ヘルダイヴ
「無茶ですよ。自殺行為だ」
憔悴しきった群衆がパニック寸前の人だかりをもてあましているのを尻目に、短く髪を刈りこんだ童顔の軍属整備員はいった。マリッドはもう一度、政府機関の職員であるID証をちらつかせ、
「承知の上よ。それとももう一度、わたしのもっている権限について講義してほしい?」
にっこりと、微笑んでみせる。
童顔の整備員は、仏頂面でハンガーの奥にむけてあごをしゃくり、
「手前から三つめのやつをどうぞ。ただし航法コンピュータがいかれかけてるんで、まともな動作を期待されてもこまりますが」
弁解するようにくりかえす。
「だいじょうぶよ」
とマリッドは微笑みながら整備員の頬にキスをした。
とまどった微笑をおきざりに軍用ハンガーへのステップをおり、整備中のシャトルのタラップをあがる。
「ほんとうにだいじょうぶなのか?」
バラムの質問に軽くうなずいただけで、マリッドは操縦系に灯を入れ手際よく出発の準備をはじめた。
エンジンがうなりをあげる。管制室に回線をつなぐと、さきほどの整備員が心配そうに眉をよせながらこたえた。
「出発するわ。誘導をよろしくね」
『気をつけてくださいよ。コンピュータはまるであてにならないんだ。マニュアルだけでやる自信がないなら、途中で戻ってきてください。誘導しますから』
「ありがとう」
『ああそれと、そちらの男性のかたですがご同僚ですか? IDチェックの必要はないんですが、場合が場合なだけに報告だけはしておかなきゃならんので』
「おれはテロリストだ」
ぎょっとしたように目をむく童顔の軍属に、マリッドはあわてて言葉をかぶせる。
「同僚でいいのよ。よろしくお願いね」
「甘いな、あんた」バラムはうす笑いを頬にへばりつかせつつ、「そんなことだからトーチカを占拠されちまうんだ。平和ぼけすると規律のすきまと緊急事態との区別がつかないバカがでてきてこまる」
狐につままれたような整備員の顔を横目に、マリッドはため息をつきつつ艇を進めた。なにかいいたげにバラムをふりかえり、満足げな笑い顔を見つけて、力なく首を左右にふりながらもう一度、ふかいため息をつく。
野獣の発する威嚇のような音とともに艇はゆっくりと前進し、リングシステムに見放されたステーションをあとにした。
それからの数時間を、退屈が占拠した。システムに異常がないかをたえずチェックし、交代で仮眠をとり、観測機器のわりだすデータから現在位置を知るために単調な計算をくりかえし、そして幾度となく航路を修正する。
やがて華々しい光球が明滅するのを確認して、マリッドはあさい寝息をたてるバラムに手をのばす。
「どうした?」
肩に手がふれるかふれないうちに、バラムは薄目をひらいていた。
「はでにやってるわよ」
示されたフロントヴュウにちらりと目をやり、バラムはエネルギー分布図に視線をうつす。飛び交う火線。
「警備隊か」
「ほぼ壊滅しつつあるわね」
「軍は?」
「外惑星から集結しつつあるところ。計算してみたら、先発隊が戦端をひらくのとちょうどおなじころあいに、わたしたちもあそこに到着することになりそうだわ」
「乱戦のどさくさにまぎれこめる。危険だが、わるい条件じゃない」
「そうね」と女は不敵に笑った。「ただし不利な要素もあるわ。ジョルダン・ウシャルが先行してるってこと。かれの収容が連中の目的である以上、軍の船団が到着するまでぐずぐずしてるとはとても思えないから。もっとも、前方をいくら観測してもかれをのせたシャトルのたぐいは見あたらないんだけどね。もしかしたら、どこかで油でも売ってるのかしら。あまり考えられないことだけれど」
ふん、と鼻をならしてバラムは目をとじる。
