ガラバティの神水
「イムジェフィフタス。ストラトスからは恒星船で七日ほどの距離です」
情報部ジョシュア分室の者、と名乗る男は、奇妙に個性を欠いた特徴のない顔に、吹けば消えてなくなってしまいそうなたよりない微笑をうかべてバラムに告げた。
ラベナドの軌道エレヴェータを上昇する道中、愚にもつかぬ与太話をならべ立てたあげくの言葉だった。
いぶかしげに眉間にしわをよせるバラムに、男は気弱げに笑ってみせる。
「今われわれの組織はほとんど壊滅状態でして。シファ・マリッドを救いにでかけるどころか、組織を維持することさえ困難な状況にあるのです。お恥ずかしい話ですが、もはやあなたにたよるしか手はないと、そういうわけでして」
「ほう、そうかい」
とこたえながらもバラムは、心中で激しく顔をしかめていた。
この男の見てくれの凡庸さが、そのまま無能をあらわしているわけでは決してない。
というよりはむしろ、外見の毒のなさこそがこの男の第一の武器だろう。
その皮膚一枚下に隠された得体の知れぬものを本能的に察知して、バラムは苦虫をかみつぶしているのだった。
ストラトス情報部が現在、かなりやっかいな状況におちいっているであろうことは、星系をつづけざまに襲った明暗さまざまな災厄を考えればうなずける。
だが──組織を維持することさえ困難なほど人員に欠けているとは、すくなくとも眼前にしたこの男のぶきみな雰囲気を思えばとても首肯できるものではない。
が、男はそんなバラムの心中にはまるで気づかぬようにつづけた。
「ルーシャス、という名の恒星系に属している惑星のひとつ、イムジェの周囲をめぐる五番めの衛星がイムジェフィフタスです。われわれストラトス情報部に関わる者には、よそさまには感知不能の発信器を体内に常備することを義務づけられておりまして。それをもとにしてシファ・マリッドの行方を追跡いたしましたところ、この衛星の名がうかびあがったと、そういう次第です」
なめらかに、まるで台本を読んでいるような調子で男は口にした。
バラムはひどい不信感をかき立てられていた。
マリッドが拉致されてから標準時で一日とたってはいない。たとえ発信器を体内に常備しているという話が本当だとしても、恒星船で七日の距離の星系で、衛星名まで特定できるほど詳細な情報を得られるとは考えがたかった。
「さ、どうぞ。こちらです。すでに恒星船のチケットも手配してございます。どうぞこちらへ」
「いたれりつくせりだな」
皮肉をこめてバラムは口にした。
男はおまかせください、と胸をはってみせた。本気でいっているようにも見える。
ステーションに到達してエレヴェータをおりる。
マリッドと、軌道エレヴェータを上昇したときの記憶がよみがえった。
同時に、おぼろに心中にいすわっていた疑問が、次第に形をととのえはじめる。
この奇妙な男の口にする話のほとんどすべてが眉唾で──なおかつ、イムジェフィフタスにアムラッジェ教団の面々が居を占めている、というのが本当だとすれば──
情報が教団から、あるいは教団にごく近い部分から、ストラトス情報部へとリークされた、ということになりはしないか?
