奇跡のバランス
トーチカ内部はしんと静まりかえっていた。
点々と常夜灯の点灯する薄闇のなかに人の気配はなく、無機質な通廊が横たわるばかりだ。
簡略化された構内地図が一角に掲げられていた。
施設はおおまかに砲身部、燃料部、簡便な機関部とそれぞれをむすぶ通廊、四つのドッキングステーションと展望室、そして制御室とにわかれている。
当然のことながら二人はまず、制御室を目ざした。
入口を前にして、自動扉のセンサーぎりぎりの位置で前進を停止し、左右にわかれた。
手にしたハンドガンをマリッドにわたし、バラムは身がまえる。
「わたしがいくわ」
ふみだそうとするバラムを制してマリッドが低く宣言し、ついと半身をおどらせた。
扉がひらき──ぼやけた灰色の空間が口をひらいた。
「Dトラップ!」
バラムの叫びにかぶさるように、
「エイミス!」
命令の声音とともに、肩口の黒い影がフッとぼやけて、消えた。
のばされたバラムの手をつかむまもなく、マリッドの小柄な肢体が次元の亀裂に吸いこまれて消えた。
Dトラップ──次元罠。裂け目をつくり出す技術はあっても、そこに落ちこんだものをもとに戻すことはほぼ不可能、とされている。次元の彼方に消えたものがどうなるのかは永遠の謎だ。
反射的に身をのり出しかけるのをかろうじておさえ、バラムは奥歯をかみしめた。
ゆらめく灰色の空間は瞬時にしてマリッドをのみこんだまま、しかけられたプラスティールのフレームのむこうに異様なうねりを見せるばかりだ。
「マリッド」
小さくつぶやき──一歩退く。トラップのしかけられた自動扉が音もなく閉じる。
そのときにはすでに、バラムは不機嫌な仏頂面をとり戻し、そしてただひとり移動を再開していた。
放射状に六方向から制御室にのびる通廊のすべての入口に、Dトラップはしかけられていた。思案したあげくバラムは、侵入時に使ったのとはべつのドッキングステーションにむかった。
気密服を手ばやく身につけ、そなえつけのスラスタを背負ってふたたび虚空へと身をおどらせる。スラスタの出力に微調整を加えつつグリッド上をただようようにして目標点をしぼりこんだ。
ぶこつな構造物のあいだをぬってゆっくりと移動しながら、トーチカの中央部を目ざして軌跡を延長した。
復路分の燃料は残らないが、もともと還る道そのものが、閉ざされている。
見えた。
排気口だ。
バラムはほくそ笑んだ。かなりせまいが、かろうじて人間ひとりくらいならもぐりこめそうだ。
トーチカにかぎらず、人間の居住空間を内包した真空中の構築物は例外なく空気や水の循環再生システムを採用している。だが、その課程で分解・浄化しきれない不純物は少なからず発生する。
それを廃棄する機構が再生システムには組みこまれており、最終的にそれはきわめて安易な廃棄物処理場である真空中に口をひらいているのである。
ただしこの場合、問題はその大きさだ。
宇宙船やシャトルのステーションならともかく、通常は無人で運営され、有人ミッション時もさほどの人数を収容することのない惑星防衛トーチカのようなシステムの場合、排気口が人間ひとり通りぬけるのに充分な大きさではない場合もすくなくはない。
幸いにしてこのトーチカのそれは、どうにか身体をおしこめるだけの間口をもっていた。
といっても、ぎりぎりであることもまた確かだ。
気密服に傷でもつければ、窒息と血液沸騰の恐怖に身をさらすことになりかねない。
バラムは燃料を使いきったスラスタを放棄し、排気口にとりついた。
フィルタつきの外壁を力まかせにひきはがし、身をおしこんだ。
気密服に傷をつけないよう慎重に四肢をくりながら、木のうろを進む虫のようにもどかしい前進を十数分つづけた。
濾過システムにたどりつく。
子犬ほどの大きさの機械が、前進をはばんでいた。
手のひらをおしあて、力をこめる。
くいしばった奥歯の底で、はりつめた呼気が二度、耐えきれずに吹き出した。
三度目の呼気をつく寸前、重く不快な手応えとともにユニットが固定面からひきはがされ、そのすきまから気流が吹きだしはじめた。
呼吸をととのえてから、つっぱった足を前方に移動させ、さらに機械をおした。
