ウェイレン

 

 青い薄闇を裂いて飛来した光条は、シャルカーンの心臓目がけて死の直線を引いた。避ける間など、むろんない。
 その一瞬に、バラムは賭けた。
「シギム・ナルド・シャス」
 口早に唱え──弾ける激痛とともに、感覚がシフトしていくのをたしかに感じた。
 時が、ながくひきのばされていく。
 同時にそれは、体内をかけめぐる痛覚と悪寒とを展張する役目をも果たしていた。
 超知覚と同様に、痛覚までもが強調され、不断の責め苦と化しておしよせる。
 が、う、う、と、間のびした苦鳴で喉をふるわせつつ、バラムは立ちあがった。
 動作ひとつひとつに、重量感あふれた針の散弾を撃ちこまれるような激痛が爆散した。
 だが──肉体もまた、知覚に追随して超越した力を、たしかに発揮している。
 砕けるほど奥歯をかみしめて苦痛をかみころし、バラムは疾走した。
 銃撃をうけたシャルカーンは──焼け焦げた穴をうがたれるはずの胸上に、極彩色のスパークを弾けさせていた。パワー・フィールド発生器のたぐいを装着しているのだろう。
 奇襲は完全に失敗だった。
 が──生身の肉体による攻撃に対して、そのパワー・フィールドがどう反応するか──試す価値はある。
 バラムはとんだ。
 シャルカーンにむけて。
 おそまきながら、火焔につつまれたハリ・ファジル・ハーンが目をむきながら超知覚モードに移行しつつあるのを横目にする。とまらない。
 かたくにぎりしめた岩のようなこぶしを、シャルカーンのみぞおちにむけてつきあげた。
 弾かれた。
 となれば、エネルギーのみならず、高速で近づく物体をすべてはね返すタイプのフィールドだ。
 ちい、と舌をならしつつバラムはこぶしをひいた。超知覚に移行したことが、この場合はあだになっていた。シャルカーンはそこまで計算していたのか。
 後退して逃走にうつるか、超知覚をといて攻撃をつづけるか──寸時、逡巡した。
 致命的だった。
 炎につつまれて血走り、ぎらついた眼が、側方から襲撃をかけてきた。
 ふりかえり応戦するまもなく、痛烈な衝撃が脇腹からつき上げた。
 弾けとぶ。
 血を噴きながら、叩きつけられた。
 シギム──
 唱えかけ、超知覚がまだ解けずにいることに気づく。老ウェイレンのいう、竜脈のパワーのたまものかもしれない。
 だが全身をかけめぐる激痛もあいかわらずだ。何よりはねとばされ、叩きつけられた衝撃によるダメージは、四肢を地震のように痙攣させていた。
 ぶざまにのたうちながら立ちあがろうとするところへ、ハリ・ファジル・ハーンのプリミティヴな肉体が立ちはだかった。
 にい、と、眼をむき出して、笑う。
 これまでかよ、と歯ぎしりする思いで目を見はり──
 彼我のあいだに、再度レイガンの光条が割って入るのを目撃した。
 しげみをおどりこえてマリッドがあらわれたとき、バラムは、大きく身体を沈めていた。
 掌底をつきあげる。
 瞬時、対応のおくれていたファジル・ハーンが地を蹴って後退した。
 その背後からマリッドの強襲がハーンの足下をないだ。
 バランスをうしない、高速のいきおいに弾かれて頭部が下方に回転する。
 その背中にむけて──
 バラムの掌が沈んだ。
 肋骨が陥没していく感触を、バラムはたしかに感じていた。
 強靭な肉体は無力なゴム鞠と化して弾けとび──血塊を派手にまき散らしながら二度、三度と地に叩きつけられたあげく、ハーンは立ちはだかる樹幹を根もとからなぎたおして──静止した。
 ず、ずん、と重い音を立てて、粉砕された樹木がたおれこんだとき、バラムの超知覚は解け、苦痛だけを残して世界を常態に復させた。
 くあ、とうめきを吐きつつバラムは両ひざをついた。
「バラム!」
 叫びつつマリッドがかけよる。その背後に──
「動くな」
 静かに、しわがれた声が警告した。
 ハーンの敗北と、そしてバラムの変調とに反応した一瞬の虚をついて、強化人間に抗し得るほどのすばやさで老ウェイレンが、マリッドの背後をとることに成功したのだ。
