“帝王”ウシャル
庭園。
中央に、おだやかに燃える炎。
要所要所に噴水と彫像。
配置されたいくつもの巨大なテーブルには、銀河中からあつめられた山海の珍味があふれかえっている。燃えさかる業火にかけられたいくつもの肉塊。
そしてそれ以上にあふれかえる、無数の人群れ。
社交界のお歴々のあいだに交わされる笑顔と歓談は、その舞台装置にふさわしく空虚で、そして底しれない。遊興に名を借りた腹のさぐりあい。たえまなくくりかえされる握手と抱擁。ぎらぎらと飾りつけられた胸のうちには、当然のごとく刃を呑んでいる。だれもが望まず、だれもが有効に時をすごす宴。始末の悪いことに、そこにつどうだれもがそれを自覚している。
破壊衝動がこみあげる。
同時に、抑制もまた。
視線をゆっくりとめぐらせる。
知った顔をいくつも見出した。
かつてバラムに暗殺を依頼した者。あるいは、いつか標的になるかもしれぬと記憶のかたすみにとどめた顔。
多くの顔が常人にはない生彩を放ち、それがこの巨大なパティオ全体に、一種異様なまでのきらびやかさをそえていた。
今宵の標的の顔は、そのなかには見あたらない。
殺し屋は無表情のまま、きらびやかに照らしだされた大理石の柱廊をぬけ、華やかで虚飾にみちた集団のただなかへとわけ入った。
からくり仕掛けのように優雅で、そして機能的な足どりで行き交う、仰々しく古めかしい衣装に身をつつんだ給仕のひとりの背中をたたく。
ふりかえった給仕は──奇怪な仮面をつけていた。
美貌の少年をかたどった仮面。苦悶するごとく眉宇をよせ、口を半開きにしている。静寂の底に、溶岩の感情を思わせるがごときその表情。
「ご用をお申しつけください、シフ」
感情を欠いた変声期前の声音が、一礼とともにそういった。あまりにも優美にすぎて、人形のようにさえ見える動作。
「ジョルダン・ウシャルはどこだ」
ぶしつけなバラムの問いにも迷惑そうなそぶりひとつ見せず、仮面の給仕はていねいにこたえる。
「われらがあるじはまだお見えになってはおりません。バルコニーにご注目ください。そろそろお顔をお見せになるころだと存じます」
いい終えて、さらに人形じみた所作で頭をさげ、それ以上の用がないと見るや、仮面の給仕はなにごともなかったかのようにふたたび仕事に立ち戻っていく。
ほかにも同じ仮面をつけた給仕が、しなやかでさりげない優雅さを発揮しながら無数に行き来していた。
“渇食(かっしき)”。それが仮面の名だった。いまはその内容さえさだかには知られぬ古代地球の、とある一国の伝統芸能で使われる面のひとつ。
標的がいまだ姿を見せていないと知らされて、バラムは小さく舌打ちをしながら、バルコニーに視線をうつした。
首筋にまとわりつくちりちりしたものは、あえて無視する。何者かの、おそらくは観察の目だ。
バラムの正体を見ぬいていながら攻撃をしかけてこない、となればウシャルの護衛ではあるまい。先刻のマリッドほどの警戒心を抱かせる視線でもなかった。邪魔になるようなら、そのときに排除すればいい。
庭園の一角で鳴きつづけていた静かな弦音が、そのときふいにその色調をかえる。
絶滅寸前の巨竜ラザントの、巨大なツノからつくられたホーンセクションが、複雑な上下動をくりかえす弦の合音を切り裂くようにして吼えたけった。
ファンファーレとともにご出現──どこまでも悪趣味なやつだ。バラムは嫌悪に顔をゆがめつつ、スポットライトの行方を追った。
バルコニーに三つの人影。
黒、白、そして黒。
黒檀のような肌に白いドレス。そして白磁のような肌に黒いドレス。
彫刻のように美しく無機的な、肌の色をのぞけばまったくおなじ三つの無表情。
ダーキニ三姉妹──と当面の脅威を遠くながめやりながらバラムは断定する。
その三人の無表情な美女が左右に道をひらき、つづいてあどけない微笑をうかべた童子がふたり、しずしずと進み出た。小姓であろう。これも先の美女三人につづき流れるような動作でついと左右にわかれるや──深々と頭(こうべ)をたれる。
そして──黒衣の美女をともなって出現する、二目と見られぬ肥満体。
悪夢からぬけでてきたような醜貌にむけて、華麗に着飾った紳士淑女が波のように拍手を打ちはじめる。
ジョルダン・ウシャル──ストラトス星系の暗黒街をその掌中にする“帝王”も、さすがに重力の拷問には音をあげているらしい。仰々しい飾りつけでなお隠しきれない反重力サスペンサを装備した上に、うわさでは補助心臓の厄介にまでなりながら、一挙手一投足が重々しく、見ているだけで息ぎれがしてくる。
だが、ストラトスの社交界に召集をかけた成りあがりの権力者に対して、侮蔑を明らさまにするようなまぬけはこの場にはいない。血統や名声だけでは、この世界で地位を維持するのは困難だ。ひそやかに交わされる陰口も注意深く、けっして暗黒街の帝王の耳にはとどかないように。「王様の耳はロバの耳」と不用意にささやく愚か者は──後日展開される惨劇の主人公だ。
“帝王”ウシャルは、おのれの足もとにつどう紳士淑女に下卑た笑いをふりまくと、杯をかざして一気に呑みほした。余興のつもりか。
バラムは頬に嘲笑をきざむ。
