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 動きがでたのは、太陽が水平線の端に姿を隠そうというころだった。
 廃工場といっても敷地はひろい。やつがどこに潜んでいるか特定できない以上、あちこちかぎまわってさきに気づかれてしまうよりは、敵の動きを待って尻尾をふんづかまえるのが確実だろう、との考えのもとに張りこんでいたのだ。
 幸いなことに、周囲は完全な工業地帯で、食料などを仕入れる場所は限られている。敷地自体からの出入り口はいくつもあったが、最短ルートをとるだろうと仮定して張りこみ場所は一カ所にしぼった。賭だが、逃亡生活も限界に達するころあいと見当をつけての判断だ。
 賭はあたった。薄闇がどっぷりと四囲をつつみこむころに、ところどころ瓦礫のころがる構内の舗装道路のむこう端から、一台のフライアがあらわれたのだ。
 暗くそびえる廃墟の底で、ヘッドライトが煌々とかがやく。
 おれは眠るバーズに手をのばした。ゆすぶるまでもなく、ふれただけでやつは顔をあげる。眠っていなかったわけではない。一流の永久刑事ってやつは、みんなこうなのだ。必要があれば瞬時に熟睡し、また瞬時に覚醒することができる。
「きたか」
「ああ」
 やつは狭い車内でぐきぐきと首や肩をまわす。おれはステアリングを軽く握った。エンジンはかけっぱなしだ。
 ヘッドライトは最奥部からあらわれてゆっくりと門に近づいてくる。連合セントラルを震撼させた職業的暗殺者を乗せて。
 おれは舌なめずりをした。無口な相棒も動きをとめ、じっと光芒に見いる。
 と――
 ふいに、ヘッドライトが前進をやめた。
 敷地最奥部から門まで、三分の二ほど進んだあたりだ。
 ぴたりと静止して、動かなくなった。
「うかがってやがるのか……?」
 おれはくちびるをかみしめる。
「カンがいいな」
 バーズもいった。
 なおもしばらくのあいだ、まばゆく輝くライトに動きはなかった。
 が――ゆっくりと、Uターンを開始した。
 一瞬ためらい――
「いくぞ」
 宣言するや、アクセルを限界までふみつける。
 バール・システムが全開でまわりだし、かんだかい駆動音がけたたましくあがる。
 同時に、ヘッドライトの動きも急激になった。ぐわりとテールをこちらに向ける。廃工場の敷地がとつぜん、異様にひろくなったような錯覚。彼我の距離が、絶望的に遠い。
 エンジンが咆哮する。尻を蹴とばされた馬みたいに、フライアは疾走開始。
 がおん、とエンジン音が構築物に反響した。曲がり角に消えた敵フライアを追跡。
 崩れた扉のむこうに、テールランプが消えるところだ。
 アクセルをふみ、ステアリングをふりまわす。強烈な横Gが立てつづけにおれたちを襲う。まったくかまわず、横転ぎりぎりのタイミングで追いすがる。――見えた。
「バーズ!」
 叫ぶまでもなく、相棒は大口径のハンドガンを手に半身を乗り出す。
 閃光。轟音。イオン臭。灼熱のエネルギー束を背後におきざりにして、敵フライアはさらに曲折。
 乱立する半壊しかかった鉄骨をぬって、肉迫。上下、左右、せまくるしいなか、めまぐるしく旋回をくりかえす。くそ、まるで迷路だ。
 障害物がひっきりなしに出現する。ステアリングをとるおれはもちろん、バーズもまた器用にサイドウインドウから顔をだし入れする。むだ弾は撃たない。確実に相手を視野にとらえ、トリガーをしぼる。こいつらしい撃ちかただ。それでも、有効打にはいたらない。相手も必死なのだ。
 反響ががんがん脳内にとびこむ。ふいに、ずがんと鉄骨が落下した。ブレーキをふみかけ、一瞬で気をかえてアクセルを思いきりふみこむ。ずしゃん、と壮烈な音とともに背後からもうもうと煙がまきあがった。間一髪。――否!
 眼前に、壁。
 あわててステアリングをぶんまわす。車体が急激にかたむく。むりやりねじ伏せる。おおきく左右にブレた。くそったれが!
