12

 マディヤのホナルの目――他人の心をのぞく能力は、人間にはほとんど発揮されることはなかった。この点ではよかったといえるかもしれない。院長以下の、愛情などかけらすらない非人間的な心理をのぞかずにすんだのは、一派にとってもマディヤにとっても幸運だったはずだ。
 かわりに、異形の能力が発達した。
 ――テレパシー投感者。投感テレパスともいう。実際にはそこに存在しないはずの幻影を、虚空に出現させる能力者をさす。
 めずらしい能力だが、前例はいくつか確認されている。ふつうの場合は、投感されるのは能力者自身の心的幻影だ。もっとも多いのは夢などが幻像となって投影される例だが、ときには幻影が能力者の代理となって外界をさまよい歩くこともあるらしい。
 マディヤの場合はこの範疇から、はみだしていた。
 幻影とマディヤの視点が一致している、という点には、ちがいはない。
 ただし、マディヤの投感するまぼろしは、マディヤ自身の心的風景とは限らず、それを見るものの精神世界を反映する場合があったというのだ。
 たいていの投感者のつむぐ幻影は、無意識になされる限りは、本人の恐れや不安といったものが多いという。この場合も、例にもれなかった。問題は――マディヤでなく、投感される側の無意識が投影される、という点だ。
 夢は睡眠時にみるものだ。うなされてとび起きる、という経験はだれでももっているだろう。それを覚醒時につきつけられたらどうなるか。――おれにとっては生々しい記憶に直結している。
 電脳世界を遊ぶとともに、マディヤはこの新しい能力についても磨いていった。
 だが、最初は新発見に驚喜していた院長以下研究チームも、やがて不気味に思うようになった。
 遊び程度ならまだいい。しかしマディヤの精神的激発にともなって能力が発揮されたら、どうなるのかは――想像は容易だ。
 それでももはやかれらには、マディヤのおそるべき成長をとめることは、できそうになかった。
 幸いにして――と表現すべきかどうかはわからない。かれらにとっては、ある面そうだったろう。マディヤの病状がまた徐々に悪化のきざしを見せはじめた。放置すれば、一ヶ月とはもたないだろう。
 ――ここでどんな判断が下されたのかはおれたちにはわからない。院長は頑として、マディヤの命をながらえるために全力をつくしたとゆずらなかったが、怪しいものだ。
 ともあれ、バーズとおれがこの星にやってきたのは、そんなころだったわけだ。
 ここからさきは推測が多くなる。
 バーズがおとずれたのを彼女がどこで知ったのかはわからない。電脳空間内部で情報としてそれを獲得したのかもしれないし、あるいは気まぐれに投感した遊離感覚で、夢幻の奥深くで愛しつづけてきた男をついに発見したのかもしれない。
 いずれにせよ、いまや自由にあやつれるようになった幻覚を駆使してかれの前に姿をあらわす、という選択もいまの彼女には可能だったはずだ。
 が、そうはしなかった。
 こわかったのかもしれない。希求しつづけてきた男性の眼前に、直接姿をあらわすのが。――それがたとえ、まぼろしの姿にすぎなかったとしても。
 マディヤはバーズをよく知っていた。知っていたどころか、サッシャとともに愛した男だったのだ。
 だが、バーズは自分を知らない、ということは理解できていたはずだ。サッシャが死んだときに、彼女は完全にひとつの人格、サッシャとはべつの人格として分離できたのだから。
 ともあれ、直接会いにいくことはできなかった。自分のほんとうの姿が、カプセルのなかの内臓のかたまりであることも意識していただろう。そしてむろん、自分の死が間近いことも。
 だから、メールをだした。バーズのボックスに、直接。
 もしかしたら、そのメール自体が彼女の分身であったのかもしれない。幻影が彼女の分身であるごとく、電脳内部の情報もまたそうであったのだという可能性は充分考えられる。
 マディヤがいつの時点で、バーズとの心中を夢想しだしたのかはわからない。
 おれをやつから引きはがそうとしたときには、その決心はかたまっていたことだろう。リーのときはどうだったか。彼女がリーを殺害した理由は、おそらくはやつがバーズ(と、彼女にとってはついでにおれ)を暗殺か何かしようとしている、と察したからかもしれない。むろん、ガリハのときはあきらかにバーズも、切迫した死の危険にさらされていた。
 マディヤがおれに対して殺意を抱いていたのかどうかは、いまとなってはわからない。どちらにしろ死にかけたのはたしかだが、もう彼女のしたことに関しては許せる気分になっていた。ま、リーやガリハはともかく、おれ自身は死なずにすんだのだ。