気流と摩擦の抵抗をおしのけてユニットは、ずずずと不快な感触を手のひらに伝えながら前進し、漏気を探知して噴出する非常機密膜をおし破りつつむこう側にとびだした。
機械を追って薄膜を破りながら、室内におどりこむ。
通廊とおなじく人工重力が働いていないのは、このトーチカ自体が居住性をあまり重視していないからだ。
アムラッジェ教団なる連中がどれだけの期間、ここで過ごしていたのかは知らないが、さぞ不便だったことだろう。
そのストレスを叩きつけるかのように、侵入とともにバラムのかたわらを電磁ナイフがかすめすぎた。
身をひねってかわしつつ、四囲に視線をはしらせる。
ヘルメットぬきの簡易気密服に身をつつんだ影が、合計四つ。
それぞれ均整のとれた肢体を、壁を支点に手なれた動作でおどらせていた。無重量空間での移動と、そしてさらには戦闘の経験も充分らしい。
おどりまわる四つの気密服表面が、エレクトロルミネッセンスの光をうけて独特の光沢を放つ。表面素材が、強化繊維ラプルズフォームでコーティングされていることを示しているのだ。耐熱、耐衝撃性にすぐれ、その緊密で強固な外表面は鋭利な刃で切りつけても裂けることなくすべるようにはねのけてしまう。
ふん、と鼻をならしつつバラムは器用に身をくねらせながら、四方から襲う電磁ナイフの襲撃をかわす。
銃火器を使用されていればかなりの不利はまぬかれれ得なかったが、宇宙空間の構築物内では銃火器類はご法度、という鉄則をこの脅迫者たちは遵守しているらしい。
そんなバラムのおちついた動作にも、敵側はとくに感慨ひとつうかべず、絶えず四点の中心に獲物をおくよう移動をくりかえしながら黙々とナイフをくり出してくる。
たえまないラッシュのひとつが、スパークをまき散らしつつバラムの肩口を切り裂いた。
気密服がチーズのように裂けて、異臭をあげつつ溶け焦げる。
ここぞとばかりに残りの三つの影が、あいついで殺到した。
その時には──バラムに一撃を加えた最初のひとりは、首をかたむけていた。
──異様な角度に。
頓着せずくり出された三本のナイフはそれぞれ空をなぎ、襲撃者ののび切った腕の一本が、ふたつめの打撃をうけた。
逆側に衝撃をうけた関節は脆弱に砕け、室内に重い悲鳴がとどろきわたる。
そのすきに第三の犠牲者は、背後から急襲をかけられていた。
起重機のような力が首根っこをわしづかみ、ほとんど同時に心臓の真裏に、つきぬけるような衝撃がとびこんでくる。
ラプルズフォームがあっさりとひき裂かれ、苦痛を感じるまもなく第三の犠牲者は絶命した。
そのときにはすでに、残されたひとりは、仲間の背にとりついた暗殺者にむけてためらいなくナイフを突きだしていた。
火花を散らす切っ先はまちがいなくバラムの頚動脈をひき裂いた──はずだった。
刃が空をなぐ感触に、襲撃者はぼうぜんと目を見はる。
忽然と消失したバラムの姿を、必死で追おうとした。
が、狼狽して四囲をながめわたすよりはやく、だれかがぽん、と肩を叩いた。
「動きが単調だな」耳もとに、やさしげな声がささやきかけた。「さきが見え見えだ」
沸騰したのは、恐怖よりもむしろ焦慮だった。
ふりかえるまもなく襲撃者は、脊椎にそって異様な衝撃がはしりぬけるのを感じた。
壁に叩きつけられ、バウンドした。
反対側の壁が迫る。
手をのばそうとして、絶望した。
四肢はまったく動かず、息がつまっていた。あの一撃で脊椎を破壊されたらしい。
ふたたび壁面に叩きかえされながらもがき苦しみつつ、こうして四人目は緩慢に絶命していった。
「ウシャルはどこだ?」
片腕を砕かれて空をもがきまわる生き残りのうしろ首をとらえ、ささやきかけるような優しげな声音でバラムは問うた。
「だれが──」
こたえるか、といいきらぬうちに、無事なほうの右腕がねじられた。
生き残りは歯をくいしばって苦痛に備える。
無駄だった。
支点にとらわれた肩が、空き缶のようにみしみしと砕けていく感触が脳を焼いた。
悲鳴をあげる前に、さらなる苦痛が生き残りの全身にとどろく。
ねじられた腕はいささかの躊躇もなしにしぼり雑巾のようにぎりりとひねられ、臓腑を吐き出すがごとき絶叫にもまるでひるまぬまま、異様な音とともにいとも無造作にねじ切られていた。
