不穏の律動
3Dフェイスにひしめく群衆の姿がうつる。
パンアップ。
緑の庭園。人工の森と流水。レストハウス。赤煉瓦のペーヴメント。
ラベナド第二公園。一般には、ラベナドの空中庭園と呼ばれている。反重力を利用したシステムによって、半永久的に宙を浮遊しつつ、さだめられたコースを微速で移動する空の人工公園である。
舞台装置はこの上なくのどかで、まさかそのどこかに、隣接惑星ジョシュアをゆるがせている悲劇の元凶が一部、かくされているなどとは想像だにできない。
ひしめく群衆の顔は、頭上の蒼穹の彼方にひそむ惑星を襲うカタストロフの波及効果を懸念してか、かすかに不安と憐憫とをうかばせてはいる。だがしょせんは他人事だ。
第四惑星ジョシュア全土を蹂躙する悪夢のような気象異変に、恐怖にかられた人々は逃げ場を求めて救いがたい暴走をつづけている。
その余波はすでに、ここ第三惑星ラベナドにもおしよせはじめてはいるが、少なくともこの空中庭園にはその牙のとどく余裕はないらしい。
CRTの光景がゆっくりと旋回した。
シャトル発着場。
祝祭日でもないわりには、スペースはずいぶんうまっている。
が、先の光景とはちがってそこには、あきらかな異変がしのびよっていた。
おそらくその兆候に最初に気づかされたのは、地上へ、あるいは軌道上への帰途につこうとライナーや自家用機に戻りかけた連中だっただろう。
整然と区画されたポートはなかば近くまで溶融し、どろどろにとろけたガラス質の傷痕をさらけ出していた。
残された半分の区画も、まるで巨人の癇癪の一撃をでもくらったようにぐしゃぐしゃに崩壊し、とうぜん駐機していた機体もまたほとんどすべてが使いものにならなくなっていた。
着陸できるスペースはほとんど見あたらない。
パイロットはかなり上空で浮遊艇(フライア)を旋回させながら降下場所を検討していたが、やがて無造作に機体をおろしはじめた。
とたん、前方に派手なスパークをまきちらしながら巨大な雷球がぐわりと拡大した。
「や、なに?」
と小さく悲鳴をあげたのはマリッドだ。
パイロットは顔をこわばらせつつも、みごとな操艇で不意の攻撃を回避して、ふたたび機体を上昇させる。
「やつらだ」バラムは発着場の一角に巣くった三つのフードの人影を指さした。「見ろ。グレネードランチャーかまえてやがる。プラズマ弾のストックもたっぷりあるようだぜ」
言葉どおり、CRT内部では橙色のフードつき長衣に身をつつんだ異装の三人にとり囲まれるようにして、天にむけて屹立したランチャーの鈍色に輝く筒と、そして数十個単位の軍用プラズマ弾収納ケースが何段にも重ねておかれている。
一人がマシンブラスターを手にして遠まきにながめやる一部の群衆を威嚇。
残りの二人は頭上をふりあおいで、着陸できずに旋回するいくつかのフライアを注意深く観察している。
「近づきすぎたフライアには、いまみたいに威嚇をくらわせる、というところだな」緊張をあらわにしつつ、パイロットが解説を加えた。「道理で戻ってくるライナーやフライアが多いはずだ」
「いまのところは、威嚇だけですんでるみたいね」
と、これはマリッドの分析だ。画面内部にはすくなくとも死体や怪我人のたぐいは見うけられず、撃墜されたフライアのあげる煙塊も周囲には見られない。
「アムラッジェの連中かしら」
「たぶんな」バラムがこたえた。「どうやらおれたちは正しい道を選択しているらしいぜ。いずれにしろ、簡単にはおりさせてもらえないようだがな」
言葉に反応してか、どうする、とでもいいたげにパイロットが、マリッドとバラムとを交互に見やった。
「とびおりるしかなさそうだ」
「──空から? あそこまで?」
バラムの独白に、マリッドはあきれはてたようにいった。
「おまえについてこい、などというつもりはないさ」
「あら、つれないじゃない。それが今まで幾度となくたすけてもらった男のセリフ?」
「感謝はしてるさ」
ニヤリと笑いつつ横目で見やるのへ、マリッドは鼻白んだように頬をふくらませてみせた。
笑いながらバラムは、操縦席に声をかける。
「てきとうに近づけてくれ。勝手に降下する」
「危険だ」すっとんきょうな声音でこたえがかえる。「ランチャーだけならともかく、ブラスターはかなりやっかいだ。それに連中の武装があれだけとはかぎらないんだぜ」
「なんとかするさ」
軽い口調で応じるバラムに、マリッドがあきれたように視線をむけ、
「わたしには無理よ」
「だからおとなしくここで待ってろ」
