花の舞い
仮面の給仕たちは、いっせいに移動を開始した。
中心点は──いうまでもなくバラム。
たえず位置を移動しながらハンドガンで襲撃をかけるダーキニ姉妹の攻撃をぬって、一団はまたたくまにバラムにむけて殺到する。そして攻撃を開始した。
身長一メートル弱、童子の面をつけ、ながい髪をむすんでうしろにたらした奇怪な襲撃者──面の名をとって“渇食(かっしき)”と呼ばれるかれらは、ペルソナ・サプライ社がほこる感情剥脱式才能強化法のヴァリエーションだ。
仮面に組みこまれた電子装置は、頭部をおおう無数の突起から放射されるパルスで脳細胞の特定部位に刺激をおくり、その結果──感情の抑制と特定の行動における身体活動の強化が可能となる。
当初、戦争時における殺人への禁忌を解除する目的で開発されたこの技術は、研究が進むにつれて無数のヴァリエーションを生み出した。
特に、ネブロ・ガートにおけるロボットの大量発狂とそれにともなう虐殺の一件以来、電子頭脳への不信と鉄のかたまりへの恐怖が叫ばれはじめた結果、一部のサービス業ではこの技術が諸手をあげて歓迎され、いまや銀河文明に蔓延せんとそのいきおいを拡大している。
給料の莫大さと仕事の卑屈さとのギャップに慢性的な人材不足を余儀なくされていたサービス業界は、この技術によって一気に活況をとり戻すこととなり、枯渇していた古きよき職業もそのすそ野を広げる仕儀となった。
そして、技術は当然のごとく地下へも流れ──ここに奇怪な闇の住人が誕生する。
つねにテロリズムの脅威にさらされる政府要人をガードする仮面──“平太(へいだ)”と、暗黒街の大物の周囲に配するに人気のある仮面──“大飛出(おおとびで)”はその代表といえよう。頭部さえ無傷なら骨折も出血もなんら意に介することなく標的に向かう荒事士は、理想の護衛役だ。
となれば──見てくれは単なる給仕にしかすぎない“渇食”であろうと、その実態は殺人をもいとわぬボディガード、といった剣呑きわまりない設定もありがちなことだ。ラザントのホーンから吹きあげられたファンファーレが始動の合図なのはご愛敬だろう。
総勢五十七名。
三百名以上の名士が招待されたパティオにおける給仕役にはすくなくとも、一人の殺し屋にむかわせるには充分すぎる人数だ。
バラムはウシャルの消えた柱廊玄関に視線を送りつつ、急迫する仮面の群れと、ダーキニ姉妹とにむけて──やさしげに微笑んでみせた。
「邪魔だぞ、くそガキども。ぶち殺されたいか?」
むろん、ダーキニ姉妹はともかくとして、通常の意識を剥奪された“渇食”が、バラムの口調や表情に恐れをなして道をあける道理はかけらもない。
テーブルや彫刻のあいだをぬってバラムをかこみ、ふわり、とまるで糸につりあげられるようにして宙に舞う。
くるりと弧を描いたそで先から、閃光が空気を灼いた。
一瞬バラムの身体がブレるようにしてりんかくをくずす。
強烈な異臭が充満した。
黒焦げの穴が、一瞬前までバラムのたっていた位置にうがたれる。
そしてまた──着地と同時に数人の“渇食”が血しぶきをあげてたおれていた。
首筋に刻まれた朱線から噴きだす大量の血が、童子面をまっ赤に染める。
が、ほかの“渇食”の動作に遅延はまったく見られない。
地面に足がつくやつかずのうちにその小柄なからだはすうと横に流れ、神速で移動するバラムを追う。
“花の舞い”──地下商人が自信満々におくりだした“殺人渇食”の特殊技能は、バラムの動きにもおくれることなく、正確で冷酷な攻撃を展開した。
かろやかな足どりで飛びはねて、いならぶ障害物をあざやかにクリアしながら、渇食部隊は目まぐるしく移動する戦場の中心にたえずバラムをおいている。
その動きは、まるで重力が消失したかのような──とはいえない。
重力は動作のなかに積極的に利用されている。
消失しているのは、重力のヴェクトルだ。壁を、天蓋を、四囲に存在するあらゆるものをふみ台にして、一見優雅にさえ見える移動を展開する。
その実、バラムの超人的な体技をもってしても殺傷できるのは五人に一人。しかも攻撃は間断なく八方から襲ってくる。
ダーキニ姉妹は芸術的な連携で攻撃をくり出す“渇食”の包囲網からはずれて、すこし離れた場所からなりゆきを見守る体勢に移っていた。
と、業を煮やしたか──ふいに、バラムはぴたりと停止した。
なんの策略かと、たたらを踏むようなことは“渇食”はしない。いっさいの躊躇なく、白い仮面がいっせいにバラムにむけて殺到した。
旋風がまき起こる。
銀光が上下にはしり、つづいて鮮血が渦を描いてとび散った。
凶刃をさけて飛びすさった“渇食”は、襲撃をかけたうちの半数にもみたなかった。
「道をあける気はなさそうだな」うす気味わるいほどやさしげな声でいって、バラムは笑みをうかべた。「ガキは寝る時間だ。おとなしくすっこんでろ」
地獄の微笑みが前方にむけて弾けとんだ。
一団となって“渇食”も後退する。が──
くるりと反転するや、バラムは料理の満載されたテーブル上にとび乗り、巨大な炎の柱を噴きあげるメインディナーの炉鍋を蹴りとばした。
たからかに悲鳴があがった。
巨大な炉鍋は軽々と宙を舞い、炎を噴きあげたまま盛大な音をたてて落下した。
オーケストラの、ただなかへ。
