隠者の指標
バラムとマリッド、それぞれが腰からつるしたハンドライトが、またたくようにしてちらちらと明滅した後、ふいに光を喪失して沈黙した。
お、と喉をならしつつバラムは簡便な装置に手をやった。
スイッチをひねりまわしてみたが、投光機はすねた子どものようにだまりこんだまま、光のかけらをさえ身にまとおうとはしない。
ち、と舌を鳴らしつつ、マリッドのいたあたりに手をのばしかけ──
べつの光を見た。
眼前、隠者ハニの無惨な屍骸がころがっていたあたり。視線はやや上むきだ。
ただようような、蒼白い、たよりなげなおぼろな光だった。
その光に照らし出されて、いのる姿勢のまま頭だけをあげたマリッドのうしろ姿が、影となってうき上がった。
光の周囲を、興奮した野鳥のようにエイミスの黒影が飛びまわっているのも見える。
それでいて光源の足もとに残虐に横たわるはずの屍体が照らし出されないのは、いかなる超自然の選択のたまものなのか。
理由はさだかならぬまま、バラムの眼前でマリッドとはべつに、もうひとつの人影がおぼろに姿をあらわした。
蒼白い光輝のただなかに。
黒い、聖職者風の長衣に、おなじ色の帽子。
どこからどう見ても宗教家といった感じで、一時は大学に席をおいていた有名な考古学者といった感じではない。
この奇態なファッションが半世紀ほど前の流行で、その当時はストラトスでは、老いも若きも、聖堂にこそふさわしいようなこのたぐいの衣服を身につけて街路を闊歩していたのだ──などとはもちろん、バラムもマリッドも知らない。
服装がうす汚れてもいず、ほのかに神秘と威厳をさえただよわせているのは、状況の異様さをさしひけば、あらわれた存在のもっとも輝かしい記憶を忠実に再現していたせいかもしれない。
ながくのびた髪も髭も、ざんばらという印象からはほど遠く、奇妙な風格をかもし出している。
だがそれらの不可思議な威厳を、唯一、裏切っているものがあった。
目だ。
よどんだ両の目は光ひとつ宿さず、焦点をもさだめぬままうつろに宙をさまよっている。
そのよどんだ目が、いかにも気がすすまないといいたげによろよろと虚空をさまよったあげく、どんよりと眼下のマリッドにむけられた。
ひざまずいて手を胸前に組んだまま、マリッドはよわよわしい光のなかの幻像にむけて、ためらいのない視線を結んだ。
「ハニ・ガラハッド?」
問うた。
とんでもない問いかけも、眼前にうかぶおぼろな像を前にしては違和感ひとつうかばせない。
バラムにしても、お伽話程度には知識があった。
屍魂召還者(ネクロマンサー)。
あるいは単に巫女(シャーマン)、とも呼ばれることがある。
死者の魂を招び出して会話を交わす──神聖銀河帝国における神秘のヴェールにつつまれた魔術師(メイガス)たちの、種々の秘法のなかでも代表的な技術のひとつだ。
科学的にはいまだにいっさいの証明を下されぬまま、美しき宇宙の調和からはずれた異形の不協和音としてその存在だけが消極的に認知された、不可知の闇に属する技術のひとつ。
もっとも、機能もその検証方法も確定してはいない以上、帝国のみならずフェイシスやエル・エマド圏内においても種々の詐欺、詐称の横行する分野であることもまた事実で、すくなくともバラムはこの種の技術がまごうかたなき真実である、という場面を目のあたりにしたのは、エイミスをのぞけばこれまで一度としてなかった。
そのエイミスにしても、得体の知れない黒い影という以上に魔術の所産であるという確たる証拠は見せていない。
どうやらこれが、その証拠となりそうだった。
バラムは内心の驚愕をおさえこんで無言のまま、なりゆきを見守ることにした。
「ハニ・ガラハッド? 隠者ハニなの? こたえなさい」
淡々とした口調で命ずるマリッドにむけて、浮遊するおぼろな幻像はいやいやをするようなしぐさで、くちびるをわななかせながら、つぶやくようにして声を発した。
「行かせて……くれ……。行かせて……」
「まだダメよ、隠者ハニ」冷徹な口調で、容赦なくマリッドはいった。「わたしの質問にこたえてから。だれに殺されたの?」
「たのんだのだ……」魂魄は、苦痛にみちた口調でそういった。「苦しみにみちたこの世界は……もう……たくさんだ……」
「だれに殺されたの?」
しんぼう強く、マリッドはくりかえす。
隠者ハニはあきらめたように、こたえた。
「小男……それと、ラトアト・ラ人……」
無言のまま、バラムは眉をひそめる。
小男というのはクオントのことだろう。
となれば、バラムの胸に銀針を打ちこんだあの影だけの老人が、ラトアト・ラ人、ということか。
