第3部 地下生活者たちの憂鬱
かすんだ視界が、ふいに焦点をむすんだ。
その先にあわく微笑する、少年めいた美貌があった。
ふん、とバラムも鼻をならして笑ってみせる。
「ずいぶんと眠っていたものね」
からかうような口調でマリッドはいった。
簡素な白い衣服にその小柄な肢体をつつんでいる。
視界に入る室内の様子も白を基調にそっけなく統一されているところを見ると、まちがいなく病院のベッドの上だ。
「やつらはどうした?」
おのれの内部の、生の感触を快く手さぐりしながら、バラムは静かに問うた。
「いまのところ何も情報はないわ。沈黙したまま」
「逃げたのか?」
「トーチカにいた恒星船は行方知れずね。すでにストラトスからは脱出した可能性も、ないわけじゃない」
「そのいいかたじゃつまり、その可能性はうすいってことか?」
「まあね」マリッドはうなずく。「ジョルダン・ウシャルを手中にすれば何もかもOK、ってわけでもないみたい」
「くわしく説明してくれ」
「と、いわれてもね」マリッドはあいまいに笑いながら肩をすくめた。「やっぱり情報部にとっては、わたしだって部外者だから。何をきいても知らぬ存ぜぬよ。個人的に調べた部分なら、多少は進展してるけど。ききたい?」
「もちろん」
即座に返された答えに、マリッドは軽くうなずいてみせる。
「以前シャグラトって姓はジョシュア近辺に分布してるって教えたわね。でもジーナ・シャグラトはいなかった。だから、過去百年にレンジを広げてみたの」
「いたのか?」
半身を乗り出すバラムをベッドにねかしつけながら、マリッドは深くうなずいた。
「七十三年前。ジョシュアタルダスのラウダスシティ。彼女、つまりジーナ・シャグラトが死んだ年よ」
「ラウダス? きいたことがあるな」
「あんたけっこう呑気者ね。ストラトスでラウダス、七十三年前っていってピンとこない人って、かなりの少数派だと思うけど」
「よけいなお世話だ」
「じゃ、ジョシュアーン、て言葉にききおぼえは?」
「バカにするな」仏頂面でバラムはこたえた。「先史文明人の一種だ。ストラトスの、それも特にジョシュアとその四つの衛星にひろく遺跡をのこした連中だ。文明の内容も滅亡の原因も不明だが、すくなくとも二万年ぐらい前までは繁栄していた。外見は地球人に酷似しているらしいな」
「解答としてはだいたい模範的ね。じゃあもとに戻るわよ。七十三年前、ジョシュアタルダスの一角で異変がおこってシティがひとつ、まるごと消えてなくなった事件があったの」
「それがラウダスか」思い出した、といった顔つきでバラムはうなずいてみせた。「で?」
「異変の全貌はいまもってヴェールのむこう側だけど、都市が消えてなくなる直前、ラウダスとその周辺地域でエネルギーが一瞬にして枯渇した、という話よね。その後、閃光とともにラウダスは蒸発したように消失し、あとにはえぐりとったような半球状の、ガラス化した大地が残されていた。この前のニフレタ蒸発をのぞけば、ストラトス最大の惨事として名高いわ。しかもニフレタの場合とはちがってラウダス消失は、その原因さえわかっていない」
「それがかかわりあるってのか。“ジーナ・シャグラトの秘密”とやらと」
「そこまではいえないけどね。でも、すくなくともジーナ・シャグラトという女性がラウダスの消失現場にいあわせた、というのは事実らしいわ。それにもうひとつ」
「なんだ?」
「ジーナはラウダス大学の助手だったの。そして彼女の父、アルウィン・シャグラトは同大学の教授。専攻は二人ともジョシュア考古学ね。とくにおとうさんのアルウィンのほうは、ジョシュアーンのことに関しては銀河有数の権威だったそうよ。
もっともラウダスの消失事件とともにジョシュアーン関連の資料も多くがうしなわれたらしいし、研究者もかなりの数が鬼籍に入ったんだって。ことジョシュアーンのことに関してはラウダス大学の右に出る研究機関はなかったし、したがってジョシュアーンの研究者はほとんどがラウダスかその近辺に在住してたってわけ」
「ふん」
短くうなっただけで、バラムはしばし考えるように沈黙した。
「つまり“ジーナ・シャグラトの秘密”てな、ジョシュアーンにかかわりがある、と」
