5
「上だ、バーズ!」
叫ぶのと同時に、熱線が相棒の肩を灼いた。巨体がすばやくころがる。だが無事ではないだろう。がん、がん、と何かが音を立てて床に落ちた。銃か? ――バーズの?
反射的に、おれはとびだした。トリガーをひく。やもりみたいに壁にはりついたガリハが、とんだ。床にはう。見えなくなった。ただでさえ光量にとぼしい。低い位置からだと、ねらい撃ちにされる。
おれは跳んだ。
くそ、腐っても殺し屋だ。廃工場内部で追いつめられたときのことを、やつは想定してやがった。手足に垂直壁でも登坂できる吸盤を装備してたのだ。
追撃は一時断念し、防御に専念。壁のむこうに身を隠し、銃をかまえる。
「銃をとったぞ、永久刑事!」
ガリハが、初めて口をひらいた。――勝ちほこって。バーズがとり落とした銃を、確保したのだろう。
「でてこい、でかいほう。おまえはもう丸腰か? それとも、予備の銃でももってるのか? どっちでもいい。おまえは足を痛めてるだろう。見てりゃわかるぜ。でてこいよ。おれとガンファイトしよう」
楽しげに宣言する。くそ野郎が。
「おちつけ。おちつけ」
おれは低くつぶやく。アタマに血がのぼりかけている。このまま飛びだしても、勝ち目はねえ。銃のエネルギー残量を確認する。残り少ないことに気づいた。たしかに舞いあがっちまってる。あぶないところだった。セイフティをかける。銃口の熱対流のおぼろなゆらめきが、ゆっくりと霧消していった。ロックを外してカートリッジをぬきとる。
新しいカートリッジを装着しようとして――
カキキ……
後頭部に、音をきいた。死神の跫音。
「終わりだ、永久刑事」
くそ、とおれはうめいた。バーズをマトにした、と宣言して、おれの油断を誘ったのだ。どうしようもない。一瞬後には、後頭部から脳を灼かれておだぶつだろう。
目を見ひらいた。恐怖に目をかたく閉じるなんざまっぴらごめんだ。死に際の光景をやきつけてやる。
待った。
が――
死神の咆哮は、いつまで待ってもやってはこなかった。
じらしてるのか、と一瞬思ったが、プロの暗殺者にそれはあり得ない。
どっちにしろ、死ぬんならおなじだ、と腹を決めて、おれはふりむいた。
銃口にゆらめくエルフィード反応の燐光は、その射線を微妙におれからずれさせていた。
考えるよりはやく、おれは装着しかけたカートリッジを一気にぶちこみ、セイフティを外し、トリガーをひいた。
ぼうぜんと何かを凝視していたガリハも、すかさず応戦にうつる。この反応はさすがだ。かろうじてトリガーをしぼりきったが、直後に手の甲に爆発するような痛みを感じて銃をとり落とした。
おれの銃撃は、狙いを外れた。おなじ位置、ガリハの利き腕を狙ったのだが、敵の反射がそれをそらす。わき腹をかすめた。だが致命傷にはほど遠い。対して、暗殺者は銃を保持したままだ。
今度こそ終わりかな、と心中あきらめかけたが――
ガリハの視線は、ふたたびおれからそれていた。
銃をひろいに走るか、と一瞬考えたが、たぶんその瞬間に眉間を撃ちぬかれるだろうと思い、やめにする。ほかに道がなければそうしただろうが――すくなくとも、いまこの瞬間は、やつの注意は完全におれから外れていた。不用意な行動をとれば、それを引き戻してしまうだろう。
なぜかプロであるやつにとって、眼前のおれよりはよほど切迫した脅威があるらしい。――おれの背後に。
ゆっくりとふりかえる。状況打開のため、というよりは、単なる好奇心。
まただ。
リーのときとおなじだった。いや、暗闇のなかだけに、よけい際だっている。
額。のど。左胸。無惨に焼け焦げた大穴をうがたれた若い女が、地獄の笑みをうかべながら、青白い燐光を全身から燃えたたせてたたずんでいるのだ。
リーのときにはかたくなに思いうかべるのを拒否していたある言葉が、おれの脳裏をかすめすぎる。
亡霊。
「ばかげてる」