アムラッジェ教団と情報部とが直結しているとは、今までの経緯からすると考えがたい。となれば、緩衝役を果たす何かが、そのあいだには横たわっているはずだ。
暗い仮説が、バラムの脳内で形を成した。
その仮説がはっきりとした身を結ぶ前に──バラムはふいに目をむいた。
行き交う喧噪のなかに、知った顔を見出したのだ。
思うよりはやく、からだが動いていた。
「あ、どちらへ──」
情報部のエージェントのまぬけなリアクションに、バラムはふりかえりもせず「そこで待ってろ」といいすてて人ごみをかきわける。
一族郎党のほかに召使いと護衛までひきつれている紳士にむけて、バラムは一気に人波をかきわけて接近し、その肩に手をかけた。
惑星を襲った異変から逃れるために、はるばるこのステーションまでたどりついた新興有力者であるその紳士は、傍若無人にいきなりひとの肩をとらえた無礼者に対して怒りを隠そうともせずにふりかえり──つぎの瞬間には、その表情を恐怖と怯懦に占拠させる。
「奇遇じゃないか。アウランッドゥの幸あらんことを。ちょうど会いたいと思っていたところなんだ」
嘲弄をこめて聖句を口にするバラムに、紳士はおよび腰で対応する。
「あ、あんたは、わたしの依頼をことわったはずだ。わたしたちは赤の他人のはずじゃないのかね」
「もちろん、おれもそのつもりだったさ」凶猛な野獣の微笑をうかべつつ、バラムはいった。「だがどうやら、そうとばかりもいいきれないらしい。──話をきかせてもらおうか。正直にこたえてくれるなら、おまえのうす汚い行為は不問に付してやってもいい。ジョルダン・ウシャルの抹殺をおれに依頼するようおまえに命じたのは、どこの何者だ」
街は陽気に荒れさわいでいた。
ねり歩く人びとはそろって顔に奇怪な隈取りをほどこし、笑いさざめきながら互いをこづきあったり、かけまわったり、あるいは何も知らない(それとも何もかもを承知した)旅行者をつかまえて自分たちとおなじ隈取りを塗りたくるために、叫び声をあげながら追いまわしたりしている。
中心街の大通りから街はずれの裏小路までところせましと屋台が立ちならび、荒々しいほどの呼びかけの声がひっきりなしに地上を埋めつくす。
無数の山車がわがもの顔にあちこちをねり歩き、行き当たろうものなら互いにゆずりあう気などまったく見せあわず、威勢のいい罵倒をひとしきりかわしたあげく、双方納得ずくの荒々しい衝突と儀式めいた喧嘩を開始する。
ときがたつにつれて破壊され、よれよれになっていく御輿は、その損壊度と、にもかかわらず残された威容をこそ誇りとして、三晩街中をねり歩いては衝突をくりかえし、そして最後のときまで形をたもつことのできたものは街の中心部近くに位置する広大な競技場に運びこまれて火をつけられ、幾世紀も以前にこの世界が邪神の怒りの業火に焼きつくされるのを身をもって制した至高の聖者ハレ・ガラバティへの供物として、永遠なる天へと供されるのだ。
バラムにとってこの大祭は、まさに青天の霹靂だった。
宙港のライナーから異様な興奮につつまれた街路へ、一歩足ふみおろしたとたんに殺到した隈取りの一団に、反撃に移るのをおさえ得たのはまさに奇跡に等しい。
聖者ガラバティを模倣する、という名目の、まったくでたらめとしか思えない隈取りを顔面にほどこされてからも、喧噪と興奮の手はなかなか訪問者を手放そうとはしなかった。
数歩と進まぬうちにわらわらと子どもや若者の集団が、あるいは手に手に怪しげな品物を保持した得体の知れぬもの売りたちが、つきまとってはけたたましいご託と笑い声とを交互にならべたててなかなか離れようとはせず、たえず狂騒が周囲につきまとっていたのだ。
状況を逆手に、アムラッジェ教団やシャルカーン、あるいはその他の固有名詞をならべ立ててかたっぱしから質問を浴びせかえしもしたが、なかなかはかばかしい返答は得られなかった。