「かもしれない、ってところね。確信はないわ。でもほかに手がかりはないし」
「ずいぶんとあいまいな手がかりだ。第一、生き残りがいないってんじゃどこをどうさがせばいいのやら」
自嘲気味にバラムがいうのへ、マリッドは笑いながら首を左右にふってみせた。
「アルウィンもジーナも死んでしまったのは事実だけど、一人だけおもしろい人が生き残ってるわ。しかも、わたしたちがいまいるクラルシティの、ごく近くにね。
その人はアルウィンとならんでジョシュア考古学のことを研究していた碩学で、消失の二年前に行われた大規模な遺跡発掘にも、アルウィンやジーナといっしょにたずさわっているのよ。消失事件の時は偶然、クラルの実家に里帰りしてて奇禍をまぬかれたらしいわ」
「ほう」
と短くうなっただけで、バラムは視線で先をうながした。
マリッドはうなずきながらも、ふいに暗い顔になった。
「でもその人の正確な居場所は、現在は不明ってことになってるの。どうもあの事件の直後くらいに大学から姿を消して、家族とも接触を断ってしまったらしくってね。
その人を見かけたってうわさはあるんだけど、その見かけた場所を考えてみると信憑性はかなり低いわ。事実、家族が真偽のほどをたしかめてみようとしたらしいんだけど、はかばかしい結果は得られなかったって」
「どこだ、そこは?」
「クラルの郊外に、かなり深く沈下して見捨てられた旧市街があるのは知ってる?」
「ああ。タチのよくない連中がたむろしてる場所だ」
「見かけたのは、そのタチのよくない連中らしいわ。しかもうわさの場所が、そういった人たちでさえ近づきたがらないような、日の光もとどかない地下の深部。どう? うさんくさいでしょ? でもほかに手がかりはない」
「なら、行くしかなさそうだな」
「よろしくね、ダーリン」
バラムがうろんげに眉をしかめてみせるのへ、笑いながらマリッドはいった。
「もうすこし調べておきたいから、わたしは遅れていくことになると思うわ。一足先に様子みといて。だいじょうぶ、情報部の連中には、一時手を組むってことであんたのことは納得させてあるから」
「人使いの荒いこったな」苦笑しながらバラムはつぶやき、「で、その碩学の名は?」
「ハニ・ガラハッド。クラルの見捨てられた地下都市では、隠者ハニ、という名で知られているらしいわね」
水のしたたり。
不規則に。深い地の底から、とぎれとぎれにひびいてくる。
かすかな反響。
ハンドライトのささやかな灯り以外に、ここには光はかけらもない。
かすかな星明かりのもとでさえ、陰影のかなりの細部までとらえることのできるバラムの視覚も、濃密な黒の奥底を見透すことなどできそうになかった。
空気は重くよどみ、まとわりつくようにしてゆっくりと渦まいている。
耳をすませば、微音がささやかに周囲をめぐるのがわかる。
アルビノの虫や小動物がはいまわる音。壁を、床をやぶって流れる地下水のせせらぎ。断末魔のうめきのごとく断続的にひびく、いまにもとぎれそうな得体の知れぬ機械音。
鋭敏な嗅覚を、たえまなく異臭が刺激する。
腐りはててよどみ、土にかえる寸前の異臭。油と、どぶ泥のにおい。
そして──冷気だ。
空気の一粒にまでしみ通った、深くするどい、冷気。
人の気配は、絶えてない。
足をふみだすたびに、ふみしめた足もとがぐずぐずと沈下していく。死の境界の、一歩手前の領域だ。
「くそったれたところだな。ええ、おい」
地下にむけて、呼びかけるようにしてつぶやいた。言葉は、深く闇に吸われていく。
無感動に、バラムはふたたび降下を開始する。
おりながら、おのれの肉体の内部へと深く、精神の触手をのばした。
脈拍、呼吸ともに正常。“気”のめぐりにもまた、いささかの乱れもない。
が──それでもバラムは変調を感じていた。
どこがおかしいのかをはっきりと特定できない。
肉体を売りわたしたときから、ある意味ですでにバランスは崩れはじめていた。それがいよいよ本格的に具象化しはじめた──ただそれだけのことにすぎない。
つまり、超人的な殺人機械と化した代償として、いよいよ死神がウインクを開始したということだ。
潮時なのだろう──心中思い、自嘲気味に笑った。
死ぬのがこわいか?