 首筋、延髄の上にぴたりと銀針を当てられ、マリッドは硬直した。
「動くな。おまえさんもどうやら常人離れしたすばやさを発揮できるようだが、いくらはやく動けたとて、わしが針をつき刺すほうがいささかは勝っているぞ」
 低く淡々とした口調で、老ウェイレンは告げた。
 いわれるまでもなく、マリッドは微動だにさえできない。
「役者がそろったというところだな」
 シャルカーンが静かにいった。
「いささか損失してはいるが」
 老ウェイレンがうける。
 そのとおりだな、とため息をつくような口調でシャルカーンはいった。
「殺せ、老ウェイレン。残念だがハリ・ファジル・ハーンがやられてしまったとなれば、その二人はわれわれには手に余る厄介者でしかない。機会を逃すな」
 老ウェイレンが無言でうなずき、手にした針を刺しこもうとしたとき──
 くあ、と、闇を裂く鳴声が弾けとんだ。
 おう、と驚愕の叫びとともに、ラトアト・ラ人のあわせの着物のふところから飛鳥のごとき黒影が飛び出した。
 エイミスであった。
 するどい半弧を描いて異星人の顔面へと強襲をかける。かろうじて身を沈めたときには──とうぜんのごとくマリッドは、前方に回転して魔針から逃れていた。
「わしの捕縛を解くとは──」
 いいつつ手のひらを宙にのばした老ウェイレンが──つぎの瞬間、何を考えたかそのまま虚空を握りしめるようにしてこぶしを握った。
 眉根をよせたマリッドが、つぎの瞬間、悲鳴をあげる。
 同時に、さらに弧を描いて急襲をかけようとしていたエイミスが、まさに握りつぶされるようにしてぐぎりと、異様な形におれ曲がりつつ落下した。
「エイミス!」
 叫びながらマリッドは、おのれの心臓の位置に手をやりがくりとひざをつく。
 苦痛に、その美貌がひきゆがんでいた。
 にやりと、老ウェイレンが笑う。
「やはりな。あの使い魔は、おまえさん自身の精神と通底しているらしいのう。おのれの精でもかためてつくったか」
 ほ、ほ、ほ、とおかしげに笑った。
 その横手から、
「このサディストが」
 低くおさえた悪罵とともに──苦痛にあえいだままままバラムが襲いかかってきた。
「おう」
 驚愕の声をあげつつラトアト・ラ人は地を蹴りあげて後退し──同時に、ふところからいきおいよく手をさし出す。
 銀閃が宙を裂き──
 と、と、と、と、と軽い音を立てながら吸いこまれるようにして、銀の針がバラムの肉体にもぐりこんだ。
 さほど深くもない。一瞬にしてそれだけの本数の針を打ち出した老ウェイレンの手練の技はたいしたものだが、簡単にひきぬくことができるだろう。見たところ、致命傷にいたりそうな部位につき立った針さえ一本もなかった。
 が──
「即席で自信はなかったが」つぶやきつつ、老ウェイレンは魁偉なそのくちばしからわざとらしくため息をついてみせた。「どうやらうまくいったようだわい」
 にっと笑う。
 なんのことか、とマリッドはいぶかしげにバラムを見やり──その様子が尋常でないことに気づいて、目をむいた。
 脂汗をしたたらせながらバラムは、脱力したようにだらりとその両腕をたらしたまま仁王立ちになっているのだ。
「バラム!」
 叫び、かけよろうとした一瞬──明白に油断していた。
「ふりだしに戻ったな」
 背後から耳もとに、老ウェイレンのささやきがひびきわたる。
 反射的にふりかえろうとするのを、かろうじて思いとどまった。
 首筋には先刻とまったく同様、針の感触がへばりついている。
「ツボに針を打ちこんだのだよ」
 自慢するふうでもなく老ウェイレンは、苦痛の表情をうかべたまま微動だにできないバラムを見てそういった。
「四肢を動けなくするツボに、な。強化人間とはいっても、さすがにツボの位置だけはふつうの人間とかわらぬようだの。やれやれ、命びろいをしたわい」
「危険きわまりないな」
 一連のできごとをぼうぜんと見やっていたシャルカーンがようやく、といったふうに吐息をつきながら口をひらいた。
「不用意に殺すことさえ、できないというわけか」
