6

 ICUにかつぎこまれたガリハは、ただちに延命処置をほどこされた。医師の所見では致命傷はどこにもない、ということだったが、にもかかわらず回復する様子はまるでない。死のふちをただよいながらもガリハがかろうじて生きながらえているのは、リーとちがっておそるべき精神力を要する職業柄なのかもしれない。
 いずれにせよ、おれたちにできることはもう何もなかった。管制官に連絡すると、ガリハの回復を待ってしばらく待機するようにとの指示がくだる。せめてもだ。ここでガリハにあっさり死なれた場合、そのままつぎの仕事にシフト、という可能性も濃厚だったのだ。これですこしは休めるってもんだ。
 ぶったおれそうな気分のところをむりやり鼓舞して、遠慮したがるマニエーゼをむりやり食事につれだす。約束の“ラシュガート”は予約を入れていなかったので、近場のイタリアンレストランでまにあわせることにした。そのことについてマニエーゼは文句はいわなかったが、ひどくおれの状態を懸念していた。
「だいじょうぶだ」おれはいった。「永久刑事やってりゃ、この程度のことなんざ日常茶飯事なんだ」
 ばかいってるわ、とマニエーゼは心配そうに笑ったが、強がりだってのはあからさまにバレてただろう。実際のところ、肉体的にはともかく、亡霊に被疑者をなぶりものにされるなどという経験はさすがに精神をいちじるしく消耗させる。
 それでも、いつ帰還命令がくだるかわからない状態なのだ。いい女とすごせる時間を一刻でもむだにはしたくない。
 なえかかる気力をむりに鼓舞してバカ話を披露し、むりやりマニエーゼの緊張をといてからおれは、バーズのむかしの女の件に関して話題を移す。“サッシャ”の故郷が当地であるときいてマニエーゼも、ほんとうに興味をひかれた様子を見せた。
「ウラド型免疫不全症、だったかしら。わたしは知らないけど、そんなに珍しい症例なら記録が残ってるでしょうね。妹さんもおなじ病気だとしたら、たぶんすぐになんらかの情報は手に入ると思うわ。医者をつかまえて、くわしい話をきいておきましょうか?」
「いや、それはおれがやる。どうせガリハが死ぬか回復するかまで、やることはねえんだ」
 とおれはいったが、
「だめよ」言下に否定されてしまった。「第一に、あんたはぼろぼろ。ほんとに休息をとらなきゃ、ガリハの前にあんたのほうがぽっくりいっちゃいかねないわ。第二に、ガリハの身柄はすでに確保されてるんだから、永久刑事としてはあんたたちは聞きこみできる立場にはないもの。地元の刑事ならどうにでも動けるけど、あんたたちじゃ妙な動きしたとたんに本部に苦情がとぶことになるわ。だからこの件はわたしにまかせなるしかないの。わかった?」
 フォークを鼻先につきつけられ、しぶしぶうなずく。
 とめるマニエーゼをむりやり説き伏せあちこち呑み歩き、へべれけに酔ったふうを装ってシティホテルにひきずりこむ。もっとも足もとさえさだまらない酔っぱらいのふりをしていたのだから、どちらかといえばマニエーゼがおれをひっぱりこんだかたちに傍目には見えただろう。
 苦笑するマニエーゼにむりやりシャワーを浴びることを承諾させられ、ずぶぬれの猫みたいにしおたれてベッドにたおれこむ。かわって女がシャワーを浴びているあいだ、おれは電気もつけずにぼんやりと天井を見あげていた。
 酒精が脳内をかけめぐって視界はぐるぐると回転するが、頭の芯が冴えわたっている感覚だった。
 やがて、さだまらぬ視界もおちついてくる。
 ため息とともに暗闇のなか上体をおこし、痛む頭を抱えこんだ。
 ふと顔をあげる。
 気配を感じたからだった。
 胸の奥深くで、なにかがぎゅうと音をたてて収縮した。
 いるはずのない人物がふたり、眼前にたたずんでいた。女と子ども。忘れられないふたつの顔。
 そんなばかな、とうめきかけて、同様のセリフをたてつづけに二度耳にしたことに気がついた。
 リーと、ガリハも、いまのおれとおなじ気分だったのだろう。
