第4部 ジーナ・シャグラト
出された食事は予想していたよりは質のいいものだった。
ベッドのクッションも悪くはないし、扉ひとつへだてて設けられた洗面所も簡易だが機能に支障はいっさいない。
監禁されている立場からすれば、さほど悪い待遇ともいえないだろう。
それでもこの状態はマリッドにとってはきわめて不本意であることにかわりはなかった。
「失礼な話よね、エイミス」
と、肩口にゆらめく黒い鳥影に話しかける。
「これほどの美女をとらえておきながら、拷問のひとつもしようとしないんだから」
わけのわからない憤慨に使い魔はうなずくようにしてゆらゆらとゆらめいてみせる。
ラトアト・ラ人老ウェイレンに拉致されて恒星船に運ばれ、この星にたどりつくまでおとなしくしてみせていたのは、異星人の催眠術にかけられたせいではなく敵の本拠に労せずしてたどりつくためだった。
空中庭園でいともあっさりと昏倒させられたのはあきらかに油断だったが、この牢獄におしこめられて一度の睡眠と二度の食事を供せられるまで行動をおこさなかったのはすべて納得ずく。
なぜなら、使い魔たるエイミスの力を借りればいつでも脱走できる自信があったからだった。
老ウェイレンはとくに脅迫的な態度も見せぬまま、たった一度シャルカーンのもとへ顔をのぞかせたあと、しごく無造作に小室にマリッドをほうりこんでからはまったく顔さえ見せていない。
捕縛しておきながらまじめに尋問する気があるのかどうかもさだかではない放任ぶりだった。
そのことがますます、脱走が容易であることの証左のように思えたのだった。
が、それを実行に移す前にすませておかなければならないことがいくつかある。
「じゃ、そろそろお願いするわね、エイミス」
マリッドの言葉に、黒影は即座に反応した。
肩口からふわりとうきあがり、二、三度、羽ばたきを主人の頭上でくりかえすと、密閉された扉を空気のようにぬけて部屋から外界へとこともなげに出現する。
同時に──マリッドは結跏趺坐したままことりと、気絶するようにして首をたれた。
座したまま眠るように目を閉じたマリッドの意識は──監禁された部屋をぬけて飛翔をはじめた使い魔エイミスに同調し、四囲の状況をじっくりと観察しはじめていた。
部屋の外は洞窟。鍾乳石のたれさがった通廊はつれこまれたときに目にしている。
マリッドの意識はエイミスを誘導してまず、シャルカーンの執務室をめざした。
記憶をたどって鍾乳洞をぬけ、むきだしの岩盤に違和感たっぷりにはめこまれた樫の扉をまぼろしのようにぬける。
最新の機器を設置して組み上げたワークステーションにかこまれて、ジンバルチェアにゆったりと背中をあずけたシャルカーンが、謁見した際とおなじようにコンピュータ・ディスプレイに見入った姿勢でそこにいた。
ちがっていたのは、かたわらに立っているのが老ウェイレンではなく、ストラトスのトーチカで出発をうながす通信を入れてきたスペーサー、ヨーリクであることだ。
二人は音もなく侵入してきた黒影にはまったく気づかず、ディスプレイの表示にながいあいだ見入っていた。
が、やがてシャルカーンがため息とともに口にする。
「わからんな」そしてふりかえり、スペーサーにむけて問いかけた。「何か気づいた点はあるか?」
ジャコメッティの人体彫刻を思わせる針金のごとき亜人類は、表示された羅列をスクロールさせながら構成要素は結晶質であるとか浮遊の際のエネルギーが検出できない理由は“気”を利用しているのではないかなどと、もっともらしいことをいくつか口にした。
が、教団の首魁はそれらのセリフにも特に注意をはらう様子を見せず、ただあいまいにうなずくだけだった。
「ほんとうにこの天使像がそれなのか?」
あげくに疑い深くスペーサーは口にする。
こたえてシャルカーンは、
「それはまちがいない」といった。「老ウェイレンの話はきみもきいているはずだな。ほかの情報がなにをさすのであれ、かれのいうことには信がおける」
「見立てちがいという可能性は?」
なおも愁眉をひらかぬヨーリクに、シャルカーンはかすかに笑ってみせた。
「老ウェイレンを前にして、その言葉をくりかえしてみるか?」
言葉の内容か、あるいはうかべられた笑顔が氷のように冷たかったからなのか──ヨーリクは針金のような肢体をぶるるとふるわせながら、首を左右にふる。
