王と王

 

 十四、五の少年といってもとおるくらいの華奢で小柄なからだにふさわしい、あやうげではかなげな、どこか硬く青い美貌がつい、と背筋が凍るほど美しく、そして酷薄な微笑をうかべてみせる。
 見かけどおりの年齢ではあるまい。なによりも、ことさら見せかけるまでもなく立ち昇る存在感は、そのたよりなげな外見とはまったく裏腹に物理的な圧迫感さえ、ただよわせていた。
 その小柄な姿が、芝居じみたしぐさで片手をあげて、背後の虚空を示してみせる。
 ぶこつに砲身をにぶく光らせたトーチカの先で、拡散しつつあるストラトス軍の戦闘艇の破片がまぼろしのようにあわく、輝いていた。
 五機いた軍側の戦闘艇シュパール228も、いまは二機しか見あたらない。
 うち一機は戦闘不能状態におちいっているらしく、回転しながらゆっくりと宙域から離脱しつつある。
 残った一機も、加熱しすぎたか攻撃をうけたためか異様な形に変形した砲塔をかかえこんで反撃することもできないまま、まるで酔漢のようによれよれと逃げまどう姿ばかりが目についた。
 追いまわす小型艇二機は見たところ、ほとんどダメージらしいダメージをうけていない。フェイシス圏内の多くの国家で採用枠をあらそったあげく、敗北の苦渋をなめさせられたライバル社の戦闘艇が、数の上でも装備の上でも劣るはずの自社の小型艇に歯さえたたないこの状況をシャリカト・アクラブの開発陣が目撃したとすれば、歓喜の涙を流して自分たちのコンセプトはまちがっていなかったと胸をはることだろう。
「残念ながら余興もそろそろおわりかけだが、まあゆっくりしてもらえれば幸いだ」
 おちついた口調で告げられるのへ、バラムは鼻の頭にしわをよせる。
「あいにくだが、くつろげる気分じゃない」
「いたらなかったようで申し訳ない」
 嘲弄ともとれるセリフを、シャルカーンは真顔で口にする。
「ウシャルはどこだ?」
 バラムは無視して問いかけた。
「そろそろ到着するころあいだ。恒星船に直接収容させる予定だから、到着したらそちらから連絡が入るだろう。なぜ遅れたかについては、私も疑問に思っているところだ」
 すずしげにいい──つ、と、まぶしげに目をほそめた。
「われわれのスペシャルゲストに、どういったご用むきが?」
「なに、たいした用事じゃない」唇の端を獰猛につりあげて、バラムは笑った。「ちょいと頚動脈をひき裂かせてもらいたいだけだ」
「それはこまる」哀しげに眉をよせて、シャルカーンはいった。「申しわけないが、阻止させてもらわなければ」
 バラムはふん、と鼻をならした。
 身をたわめる。
 が、
「残念だが私では、きみの相手はつとまりそうにない。ハリ・ファジル・ハーンが代役だ。うしろを見たまえ」
 ふりむき──愕然とした。
 暗黒の底に光る獣の眼を思わせた。
 そのとおりだったのかもしれない。
 紅の炎のような奇怪な模様に一面をおおわれた派手派手しい顔のなかで、その派手派手しさをなお圧倒するように、いましも破裂しそうなまでに印象的なその双の眼が、真正面からバラムを威嚇していた。
 シャルカーンがハリ・ファジル・ハーンと呼んだのは、この男のことなのだろう
 太陽フレアのようにひろがる黒い、こわい毛髪。
 強靭で苛烈な、鋼鉄の凶器を連想させる隆々とした半裸の肉体にも、まるでヘビのように炎状のいれずみが狂おしくからみついている。手足には、鈍色の腕環と足環がしゃりしゃりと音をたてていた。
 制御室の男たちが手にしていたナイフなどより、その男の放つ鬼気のほうがよほど剣呑だった。
 なによりもそれほどの殺気を、ふりかえるまでバラムに気づかせもしなかったその穏行。
 ふところにしたDトラップのスイッチを入れてバラムが投げつけたのは、ほとんど焦慮にあと押しされての反射的行動にすぎなかった。
 投げつけられたジェネレータが次元断層をふくれあがらせつつ移動する先に──だが凶人の姿はすでに消失していた。
 視線を転じる。
 しなやかで強靭な紅蓮模様の肉体が、超高速で振動でもしているように奇怪な残像をしたがえて、ゆっくりと壁際にむけて移動していく。
 追うよりはやく、ブレた残像が壁を支点にして消失し──戦慄がバラムの背筋を走りぬける。
 わきあがる動揺をむりやりおさえこみつつ、口中でつぶやいた。