「シド。刑事なんてやめてっていったでしょう」
 なつかしい顔が、底しれぬかなしみをうかべてそう告げた。その腰あたりにしがみついたちいさな男の子が、無言でおれを見つめる。責めるような視線で。
「ちくしょう」
 おれはこめかみを抑えた。視線をそらそうとする。だが、吸いついたように離れない。
「ちくしょう」もういちど、うめく。「どこのどいつだか知らねえが、なぜこんなことをするんだ」
「待ってるんだよ」男の子があどけない口調でいった。「はやくきてよ、おとうさん」
「ケイン……いや、ちくしょうめ。おまえたちはもう死んでるんだ。わかってるぞ。幻覚だ。にせものなんだ。どっかへいっちまえ」
 血の言葉を吐きながら、おれは枕もとに隠した銃をひきずりだした。セイフティをはずし、ひきがねに指をかける。
「シド」
 女がいって、一歩をふみだした。
 気がつくと、おれはトリガーを引きしぼっていた。
 火線は、女のゆたかな胸をつらぬく。それでも、前進する足をとめることはできなかった。
「シド。あんな死にかたをしたあたしたちを、あなたはまだ殺そうとするのね。わかっていたわ。あなたは人非人だって。ひとの心がないのよ。ただの殺戮機械なんだわ」
「だまれ。おまえはにせものなんだ。ほんもののリナは、そんなことはいわない」
「いいえ。あたしはいいたかったのよ。ひとでなしって。さんざん心配をかけさせたあげく、事件にまきこんでひどい死にかたをさせて。ケインは、この子は三つだったのよ。それが、あんなふうに」
「やめろ!」
 おれは叫び、ひきがねをしぼる。
 苦痛は、胸の奥からやってくる。妨げるすべはまるでなかった。おしころしていた後悔と無念が抑えようもなくあふれだし、暴虐におれを責めたてる。
「シド、すべてあなたのせいよ。だからいらっしゃい。あたしたちのところへ。ここにくればもう後悔に苦しむことはないのよ。また親子三人で静かに暮らせるわ。いらっしゃい、シド」
「おとうさん。はやくきてよ」
 声が重なり、反響した。ふたたびまわりはじめた視界を無数の女と子どもが占拠し、はやくここにこいとくりかえす。
 おれは激しく首を左右にふる。それが、めまいを助長する。妻と子の姿がぐるぐるまわる。まわりながら、その顔面から皮膚が溶けただれて落ちていく。顔筋が収縮し、むきだしの歯ががちがちと音をたてる。いらっしゃい、はやくおいで、くりかえされる言葉が不協和音をともなって頭蓋内部で反響する。
 いまやふたりはドクロになっていた。ドクロのままで、おれの周囲をぐるぐるまわる。なぜだ? 目を閉じているのに、なぜ見えるんだ。おれは夢を見ているのか。それとも。
 まわりつづける。ここはどこだ。そうか。地獄か。地獄なんだ。抱えこんできた悪業がめぐりめぐって、ついにおれはこんなところにきちまったんだ。痛い。頬が痛い。だれだ、おれの頬をうつのは。もうおれを苦しめるのはやめてくれ。苦しみたくはないんだ。地獄でいい。終わりにしたい。忘れたい。忘れて、もういちど妻と子と平和に暮らすんだ。楽になろう。楽になりたい。楽になりたいんだ。もううんざりなんだ。
 うわごとのようにくりかえしていたのだろう。
 ふと気がつくと、マニエーゼの泣き顔が眼前にあった。おれは呆然と半身を起こす。
 きょとんと見かえすおれを見て一瞬マニエーゼは絶句し――感極まったかふたたび、声をあげて泣きだした。
「ばか、あんた、底なしのばかよ。どうして死のうなんてしたのよ。このあたしの目の前で。冗談じゃないわ。どこかへいってしまうんならまだいい。まだがまんできる。でも死なれたら、どうしようもないじゃない。いいかげんにしろ、この低能」
 泣きながらマニエーゼは、おれの首に腕をまわしてしがみつき、そのままぶんぶんゆさぶった。
 夢見心地でおれは、されるがままになる。気がつくと、枕わきに銃がおちていた。なぜとり落としたのだろう。そして――亡霊は……?