そしてゆっくりと移動を開始した。
標的にむけて。
バルコニーからいったん姿を消したウシャルが、すぐに階上の柱廊玄関にあらわれる。
「アウランッドゥのみ恵みがあらんことを、シフ・ウシャル」
宝石を散りばめた整形美人に話しかけようとしていたウシャルへ、割りこむようにしてバラムは嘲笑を口もとにたたえながら言葉をかける。
肥大漢の眉がほんの一瞬、怒気にゆがんだ。が、痛烈な罵声をあびせかけるのは話しかけてきた男の正体をつかんでから、と決心したらしい。かすかに笑みをうかべてウシャルはうなずいてみせる。
「やあ、きみにも幸運あれ。だれだったかな」
バラムは、うす笑いをうかべた。
「おまえの死神さ」
帝王の周囲をかためた四人の美女がむき直り、動作を停止させた。いつでも暴漢に飛びかかれる距離と姿勢。
「ほう」対して、ウシャル自身は──顔色ひとつ、かえていない。「なんの冗談かな」
柔和な微笑はそのまま、目つきだけが圧力を帯びる。
暗黒街の帝王の目だ。
その視線にむけて、バラムはいかにも残念そうなしぐさで首を左右にふってみせた。
「冗談ではないんだ、ジョルダン・ウシャル。おまえの命は今日かぎりなんだ。あわれなことだな“帝王”」
裏世界でささやかれる称号を、侮蔑のひびきをこめて口にする。
肥大漢は無表情にそれをうけ、ふりかえりもせずに背後にひかえる二人の小姓にむけて口をひらいた。
「クレオ、ダリウス」
それだけで小姓二人は、主人の意ならばすべてを了解しているとでもいいたげに躊躇なく、すばやく後退した。これもまるで人形のよう。
目の端でそれを確認しつつ、帝王は言を継ぐ。
「名前をうかがっておこうか」
おちついた口調だ。
だがその静かな口調の裏側に、牙をむいた狂暴な本性がほの見えている。
「墓石に刻むために、か? 無駄だがな」壮絶な微笑に顔をゆがませたまま、暗殺者は口にした。「おれの名はバラムだ」
逆立つ炎のようなブロンドの下、刃の双眸がナイフのような嘲笑とともそう告げた瞬間──
機械のような無表情をその顔面にはりつけた三人の美女が、踊りかかってきた。
ダーキニ三姉妹──暗黒街ではそう呼ばれている。不吉なる死と残虐の代名詞。
黒い肌の二人と白い肌の一人。もとを正せばひとりの人間だったといううわさもある。そのうわさを証すかのごとき鉄壁の連携が、この三人の持ち味だ。フェイシス圏内にレンジを広げても十指にもれないとさえいわれる、凄腕の殺し屋。
黒衣の熟女が、ウシャルの巨体を軽々と小脇にかかえて後方に飛びすさるのを横目に、バラムはダーキニ三姉妹の強襲に正対した。
常人の動態視力では、その動きを追うことすらできまい。黒と白のドレスは疾風と化し、正三角形の中心にバラムをすえる。間をおかずに閃光が三条、暴漢にむけて突きだされる、まさにその寸前──
「シギム・ナルド・シャス」
バラムは口中ひそやかに、奇怪な呪句をつぶやいた。
思考と感情は対自我に追いやられ、全身が感覚器官にかわる。
時間の遅延。
いましもトリガーをひきしぼらんとする美女たちの、指の動きまでが、寸きざみに視認された。身体は即座に反応する。
ダーキニ三姉妹が緩慢に目をむくのへ、バラムはうす笑いをうかべる。
三姉妹がトリガーに手をかけた時点で、バラムはなんのアクションもおこしてはいなかった。
にもかかわらず、ひきしぼられた指に反応して三方向からビームが放出されるまでの刹那の時間に、火線の襲来を避けきれる人間の存在など感覚が理解を拒否して当然だ。
そういう意味ではダーキニ三姉妹は、常人の域に棲息していた。
なおぼうぜんとしつつ──それでも、三人が三人、すさった殺し屋を追ってすばやく照準をすえ直したのは、風評に恥じない勘と判断力だ。
が──追いきれなかった。
テロリストは、人間の領域を軽く凌駕していた。
三人の視野から、バラムの姿が消失する。
一瞬の後に、あわてて四囲を見まわしたのは、黒い肌の二人だけだった。
白い肌の一人は──鋭利なハンティングナイフに喉をかき切られて、血しぶきをあげていた。──二人がまるで気づかぬうちに。
相棒を一瞬にして屠られた二姉妹は、奥歯をきしらせつつ即座に飛びすさった。
くちびるの端をゆがめてバラムは追撃する。
スピードについていけず、なにが起こっているのかさえわからずに棒だちになった招待客のあいだを、すりぬけ、おしのけ、つきとばしながら二姉妹とバラムは目まぐるしく場内を移動する。
そんな激戦のさなかにありながらバラムは、柱廊玄関のむこうにいましも消えやらんとするウシャルが、奇妙な動作をするのを確認していた。
首を掻き切る動作をしたのだ。
ステージのオーケストラにむけて。
黒衣の婦人にうながされて、成果をたしかめることなくウシャルは消え──
突然、パティオはラザントの角笛の吹きあげる、重厚なファンフーレにみたされる。
そして──同時におこった異変をバラムは視認した。
機械的に立ち働いていた仮面の給仕たちが、ファンファーレとともにいっせいに、ぴたりと動きをとめたのだ。
切り裂くようにひびきわたったファンファーレがしりぞき、哀しげにのこった木管の底から弦が重くすべりはじめたとき──