低重力下でつちかわれた強靭な体力と、なによりも音声を中心とした強力な催眠技術をもつとされるラトアト・ラ人は、敵にするにはやっかいな相手だった。
「殺される前に、かれらに尋問をうけたはずね?」
浮遊するおぼろな像がうつろにうなずくのを待って、マリッドはつづけた。
「何をきかれたの? その時にこたえたことをすべて、もう一度くりかえして」
「ジーナ……シャグラトの秘密……」
「すべてこたえなさい」
強い口調で、マリッドはくりかえした。
魂魄は哀しげな視線をうつろにただよわせてながい沈黙をおいたあと、口をひらいた。
「ジョシュアーンの……秘法だ……。死と……再生にまつわる……。その方法はわしにはわからない……。知っているのは……アルウィン・シャグラト教授と……ジーナだけだった……」
「それはラウダスの滅亡に関係あるの?」
問いに、隠者ハニは首を左右にふってみせた。
否定のしぐさかと思ったが、どうやらいやいやをしているらしい。次のセリフで、それと知れた。
「忘れたい……」
「浄化すればすべての記憶は天に溶けるわ」やさしげな口調で、マリッドはいった。「だから今のうちに、ぜんぶ話しておきなさい」
おーこわ、とひそやかにバラムがつぶやいたとき、初めてマリッドがちらりとふりむいてみせた。刺すような視線で、だまってて、と低くつぶやく。
鼓舞するようにして、エイミスが音もなくハニ・ガラハッドの周囲をくるくると飛びめぐる。
魂魄は、重い口調でつづけた。
「秘法を……再現したのだ……。それでラウダスは消えた……」
さらに先を待つようにしてながいあいだマリッドは沈黙していたが、隠者ハニはそれ以上は語ろうとはせずゆらめいているばかりだった。
ため息とともに、マリッドはふたたび問うた。
「アルウィンとジーナは、どうなったの?」
知らない、と隠者はうらめしげな口調でこたえただけだった。
「ほかにそのことを知っている者は?」
「死んだ……みんな死んだ……闇と……光に呑まれて……収斂して死んだ……」
「それはどういう意味?」
困惑もあらわに問いかけてみたが、どれだけ強く命じても隠者は哀しげな顔で首を左右にふるばかりだった。
歯がみとともにあきらめかけ、新たな質問に切りかえようとしたとき、ハニがふいに口をひらいた。
「シャグラト教授の……後援者……」
バラムもマリッドも目をむいた。
「それはだれ? その人なら、ジョシュアーンの秘法について何か知っているの?」
「かも、知れぬ……」
「それはウシャルか? ジョルダン・ウシャルか?」
性急な口調で問うバラムを、今度はマリッドも咎めずにいた。
が、ハニ・ガラハッドの魂魄は力なく首を左右にふっただけだった。
「ジョルダン・ウシャルのことを知っている?」
失望もあらわにマリッドがきく。
こたえは予想どおり、否定だった。
「なら、その後援者は? 名前はなんていうの? 住んでいるところは?」
「住所は知らない……。わしは……秘法の解明には直接は関わってはいない……。名前は……タウカリ……ほかは知らない……」
「そのタウカリという人は、今でも生きているの? ラウダスで死んではいないの?」
「知らない……ラウダスには……いたかもしれない……いなかったかも……」
「ストラトス情報部はどう関わる?」バラムがきいた。「ジョシュア分室だ」
が、隠者ハニは、知らない、とよわよわしくつぶやきながら首を左右にふるうばかりだった。
「ほかにジョシュアーンの秘法に関わることで、何かある?」
「死と再生……」
隠者ははげしくゆらめきながら、うわ言のようにくりかえしはじめた。
「死と……再生……。ジョシュアーンの……忘れたい……身がわりにジーナが……ジーナが……ラベナドに……アルガの天使……天使……死……」
待って、とマリッドが叫ぶよりはやく、幻像は弾けるようにまばゆく輝いた一瞬ののちに──消えた。
濃い、おしよせるような沈黙をともなった闇がふりかかった。
そのまま、永遠とも思えるような時が過ぎた。
ふと思い出したようにハンドライトがまたたき、あわい光でつつましく闇をてらし出した。
飛びめぐっていたエイミスの影が、収斂するようないきおいでマリッドの肩口に帰り、そのまま手品のように消失する。
そして沈黙がおとずれた。
屍骸と臓物にたかる小動物の数がふえている。
それ以外は、何もかわってはいない。
「結局」ながい沈黙のあと、バラムがため息とともにつぶやいた。「何もわからなかったな」
「そうでもないわ」これも消沈した口調で、それでもマリッドはバラムの言葉を否定した。「手がかりはつかんだもの」
片眉をつりあげて疑問を表するバラムに、マリッドは力なく微笑みながらこたえた。
「ラベナド。アルガの天使。すくなくとも行ってみる先だけはできたわよ」