「どうあれ」シャルカーンはディスプレイにむきなおる。「この分析結果からはあまり有効な情報は期待できそうにない。研究室のほうはどうだ」
「分析はつづけているはずだが、像を傷つけるおそれがある実験は禁じてあるからな」スペーサーは気をとり直したように答える。「そろそろ手詰まりになるころあいだろう」
どうする、とシャルカーンに視線をむけた。
「ウシャルのほうは?」
「あいかわらずだな。老ウェイレンは、あの男はほんとうに“秘密”に関してはなにも知らないんじゃないかと考えているようだ。この点では、おれも同意見だな」
「だが、秘法の発動方法やその他のくわしい情報をもっている可能性があるのは、やはりあの男だけだ。拷問の必要性は?」
ごくり、とヨーリクは喉をならす。
「やれ、というなら、やらせてはみるが……」
「効果は期待できない、というわけか?」
氷玉のような双の眼がヨーリクをながめあげた。
返答をつまらせる。
一秒か二秒程度のことだったが、ヨーリクにとっては永遠にもひとしいできごとだったのかもしれない。
ふたたびシャルカーンがディスプレイ上に視線を戻すと同時に、スペーサーは大きくため息をついた。おそらくおのれの演じている醜態に関しては、自覚さえしていないだろう。
「わかった」やがてシャルカーンが、気のない声音で口にした。「ひきつづき分析をつづけさせてくれ」
そっけなく、手のひとふりで退室をうながす。
首魁に対してあれだけの畏怖を見せながら、その瞬間、スペーサーは深甚な落胆をその面にあらわした。
見捨てられた犬のようになにごとかをつぶやき、すごすごと扉をひらいて退散する。
シャルカーンはなおもながいあいだ、ディスプレイにいくつもの情報を表示させては考えこんでいた。
教団の首魁のそんな姿をながめやりながらマリッドは、これ以上の進展はここでは見られないようだと見切りをつけて、ひととおりの分析結果を背後から検分した上でエイミスを移動させた。
複雑に入り組んだ洞窟内をやみくもに探索したあげく、ジョルダン・ウシャルとその御一行を発見する。マリッドのおしこめられた部屋よりはかなり広めで、調度もととのった部屋だった。
ストラトス暗黒街をたばねる“帝王”は、尋常ならざる肥満体を動物園の檻にとじこめられた野生動物のようにせわしなくうろうろと歩かせながら、口汚くおのれのおかれた境遇を呪っているところだった。
やつらはいつまでおれをこんなところに閉じこめておくつもりだ、妙なたわ言をならべ立ててわけのわからない質問ばかりをする、そのくせ自分たちの素性や目的はだんまり、ふざけやがって馬鹿野郎、といったような内容の繰り言を延々とくりかえすのである。
たまりかねたか、カフラがとりなすような口調でおすわりなさいなと、うろつくウシャルの背中をたたいた。
どさりとつくりつけのソファに腰をおとすウシャルの頬に、カフラは淫猥なしぐさでくちびるをはわせた。それからかたわらの万能カウンターに手をのばし、酒をみたしたグラスをとり出すとひとつをウシャルにさしだした。
乱暴なしぐさでグラスをひったくるや、肥満漢は無造作にあおる。
「くそが。やつらはこのおれをいったいだれだと思ってやがる。くそが」
なおもいいつのる帝王を指先で慰撫しながら、カフラはきいた。
「いったいかれらは何を知りたいというのかしら、ダーリン」
「なんだかわけのわからんたわ言だ」不機嫌にウシャルは吐きすてた。「なんだったかな。なんとかの秘密がどうとかいっていた。それを知るためにストラトス政府を脅迫にかけたんだとか、自慢げにいってやがった。軌道ステーションを落としたとかぬかしやがる。馬鹿どもめが」
まあ怖ろしい、とさほど感情を動かされたふうでもなくカフラはあいづちを打ち、重ねて問う。
「その、なんとかの秘密というのは、なんですの?」
「おれが知ったことか。やつらのたわ言だ。くそ、思い出しただけでも腹が立つ。冗談じゃねえ。とっととおれを解放しろ。くそ。ええい、胸くその悪い。あれはなんといったかな。そうだ。シャグラトだ。ジーナ・シャグラトの秘密だ。きき覚えなんざねえだろ?」
「ええ」
と、カフラも首をかしげる。
「いったい何のことなんだ。きかれたって知らんことにはこたえようがない。おれのほうがききたいくらいだ。“ジーナ・シャグラトの秘密”ってのは何だ、とな」