自問してみる。
実感はまるでわかない。いまのところ、恐怖は麻痺したままらしい。
が、それも近いうちにおしよせるだろう。おそらくは、最悪の形で。
もう一度、だれにともなく嘲笑をうかべてみせた。
くちびるの端が、神経質にゆがんだだけだった。
縦横に崩れかけた鉄骨を危うくふみわたる。
くずれた壁。むき出された土。流れる水音。足うらのさびた感触。
ここに住居をかまえる者など、死霊以外にはあり得まい。
くそったれたところだ、とふたたびつぶやき──眉をよせた。
顔をしかめて、鼻をならす。
まちがいない。たしかに血臭だった。
ハンドライトをはるか下方にむけ、においの源をさぐりながら下降をつづける。
やがてよわよわしい光の底に、あざやかな色彩がひろがった。
赤だ。
梁から梁へ、すばやくとび移り、バラムは殺害現場を目ざして危うい降下をくりかえした。
さびた音を発して鉄骨がおれ曲がり、かわいた土くれがあちこちでくずれ落ちる。
ふりそそぐ汚水とさびとほこりとが、とびちった血だまりをささやかにうめていた。
かわききっていない血が、惨劇の展開された時間の間近さを物語る。
無造作に飛散した内臓は、てらしだすハンドライトの光輪のなかでてらてらとぬれ光っていた。数刻前まではたしかに、しわがれ、枯れはてた老人の姿を維持していたはずだ。
くそ、とバラムは吐きすて、周囲に視線をすばやくとばす。
すすだらけのみすぼらしいカンテラ。うすよごれたアルミ盆や食器。こびりついているのはコケだろうか。この地下の底なら、食うものといえばたしかにコケやネズミや虫のたぐいくらいのものだったのかもしれない。
得体の知れない、無色透明の食事をもそもそとかきこむ隠棲した老人の姿を脳裏に思い描き、バラムは小さく身をふるわせた。
なんのつもりでこんな地の底にひそんでいたのかは知れたものではないが、死は悲劇ではなく残された唯一の幸福だったにちがいない。
臭跡はとだえた。
「ふん」
あざけり笑いの形にくちびるをゆがめた。
踵を返して頭上に目をやり──愕然とした。
奇怪な容貌が、無表情にバラムを見おろしていた。
いや、無表情、というのは正確を欠いた表現かもしれない。
なぜなら、その小男の顔はカラフルな色彩の布で、ぐるぐる巻きになっていたからだ。
トーチカのコムスクリーンの内部で、シャルカーンに再三帰還をうながしていたヨーリクという名のスペーサーの背後に、無言のままぶきみにたたずんでいたあの小男だった。
「まだとぎれてねえ、か」
つぶやき、バラムは笑った。
「とぎれるさ」布ごしに不明瞭な声が、頭上からふりかかる。「おまえの命がな」
瞬間、小男の姿が視界から消失した。
「へっ」
吐きすて、バラムは右手をふった。
苦鳴はあがらなかった。
血しぶきがすばやく後退して、第二撃を回避した。
横手前方、はがれかけた極彩色の布の一端を風の流れになびかせながら、小男は音もなくおり立っていた。
「背筋が凍った」感情のこもらぬ声音で、小男はいった。「おれの名はクオント」
「バラムだ。よろしくな」
笑いながらバラムは、肩口に手をやった。深々と突き立てられたナイフをひきぬく。
血がしぶいた。
無造作に巻きつけられた布の奥で、わずかにのぞいた異様な光を放つ双眸が、かすかに笑いの形にゆがんだ。
そして、とんだ。
上方へ。
くずれかけた梁をつたって、器用に上へ、上へと移動していく。
はるかな高みで、停止した。
「はやくこい」
声がうながした。
苦笑し、バラムもあとを追う。
と、逃げるようにしてクオントはさらに上方へと移動をくりかえす。
燐光がはるか天上に見えはじめたところで、小男はふたたび上昇をやめた。
間合いぎりぎりを見はからって、バラムも移動を停止する。
敵への注視をはずすことなく、四囲に気を投げかけた。──とりあえず、あやしげな気配はない。
「どうした」クオントにむけて、いった。「わなをはり忘れたか?」
「もうかかってる」無感動に、声がこたえる。「死ね」
同時に、無数の異音がバラムにむけて収束した。
身をひねらせたのは勘だった。
避けきれなかった。
痛撃が数個同時に、肉体を貫通した。
苦鳴が喉をついて出る。
「致命傷はさけたか」
さして意外でもなさそうに、クオントはつぶやいた。
歯をむき出してむりやり笑いをおしあげながら、バラムはわきあがる苦痛をおし隠した。
右わき腹と胸部右下端、そして左脚に二箇所、ぽっかりと穴がひらいていた。そのほかにも、皮膚や肉の表面が無数にえぐりとられている。
「虫かよ」