「逃したら逃したで、つかまえるまで追えばいいってことだ」
「うらやましいわね、自由業は。宮仕えはそうもいかないわ」
「神にでもいのるんだな」
嘲笑にのせて吐きだされた言葉に、マリッドは顔をしかめてみせる。
「もうひとつあるわ。正体不明の船が一機、わたしたちとおなじコースを追随してきてるの。シャトルだと思うけど、たぶん、目的地はおなじね。何者か心当たり、ある?」
問いかけに、バラムは肩をすくめて見せるだけだ。
やがて、探査システムが新たに交錯を開始したエネルギー流を探知した。
かなりはやい動きで目まぐるしく、たがいの位置をかえながらの戦闘が展開されている。
フロントヴュウが修正を加えた望遠の映像で、戦闘シーンを視覚化する。
亀甲型のパネルを三つ組みあわせた形のボディと三枚の羽をもつ、軍の高速戦闘艇・シュパール228型が五機。大口径レーザー砲から盛大に光条をまきちらしている。ほかにミサイルを各種装備できるタイプの戦闘艇だ。ただし、見たところ劣勢であるにもかかわらず、そのミサイルを使用している気配がない。さらに爆散した破片が戦場のあちこちにただよっているところからすれば、すでにミサイルは使いつくしているとも考えられる。
そしてそれよりもさらに目まぐるしいスピードでヒットアンドアウェイをくりかえしているのは、レーザーの砲塔を二門、かまえた長剣のように突出させた二機の小型戦闘艇。兵器開発企業シャリカト・アクラブが満を持して発表しながら、そのコストと作動不良の頻度のためにフェイシス宙軍の採用枠からはずされたというガルド・アクラブSC―77改。
それから、リプ粒子射出口を装備した中規模の武装恒星船──型式は、マリッドには識別できなかったことからカスタムであろうと推察される、レールガンを装備したもの──が一隻。
トーチカ自体が戦闘には加わらず沈黙しているのは、高速で移動する戦闘艇が相手では事実上無力だから、ということのほかに、射程内に標的となり得る小まわりのきかない大型艦のたぐいがないことの証左でもある。
無愛想な仏頂面のまま、どうする、と視線で問いかけるバラムに、マリッドはちらりと考えるような表情をうかべただけで、こたえた。
「器用な避け方で侵入してもまきぞえをくわないわけにはいかないでしょうね。スピード重視。どまんなかをつっきるの。どう?」
いって、ちらりと片眉をあげてみせた。
ふん、と小さくバラムは鼻をならす。
「それでいい。やってくれ」
「気楽にいう。高くつくわよ、タクシー代」
いい終えるよりはやく、操作をはじめる。
加速圧より、複雑な弧を描く遠心力がより不快だった。
機体強度や乗員の安全など頭から無視した狂気じみた軌道を描きながら宇宙艇は、華々しく戦闘の展開する宙域のただなかを、トーチカ目がけて突入した。
下唇をかみしめつつマリッドは、ちらりと横目でバラムを見やる。
暗殺者は腕組みをしてシートの背もたれにふかく背中をあずけ、眠るように瞑目していた。
「気持ちだけでも協力しようとか、せめて神にでも祈ろうとかも、まったく考えもしないわけね」
皮肉をこめつつ投げかけると、
「おれが祈ると、いつも結果はわるいほうに出るんでね」
眉ひとつ動かさず、バラムはこたえた。
予測不能のでたらめな航跡。姿勢制御ノズルがまったくランダムに、のべつまくなしに噴射をくりかえす。
戦闘は、新たな侵入者へのとまどいを見せつつもあいかわらず、双方ともに致命打を与え得ないままつづいていた。
流れ弾とも狙い撃ちともとれぬ火線が、船周をかすめすぎていく。
ぎりぎりと船体がふるえた。
ごん、どん、と得体のしれない衝撃波が、エアバッグで半固定されたふたりをはげしく痛めつけながらゆらがせる。
