとえカプセルのなかでだろうと成長させてやりたい、と訴えた。
医師は最初しぶった。生かしていくにはすくなからぬ資金が必要なのだ。そこで、取引を申しでた。書類上は、病巣として切除したことにしたい、と。
最初から思惑があったのかもしれない。ウラド型免疫不全症、分離異状、内臓だけでの生育の兆候、どれも医学的には非常に興味深い事態だったろう。対象に法律的な人格など認定されないほうが、たしかにやりやすいかもしれない。
両親は承諾した。せざるを得なかった。貧しかったからだ。
サッシャも、そしてマディヤも、延命させるだけでとてつもなく金がかかる。ウラド型免疫不全症がきわめて珍しい症例であることも災いした。福祉対象に入っていなかったらしい。申請すれば認定されたはずだとマニエーゼは憤慨していたが、貧しく無知だった両親はそんなことも知らなかったのだろう。自分のいうとおりにすれば治療費は心配しなくていい、などといわれれば承諾するしかなかったのだ。
そうして、子どもたちは成長していった。ひとりは隔離病棟で。そしてもうひとりは、数人の看護人と研究者をのぞいてはだれひとりおとずれることすらない、地下の秘密の部屋の、カプセルのなかで。
サッシャがなぜマディヤの存在を知ったのかはわからない。心的につながっていたのだ、とは院長の弁だ。双子が超心理学的に連結している例は数多く報告されている。訓練次第だが、素質としてはどちらかというとありふれたことなのだそうだ。
ともあれ、妹と夢で話したという幼いサッシャに、両親はあわてて口どめをした。マディヤの存在がおおやけになればただではすまない、とでも考えていたのかもしれない。
以来、サッシャは妹のことを、口にしてはいけない、禁忌の存在としてすりこまれることになる。
どちらにしろ、夢のなかで語らう姉妹は、精神的に未分化な、いってしまえばひとつの生きものに近い存在ででもあったらしい。
そしてふたりは思春期を迎えた。この時期にサッシャのほうの病状が一時的に消えたことは、おれたちも知っているとおりだったが、かわりのようにマディヤのほうが悪化した。一時は命もあぶなかったらしい。
このときマディヤは、サッシャにひとつの願いを託した。自分のかわりに外の世界を見てほしい、と。心的に連結しているマディヤにとっては、サッシャが見るものが自分の見るものでもあったのだ。
サッシャは願いをききいれ(あるいはその願いもまた、サッシャ自身のものでもあったのかもしれない)病院をぬけだし、街の背中に身をひそめて資金を集め、そして忌まわしい牢獄からすこしでも離れるために、べつの星へと旅だったのだ。
そのいっぽうで、マディヤのほうも奇跡的にもち直した。
ほとんど同時期、両親が事故でなくなる。消え去ろうとする愛娘の生命の身がわりにでもなったかのように。
サッシャもマディヤも、天涯孤独になった。
もちろん、病院がマディヤを生かしつづけたのは実験動物としてだ。そういう意味でなら、マディヤはたいせつに扱われた。
だが、マディヤの心はそこにはなかった。サッシャとともにあったのだ。
バーズとサッシャが、幸せな蜜月に酔いしれていたときにも。
異変が起こったのは三年前。ちょうど、サッシャが死んだときだった。
魂だけでも、つねにサッシャとともにいて外界を認識していたマディヤの意識野から、突然すべての刺激が断たれてしまったのだ。パニックにおちいったマディヤは、ながいあいだ狂気の淵にいたのだという。
ここで、ほかの人間との超心理的連結を確立するのが自然なのだろう。
が、奇妙なことにマディヤが最初にたどりついた外界への出口は、コンピュータの内部だった。
電脳空間、という言葉はフィクション内部だけでの話だ。電気信号だけで構成されたチップのなかに世界などないはずなのだが、ここからマディヤはコンタクトした。院長に。
マディヤに人格らしきものが生育していることは予測していたものの、サッシャが死んだいま、それが独自に動きはじめるとは院長も考えてはいなかった。どう対処すればいいのか途方に暮れたが、そこは計略を駆使してあわれな娘をひそかに実験動物として飼い殺しにするような人物だ。すぐさま極秘裏に研究チームを編成し、マディヤが特殊なタイプの精神感応力者(シャーイル)であることをつきとめる。おそらく、幼いころからサッシャに与えていた唯一の外界との接点であるコンピュータ端末が、電脳空間とマディヤをつなげる遠因となっていたのだろう。
研究対象は格段にその興味深さをました。チームは夢中で実験と訓練をくりかえし――
怪物を誕生させることとなる。