「おことわり。あんたに、わたしを抱いてとびおりてもらうわ。いいでしょ? これほどの美女を横抱きにして、さっそうと天からふるなんて、まず二度と機会はないわよ」
「残念だが、おれには力不足だ」
「あら、たたいてた大口、どこにいったの?」
「大口じゃない。おれ一人なら、プラズマ弾の射程外からでも降下は可能だ。しかし体重が倍にふえれば、おのずと話がちがってくる」
「わたしそんなに太ってないわよ」
不満げにもらすマリッドを横目に、
「じゃ、射程内の半分まで降下するか」意外にもパイロットが妥協案を提出した。「それでどうだい、バラム?」
「気がすすまんな」
「できるのね?」
マリッドがたたみかける。バラムは小さくため息をついた。
「一瞬でいい。連中が狙い撃ちする中で静止できるか?」
「やってみるよ」あきらめたような口調で、パイロットはいった。「気はすすまんがね」
「決定ね」勝ちほこったように、マリッド。「やとい主の意向にしたがってもらうわよ」
「仕事をうけたおぼえはない」仏頂面でバラムがひとりごちる。「このごたごたがすべてかたづいたら、おまえら二人ともしめ殺してやる。逃げるなよ」
「承知した。いくぞ」
冗談とは思えない平然とした口調でパイロットがうけるや、蒼穹をフライアが急旋回した。
「静止する直前にハッチをひらく。声をかけてくれ」
「わかった」
と、パイロットがこたえる。
「来な、マリッド。散歩の時間だ」
「ちょっと待ってよ」
「急げ。化粧直しの時間はねえぞ」
「はーいパパ」
「だれがパパだ」
ぶつぶつとつぶやくバラムに、マリッドはくすりと笑いをもらした。
ハッチのかたわらで、バラムはマリッドの腰に手をまわして小柄な身をぐいとひきよせた。
眼下の空中庭園がゆっくりと近づいてくる。
「いいコンビだな」
パイロットが、ぽつりといった。
「何ぬかしやがる」
「冗談じゃないわ」
目をむくバラムに、マリッドは「ねえ」と同意を求めた。小さく、パイロットの笑い声がきこえた。
ほぼ同時に、艇のかたわらで白熱の光球がひろがった。
「正確だぜ。威嚇のうちはともかく、よけ切れるのか?」
うたがわしげなバラムの問いに返答をよこすかわりに、一気にフライアのスピードがあがった。
自由落下ではなく、重力下方向にむけて加速したのだ。
フロントヴュウに空中庭園の遠景が一気にぐいと肉迫した。
噴射された黒塊が、プラズマ球に拡大したときはリアヴュウに移行していた。射撃をスピードで後方におきざりの手だ。
「見てくれににあわず、かなり荒っぽい」
ぽつりとバラムがつぶやく。
「あんた好みの手じゃない?」
「自分でやる分にゃ、な」
ひそやかな論評には気づかぬげに、パイロットの声が投げかけられた。
「停まるぞ」
同時に機体はずわりと百八十度回頭し、ごうとノズルから火柱をひとつ噴き上げてからぴたりと静止した。めちゃめちゃな操艇だ。
慣性にふりまわされそうになるのを、にぎりしめたハッチのグリップをつかむことでかろうじて回避し、バラムは「馬鹿野郎」と軽く毒づきつつ荒々しく扉をひらいた。
ご、と突風が吹き出すと同時に、盛大な耳なりが頭蓋内部に反響する。
行くぞ、ともいわずに、ためらいもなくバラムは宙に舞った。
抱きかかえられたマリッドが小さく「ひえ」とつぶやく。
かんだかい噴射音とともに、下方から煙の尾をひいた黒塊がとびだした。
標的はもちろん、とつぜん静止したフライアだろう。
間をおかずに、雷球が展開した。ややポイントはずれているものの、かなり近い。
ど、とフライアのノズルが火を噴いたときには、二撃目が、そして間髪入れず三撃目が、はなたれていた。
尻を蹴たてられた馬のようにフライアがとびだした。
ほとんど同時に、一発がそのどてっ腹に命中した。
黒煙があがり、螺旋の渦を描きながらフライアは急落する。
そのときにはもう、攻撃の矛先はバラムとマリッドにむけ直されていた。
マシンブラスターのやけに軽い連続音。それに、ハンドガンの重厚な発射音と閃光。衝撃波がいくつも、かたわらをかすめ過ぎていった。
溶け崩れた駐機場が眼前に迫る。
バラム──悲鳴まじりの叫びが、マリッドの喉まで出かかった。
口にする前に、風が動くのをマリッドは感じた。
落下時の切り裂くような風ではない。
急降下する二人の肉体をつつみこむ、ゆるやかな螺旋の風。
衝撃が、つきあげた。
地面が沈みこむような感覚がマリッドを襲った。
事実、沈みこんでいた。
球型の岩塊がたたきつけられたように、ガラス質に変じた駐機フロアがひび割れながらクレーター型に沈下していく。
