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 がたん、と音をたててリーが立ちあがる。腰がひけていた。
「ちがう。ちがうんだ」
 声がうらがえっていた。太人ぶりをかなぐり捨てて、へろへろとあとずさる。
「ターグ」と呼びかけた。――皿の上の、顔が。「ターグ。わかってる。あんたはおれが邪魔になったんだろう」
「ちがう。あれは事故だったんだ」
 わめくようにいう。ぺたんと、腰を床に落としてしまった。それでもあとずさる。
 皿の上で、男の顔がせせら笑った。
「事故か。事故か。傑作だ、ターグ。事故にあった不幸な弟を、荼毘にふしたふりだけして料理人に料理させ、皿の上にならべるのか」
 となると、なんだかわからねえがこの皿の上の腑分けされた男はリーの係累か。そういえば、ハン語じゃターグってのは、大兄とかいう意味だった、と思い出す。顔もこころなしか似ていた。
「うそだ。うそだ。あれはわたしじゃない。部下が勝手にやらせたことなんだ」
 腰でいざりながらリーは、見苦しく弁解する。
 かっ、と皿の男が口をひらいた。
 一瞬、咆哮にきこえた。笑い声だとわかったのはちょっと経ってからだ。
 大砲のような笑声をひとしきりひびかせ、皿の男は血走った眼でリーの肥満体を凝視した。
「勝手に部下に料理されてしまったあわれな弟を、あんたは舌鼓をうちながらむさぼり喰ったと、そういうわけだな。うまかったか? ええ? うまかったか、ターグ。弟の人肉料理は!」
 許してくれ、許してくれ、とリーはうわごとのようにくりかえす。
 だが、皿の男は容赦がなかった。
「そうか! うまかったのか。この世のものとも思えぬ甘露だったか! ならもういちど味わえ。心ゆくまで味わえ。腹がはちきれるまで!」
 いうがはやいか、皿の上に盛られた人体各部がつぎつぎに宙にうかびあがる。
 と見るや、矢のような速度で尻もちをついたリーの口もとに殺到した。
 切りはなされた手首が、あらがうリーの鼻先をつまんでむりやり口をあけさせ、腑分けされた内臓料理があとからあとから口腔内部にとびこみはじめた。
 がぶごぶと吐きちらされるよだれに、血がまじりはじめる。つままれた鼻先からも、汚汁が破裂してもれでた。それでも料理は意志あるもののようにつぎつぎと、リーの口中めがけてダイブをくりかえす。
 ただでさえふっくらとした頬がぱんぱんにはれあがり、のどが異様なかたちに膨張してぐるぐるとうごめいた。目玉がうらがえり、血まじりの泡が口もとから続々とあふれでる。
 この期におよんで、おれは撃つべきかどうか迷っていた。ただの暴漢なら、ためらうことなくトリガーをひいていただろう。だが目の前で起こっているできごとは、あまりにも常軌を逸していた。
 バーズもおなじだったらしい。異様な光景を、目を見ひらいて凝視するばかりだ。
「太人!」
 さわぎをききつけたか、遅まきながら黒服の護衛どもがなだれこんできた。苦悶するリーの姿を見て、殺気だった視線が一瞬でおれたちに集中する。
「ちがう。おれたちじゃねえ!」
 叫びながら、むだだろうなと思った。反射的に、敵の足もとめがけてとんでいる。
 やみくもに銃のトリガーをひきつづける背後で、
「どうだ。うまいか。うまいか、ターグ。弟の血は、肉は、内臓は!」
 愉悦とも憎悪ともとれぬ異様なわめき声がひびきわたった。

 悪夢からひきずりだされて目がさめたとき、おれは病院にいた。
 勘違いしたリーの部下どもと派手な銃撃戦をやらかしたあげく、組織の中枢をになう連中をほぼ全滅させた状態で、気絶したおれとバーズは発見されたらしい。あきれたことに、騒乱はブースをふくむ一角に限られていたそうで、階下の一般客はほとんど異変にも気づかぬままステージの上のシュンジァ・ダンスに見とれていたのだそうだ。
 ふきげん丸出しで事情聴取をはじめる地元刑事に、おれは見たままを話す。むろん、ばかにしているのかと怒りを誘うのは目に見えていたが、でたらめをならべたててもしかたがない。
 ひとをなめるのもいいかげんにしろ、うそはいってねえ、と病院内でさんざわめきあったあげく、どうにかまじめだということを納得させ(かわりに仏頂面で頭部の精密検査をすすめられた)、発見時の現場の状況をききだした。
 おどろいたことに、現場には特大の皿も人肉料理も見あたらなかったのだという。リーのやつめ、皿ごと喰わされたのかと最初は考えたが、死因は現場で検死したかぎりでは単なるショック死とみられているらしい。そんなはずはない、やつの胃袋を調べてみろと強行に主張してみたが、のちに体内からは人肉らしきものは検出されなかったという検死結果がでることになる。