 ぼんやりと四囲を見まわすが、妻と子の姿はどこにも見あたらなかった。おれはどうしていたんだ、とつぶやくように問うと、またひとしきり泣きながら悪態をついたあと、ようやくマニエーゼは説明してくれた。
 銃声におどろいてとびだしたマニエーゼは、罵声をあげるおれと、そして妖怪じみた容貌のふたりのひとかげを見た。化物にむけて手近の置き時計を投げつけてみたが、立体映像のごとく時計はすりぬけただけだった。しばしあっけにとられたが、化物は無視することにし、おれにむかって話しかけてみる。が、そのときのおれは、彼女などそこにはいないように無視したまま、化物どもといいあいをしたあげく、しだいに魂をぬかれたようにぼんやりとなっていき、とつぜん手にした銃を自分の口にくわえてひきがねをひこうとしたらしい。
 必死になって銃把からおれの手をひきはがし、半狂乱で左右の頬をめったうちにするうち、ようやくおれも抵抗をやめて力がぬけたのだそうだ。
 いくら警官とはいえ、このおれから銃をむりやり奪うなどよくできたものだとなかば感心、なかばあきれながら述懐すると、彼女は恥ずかしそうな顔をして必死だったのよ、とつぶやき、ようやく笑顔を見せた。ちなみに化物どもはいつのまにかいなくなってしまっていたらしい。
 幸運だったのは、化物どもに気をとられておれがマニエーゼにはいっさい暴力をふるわなかったことだ。格闘にでもなれば、いくらマニエーゼが必死でもただじゃすまなかったにちがいない。
 それでも、忘れていたはずの傷みをむりやり刺激された記憶はなまなましかった。
 楽になろう。楽になりたい。もううんざりだ。……虚空を見つめながらおれは、そうつぶやいていたのだという。覚えのあるセリフの羅列だった。
 二年前。初めてバーズと会ったころ。まだ永久刑事になる前、ある惑星の都市警察で、組織の尻尾をつかもうと躍起になっていたときのこと。
 巨悪を追いつづけていた。追いつづけて追いつづけて追いつづけて、ようやくその頭を叩きつぶせる目途がたったとき。
 妻と、三つになる子どもが敵の手に落ちた。
 相手は脅迫の材料に使うつもりだったらしい。思惑は外れた。おたがいに。
 おれが死にもの狂いで切り崩しにかかっていたおかげで、組織の人材は枯渇しかかっていたのだ。ろくでもねえチンピラどもが妻と子の監禁にかかわっていた。殺さなけりゃいいのだろう、と、妻を犯し、息子を遊び半分でなぶりものにした。生爪をはがし、髪の毛をわしづかみにしてひきぬくなどの拷問まがいの行為を無意味にしやがったのだ。
 拷問てのは加減しだいだ。ある意味じゃ、しろうとが手をだせる領域じゃない。まして、相手は子どもだった。ちょっとした手ちがいで――と、のちにふんづかまえたチンピラはへらへら愛想笑いをうかべながらいったのだ。ちょっとした手ちがいで――息子はあっさり命を落としてしまった。
 半狂乱になった妻は、チンピラどもがとめるいとまもなく壁に思いきり頭をぶつけて、即死したという。
 そのことをつきとめて、おれは怒り狂った。まず、そのくそチンピラ野郎の頭蓋骨を一撃で蹴りつぶして絶命させた。ほかのやつらもめちゃくちゃに蹴り殺した。
 それから復讐の念にこりかたまってがむしゃらに突進し、虫の息だった組織を壊滅に追いこんだ。
 残ったのは、虚無だ。
 目的を一気にうしない、この世でいちばんたいせつだったものもすでになく、生きる気力が根こそぎ奪われていた。
 あのころおれは、死神と呼ばれていた。おもしろくもねえ呼び名だった。おれは死にたがっていたのだ。死にたいから、危険な目に自分からつっこんでいった。
 皮肉なことに、ためらいがないぶん冷静でもいられた。ただの強盗から何から、犯罪者どもをつぎつぎに追いつめ、抵抗力を奪い、そして多くをなぶり殺した。
 これだけ暴れりゃ、反撃もすごいだろう。そう思って暴れれば暴れるほど、こわいもの知らずの凶悪なやつらまでがおれの顔色をうかがうようになった。殺されるよりゃぶちこまれたほうがまし、とでも考えたのだろう。おれに目をつけられたとうわさが立っただけで、逃亡するならまだいい、自首してくる凶悪犯まででてきやがった。
 そのころに、心のなかでいつもつぶやいていたセリフだった。楽になりたい。うんざりだ。
 ちぎれとぶ、寸前だったのだ。凶悪犯どもも、あと一歩おれを追いつめていれば、勝手に自滅しただろうにおしいことをしたものだ。
 そのころに、バーズに出会ったのだ。
 得体の知れない永久刑事。口数のすくない、何を考えているかわからないタフガイ。
 そんなあいつが、死んだおれの息子とおなじくらいの年齢の幼女をたすけるために、死にかける姿を見たのだ。
 それで、おれは力をとり戻した。生きる気力をどうにか絞りだすことができたのだ。
 だから、忘れていた。あんな気分になっていたことに。
 いや。
 忘れたふりをしていただけなのかもしれない。
 心の奥底の暗部におしこめただけの感情は、いまなお増殖をくりかえしながら、出口がひらくのを待ちつづけていたのかもしれない。
 それを、あの亡霊は刺激したのだろう。
 おれはくちびるをかみしめて、あけていく夜をながめやる。
 哀しみ。怒り。反抗心。うずまく感情をもてあましたまま、泣き疲れて寝息をたてるマニエーゼの肩を抱いて朝を迎えた。
 亡霊だかなんだか知らねえが、ただじゃすまさねえ。

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