地平線にいすわっていた陽光の切れ端がようやくのことで姿を隠しはじめたころ、バラムは小休止のためにバラックのごとき食堂に入り、得体のしれない煮込み料理をかきこんだ。
そのあいだにも店の間口からむこうでは果てしれない馬鹿騒ぎが途切れることなく、疲れ知らずに行き交っている。
「あんた旅行者かい」
額がみごとに禿げあがった、赤ら顔の食堂の親父が声をかけてきた。
「ああ。この祭りにいきあたっちまったのは、偶然だがな」
しこんだ肉が骨ごととろけるほど徹底的に煮込まれた料理をかっこみつつ、調子をあわせてバラムがこたえる。
「へえ、祭りを見にきたんじゃなけりゃ、仕事かい? いやあ、そんなはずはねえな。祭りの十五日間、とりわけ後半のこの三日のあいだは、たいがいのビジネスは休みに入っちまってるはずだ」
「いや、仕事だ。おれはフェイシスの特捜官でな」ぬけぬけという。「アムラッジェ教団てのを、知ってるか?」
「はあん? いや、知らないなあ」
「じゃあシャルカーンって名前の男は? 見た目はミドルティーンのちょいとした美少年だが、やけにカリスマめいたものがあって、不思議な雰囲気をもった男だ」
幾度となくくりかえしてきた質問を口にしたが、やはり親父もあいまいに笑いながら首をひねるばかりだった。
「アムラッジェ。アムラッジェねえ。アムリタとはそりゃ、関係ないんだろうねえ」
親父は何げなく口にした。
バラムはちらりと片眉をあげる。
「なんだ、そのアムリタ、てのは」
「この先の寺院で半年に一度くばってる、お神酒のことさ」
こともなげに親父はいった。
「はん。なるほど」
うなずきつつ、バラムは失望をうかべる。
が、つづく親父のセリフに、目を見ひらいた。
「なんでもそのアムリタの由来てのが、不老不死の霊水のことらしくてね。古い、古い伝説に関係あるらしいが」
しばし無言で、探索者は親父の赤ら顔を凝視した。
その異様な雰囲気に気づいて親父は、どうにも居心地悪げな笑みをうかべてみせる。
「その寺院てのは、どう行けばいい?」
ややうわずり気味のバラムの質問に、訥々と親父は道順を教えた。
礼をいい、やや破格のチップとともに店をあとにするや、バラムは熱気にあふれる人群れをおしのけるようにして問題の寺院を目ざす。
街の中心にわけいるにつれ、人の密度と喧噪の度合いも濃くなっていく。
いくつもの極彩色の建物をやりすごし、どうやら問題の寺院らしきアシュトラ教分派のシンボルを屋根にかかげた建築にたどりついたとき、世界はすっかり夜の底に抱えこまれていた。
赤を基調にした派手な色あいの木造建築が、かなり広い敷地内にたたずんでいる。
巨大重厚な門内にも、人群れと喧噪はあふれていた。ただ、狂騒的な外部とは、微妙に雰囲気がちがう。
寺院の内部はろうそくの灯明が縦横無数に灯され、さらには怪物めいた容貌の神像を前にひざまずいた老若男女が頭(こうべ)をたれて、一心に祈りの文句を唱えている。
外界のうわついた狂騒とは一線を画した、厳粛な雰囲気がそこには充満しているのだった。
僧らしき者もまた、祈る人びとのあいだをぬうようにして、ひっきりなしに行き交っている。
小僧のたぐいらしい、あどけない顔をした者もいた。
そんな寺院内の様子をしばらくながめやったあと、バラムは小僧のひとりをつかまえて問いただした。
「よう。この寺でいちばんえらい坊さんはどこにいる?」
ぶしつけな質問にも、域外の狂騒の延長とでも思ったのか小僧はさほど不審がることもなく、正面にそびえる神像のかたわらで読経する赤い法衣の僧侶を指さして見せた。
「バグマドさまがそうです」
といいそえるのへ、
「この寺の由来なんかについて、いろいろききたいことがあるんだが、時間は割いてもらえないか?」