重々しく地をはうように奏でられていた主旋律がとぎれ、かわって悲鳴と怒号のファンファーレがあがる。
一瞬の遅延が“渇食”の動きを侵食した。
バラムには、その一瞬で充分だった。
残像をおきざりに暗殺者の姿が消失し──ごろごろと音を立てて数個の首がころがった。
包囲網が、破られたのだ。
一瞬の停滞からすばやく回復して、生き残りの“渇食”たちが追撃を再開したとき、一気に包囲網を突破してウシャルを追うかに見えたバラムが──再度ふりかえる。
ここぞとばかりに急襲をかける“渇食”に、そして、離れた場所からなりゆきを見守っていたダーキニ姉妹にむけて、数条の光跡がはしりぬけた。
一瞬だった。
一瞬で、勝敗は決していた。
武器は、うちたおした“渇食”のひとりからうばったハンドガン。
光跡はいくつもの直線を描いて黒焦げの穴をうがった。──“渇食”たちの、ダーキニ姉妹の心臓に。
またたくまに残敵を掃討しつくしたバラムは、今度こそなんの障害もなく標的を追って屋内に走る。
とり残された招待客たちは、ぼうぜんとパティオの惨状を見まわした。
そしてひとびとはふと気づく。夜天の庭園の光景が、消失しはてていることに。
上空に視線を転じれば、満天の星空を投影しているはずの立体映像が影をひそめ、むき出しの天井が黒々と頭上をおおいつくしているばかり。
四囲の景観の劇的な変化に、隠せぬとまどいと喪失感を胸にしながらひとびとは途方にくれて立ちつくした。
ウシャルズ・タワー。庭園はそう通称される建造物の内部に設置された、立体映像に囲まれた屋内空間に存在していたのだ。
その演出された庭園映像が一瞬にして消えうせてしまった理由は、システム異常にほかなるまい。だが、その原因は?
高速エレヴェータの内部で、ジョルダン・ウシャルは恐怖と怒りに荒く息を弾ませていた。
テロリストに命を狙われるおぼえは、山ほどある。
そのために高い金をだしてダーキニ三姉妹や、特製の“渇食”部隊をとりそろえておいたのだ。
いまさら殺し屋の一人や二人にあわてる必要などないはずだった。
が──相手が悪い。
バラム──夜の虎。
伝説の男だ。
かつて地球文明圏全域にわたって勢力を展開していた強力な武器供給トラスト“フィスツ”をただひとりで壊滅させたという男。
伝説にすぎない、といってしまえばそれまでだが、現にあの男はダーキニ三姉妹の長女を、苦もなく葬り去っている。
全身を間断なくふるわせながらぎりぎりと奥歯をきしらせる“帝王”の腕に、黒衣の女がなだめるようにそっと手をおいた。
「だいじょうぶ、心配ありませんわ、ダーリン」
カフラ・ウシャル──十年来つれそってきた、ジョルダン・ウシャルの正妻である。
一見上流階級の麗人にしか見えないが、ビロードの黒手袋にかくされた両の手は、無数にくりかえしてきた暗殺に赤く染まっている。
通称マダム・ブラッド──その実態は、ダーキニ三姉妹にもおとらぬ凄腕の殺し屋なのだ。
ウシャルが現在の地位を獲得できたのも、この凶女なくしては考えられないとまでいわしめる存在である。
「五十七人もの“渇食”にいっせいにかかられては、逃げることさえできはしませんもの。あの男もいまごろは……」
「甘いぞ、カフラ」渋面で、ウシャルはこたえた。「フィスツをたった一人でズタズタにした男だ。伝説は誇張されるものだが──おれは今日、あの男を目にしてあれが単なる伝説などではないとわかったぞ。あの男の目はまさに野獣だ。それにあの動き──あれァ、断じて人間じゃねえ」
「まあ、おびえていらっしゃるのね。可愛いひと」
みにくく肥満したあごに手をかけ、耳に息を噴きかけるのをうるさげに払いのけ、ウシャルはむきになっていいつのる。
「おれの勘が悲鳴をあげてやがるんだ。ここまで地位と権力を築きあげ、そしておれの命を今日までながらえてきた、このおれの勘がな。それを信じられねえってのか、ええ?」
語気の荒さに、マダム・ブラッドは鼻白んだように顔をそむけた。
ウシャルはそれを無理にひき戻し、
「そら、屋上についたぞ。いま扉がひらく。そのドアのむこうにやつが立っていねえと、おまえに証明できるか? あん?」
怒りに美貌を引きつらせてなにかいい返しかけ──マダム・ブラッドはウシャルの表情の変化に気づいた。
「ほうれ、見ろ」
勝ちほこったように口にされたセリフとは裏腹に、ウシャルの顔面からすうと血の気がひいていく。
ストラトス星系・惑星ジョシュア第一の都市、ポルトジョシュアの夜景を背後に、黒い人影のかまえたハンドガンの銃口が一直線にジョルダン・ウシャルをポイントしていた。
点滅する夜景のかなたに、狂気のように疾走する雲海をつらぬいて天空にのびる長大な塔の姿。軌道エレヴェータだ。
その軌道エレヴェータのシルエットが、バラムの背後で描き割りの背景のようにたたずんでいる。
敵意に眉をひそめ、ついで、マダム・ブラッドは笑みをうかべながらくちびるの端に朱い舌をちらりとはしらせる。
バラムもまた、笑みをうかべていた。──嘲笑を。
「おそかったじゃねえかよ“帝王”。エレヴェータがてめえの体重で故障でもおこしてたのか?」
ウシャルの顔が怒気に朱くふくれあがった。
フン、と鼻でわらい、トリガーにかけられたバラムの指がひかれるその寸前──
異変が襲来した。