「おい」幾度となくはね上がりゆさぶられつつ、バラムは問うた。「船が保たない、ってことはないんだろうな」
「知らない」小気味いいほど無責任なこたえがかえった。「船にきいて」
「かんべんしてくれ」
うんざりしたようにつぶやくバラムに、マリッドはちらりと微笑をむける。
フロントヴュウにトーチカの威容が迫る。
同時に、激烈な衝撃が船をゆるがせた。室内灯が明滅し、パワーダウンしてオレンジの非常灯にとってかわった。
メインパネルの前で目まぐるしく動きまわるマリッドの手もとで、半分近くの機器が異常をうったえていた。
きつく眉根をよせながらマリッドが口をひらいて何かいいかけるよりはやく、二撃目が叩きつけた。間髪入れず、かぶさるように第三撃。
「直撃かよ!」
吐きすてるようにバラムが叫ぶ。
マリッドはこたえず、奥歯をぎりりとかみしめた。
交錯する火線の間隙をぬって、旋回しながら艇はトーチカのランディンググリッドに突進した。
制動どころか、姿勢制御さえ満足にできない。
「飛びおりる用意しといて!」
「地獄にか」
切りかえしつつバラムは、すばやくエアバッグをおしのけてシートからとびだし、縦横無尽に荒れ狂う船内をあちこちに叩きつけられながら移動した。
エアロックにとりつくと、セイフフティ解除ボタンのカバーをぶちこわして内扉をひらき、となりのクロークへと場所を移す。
三つならんだ重装備の気密服にはちらりと視線を走らせただけで無視し、ヘルメットを二つ、さらに小型のスラスタとハンドガンひとつずつを、手にとった。
「つっこむわよ!」
マリッドの、警告、というよりは絶叫とともに、盛大な衝撃がバラムに一撃をくらわせた。
狭い船内の機器にうめつくされた壁に背中から叩きつけられて、内臓がせり出してきそうな苦痛にバラムはうめいた。
ついで、地獄の撹拌が景気よく何もかもをかきまわしはじめる。
マリッドは艇が虚空にはね返されぬようほとんど勘だけで姿勢制御ノズルを咆哮させながら、せり出したランディングギアでグリッドをつかもうとしていた。
ギアのひとつが格子の一端をわしづかんだ。
はげしい慣性に苦痛のうめきを上げつつ、ひとまず安堵の息をついた。
甘かった。
たたき割られた氷のようにギアはねじ折れ、あと少しでグリッドをつかみかけていたもうひとつのギアは空を手にとった。
地獄の撹拌がふいに停まり、艇ははじき出された。
「逆もどりかよ」
うんざりしたようにバラムがいった。
「やけにいいわね、往生際が!」
叫びつつマリッドは、メインノズルに一瞬だけ、火を入れた。
絶妙のタイミングとヴェクトルが艇を、まるで羽毛のようにやんわりとおし戻した。
のこったひとつのギアがグリッドをつかみ、ついで沈みこむような衝撃が重く、頭上からふりそそぐ。
ぐえ、ととぼけたうめき声を上げながらバラムは、ちらりとくちびるの端をゆがめて見せた。
混濁からむりやり回復させた視野の端でそれをとらえてマリッドも、笑みをうかべかけ──。
これも視界の端で、リアヴュウにきりもみ状態の物体が映ったのに気がついた。
突き出た三枚の羽がローターのように激しく虚空を撹拌する。シュパール228──
火を噴きながら、みるみる迫る。
「ストラトス軍の──」
この状況下ではあまり意味のない認識を口にしきる前に、リアヴュウはノイズに占められ──
「出るぞ!」
わめき声とともに、マリッドは猫のように背中をつかまれひきよせられた。
ひきずられた姿勢のまま、ヘルメットをなかば無理やりにかぶせられる。あわてて、簡易気密服と連結させた。
マリッドの準備を待たず、みずからも真空に備えつつバラムはエアロックの開閉スイッチを叩いた。
コオ、と吐息のような音を立てて外扉がひらいた。