 どうあれ、自分の命が残り少ないことを知っていた彼女は、バーズといっしょにいくことを考えた。だが――そう。
 サッシャは、バーズの死を見たくないから、自分から彼のもとを去った。
 だがマディヤは――そう、幻影の“マディヤ”は。
 あのとき――港と夜景を背にしたあの公園で、たしかにマディヤは「彼女はこわがった」といった。
 自分のことを話しているのに「彼女」という言葉を、おれが記憶している限りではいちどだけだが、たしかに使用したのだ。「彼女は」バーズの死に直面することをおそれていたのだ、という文脈で。
 あのときはよく意味がわからぬまま、妙ないいかたをするものだと漠然と感じていただけだった。
 が、いまならわかる。
 あのとき――サッシャの姿を借りてバーズの前に立っていたマディヤが「彼女」と表現したのは、実は彼女――つまりマディヤのことではなく、サッシャのことだったのだ。
 マディヤ自身ももちろん、バーズの死をおそれてはいただろう。
 だが、マディヤのほうは、かれとは別れたくなかったのだとおれは思う。
 となれば、サッシャが彼のもとを去ったのは、マディヤの意志ではなかったことになる。
 夢のなかだけで対話する、未分化な魂だったはずだ。どこまでがサッシャで、どこまでがマディヤか、などと分離するのはあまり意味のないことなのかもしれない。
 それでも、バーズの死に直面したくないと思い、かれのもとを離れたのはサッシャ。
 ともに死にたいと夢想するほどバーズを愛したのはマディヤだったのだ。
 そしてなお、それでも、最後の土壇場で、その選択をできなかったのもマディヤであったのだと――おれは思いたい。
 いま、おれとマニエーゼの前にあるさまざまな機械装置は、どれも作動をやめている。
 マディヤのすべての生命反応がとだえたのが、ちょうどおれたちが彼女の幻影が消えていくのをなすすべもなくながめやっていた時刻であったのだという。
 そのときに、すべての機械も火を落とされたのだ。彼女の命とともに。
「幸せだ……って、最後にいってたぜ、彼女」
 カプセルのなかにひっそりとうかぶ“マディヤ”を見あげながら、おれはつぶやいた。
 うん、とマニエーゼはうなずき、おれの腕をとってその胸に抱いた。
 おれたちはそうしてしばらくのあいだ、静かにそこにたたずんでいた。

 エレベータの扉がひらくと、眼前にバーズがつったっていた。
「わ」
 とおれは飛びすさる。院長もマニエーゼも目をむいた。
 この野郎、ツラに似合わず、いても立ってもいられなかったのだろう。それでも無表情なところなど、いかにもバーズといったところだがよ。
「ばかやろう、びっくりさせんじゃねえよ」
 そう苦情をいうと、やつは「すまん」と抑揚のない低音であやまった。
 おれはヤツの肩を手あらく叩き、
「やっぱおまえ、会わずに帰れ。いってる意味はわかるだろう」
 説教くさくいってやった。
 瞬時の沈黙のあと、やつは
「ああ」
 とうなずいた。
 これも、こいつらしい反応だ。
「じゃ、いくか」
 とそろって玄関に向かい、せいせいしたとでもいいたげな顔つきで見おくる院長をだしぬけにふりかえり、
「おい。さっきの約束。忘れんじゃねえぞ」
 びっと、指さした。
 やつめ、逃げ腰で愛想笑いをうかべながらうんうんうなずきやがる。
「マニエーゼが証人だ。ごまかそうたってそうはいかねえからな」
 いい捨て、おれはふたりの背中を押して外にでた。
「約束、というのはなんだ」
 門をくぐってから、バーズがきいた。
「なに、彼女をちゃんと葬ってやれよって、釘をさしといたんだ。人体実験の事実を表ざたにしない条件で、マニエーゼの不法侵入をなかったことにさせたし、おおっぴらにゃできねえがな。超能力のやつを含めた、研究チームとかもふくめて、ちゃんと葬式をやっとけよってよ。マニエーゼも出席してくれるってから、彼女が見とどけてくれるだろうが――おまえもでるか? ここ二、三日中にとり行う、てんだが」
 バーズは、しばし沈黙していた。
 が、こいつにしては短い時間で反応を返す。
「いや。いい」
 へえ、と目をむくおれにやつは、わかるかわからないかくらいのテレ笑いをうかべて、いったのだ。
「もう見送った」
 と。
 一瞬、しんみりし、すぐに「へ」と口をゆがめる。ガラじゃねえ。
 それから、ひとつ、忘れていたことを思い出した。
「おいバーズ」