しゃらしゃらと音がただよってきそうだった。
無数の輝く細片が放射状にとび散り、やみくもに放射されるマシンブラスターとハンドガンの銃撃が、大気を焼き焦がしながら幾重にも交錯する。
マリッドの肩口に出現したエイミスが、興奮したようにその黒影を激しくふるわせながらぐるぐると旋回しはじめた。
「バラム──」
おろして、とつづけるよりはやく、疾風のような移動感覚がおとずれた。わきの下のホルスターに右手をのばしかけたまま、マリッドはなすすべもなく息をのむ。エイミスは、後方におきざりにされていた。
空気が、鋭利な凶器と化したかのようにヒステリックなうなりをあげた。
強化人間が超知覚モードに移行したらしい。もっとも──バラムにしてみればそれはきわめて中途半端な移行であろうことも推測できた。生身の人間を抱えている以上、衣服の布地が燃え落ちるほどの高速で移動するわけにもいくまい。
だが抑制されてなお、その移動速度は狂気じみていた。
視界後方が夜のように暗くなる。
ブレた像がいくつも重なり、閃光が同時に八方ではじけ飛んだような気さえした。
現実には、三方向だった。
だしぬけに視界が静止し、昼の陽光が戻ってきた。精神が慣性にめまいを強いられながら必死に状況を把握しようと努力する。
どさり、と、橙色の長衣をつけた人影がふたつ、たおれ伏すのを目撃した。
胸と、腹に銃撃をうけている。
バラムの両腕はマリッドを横抱きにしたままだ。
となれば──高速移動をくりかえしながらバラムが、意図的に同士討ちを誘発したのだろう。
三人めはぼうぜんと目を見ひらいて、眼前の信じがたい光景をながめやっていたが、ふいに憎悪をこめて手にしたハンドガンをかまえ直した。
バラムがふたたび高速移動に入る前に、手にした銃のトリガーをマリッドがひきしぼることができたのも、ほとんど反射のたまものといっていい。
音よりもはやく額、目と目のちょうど中間点を兇悪な光条が撃ちぬき、頭蓋内容物の湿ったかけらとともにフードが後方にはじけ飛んだ。
ようやく追いついてきたエイミスの鳥影が、フードの後方でふわりと弧を描く。
長衣につつまれた身体が棒のように背中からたおれていったのは、一拍の間をおいてからだった。
「上出来だ」
ニヤリと笑ってバラムがいった。
とっさに返す言葉を思いつかずに、マリッドは刃物のようなテロリストの顔を見つめかえす。
遠ざかった。
なにごとか、と思考が疑問をうかべる前に、解答は背中からおとずれた。
どさりと地にたたきつけられる衝撃。ほうり出されたのだ。
「ちょっと。いきなり乱暴じゃない。なっちゃいないわよ、女のあつかいかた」
「夜宴都市の貧民窟で育ったんでな」
うす笑いをうかべながらバラムはこたえ、くるりと背をむけると小走りにかけ出した。
「ちょっと。おまけにせっかちで自分勝手なマイペース! あんたって最悪」
罵声を投げかけながらマリッドは起き直り、あわててあとを追う。エイミスが小刻みにからだをふるわせながら、走るマリッドの肩口にすばやくとりついた。
溶融し飴のかたまりと化した駐機スペースをよじのぼり、途中から原型をとどめた階段に移る。エスカレータは下半分を損壊させられまったく機能していない。
昇りきる。
野次馬半分の人群れを、おしやるまでもなく後退させ、三つのペーヴメントのうち距離がもっとも短いと思われる一本を選んでおりた。
目標は、ラベンの七天使像──アルガ星天宮の天使。
広大な公園敷地内のほぼ中央に位置する人工湖の、螺旋状に成形されたフィールドにそれはある。
典型的な空中庭園のひとつであるラベナド第二公園の基本的な構造は、地上の風光明媚な一角をそのままえぐり取って宙にうかべた形だ。
周囲の森林や小川も、基本的にはラベナドが最初にテラフォーミングをうける以前の自然状態をベースにもっていた。
アスレチックのように複雑な迷路形態をほどこされているわけではないが、かといって樹林をぬうように設けられた遊歩道が単純な直線路、というわけにもいかない。
のんびりと散策を楽しむならともかく、アムラッジェ教団相手の出おくれた先着争いの最中であるバラムたちにしてみれば、景色や深い森林の雰囲気を楽しみ味わう余裕などもちろんない。
ホログラムの蝶が眼前をひらひらと横切ったが、バラムもマリッドも心なごむ演出などまるで無視して前進をつづけるだけだった。
が──ふいに、バラムが立ち止まった。
異変を感知したのだ。
視線に疑問をこめて無言で見あげるマリッドを手で制して、耳をすます。
かすかな異音が、聴覚を刺激した。