「──シギム・ナルド・シャス」
 呪句は幻聴のごとく意識内部に反響し、みぞおちの奥底から生体制御物質が、噴きあがる水煙のように放射状にひろがった。
 狂気よりもなお冷徹で非人間的な、野心と打算の結晶が、近い未来の破滅とひきかえにバラムの内部に超知覚と、それに追随する肉体能力とを惹起する。
 屈辱も恐怖も胸中からひきはがしたようにとおざかり、感覚が拡散した。
 視界の端にまで意識は分散遍在し、聴覚と触覚は全宇宙にむけて球状に展開する。
 視野の端でとらえる。
 シャルカーンの背後の虚空で、蛍光のようにあわくひろがる残骸を背に、縦横無尽に追撃と逃走を交錯させていた三機の宇宙艇の動きが、ぜんまいがゆるむように、にわかににぶく、おそくなっていく。
 わきあがる歓喜の念さえ他人事のように感じながら、紅炎の戦士ハリ・ファジル・ハーンの姿をさがす。
 背後。
 ふりむいた先に、岩のようなこぶしがすでに予備動作をおえてバラムにむけてくり出されつつあった。
 もう一方の手は、無重量空間での打撃を対象物に確実に叩きこむべく、宙に舞うバラムの二の腕をつかもうとまさにのばされているところだ。
 そしてそれらを保証する発射台として両の脚は、ハンドレールと壁との狭間にきっちりとはさみこまれている。
 神速、という言葉はこの男にこそふさわしかろう。
 超知覚へと移行したバラムをのぞけば。
 ──まちがっていた。
 強化されてなお意識の速度を追いきれぬ肉体反応の限界は、おのれの動作さえ夢の内部のできごとのようにもどかしく重く感じさせる。
 だから、ハリ・ファジル・ハーンのせまり来るこぶしがおなじようにのろのろと重いのは当然のことではあった。
 それでも、まちがいなく驚異だった。
 骨格をその構造から変容され、神経系を有機的にブーストされ、さらに筋肉の秘めるポテンシャルを限界までつねにひき出せるように処置をうけたバラムの動きに、ハリ・ファジル・ハーンは苦もなく追随してきたのだ。
 ──きさまも──とバラムは、きたえあげられた刃のような意識の内部でつぶやいた。──強化人間か……!
 眼前にせり出したぶこつなこぶしのむこうで、ハリ・ファジル・ハーンはおもしろくもなさそうに、くちびるをへの字にゆがめていた。
 バラムのあご先を痛撃がとらえる。
 ひきのばされた知覚は、苦痛もまた冗長かつ深甚に叩きこんだ。
 食いしばった歯の奥からしぼり出された苦鳴は、再生速度をあやまった音声信号のごとくこっけいにひびきわたる。
 強化知覚を圧するように瞬時にして口中にひろがる血の味は、ひさしく忘れていた記憶をバラムに思い起こさせていた。
 追随する者のない弧絶した神域で、同衾する死神と壊れていく肉体だけが脅威だった。
 いまそこに、肉をそなえた現実の敵が、文字どおりなぐりこんできたのだ。
 おさえるすべもなくあふれ出る笑みが、炎のようにバラムの顔をゆがませた。
 同時に、ひさしく忘れていた恐怖と怯懦のにがい味もまた。
 二の腕を万力のようにしぼりこむハーンの手首に、あいた指から突きをくらわせる。
 状況が精度を狂わせた。
 わずかにツボからそれた攻撃は、予定の骨格破壊をもたらすことなく痛撃のみを敵にあたえた。
 それでも、徒労におわらなかっただけましかもしれない。
 かたく腕を固定していた重機のようなハーンの握力がゆるんで拘束から脱し、叩きこまれた衝撃のいきおいのままバラムは空を回転する。
 もし、拘束をはずせなかったら──強化されたバラムの骨格でさえ、ダメージをまぬかれ得たか知れたものではない。
 そしてバラムは、幸運にたすけられた逃走をそのまま攻撃に移行させた。
 衝撃のまま回転するスピードに、ひねりにひねったいきおいを加えて、ハーンの燃えさかる上半身に蹴りを叩きこんだ。
 ひねりこまれ遠ざかるバラムの肉体を、追う形で上体をのびあがらせたハーンのわきの下──心臓の側方に、硬質の靴先がふかくめりこんだ。
 炎にいろどられた顔面がゆっくりと、苦痛にひきゆがんでいく。
 おれもまた、この男にこんな顔をさせられていたのだろう──奇妙にとおざかった感慨はふたたびバラムの顔を歓喜にほころばせた。
 正面からぶつかりあった鉄球がたがいに逆方向にはじけ飛ぶようにして、狂気じみたスピードで旋回しながら二人の強化人間は右と左にとび離れる。
