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「五年前だ」
よくひびく低い声でバーズはいった。おれはステアリングを握ったまま、無言でさきをうながす。
“サッシャ”のことについて、根ほり葉ほりききこんだあげく、うんざりするほどながい無言の時間をおいてようやく無口な相棒が口にしたセリフだった。
「おれが永久刑事になる前だった。ユエトーの地方警察の麻薬課にいた」
「ユエトー? 帝国領か。またずいぶん遠いところの出だったんだな」
バーズはうなずき、つづける。
「おさだまりの捜査だった。どこまでいってもいたちごっこのルーティンでダーティな仕事だ。顧客。売人。元締め。つかむ先からすりぬけていく。つぶした端から、つぎつぎに新しいルートがあらわれる。その一端に、サッシャはいた。よくある話だ」
「まあな。で?」
「まだ抜けられる、そう思った」
「バーズさまの直感てわけだな」
おれの軽口にはとりあわず、バーズはつづける。
「療養所につっこみ、おれの責任で半強制的に治療を受けさせた。ヤクがぬけるまでに、半年かかった」
「銀河標準年(U・T)でか?」
「いや。ユエトー時間だ。U・Tにすると……一年近いな」
「ずいぶんとかかったもんだな」
「依存体質だったらしい。下地があったんだ。ウラド型免疫不全症」
「知らねえな」
「かなりめずらしい症例だそうだ。わかりやすくいえば、雑菌に対する耐性が生まれつき極端に低い病気らしい。原因も治療法も確立していない。彼女はおさないころから無菌室で暮らしてきた。それでも、ほんのちょっとした雑菌にも過敏に反応する。子どものころは絶えずどこかが痛んでいたらしい。手術で毎日が明け暮れた、といっていた」
「それでか。鎮痛剤でご入門、てわけだな」
不謹慎ないいかたかな、と口にしてから気づいたが、それに関してはバーズはなにもコメントしなかった。
おれはきく。
「だがそれで、よくもまあ麻薬課の刑事にあげられるような場所にいられたもんだなあ。どうなってんだ、そのへん」
「思春期に症状が消えたらしい。これもこの症例にはよくあるそうなんだが、原因がわからないまま、ということもあるし、なによりも再発する可能性も高いらしく、病院側は退院をしぶった。両親も、医療体制の整っている病院に入れておいたほうが安心だと考えたらしい。彼女の意志は結果的に無視されるかたちになった」
「なるほど。で、脱走か」
バーズはうなずく。
むりもない話だ。病気で外界を知らないとはいっても、若い娘にはちがいあるまい。いつまでも檻に閉じこめておけるわけもない。
「不幸なことに、彼女は博学だった。院内でコンピュータ端末にふれ、ネットをとおしてあらゆる世界をのぞきまわっていた。実体験はなくとも、知識の上では世間知らずとは対極にあった。脱走したままうまく逃げおおせて……地下によどんだ。そのままそこで金をかせぎ、一年後には故郷をでて裏ルートで帝国領にもぐりこんだ」
ん? とおれは顔をやつにむける。
「てこた、彼女ユエトーの出じゃなかったのか。どこだ?」
「ここだ」
こともなげにバーズはいった。
はあ? とおれは首をかしげ、しばらくしてようやく気づく。
「この星か? おれたちがいま捜査続行してる、この星が彼女の故郷だったってのか」
うむ、としかつめらしくうなずくバーズのこめかみを、おれは思わずこづいた。
「それをはやくいえ、ばか」
無愛想な相棒は無言で受け流した。
舌打ちひとつ、おれはさきをうながす。
「半年……U・Tで一年かけて彼女からヤクをぬき、いっしょに暮らしはじめた」
「ちょっと待て」おれは横目でじろりとにらむ。「おまえ、最初からそのつもりだったんじゃねえだろうな」
ちがう、という答えを予測したが、返ってきたのは沈黙だった。
「このやろう」
からかい混じりの苦笑をうかべて、おれは肘でもういちどやつをこづく。
「楽しかったか? あん?」
と問うと、いかめしい顔つきをして前方を見つめるばかり。最近わかってきたのだが、なにかをごまかそうとするとき、こいつはこういう顔をする。ばかやろうが。
「けっ。やってらんねえな、このむっつり野郎。で、何年同棲したんだ。籍は入れたのか? ああん?」
「いや」とバーズは、静かにいった。「籍は入れていない。いっしょに暮らしていたのは半年だ。……U・Tでな」
短いな、とおれは心中つぶやく。口にはせず、
「で、どうなった」
「仕事から帰ると、いなくなっていた」
「逃げられたかよ。ざまあみろ。置き手紙かなんかあったのか」
「ああ」
「なんて書いてあった」
「さようなら。それだけだ」
ざまあみろ、ともういちどいって、ちらりとやつの横顔を見る。
遠い目を、してやがる。
けっ。
「よくある話だ。気にすんな」