「そういうわけでも、まあ、ないが」針を手にしたままウェイレンは口にし、「ま、用心は、しておくにこしたことはないか」
 ひとりごとのようにつけ加えて、すっとマリッドから身をひいた。
 警戒しつつもすばやくふりかえるマリッドの四肢に、後退した位置から放たれた銀針が一瞬のうちに、バラムのとまったくおなじ部位に打ちこまれる。
 攻撃に移りかけた姿勢のまま、マリッドの体がぴたりと硬直した。
 ふう、と息をついて老ウェイレンは身体から力をぬき、地上に落ちてひくひくと断末魔のようにふるえるエイミスの黒影にちらりと視線を投げかける。
 反撃に移る力はなさそうだと見てとって、ようやくにたりと笑った。
「では、ゆるりとかたづけようかの」
「手早くたのむ、老ウェイレン」
 かぶせるようにシャルカーンはいい、ちらりと後方──ジョルダン・ウシャルの横手で、青ざめたまま唇をかみしめているカフラ・ウシャルをながめやった。
「やらなければならないことが山積みだからな」
 ほ、と、老ウェイレンは声を立てて笑い──苦痛に顔をゆがめたままたたずむバラムとマリッドに、じろりと視線をめぐらせた。
 そのまま考えこむように二匹の獲物を交互に見やっていたが、やがてにたりと邪悪な笑いでその顔をゆがませる。
「そう……そこの使い魔。精をかためてできたものか何かは知らぬが、その苦痛は主人につながっておるのだったな」
 にやにやと笑いながら、地に伏してひくひくと痙攣するおぼろな黒影に歩みより──ふみつけた。
 煙のように実体をもたぬはずのその黒影が──足に体重がかけられるにしたがって、のたうちながらつぶれはじめた。
 同時に、マリッドが悲鳴をあげた。
 はりさけた喉から血の噴流がふきあがってきそうな、激烈な絶叫であった。
 攻撃に移ろうと身がまえた姿勢のまま、マリッドは身も背もなく叫びつづけた。
 その様子を見やりながら老ウェイレンはにやにやと笑った。
「よい声だの。いつまでもきいていたいわ」
 恍惚とした口調で述懐する。
 そして、さらにふみつけた足に力をこめた。
 エイミスの黒影がのたうちまわり、マリッドのあげる絶叫がいちだんと高まった。
 やがて耐えきれなくなったか、マリッドは硬直した姿勢はそのまま、棒のようにどさりと背中からたおれ伏した。
 全身を小刻みに痙攣させながら、なおも青い闇空にむけて声をふりしぼる。
 は、は、は、は、と老ウェイレンが耐えかねたように声を立てて笑った。
「老ウェイレン、遊びもほどほどにしておけ」
 シャルカーンは見かねたように目をそらしつつ、つぶやくようにいった。
 が、そのほかの教団員たちやジョルダン・ウシャルなどは、おもしろい見せものを前にしてでもいるように、にやにや笑いながらながめやっている。
 マリッドの叫ぶ絶叫と老ウェイレンの哄笑とがからみあうようにして深山に吸いこまれ──
「それではまあ、そろそろ死んでもらおうかい」ふいに笑いやんだウェイレンが、愉悦に目を見ひらいて痙攣するマリッドを見おろしつつ口にする。「名残おしくはあるがな」
 つ、と、ふところからとりだした針をかまえて、ふみしめたエイミスにじろりと視線を移動し──針をふりあげた。
 イムジェの青光をうけてきらめく切っ先が、のたうつ黒影めがけて打ちおろされる、まさに寸前──
 ご……
 と──異様な音が、かたわらでひびきわたった。
 笑いをくちばしの端にとどめたまま、いちはやく異音に気づいた老ウェイレンがちらりと視線をむける。
 目にうかんだ疑問が、つぎの瞬間──恐怖にとって変わった。
「おお……!」
 うめきとともに、老ウェイレンはよろよろとあとずさった。
 圧迫から解放されたエイミスが、のたうちながら救いを求めるように、たおれ伏すマリッドのもとへと移動する。
 そしてさらにその側方に──
 牙をむき出しにした、二足で立つ虎がいた。

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