「近い将来に起こり得ることではないと思うが」
 遠い記憶の底で、人間を超える肉体を与えられてから初めて目覚めた時の、白衣に身をつつんだ凍てつく湖のように無機質な医師──強化人間開発チームの中核をなす生化学者が口にした言葉が脳裏をよぎる。
「きみとおなじような能力をもった相手──つまり驚異的な加速能力と、それを補償し、補強する骨格、筋力をもった相手と闘うときには、不用意に真正面から激突などしないほうがいい。それほどのスピードとパワーとが正面からぶつかりあえば、いかに強化された肉体だろうと互いに耐え得るものではないだろうし、そうなれば当人同士のみならず、その周囲の環境そのものにも激甚なダメージを与えることになるからね」
 予言どおり、支柱にしたたかに打ちつけられたバラムの背中で、重装甲の戦艦が接触しても耐え得るはずの強化ガラスごと、構造物がみしみしと音を立てながらゆがんでいった。
 対面では同様に、ハーンの背後で窓外の星空が無数のひびわれに瞬時にして真白く凍りつくのが見えた。
 そしてその衝撃がひきがねとなったか、強化知覚が瞬時にして解けていた。
 地鳴りのごとくとどろいていた重い空気の流れが目覚めるようにして常態に復し、巨獣のながくふかい息づかいも平凡な喘鳴へと変化した。
 そのぶざまな喘鳴をもらしているのがまぎれもなく自分であることを、狂おしく自覚する。
 そしてぼうぜんと、魅せられたようにシャルカーンが感嘆のため息をつくのもまた、たしかにきこえた。
 それこそまさに僥倖だったのかもしれない。
 互いに──おそらくは互いに、おのれと同等のポテンシャルを秘めた化物を相手にぶつかりあうという悪夢のような状況におちいり、白熱した脳裏からは怜悧な計算がたしかに剥奪されていた。
 狂気じみた力の衝突がひき起こす被害とすれば、展望室を一気に破壊しつくさずにすんだだけ軽微といっていいはずだ。
 だからといって、このままぶつかりあっていれば昔日の生化学者の予言どおり、双方にとって致命的な結果におちいるであろうことは、あまりにも明白だった。
 おなじ結論に、ハリ・ファジル・ハーンもまたたどりついたらしい。
 うさんくさげに──あるいはとまどい困惑でもするように、眉根をよせて顔をゆがませながらも、衝撃のせいでいびつにゆがんだハンドレールごしに移動する速度に、先刻の異様なブレは見られない。
 バラムもまた、魔法の呪文を口にすることなく足場をかためて待ちかまえる。
 たん、と壁を蹴った紅蓮の肉体が、瞬時にしてバラムのふところに接近する。
 身をひねりざま回避しつつ、宙をすべるハーンの頚部にすばやく手をのばした。
 が、ハーンの反応のほうが、ややはやかった。
 のばした腕にとらえられるよりはやく、支点のない空中で器用に肉体をそらせて襲撃をかわし、おなじ動作の延長でハーンは逆にバラムの上腕をがっちりととらえた。
 そこを支点にして、丸太のような右腕が下から上へと、バラムの視界をよぎる。
 波打つ筋肉は鋼鉄そのもの。
 頚をひねって、バラムは体をかわした。
 拡散した気を再度、みぞおちにむけて凝集させる。むろん、知覚は常態のままだ。
 つかまれた二の腕を支点に虚空で姿勢をととのえ、ひゅうと息を吸った。
 ファジル・ハーンの十時十分の野太い眉が、光る目と深い黒瞳を刺すようにしてバラムにむすびつけた。
 こたえるように見ひらいた眼をすえながら、バラムは掌を突きだす。
 つ、と、つかまれていた腕が後方にむけておし出された。
 無重量の空中でたよりなげに後退しつつ、かまわずバラムは、自由になった腕をそえて掌をくり出しつづけた。
 とどかない。
 かすめすぎた掌を脅威をこめて見やりつつ、ハーンはすでにつぎの攻撃動作に移行していた。
 ひざとひじが上下から、まさにやり過ごされて通過しつつある下腕にむけて顎を閉じた。
 ハリ・ファジル・ハーンの手首と足首をかざる、鈍色の金属のふさつきの腕環と足環が、しゃりしゃりとまぼろしのようにかわいた音を立てたような気がする。
 硬質に砕け散るその音に、だが激痛はまぎれることなくバラムを襲撃した。

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