バーズは、直接はこたえず、かわりにこういった。
「いまでもわからない」
「なにがだ。彼女がなぜでていったのか、か?」
うむ、と重々しくうなずく。声をカットしてやつの表情だけ見ていると、哲学談義でもしているように見えるだろう。
「おれにきくなよ。女の気持ちなんざ、わかるわきゃねえんだ」
バーズは無表情に、流れていく車外の風景をながめやるばかりだった。
おれはきく。
「で? 彼女、死んだんだろ。それはいつで、どういう状況だったんだ」
ちらりとバーズはおれに視線をむけ、
「ユエトー。U・Tで半年後。ゴミ集積所」
「なんだって? ゴミ集積所?」
いやな想像がうかんだ。
「そうだ」バーズはいった。「おれのところをでて、またもとの世界に舞い戻ったらしい。四六時中ラリったガキどもがたむろする安アパートで暮らしてるうちに、例の病気が再発した。満足な治療どころか、衛生に関する知識さえろくにない連中だ。彼女を医者に診せようという発想すらわかなかったんだろう。遺体を、ダストボックスに捨ててそれで終わりだ」
想像が当たっていたことにおれは眉をしかめる。これもよくある話だ。二度とききたくない種類の、よくある話なのだ。
「確認したのか」
ときいたのは、今度のメールの一件があるからだ。実は死んでいたのは別人で、サッシャは故郷に帰って治療に専念しているという可能性も考えられないことはない。――たとえ、ありそうにない可能性だとしても。
「遺体は破損が激しかったが」無表情にバーズはいった。「DNA鑑定の結果からしてまちがいはない」
「そうか」
いったきり、おれは黙りこむ。
反重力車(フライア)は都市の突端をぬけて海岸ぞいの道路にさしかかっていた。ぬけるほどの、好天。
「彼女に家族は?」
「両親がいるはずだ。それに……もしかしたら、妹も」
「もしかしたら?」
「家族のことは、あまり話したがらなかった。特に、妹のことは」
ふむ、とおれはくちびるをかむ。
「その、話したがらなかった妹の話なんだが、どういう流れででてきたんだ」
「いちどだけだ。口をすべらせた、という感じだった。自分の病気のことを話していたときにな。妹もおなじだけど、比較にはならない――そういうようなことをいっていた」
「比較にはならない? 妹のほうが軽症だってことかな」
「逆かもしれん。だがそのことはそれ以上は話そうとしなかった」
「おめえも、いつもの調子でだんまり決めこんでたんじゃねえのか?」
ときくと、やつはだんまりを決めこんだ。
「それにしてもよ。それだけの情報がありゃ、調べられることはかなりあるぞ。無口もたいがいにしろよ、おまえはよ。帰ったらまたマニエーゼに頼んどいてやるよ。彼女の家族のこととかよ」
否、とも応、ともいわず相棒は、だまって流れていく景色を見つめる。
「じゃ、あれだな。あのラブレター、ありゃ、彼女の妹がだしたものかもな」
ちらりと、やつは横目でおれを見る。
「どうかな。ユエトーとここじゃ、連絡をとりあうだけでも相当の金と労力がいる。家をでて以来、いちども家族と話をしたことはない、とサッシャはいっていた。仮に妹がここにいるとしても、おれのことを知っているとは思えない」
「わからねえぞ、そんなこと。たとえばよ」
いいかけて、何もたとえがうかばないことに気づいた。バツが悪いので、あわてて話題をかえる。
「で、彼女、ほかに故郷のことは何か話してたのか?」
バーズはしばしだまりこんでいたが、やがていった。
「あまりないな。家族のことと同様、故郷のこともあまり思い出したくはなかったようだ。ただ――」
いいかけて、またもや沈黙してしまうので、おれはうながす。
「ただ? なんなんだ、とっとといえ。もったいぶってんじゃねえ、この野郎」」
「……ただ、想い出の場所がひとつだけある、という話はしたことがあった。裏街で暮らしていたころ、仲間の女につれられて、ある公園にいったのだそうだ。見晴らしのいい高台にある公園で、港と、はるか対岸にある隣都の景色が一望のもとに見おろせるすばらしい場所だったらしい。ながらく寝たきりの生活をしていたから、体力的にその公園にたどりつくだけでかなりの苦労をしたらしいが、それでもおちこむことがあるとよく、その公園にのぼって海をながめていたそうだ。夜景がとてもきれいだ、ときいたらしいが、夜は仕事があったので昼だけしかいったことはない、ともいっていたな……」
こいつにしてはえらく饒舌だが、訥々とそう語ってから、まただまりこむ。
だが、横顔をちらりと見て、つづきがありそうだとふと思った。
だから、
「で?」
と、うながしてみた。
案の定、さらにしばしの沈黙をおいて、やつはぽつりといった。
「恋人ができたら、いつかふたりでいきたい、と思っていたそうだ」
それきり、目的地にたどりつくまで、やつは一言も口をひらかなかった。