ほとんど同時に、眼前にひらいた真空が貪欲ないきおいで艇内の乏しい空気を吸い出しはじめた。
とびだすよりはやく、衝撃が二人の背中を叩いた。
まろぶように放りだされた。視界が盛大に回転する。
景気よく鳴動するマリッドの視野のなかに、青白い炎があった。
スラスタ。
そしてバラムの視線の先に存在するもの──トーチカのエアロック。
そのとき後方で──火球が炸裂した。
音はない。震動も。壮烈なスパークと爆散する残骸の煙が、きらきらと彼方の陽光に照り映えながらひろがるだけだ。
バラムの背中で、噴き出していた青白い炎がとぎれた。燃料切れか。慣性のまま二人は落下する。
衝撃波。
支点のない虚無の空間で、もつれあったまま見えぬ神の巨大な手のひらにはじき飛ばされたようだった。
それから抵抗とともに壁にとりつくまでに、永遠に近い時間を過ごしたような気がした。現実には、ほんの一瞬のことだったにちがいない。
衝突の打撃がほとんどなかったのは、バラムの驚異的な筋力をほこる手と足が人間離れしたパワーで、トーチカ構築物へと叩きつけられた衝撃を吸収してしまったからなのか。
ぶこつな手がエアロックの緊急開閉レバーにのびる。
ひきちぎるほどのいきおいで、ひいた。
ひらかない。音も動きも何もなかった。
目と歯をむきだしてバラムは威嚇するようにエアロックの扉をにらみつけ、わきのグリップに手をのばしてぐいとつかんだ。
マリッドの腰にまわした手をのばしてハンドガンをとる。
撃った。
閃光が弾けた。
扉は──へこんでいるだけだ。
強情なヤツめ、と口中でつぶやきながらバラムは、マリッドの手をグリップにのばさせた。
うながすまでもなく、マリッドはグリップを握りしめた。ただし、バラムの意図はいまひとつ計りきれない。
バラムもまた片手でグリップを握りしめ、あいた腕をぐい、と背後にひいた。
疑問と不審の視線をむけるマリッドの眼前で、バラムはこぶしをふりあげた。
否。
手のひらを。
叩きつけた。
驚愕に、マリッドは目をむいた。
扉の接合部が一瞬にしてひきはがされ、ひらいたすきまから猛烈ないきおいで空気がふきだしはじめた。
吐きだされる端から、白い氷塊となって四散していく気流を避けて、すばやく体を入れかえるやバラムはもう一度、手のひらをふりあげた。
ふりおろす。
見えた。叩きつけたのではない。掌と扉とが激突する寸前、不可視の衝撃が構造材をゆるがせているのだ。
ひしゃげた扉がそのまま奥にむけて弾けとび、すぐにふきだす気流におし戻されて背後の虚空へととび去った。
噴出する凍った気流にさからってバラムとマリッドはエアロック内部のハンドレールへと手をのばし、強引にからだを内部へひきずり入れた。
明滅する非常灯のわきのカバーを叩きわり、非常ボタンをおす。
扉をひきはがされたみぞから中心にむけて、白濁した薄膜が、ふきだした気流に外へむけてふくらみつつも見るまに拡大し、接合する。
同時に、気流がぴたりと停止して薄膜は半円を描いたまま凝固した。
ひかえめな音を立てながら室内に、失われた空気が補充されはじめた。
内扉を背に二人はがくりと尻をつき、へたりこんだ。しばし放心のていで視線をさまよわせたあげく、あいついでヘルメットに手をやり、むしりとる。
マリッドは力なくかたわらのバラムを見やり、あきれたような口調でいった。
「あんた人間?」
「おれは虎さ」
そっけない返答を真顔でつぶやき、バラムは立ちあがる。すでに息さえ乱していない。
「……あんた、人間?」
うんざりしたような口調でもう一度つぶやき、マリッドもまた緩慢な動作でよろよろと立ちあがると、自称“虎”が内扉のあわせ目に手をこじ入れて力ずくでひらいていくのをぼうぜんとながめやった。