と重ねてきくと、しばし待て、としぐさで制していそいそと導師のもとへと歩みより、耳もとにささやきかけた。
伝言に耳をかたむけていた僧侶が、ゆっくりとバラムをふりむき、手まねいた。
堂内に群れた人びとがさして関心をむけたふうもないところを見ると、神像の前の僧侶の存在はさして重要な役割ではないらしい。
バラムはひざまずいた人びとのあいだをぬけて僧侶のもとへたどりついた。
バグマドはゆったりと立ちあがり、無言で先導をはじめる。
木板を組みあわせた廊下をわたり、堂の裏へと出た。
むせかえるような香の匂いがややうすまり、人びとの祈りやざわめきの声も彼方にしりぞく。
かわって、奥行きを強調した奇妙な室にでた。
室の四周には重厚な銅色の鐘がいくつもならび、おなじ色の花をデフォルメしたらしいオブジェが広大な堂内のいたるところに絢爛と配されている。
そしてそれらに囲まれるようにして、門口の広い入口自体を睨睥するほど巨大な、すさまじい形相の神の像が鎮座ましましていた。
憤怒の形相を炎のようにうかべ、どくろの首飾りを胸につらねた六腕の漆黒の神像は、ふいの侵入者を咎めたてるがごとく苛烈な無言の凝視を投げかけてくる。
「エイシャ神です」
僧バグマドは口にして、魁偉な神像の手前、入口より一段低くなった場所に座すと両掌をあわせ、しばし呪文めいた独言を唱えた。それからゆったりとふりむき、バラムにも座すように勧めた。
「今宵より三晩、ハレ・ガラバティのマウリドが行われることはご存じでしょうな」
バラムが無言でうなずくのを待って、
「街を行く人びとが顔面に奇怪な隈取りをしているのを見ておどろかれたかもしれませんな。それに、見れば手荒な洗礼をすでにおうけになったご様子。いかがですかな、この星は」
意外にくだけた口調で、笑いさえまじえつつ問いが発される。
バラムは肩をすくめただけだった。
にこやかに笑いながら小さくうなずき、バグマドはつづけた。
「今でこそ隈取りはやたらに派手派手しく、まるで無意味にぬりたくるのが慣例になっておりますが、あれは昔はハレ・ガラバティが邪神の業火からこの世を救う際に、三日三晩の苦行をへて血まみれになって息絶えた、その行跡を偲んでのものだったわけです。まあ私は、昨今の馬鹿騒ぎも、決してきらいではありませんが、な」
ニヤリと笑い、ウインクをした。どうもこの規模の寺院の座主にしては、ずいぶんとくだけた印象だ。
「当寺の由来をお知りになられたいとか」
「それと、アムリタという神酒のことを。なんでも不老不死の霊水、とかに関係しているときき及んだのですが」
そこで老僧は寺院の由来やそれにまつわる神話などを語りはじめた。
アムリタ、というのははるかな過去である地球時代から、その存在を神話に託して語られていた不死の飲料であること。イムジェとその衛星にあらわれた神エイシャの威光。邪神との闘争においてエイシャの救けを得、業火がイムジェとそこに住む人々におよぶのをふせいだ、ハレ・ガラバティの奇跡とその死。そして復活。
ややくだくだしく、そして多数の象徴と比喩にくらまされてどこまでが事実なのか、あるいは物語の全体がまったくの虚構であるのかさえ判然とはしない物語を、バラムはとにかく最後まで黙ってきいた。
が、伝説のアムリタをガラバティがどこで手に入れたのかも具体的にはわからず、有用と思われる情報には何ひとつ行きあたらなかった。
心中の落胆は見せず、バラムはバグマドに丁重に礼をのべ、ついでのようにきいてみた。
「そういえば、以前ストラトスで耳にしたことがあるのですが、アムラッジェ、という言葉をご存じですか? アムリタという言葉と似ているので、ふと思い出したのですが」
「アムラッジェ、ですか」
とたん、終始にこやかだった僧バグマドの丸顔に、わずかに翳りが落ちたことをバラムは見逃さなかった。