 無言で視線をむけるやつに、告げる。
「マディヤだ。彼女の名前は、マディヤだよ」
 バーズは立ちどまり、夜空を見あげた。
「マディヤ」
 静かに、そうつぶやいた。

                 *                 

「よおジュニーヴル、ひさしぶり。今晩食事でもどうだい?」
 声をかけると、ぽってりと厚ぼったいくちびるに色気たっぷりの同僚、ジュニーヴルは鼻で笑いながら、
「帰ってくるなりそれ? あんたもこりないね」
 半年ぶりの再会だ。永久刑事にもむろん本部はあるのだが、現場から現場へせわしなくとびまわっているのが常態なのでなかなか帰還する機会がない。ましておなじ刑事同士となると、偶然に出会える確率などおそろしく低くなる。今度こそ逃すもんかふふふ。
「もちろん、かわらぬ愛をいつまでもこの胸に抱きつづけているのさ」
 軽口をたたく。ジュニーヴルはあきれたように――それでもいくぶんかはうれしそうな声で、笑った。よし、悪くない反応だ。
 と心中ひそかにほくそ笑むおれの耳をふいに――だれかがいきなりひっつかんで、ひねりあげた。
「いててっ、いていていて、だれだ、ひい、許してくれやめろこの――わっ」
 耳をひっぱられたまま、すっとんきょうな声をあげてのけぞったのは、予想だにしない怒り顔をそこに発見したからだ。
「わ、じゃないわよこの浮気者。そうやっていくさきざきで声かけまくってるんだろうとは、予想はしてたけど。でも実際に見せられるとやっぱ、腹たつわね」
 いってマニエーゼは、軽からぬ強さでおれの額をごんとこづいた。
「マニエーゼ、い、い、いったいなぜここに」
「まあびっくり」驚愕にあとずさるおれの背後から、ジュニーヴルがいう。「ついにシドの本命があらわれたのかしら。それとも精算のやりそこない?」
「たぶん、あとのほうよ」すごい目つきでジュニーヴルをにらみつけながら、マニエーゼがいった。「本人はうまく捨ててきたつもりだろうけど、そうはいかないわ」
 挑戦的に、おれをにらみあげる。
「いや、べつに捨てたつもりはねえけど」
「じゃ、べんりな現地妻ってとこ? あいにくだけど、それほどおとなしい玉でもないの」
 にっこりと笑う。こわい。
 かたわらで、バーズがかすかに口端をゆがませていた。最近わかってきたのだが、こいつがこういう表情をしているときは、笑いをこらえているときなのだ。くそ。
 マニエーゼはにっこりとバーズに会釈をよこすと、ジュニーヴルに視線を戻し、
「そういうわけで、恋がたきになるのかしら? 先日、データ解析課に配属されたマニエーゼ・マッセリオです、よろしくね」
「ジュニーヴル・カーレオンよ。こちらこそよろしく」にっと笑ってジュニーヴルは手をさしだした。握りかえすマニエーゼに、「でも、恋がたきってのはぜんぜんちがうわ。興味ないもの、こんな軽いやつ」
「そう。よかった。でもいいところもたくさんあるのよ、かれ」
「でしょうね。今度時間があったら、きかせてくれる?」
「よろこんで」
 笑顔をかわしあう。多少、ホッとした。
 と、その油断を見すかしたか、いまや隣にならんだかたちのマニエーゼが、おれの尻の肉を思いきりつねりあげた。
「あいっ――」
「じゃ、またあとで。シド、あんたもそろそろ観念して、身をかためたら。いい感じじゃん、彼女」
 ジュニーヴルは、チュッとくちびるを鳴らしながらのウインクを残して、その場を去った。マニエーゼはにこにこと手をふる。おれのケツをひきしぼりつづけたまま。
「あ、あ、あの、マニエーゼ。痛いんでその、はなしていただけませんかね」
「なによ文句あるの? 痛くしてるんだから痛いのはあたりまえ」
「うー、そんな。データ解析課? あれから四ヶ月しか経ってないんだぜ」
「四ヶ月も経っちゃった、のよこの唐変木。四ヶ月もあんたを野放しにしてたら、どこで何をしてるかわかったもんじゃないとは思ってたけど、ほんっ、と、そのとおりよね。あまりにも想像どおりなんで、情けなさをとおりこしてうれしくなってきちゃうわ」
 ようやく指を尻から離してくれた――と思ったら、おまけのようにわき腹にこぶしをごつんと一撃。
 それにしても、スカウトされたわけでもないのにたったの四ヶ月で申請から審査までパスして入職してくるなど、異例のすばやさだ。分析部ならデスクワークだから、おれたち現場の刑事ほど厳格な評価基準があるわけでもないのだろうがそれにしても……。
 と驚きあきれて目を白黒させていると、ふふんとマニエーゼは笑う。