そのとき。
「情報を開示しますか?」
返答がかえってきた。
二人の背後から。
ぎくりとしてふりかえる。
ひそんでいたエイミスもまた、首をのばすようにして身をのりだした。
こたえを返したのは、ダリウスとクレオ──長椅子のうしろに彫像のように無言のままひかえていた二人の小姓であった。
「おまえら……」目をむいたまま、ウシャルはいった。「そうか……おまえらが知っていることだったのか。ということは……もしかして初代の……」
ぼうぜんとした凝視をうけて、二人の美童は双子のようにならんだまま無表情に返答を待ちつづけている。
「よし……」
くちびるの端から舌をはわせながら、ウシャルはうなずいてみせた。
が──話せ、と、その口が言葉にする前に──
「お待ちになって、ダーリン」
抑揚を欠いた口調で、カフラがいった。
んん? とひょうきんに目をむいてふりかえったウシャルも、マダム・ブラッドの凝視する一点を見て眉をひそめる。
「なんだ、そりゃ」
いいつつ、身をのりだした。
見つかったことに後悔のほぞをかみつつ、エイミスに同調したマリッドはすばやく後退した。
針のような視線をその動きにすえたまま、マダム・ブラッドがいった。
「以前、帝国域で活動をしていたころに、おなじようなものを幾度か見かけたことがありますわ。使い魔──魔術師のつかう、うす汚い妖霊の一種だとききました」
なに? と帝王も怒気を顔面にのぼらせる。
「スパイか。くそ、ふざけやがって。おれたちの会話まで監視してやがったってことか。野郎、夫婦生活をのぞき見るとはゆるせねえ」
憤慨しつつ立ちあがり、のしのしと歩みよって影につかみかかる。
むろん、つかめない。
その上、エイミスは挑発するようにしてひょいひょいとはねまわってみせた。
罵倒を吐きちらしつつエイミスを追いまわすウシャルを、苦笑しながらソファから立ちあがったカフラが背後から制する。
「ダーリン、実体がないから物理的に排除しようとしても無駄よ。わたしが撃退法を知っているから、いますぐにここからしめ出してしまうわ。ちょっとお待ちになって」
興奮するウシャルを長椅子にすわらせると、影を前にしてひざまずいた。
瞑目し、呪文を唱えはじめる。
退魔呪文はだれにでも使えるもの、というわけではないが、ちょっとした訓練さえすれば魔術師でなくとも習得することは可能だった。となれば、マダム・ブラッドは帝国域で活動していた時期にそれを成しとげた、ということになる。
またたくまにエイミスは、突風に吹かれるようにして部屋からしめ出された。
もう一度、今度は気づかれぬように侵入をかけようとしたが、結界──不可視の境界をはりめぐらされたらしく、見えない壁にはばまれて一帯に近づくことさえできなくなった。
まずったわね、と心中ひとりごち、しかたなくマリッドは探索を再会しようと、エイミスに移動を命じた。
使い魔は──何かに気をとられたように、動かなかった。
なにごとかとエイミスの視線を通じて四囲に気を散らし──くちばしを持つ異星人が興味深げな目つきで自分を──つまり、エイミスの黒影を──見おろしているのに出くわした。
「これはおもしろい」老ウェイレンは、何かすばらしい宝物でも見つけたようにほくほくと口にした。「おかしな気配がうろついている、と見にきたのだが、実におもしろいものを見つけたわ。“気”のかたまりに、何者かの意識が憑依しておるようだの。さて」
と、手をのばした。
危機感をおぼえ、マリッドはエイミスに退却を命じた。
機先を制するように──奇妙なリズムをともなった歌声が、呪文のようにくちばしの奥からひびきはじめた。
背筋が凍るのをおぼえ、マリッドはほとんど反射的に意識の同調を解いて肉体に帰還した。
間一髪だった。
そのことに気づいたのは、いくら呼んでも使い魔が返答さえできない状態にあるらしいことを納得させられたときだった。
エイミスは、老ウェイレンによってとらえられてしまったらしい。
すなわち──いつでもできるとたかをくくっていた脱出の手段を、完全に封じられたことにほかならない。
「遊びすぎちゃったかな」
結跏趺坐の姿勢のまま、ため息とともにマリッドはひとりごちた。
口にしたセリフほど軽い気分にはなれなかった。