青い闇の底
バラムを捕獲した禿頭小太りの男が顔をのぞかせた。
汗まみれでたたずんで静かに見かえすバラムに、不機嫌な口調でいう。
「出ろよ。シャルカーンが、おまえに会いたいとさ」
あごをしゃくった。
バラムはつい、と立つ位置をずらして扉の外を確認した。
相棒の巨漢が扉脇をかためている。が、こちらもひとを小馬鹿にしたにやにや笑いをうかべ、頭から油断している。
「はやくしてくれんかな。これでもおれたちゃいそがしいんだ」
小太りの男がいらだたしげにいうのへ、呼応するようにヒゲづらの巨漢が、
「ガレントさまの機嫌をそこねないほうがいいぜ、強化人間。なにしろこちらさま、いかさまポーカーを見破られてごっそりペナルティくらったあげく、奇跡みてえに負けつづきで飢えた野犬みてえに不機嫌そのものだからな」
声を立てて笑う。
「うるせえぞ、ティゲル。あれはいかさまじゃねえ」
じろりと横目をくれて小太りの男はわめきちらし、バラムたちに「はやくしろ!」と催促した。
マリッドが面倒くさげに、わざとゆっくりとした動作で立ちあがる。
瞬時、二人の注意がマリッドにそれたのを見て、バラムは音もなく移動した。
眼前に迫った異物を脚、と認識するまもなく、小太りの男は弾けとんでいた。
お、と、寸秒のあいだ何が起きたのか理解できずに、巨漢は目をむいた。
放心から立ちなおったときは、すでにおそかった。
下方からせりあがるこぶしにあごを砕かれ、宙にういて瞬時静止した後、巨体がなだれのごとく崩れ落ちた。
口もとから滝のように血が流れだす。
絶命していた。
「お……ティゲル!」
半身をおこした小太りの男が、相棒の惨状を目にしてうめきあげた。
憎悪にみちた視線をバラムにすえる。
「てめえ」
かみしめた歯のあいだから、しぼり出すように声をあげつつ、ふところから鈍色の風を打ち出した。
つ、と、あごをそらすようにしてバラムは、一撃を後方に流す。
同時に──ぶん、と空気が背後でうなりをあげた。
「バックもありだぜ!」
禿頭の叫びとともに、ワイヤーに引かれた“かまいたち”がバラムの後頭部を強襲した。
「笑わせるな」
冷徹にいいはなちバラムは、ひょいと左に体をずらして急襲をいとも簡単に避け──通過していく鋭利な刃を、二本の指で無造作に捕縛した。
お、と目をむく小太りの男にむけて獰猛に歯をむき出してみせ──一挙動で、その眼前に立ちはだかった。
「わ」
とぶざまに驚愕の叫びをあげつつ、小太りが後退しようとした矢先──
「お返しするぜ」
いいざま、バラムは捕縛した“かまいたち”の刃でずばりと男の喉首をひき裂いた。
ぶしゅ、と血の噴水を立ちのぼらせて小太りの男は地に伏した。
鉄扉の端から顔をのぞかせ、すばやく左右に視線を走らせると、バラムは二つの死体を手早く幽閉室にひきずりこみ、無言でマリッドをうながした。
扉をもとどおり閉めなおしてから、岩塊をそのままくりぬいたようなぶこつきわまりない鍾乳洞を二人はすばやく、足音をしのばせて移動した。
途中、見張りらしき男を二人見つけ、強襲した。
バラムが一人の頚をへし折る。もう一人は、腹部にマリッドの爪先を叩きこまれて低くうめきながらたおれかかる。その頚部を、強化人間の手がわしづかみにしてささえた。
「わめいたり暴れたりしたら、即座にへし折るぞ」
もがきまわる機先を制するように、低く、淡々とした調子で背後からささやかれて、見張りは抵抗を断念した。
いい子だ、とバラムはやさしげにいい、出口への道順を問いただす。
ふるえ声の、荒い息をつきながらの説明をきき終えると、ほんの一瞬、マリッドと視線を交わしあってから延髄を叩いて昏倒させ、装備していた銃を強奪した。
やがて地上への出入口へとたどりつく。ほとんど垂直の壁に近い洞に固定された鉄の階段を昇ると、木造の建物の裏手に出た。