 ただ発見時、たしかにリーは裂けかかるほどの大口をあけて恐怖の表情をうかべていたらしい。それでも人間の頭部などとてものみこめるもんじゃないだろうから、現場にリーの弟の生首でもころがっててしかるべきなんだが、もちろんそんなものなど発見されていない。
 幻覚だったのだ、といわれりゃ感覚的には納得がいく。自分自身、信じられないのだ。が、おれとバーズ、べつべつにとった証言が一致していたこととリーのはっきりした死因が特定できないこと、さらには、実際に暗黒街の利権を二分していたリーの弟が半年ほど前に疑惑の事故死を起こしていたことなどから、なんらかの超常的な事件である可能性も考慮されることとなった。
 ともあれ翌朝には、精密検査が必要だとわめく医師を苦笑とともになだめすかし、まだ事情聴取はすんでないんだからな、とドスをきかす刑事課のやつらに嘲笑を残しておれたちはむりやり病院をあとにした。署に顔をだし、テレヴァイザーで本部に連絡をとる。さすがにリー死亡の一件は説明しづらかったが、管制官はよけいな口ははさまず、注意深い確認をいくつか加えただけで捜査の続行をいいわたした。さすがに田舎警察とはちがって実質的だ。
 映話を終えてブースからでると、マニエーゼがたたずんでいた。
「シド」
「よう。どうした。元気がないぞ」
 包帯のまかれた頭に手をやりながら問いかけると、一瞬の間をおいてにっこりと微笑む。
「鉄人きどりね。でも包帯でぐるぐるまきじゃ、説得力ないわ」
「ふん。おれの鉄人ぶりをもういちど証明してもらいたいってわけか」
 いいながらくちびるの端をゆがめてみせる。
 鼻をならしてマニエーゼは、おれの胸をこづいた。激痛が走る。思わず身をかがめた。
「ばか」
 いいながらもマニエーゼは、おれの腕をそっととって気づかわしげにのぞきこむ。
 へ、と笑いながらおれはやせがまん。
「どうってこたねえ」
「へえ。肋骨が折れてたってきいたわ。バーズのほうはもも肉ごっそり焦がされてたって? 代謝促進処置でどうにかかたちは整えたけど、ふたりともまだ本調子にはほど遠いってきいたわよ」
「よくごぞんじで」
 おれは苦笑する。
「今日はゆっくり休むのね」
「そうはいかねえ」なるべくあっさりとひびくよう気をつけながらおれはいった。「ガリハの野郎の居場所をつきとめたんだ。いまから張りこみにいく。いっしょにくるか?」
 にやりと頬をゆがめる。
 マニエーゼは、信じられぬものを見るように目をむいた。
「命がいくつあってもたりないわよ」
 低くおさえた声音でいう。
 ふ、とおれは鼻で笑った。
「いつものことさ」
 マニエーゼはなにかいいかけたが、言葉をのみこんだ。そしてぽつりとつぶやく。
「刑事とは絶対、結婚しない」
 懸命な選択だ、と思ったが口にはしなかった。かわりに、
「で、例の件、どうだった? 発信元、わりだせたのか」
 マニエーゼは首を左右にふる。
「だめ。あり得ないことだけど、痕跡がまったくないの。証拠が消されているとかそういうことじゃなくて、まるでバーズのボックスに割り当てられた領域にあの文章がぽんと出現した、みたいな感じ。それほどなにもでてこなかったのよ」
「そんなことがあるのか?」
「常識的には、あり得ないわね」
「冗談じゃねえな。ここでもオカルトかよ。受信時刻は表示されてたよな。その時間にメールをだしたやつを探れねえのか?」
「もうやってみた。特定不能。ただ、あの文面で発信した人物は検索しても見つからなかったわ」
「となると、やはり腕のいいハッカーってセンしかねえか」
「それも可能性、ほとんどないといっていいわね。腕がいい悪いの問題じゃないもの。もしハッカーだとしたら、神秘的な領域の腕の冴えだわ。お手あげってとこ」
 なるほどね、とつぶやきながら、視界の端に刑事部屋からうっそりとあらわれるバーズの長身をとらえた。
「わかった。ありがとう。おれはいく」
 肩に手をあて、頬に軽くくちづける。そのまま背をむけ歩きだした。
「シド」
 声に、ふりかえる。
 とり残されようとしている子どもみたいな表情で、マニエーゼがおれを見つめた。
 なにかいおうとして言葉にならず――ふいに、ふっと笑う。
「“ラシュガート”でフルコースよ。忘れてないでしょうね」
「ああ」おれは笑ってみせる。「予約を入れておくよ」
 そして歩きだした。

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