 均衡を回復。奇蹟だ。すかさず追跡再開。
 音に耳をすます。反響でさだかでないが、相手のエンジン音はきこえない。
 ち、と舌をならす。
「逃したか?」
「まだのはずだ」
 バーズがいった。そのとおりだろう。アクセルをふかす。迷路だ。まっすぐに進む。カンで選んだルート。
 外した。
 衝撃。横から。ガリハのフライアが、思いきりつっこんできたのだ。横腹に。
 つぶされる前に、跳んだ。ほとんど反射だ。床にたたきつけられる。受け身はとった。だがそれで激痛までころせるわけじゃない。
 そのままころがる。がつんと背中が壁に。痛ぇ!
 泣きわめくひまもない。痛む肉体に鞭うち、体勢をととのえる。銃を手にした。壁にぴたりとよりそい、暗視スコープを装着。周囲を見まわす。
 バーズ。崩れかけた鉄骨の下に、ポジションを確保している。悪くねえ。さすがだ。
 ガリハは――見あたらねえ。ちくしょう。どこにもいねえ。
 やつの乗っていたフライアは、警察のそれに景気よく鼻面をおしこんで大破している。運転席に、やつの姿はない。とびだしたのだろう。気がまえができてたぶん、おれたちより有利だったはずだ。
 おおきく息を吸いこむ。鉄骨の下で銃をかまえるバーズに視線をちらり――
 とびだす。
 散乱する鉄骨をぬって、たおれかけたパネルボックスまで一気にかけぬけた。
 予想していた銃撃は、まったくなかった。
 ものかげから顔をだす。
 静寂。
 がん、がらん、がん、と、どこか遠くから何かがころがる音。
 無数のほこり。
 それだけだ。攻撃はない。動きすら。
 逃げられたか?
 いやな予感がわく。
 これも外れた。
 視界の端で、熱源が移動。
 かまえ、トリガーをしぼる。
 閃光。同時に、敵も応戦。
 自動遮光したスコープが、一瞬、まっくらやみになる。むろん、そんな事情を暗殺者が斟酌してくれるはずもない。容赦のない連射がおれを襲う。ころがる。ころがりながら、スコープをむしりとる。
 移動さきを予測し、視線をむけた。暗闇のむこうに、燐光のようなゆらめきが移動する。エルフィード反応。
 銃撃。着弾が、おれの左右ではじける。かまわず、姿勢を低くして突進。
 狂ったように銃火が襲いかかってくる。精神的に、かなり追いつめられているのだろう。チャンスだった。おれは撃たず、走る。走りつづける。くそ、肋骨が痛む。
 袋小路。追いつめた。おれは曲がり角に身を隠し、威嚇射撃ひとつ。
「観念しろ、ガリハ!」
 叫んだ。
 一瞬、沈黙。
 つづいて、銃の乱射。
 あわれだ。一流の殺し屋だった男が、ドブネズミみたいに追いつめられてパニックにおちいってやがる。
 とっととぶち殺してケリをつけたかったが、生け捕りが最低条件だった。ただの暗殺者じゃねえ。こいつを生きたままつかまえれば、表舞台でのうのうと善人ヅラさらしてる大物どもを何人もぶちこめるのだ。
「あきらめろってんだ。おれたちは、命まではとらねえ」
 もういちど叫んだ。
 ぴたりと、銃撃がとまる。
 しばし待って、おれは顔をのぞかせた。
 暗い。よく見えねえ。どこにいやがる。
 暗視スコープを捨ててきたのが、ここにきてアダになった。
「バーズ! いるか?」
「ここだ」
 後方、ちょいと離れたところから答えが返る。おれが飛びでたら、すかさず援護にまわれる位置だ。
「見てくれ」
「わかった」
 うてばひびくように応諾が返り、バーズの巨体がすばやく移動した。おれとは反対側の壁から、問題の袋小路をうかがう。
 待った。反応がない。
「どうだ?」
「いない」
 バーズはいった。
「なんだって?」おれはすっとんきょうな声をあげる。「たしかに追いつめたはずだぞ」
「わかってる」短くいい返す。「様子を見にいく」
 わかった、とおれは答えた。
 この時点で、おれたちふたりとも判断力がにぶっていた。
 長年コンビを組んできた。おれが前衛でやつが援護。パターンとしてさだまっていた。初期にはこの定型から外れた動きもとったことがある。が、自然にこのパターンにおちついた。考えてみれば、そこから逸脱した行動などずいぶんながいあいだ、とったことがなかったのだ。
 おれが暗視スコープをつけてない、という事情はある。それでも、定石どおりにいくべきだった。
 バーズは、慎重な足どりで半身をさらし、ゆっくりと奥へすすむ。ひとが隠れられそうなものかげに接近し――
 音をきいた。
 気づいたときは、遅かった。

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