吐きだす息は、青白く凍てついた。
氷点下の刺すような冷気を染めるおぼろな光は、頭上の半分ほどを占拠した巨大惑星イムジェの半身が放つ反射光だ。
青い闇の底で、影までも青く染めながら二人は用心深い足どりで建物をまわり、所在なげにたたずむ見張りを迂回、正門らしき厳粛なたたずまいの山門をくぐった。
フライアか、もしくは足になりそうなものをさがした。
古び、崩れかけた建物──おそらくは廃寺か何かのたぐいだろう──の裏手に三機のフライアを見つけたが、気づかれずに盗み出すのは不可能だった。
「歩いておりるぞ」
小気味よく逡巡を断ち切ってバラムがいうのへ、
「ピクニックなら、昼間のほうがよかったわね」
マリッドが応ずる。
崩れかけた石段をたどって、短く声をかけあいながら山を下った。
十五日つづく夜と、位置も大きさもかえない主惑星とが、下山に永遠の彩りをそえていた。
とぎれがちの獣道と、うっそうと生いしげる樹木雑草、遠ざかっては近づき、そしてまた遠ざかるせせらぎの音。
外気の冷たさと熱をもった肌とが、重く緩慢に蓄積した疲労に便乗して、けだるく逃亡者たちを責めたてる。
「バラム」と、荒い息をついてマリッドが問いかけたのは、虫が知らせたからかもしれない。「強化知覚はどう?」
質問にこたえるか、それともその前に問いかけの真意をただすかをバラムが考えているすきに──死神は余裕たっぷりで追いついていた。
「くそ、どいてろ」
うめくように口にするよりはやく、バラムはマリッドをおしのけており重なった樹間を疾走しはじめた。
青白くうかびあがる炎のいれずみよりも、その全身が発散する燃えるような鬼気こそが、疲れはてたバラムの目を覚まさせたのかもしれない。
いつから追跡されていたのか、とバラムは考え、ぞっと背すじをふるわせた。
プリミティヴな力にあふれた肉体が、おぼろな青い闇に溶けるようにして消えた。
奥歯をかみしめつつ、バラムは唱える。
「シギム・ナルド・シャス」
刺すような、爆発するようなあの激痛は──おとずれなかった。
だからといって、幸いにして、とつけ加えるわけにはいかない。
知覚の移行も肉体の追随も、同様にバラムとは無縁のままだった。
くそが、と、泣きたい気分で毒づく腹部に、強烈な痛撃が叩きあげられた。
喉をならしながら、せり上がる悪寒とともにむき出した目に、奇怪な隈取りに飾られたぶこつな仏頂面がずいと顔をよせる。
「どうした」ハリ・ファジル・ハーンはいかにも不興げに問うた。「ぶち壊れちまったのか」
苦鳴に乗せて血まじりの涎が地面にしたたった。
「ちくしょうめが」火焔にいろどられた鼻の頭に、盛大にしわがよせられる。「はりあいのねえ」
うめきながら崩れ落ちようとする身体を、喉くびをしめ上げるように片手でもちあげた。
「死ね」
宣告は──閃光に断ち切られた。
胸わきをかすめた凶悪な光条に、ファジル・ハーンはバラムを放り出しざますばやく対応した。
樹陰に身をかくして強化知覚へと移行する。
あとはたやすいはずだった。
常人の目には消失したとしか思えぬスピードで移動して、狙撃者をすみやかに行動不能におちいらせればいい。
鼻歌まじりに消化可能のはずの指針は、半分ほども達成されなかった。
のびる光条がファジル・ハーンの移動速度に追いつききれないのは、まったく当然の現象だ。
が──視覚で追うことさえ不可能なはずの強化人間の移動速度に、追い切れぬとはいえ確実に銃口を移動させているマリッドの動作は、どう考えても尋常ではない。
バラムや、ファジル・ハーンの神速に達してはいないことは明白だった。
だからといって、常人があの動きを見せられるとは考えられない。