「びっくりして声もでないって感じね」
「そりゃそうだ」
 いったセリフが、なおもぼうぜんとした響きを帯びているのだから世話がない。
 あの事件のあった翌日には、昏睡状態にあったガリハの容態は急速に回復に向かった。まるで憑きものが落ちたかのように。まさしく、憑きものが落ちたのかもしれなかった。生死さえさだまらぬ容態だったのが、意識こそ戻らぬままとはいえ、一夜にして健康体に近い状態にまで一気に復してしまったのである。まさに電光石火。
 そこでしばらく様子を見ておけばいいのに、バーズの野郎めがくそまじめに管制官に逐一報告してしまったために、移送の手つづきをいいわたされてしまいあわただしく飛びまわってその日のうちに手配を追え、結局翌朝はやくにもよりの留置施設までいくことになったしまったのだ。
 おかげでマニエーゼとの“ラシュガート”でフルコースという約束も果たせなくなってしまった。そのことを宙港の出発ロビーで謝ると、彼女はしおらしげに「いいの」と潤んだ瞳でおれを見あげ、あとは言葉にならずに握りしめたちいさなこぶしをふるわせるばかりだったのだが――
「……あの涙のおわかれは、まさか演技だった、てんじゃねえよな」
 あまりにもあんまりな想像なので、自分でいいながら信じきれずに妙な口調になってしまったのだが、彼女はあっさりと、
「あたり。あのときにはもう、申請書類取り寄せてたわ」
 どう? と、顎をそびやかしながら得意げに笑う。
「とっとっとっ取り寄せてたって――」
 パニックになってどもりまくるおれの鼻さきを、ひとさし指でつんとはじいた。
 そしてマニエーゼは、微笑みながらいった。
「甘い想い出にひたりながら生涯を終えたくはないって。そう思ったから」すこしためらってから、バーズにちらりと視線を送り、「マディヤの話をきいてね」
「そのとおりだ」
 と、バーズの野郎、したり顔でうなずきながらしれっと吐かしやがる。むっつりしていても、内心で大爆笑しているのがおれにははっきりとわかった。えい、腹のたつ。
「とりあえず、“ラシュガート”の件はまだ有効よ。で、わたしの赴任祝いなんだけど」
「ちくしょう。矢でも鉄砲でももってこいってんだ」ついにやけくそになっておれは叫んだ。「赴任祝い? おおいいとも。なんだって好きなもんおごっちゃる。あの、職員食堂でいいですか?」
「もちろん却下。実はもういいレストラン、いくつかピックアップしてあるの。もちろんバーズもきてくれるわね? シドのおごりよ」
「おいおいちょっと待て」
「喜んでお供させてもらおう」
「わあうれしいわ。これからも三人で仲良くやっていきましょうね」
「おい、待てってのに」
「ああ。よろしく頼む」
「だから待てっての。おれの安月給のどこをしぼればそんな金が」
「あら、給料だったらもうあたしもいっしょよ。いいわけなんかさせないわ」
「ったって、おい、あのなあ」
「ではおれは車を調達してこよう」
「よろしくね、バーズ」
 おれの主張は完璧に無視され、話は勝手にまとまってしまった。
 バーズの背中が駐機場へとつづく階段の向こうに消えてしまうと、ふっていた手をとめてマニエーゼはおれを見あげ、にっこりと微笑む。
「わたしは本部。あなたは現場。まだ逃げる余地はたっぷりあるとか思ってるんでしょう?」
「い、いやまさかそんな」
 図星をさされてうろたえると、
「そうはいかないわ」にこにこと笑いながら、おそろしいセリフを口にした。「現場にもでられるようアピールしてるもの。管制官の試験も受けるつもり。いまロストっていう管制官のひとに、いろいろ教えてもらっているところよ。もちろん管制官になったら、あなたとバーズの担当になるつもり。でもやっぱり、現場でいっしょにチームを組んだほうが確実よね。でしょ?」
 一瞬真顔に戻って、「逃さないわよ」とつけ加えた。ああ。
「好きにしてくれ」
 おれは天をあおいで嘆息する。
「そんなこといって、ホントはうれしいくせに」
 いってマニエーゼは、おれの腕をその胸にしっかりと抱えこみ、あらためて微笑んでみせた。
 おれはため息をひとつつく。
 ま、悪くはねえ。
「しかたねえ。いきますか、姫」
「しかたねえってのは、なによ。いっときますけど、甘いキスのひとつでもしてやりゃおとしなくなるだろう、なんて考えないことね」
「へいへいわかってますとも」
 などといいかわしながら、おれたちは歩きだしたのだった。
 

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