むき出した歯のすきまから、しぼり出した言葉を投げる。
ほうと小男は感嘆のため息をもらした。
「いい目をしている。キシュガットの弾丸虫だ。ならすことができるのは、あとにも先にもこのおれ一人」
自慢するふうでもなく、しごく当然のことをでも口にするような調子で、いった。
「なるほど」
バラムもまた、無感動に応じてみせた。
ルイテン系キシュガットの亜熱帯地方に分布するカッチュウコガネ──通称弾丸虫。
時速三百キロで銀河一の強度をほこる同惑星のランドルカンバ樹の樹皮をつきやぶる甲皮は、戦闘艦の装甲に使用されるルベン転換鋼にも匹敵する硬度をほこる。
植民者による掃討作戦によりその絶対数は現在減少の一途をたどっているらしいが、いまなお未開発の密林のなかをすくなからぬ数が飛び交っているといううわさだ。
が、それをならし、あまつさえ自在にあやつるとなると、まずそんな発想をうかべた者からして存在すまい。
ましてそれを現実になしとげたクオントの技量は、生物学的博識よりはコケの一念にこそささえられていたにちがいない。
「観念しろ。避けきれるしろものじゃない」
「そうでもないね」
簡素なバラムの返答に、一瞬、クオントは顔色をなくした様子だった。
が、すぐにつう、と目をすぼめ、
「なら、見せてもらう」
右手をふった。
空気を切り裂く音。
無数の弾丸虫が、バラムめがけて収斂した。
瞬間、足場をけってバラムは宙におどりあがった。
両の腕が消失し、上体が激しくブレるのを、小男は目撃した──ような気がした。
その一瞬後には、なにごともなかったようにすずしげな顔でバラムは、もといた足場に着地していた。
ニヤリとクオントに笑いかけ、かかげたこぶしをひらいて見せる。
手のひらのなかから、地下の深淵へむけてつぎつぎとこぼれ落ちていったのは──もちろん弾丸虫だ。
布のあいだからのぞく双眸が、初めておどろきにむき出された。
「不可能だ」
「現実を認めないのはおまえの自由さ」
あとずさりながら、クオントはぼうぜんとバラムを見かえす。
ぎりりと奥歯をかみしめた。
裂けるような笑いをうかべて、バラムは跳躍した。
「おのれ」
これも無感動な声調で悪罵を吐きちらしつつ、クオントはやみくもに逃げた。
上へ、上へ、光のもとへ。
バラム──夜の虎、闇の寵児だ。
「悪あがきはみっともないぜ」
跳躍をくりかえす背後から、ぴたりとささやきが追いすがった。
血走った視線を背後に走らせつつ、小男はなすすべもなく逃げまどうだけだ。
「無駄だ無駄だ。あきらめろ」
なおも声はぴたりとはりついたまま離れない。
身も背もなく飛びあがり、小男は宙で身をひねった。
嘲笑が、眼前にあった。
はがれかけた極彩色の布の奥から、クオントの小ぶりな口があらわれていた。
その口が大きくひらかれ──悲鳴のかわりに、弾丸虫が飛びだした。
バラムは顔をひねった。
よけきれない。
頬肉がそぎとられた。
「死ね」
声とともに、クオントの口中から必殺の第二撃がとびだした。
バラムの鼻と唇のあいだ──人中、人体最大の急所だ。直撃されれば、即死はまぬかれない。
かたい音が、高らかにひびきわたった。
クオントとバラム、それぞれが別々の足場に、同時に着地していた。
無表情にクオントはバラムの顔面を見やり──目をむいた。
裂けるような嘲笑。
むき出されたバラムの、歯と歯のあいだに、弾丸虫はがっちりとくわえこまれていた。
「信じられん──」
ぼうぜんとつぶやいた。
へ、と喉をならしてバラムは、弾丸虫を吐きすてた。いっしょに、欠けた歯が深い地の底へと落ちていった。
「痛(いへ)え」
つぶやき、ふたたび笑って見せた。片頬がそげ、前歯の一部がぬけおちた顔で。
ぼうぜんと、クオントは立ちつくした。
「いい子だ」
ささやき、ずいとバラムは歩をふみだす。
鉤のように指をおり曲げた手を、布のからんだ喉にむけてつきだした。
「あのじじい──隠者ハニから、なにをきき出したか教えてくれよ」
「おれは知らない」クオントは目をむいたまま、首を左右にふった。「その場にはいなかった」
「へたなうそだな」
ずいと、喉をつかんだ手がすぼまった。
低くうめいてふるえた喉首に、五本の指が深くくいこむ。
「嘘ではない。残念だがな。きき出したのは相棒だ。おれは、おまえの追撃をはばむために準備にまわっていた。弾丸虫を配置して、な」
「そうかい」バラムはうす笑いをうかべた。「で、その相棒はどこに行ったんだ?」
「おまえのうしろだ」
静かな口調で、小男はいった。