ぼうぜんと、ガリハがつぶやく。銃をなくしたとはいえ、まだまだ危険を秘めた敵を眼前に、プロの殺し屋がとる態度でも言葉でもなかった。それだけ衝撃が強かったのだろう。
「おまえがここにいるはずがない」
「殺したのはあなただものね」
女がいった。ごぽごぽと、何かが異様な音を立てた。
「ばかげてる」
もういちど、殺し屋はつぶやいた。
「でも、現実よ」
またもや、破れた配水管から気泡まじりの水がはじけるような音。
否。音だけじゃない。
暗闇につつまれた廃工場内で、女の全身だけが燐光にうかびあがっている。
そののどもとにうがたれた穴から、血泡がぷつぷつとわきだし、女が声を発するたびにはじけているのだ。
もういちど、亡霊という言葉がうかぶ。
「ばかげている」
つぶやくようにいって――おもむろに、ガリハはトリガーをひいた。
ふたつ、みっつと、火線が燐光を発する女に放たれる。
灼け焦げた穴がそのたびに増えていく。女の姿が前後にゆらめく。だが、たおれない。
「だめよ、ガリハ。あたしはもう死んでいるもの。隠れみのに、むりやりあんたの女にされて、邪魔になったらなぶり殺し。もうこれ以上、死ねないわ」
笑いの発作が、腹の底からあふれだしてきた。眼前の光景を、理性が受け入れることを拒否しているのだ。狂的な反応をおれはむりやり抑えこむ。
女が、ゆっくりと腕をあげた。その手のなかに、まぼろしのように何かがうかびあがる。
銃。
熱対流の燐光が、銃口をゆらめかせる。ぴたりと、ガリハの眉間をポイントした。
「死んでよ、ガリハ。死んで、あたしをもういちど愛して」
女がいって、トリガーに指をかけた。
それがひかれる寸前――
「シド!」
叫びながら、バーズがとびだしてきた。
床に落ちたままの銃を手にし、ひきがねをひく。女の、亡霊にむけて。
エネルギー束が――すりぬける。立体映像をでも銃撃したかのように。
実体がないのだ。だが、それならなぜガリハの放った熱線は、彼女に穴をうがったんだ?
疑念に対する答えはなく、女はバーズもおれも、完璧に無視した。
ひきがねをしぼった。
青白い光条が、ガリハめがけてとびだした。
うめきながらガリハは床にころがる。顔が、泣き笑いのかたちにゆがんでいた。たてつづけに手にした銃を撃ちまくる。標的はたたずむ女。完全に、おれたちのことなど忘れている。
ガリハがひきがねをしぼるたびに、女のからだに穴があいていく。次第に、人間の原型をとどめなくなっていった。それでも女はたおれない。ゆらゆらと前後にゆらめくだけで、ころがるガリハを追ってゆっくりと銃口をすべらせていく。
ひひ、ひひ、ひひひひひと、ふいにガリハが笑い出した。のたうつように床上をころがりヒステリックにトリガーをしぼりつづけながら、大声をあげて笑う。
その動きが、ふいにとまった。だらりと、力のぬけたようなしぐさで立ちあがる。笑いながら。
「待っているわ」
半分以上も銃撃に噴きとばされた壮絶な顔面でにっこりと微笑み、女はいった。
まぼろしの銃が火を噴く。
火線は、みごとにガリハの眉間をつらぬいた。
職業的暗殺者は痴呆の笑いを幸せそうに満面にうかべ――スローモーションのように、背中からたおれていった。
ぼうぜんとその光景を見やり――はっとして、背後をふりむく。
亡霊の女は、すでにそこにはいなかった。ぶちまけたような闇が、どっぷりと底深くひろがっているだけ。
「なんだったんだ……」
つぶやきに答える者はない。
脱力したからだをむりに立たせ、横たわるガリハのわきに片膝をついたバーズのもとへと歩みよる。
「生きている」
バーズが短く、そういった。予想外の答えに、おれは目をむく。
「じゃ、やはりいまのは――」
「わからん。だが、生きているといっても虫の息だ。急がないと手遅れになる」
一瞬言葉をつまらせ、それからあわてておれは手首の通信プロセッサをオンにした。