腱の一本一本がひきちぎれていく感触を、生き残りはたしかに感じたような気がした。
脳内は苦痛一色に染め上げられていた。
「ウシャルはどこだ?」
もう一度、さっきよりもさらにやさしげな声音で、野獣が問いかけてきた。
「まだ……ついていません」
子どものように従順な口調が、無意識に生き残りの口をついて出ていた。
「なるほど。おれたちが先行しちまってたわけか」つぶやき、バラムはすぐにつぎの問いに移る。「親玉はどいつだ?」
「ここには、いないんです」
あわれな獲物は心底悲しげにそうこたえた。息づかいがながく、よわよわしくなっている。
「どこにいる?」
憐憫の情さえ声ににじませた質問に、涙がこぼれるほど感謝の意を感じつつ、瀕死の獲物はいった。
「展望室……」
「そうか。眠りな」
手を離すと犠牲者はゆらり、と宙にただよいながら蚊のなくような声で、ありがとう、とつぶやいた。
襲撃者たちが手にしていた電磁ナイフの一本を手にとるとバラムは出入口にとりつき、Dトラップ装置をひとつとりはずしてふところにした。
展望室にも当然のごとくトラップはしかけられているだろうが、Dフィールドを重ねてやると瞬時にして過負荷になり、ジェネレータ自体が故障してしまう。
薄闇のふる通廊にふたたびふみだし、壁を蹴って宙を進んだ。
途上、味もそっけもない申しわけ程度、といった感じの窓の外をちらりと、ちいさな影がかすめ過ぎたのを視界の端でとらえた。
顔を横むけ、つぎの窓のかたわらでハンドレールを手にして静止する。
待つほどもなく、にごった双眸が興なげにバラムを見かえしながら窓外をよぎっていった。
バラムは眉根をよせる。
全長五十センチほどの矮躯、真空中で数時間は活動可能と喧伝されていた硬化した褐色の皮膚、白眼のない橙色の瞳と無髪の真球に近い頭部、そして、なによりも特徴的な、蜘蛛を思わせる二対の手──
無重力下に適応させられた遺伝子工学の無邪気な実験は、足のかわりに四本の手を持った寿命二年前後の短命な疑似人間を生み出し、そして地下の闇の底によどませた。
ホムンクルス──その生成と生育のメカニズムは民間に流布される前に禁断の果実に指定されて深い政治の奥底の、闇の殿堂にあわてておしこめられたはずだ。
が、禁断の技術はいつでも、どこからかもれ出て人目につかない場所で駆使される。
たとえば、ここのような場所で。
注意深く観察してみると、トーチカの外縁を小さな影がときおりよぎり過ぎていくのがたしかに見えた。すくなく見つもっても四体の個体を確認できた。
神聖銀河帝国の七人の開発チームが生み出した狂気の産物が四体、おしげもなく投入された計画。
アムラッジェ教団とやらが何者なのかはともかく、その背景は底知れない。
惑星防衛線をみごとなまでに秘密裏に運用した手際。Dトラップ。そしてホムンクルス。
単なるテロリストや狂信者などの集団では、だんじてあり得ない。
六つのプラットフォームとそれに結ばれたセクション、そのどれからも離れた位置に、展望セクションはある。
四囲に油断なく気をくばりながらバラムは、ゆっくりとそこを目ざした。
扉の前に立ち、無造作にセンサーに手をかざした。
予想に反して、次元断層は口をひらいてはいなかった。
「なんでえ」
つぶやきつつふところにしたジェネレータをぽんと叩く。
「趣向がたりなかったかな」
入口をぬけてすり鉢状の室内のとば口にうかぶと、おちついた声音が部屋の奥から深くひびいてきた。
半球状に外界にむかってひらかれた大展望窓を背に、たたずむ人影はひとつだけ。
あざやかな青のケープをゆったりとひろげ、室内をゆるやかにとりまくハンドレールに軽く背をあずけてうかぶ、華奢な影。
ち、と小さく舌をならしてからバラムは、いいや、と首を左右にふった。
「まあ楽しませてもらえたぜ」
「それはけっこう。アウランッドゥのみ恵みがあらんことを」
影は人類文明圏に遍在するアシュトラ教の慣用句を口にした後、名乗った。
「私の名はシャルカーン」
「バラムだ。よろしくな」
仏頂面で告げつつバラムは、シャルカーンと名乗るテロリストの首魁を無遠慮にながめわたした。