ぎ、と歯をむき出して走るハーンの眼前でゆっくりと、銃口と、そしてマリッドの視線が着実に追跡してくる。
それが、徐々に追いついてきた。
速度ならハーンのほうが圧倒的にはやい。
だが移動距離の点でマリッドのほうが断然有利だった。体側から中心へ、銃を手にした腕を動かすだけなのだ。
獰猛に歯をむき出しにしながらファジル・ハーンは地を蹴ってビームの強襲をかわし、樹間をすばやく移動してから強化知覚を解いた。
「きさま──“観察者”か?」問うた。「見とどけに来たのではないのか? 旧型の、最期を」
それがどうして、とは問わなかった。ハリ・ファジル・ハーンは、疑問を抱いてもそれをそのまま放置できた。放置したまま対処し、その後に疑問が解消されるなら解消する。できなければそれはそれでかまわない。そういう性格だった。
ただ眼前に現出する状況に、まさに獣のように対処していくだけなのだ。
だが、
「忘れたわ」
出しぬけに眼前にあらわれた美貌と、そしてポイントされた銃口とに、とびあがるほど驚かされた。
重い音とともに、背にしていた樹木に焼けこげた穴がうがたれた。
間一髪だ。
が──つぎも間一髪で避けられるとは限らなかった。
「いまのわたしは“観察者”じゃない」
どん、どん、どん、と立てつづけに銃撃を炸裂させながら、マリッドは逃げるハーンを執拗に狩りたてた。
「うらぎったか」
奥歯をかみしめつつハーンはつぶやき、ふたたびシフトしようとした。
頭上からふってきた黒いかたまりに、頭が頚にめりこむほどの衝撃を叩きこまれて崩おれる。
「とりあえず、おまえは死んどけ」
セリフとともにくり出されたバラムのこぶしが、みぞおちに深々と突き立てられた。
宙にういた肉体を、マリッドの銃撃が三つ、したたかに打ちすえる。
肉の焦げるにおいをただよわせながら、胸部に三つの穴をうがたれてハリ・ファジル・ハーンは地に伏し、のたうちまわった。
「いいのか?」
宿敵の惨状を冷徹にながめおろしながら、バラムはマリッドに問うた。
ぺろりと舌を出しながら、肩をすくめてマリッドは何かをいいかけ──
「これはいかにも迂闊」
人をくったような調子で背後からかけられた言葉に、電光のいきおいでふりむいた。
「老ウェイレン」
バラムの言葉とともに、マリッドが手にしたハンドガンの銃口をあげる。
それが照準にラトアト・ラ人をすえるよりはやく、小柄な影はすばやく樹陰に移動していた。
「見張りどもめが、油断したか。その上、ハリ・ファジル・ハーンまでも。機を逸するとはまこと、おそるべき。だが、おまえたちも運がなかったの。このわしとて、おまえたちを追ってきたわけではないのだが」
奇妙な言葉に眉根をよせつつ、バラムとマリッドは四囲に気を走らせ──つい先刻、自分たちがあとにしてきたおなじ道を、べつの逃亡者たちが追随してきたことに気づいた。
頭上、樹林におおわれた斜面上でたたらを踏む大小四つの影が、ジョルダン・ウシャルとそのご一行さまであることは考えるまでもあるまい。
相互に不幸だったのは、おなじタイミングでまったくおなじ方向に逃亡先を選んでしまったことだろう。もっとも逃亡ルートが似たりよったりになるのは状況と立場が同様であることを考えれば、けっして奇怪でもなんでもない。
頭上にたたずむ肥満体を前にバラムは瞬時、歯をむいて見せた。
が、すぐに老ウェイレンをふりかえり、
「運が悪いのはどっちかってえと、てめえのほうだろう。内実はどうあれ、てめえの敵は総勢六人。一人で追跡に出たのが迂闊さの最たるところだろうぜ」
「ちと、先行しすぎてしまったのは事実だの」
真顔でいった。もっともくちばしのはえた異顔、表情は目で読むしかない。
だからバラムがその奇襲をやり過ごすことができたのは、まったくの勘によるものでしかなかった。