エピローグ
3月26日(木)。俺は別れぎわがヘタクソだ。いつでもそうだ。どんな顔していいのかわからないので、いつも無愛想に「じゃあまたいつか」と言ってさっさと背を向けてしまう。俺の別れ方はいつもこうだ。どうにかしたいと思っても、いつもどうにもならない。
首からぶら下げたオマケの財布からいつでもルピーを取り出せる態勢で清算が終わるのを待っている。と、YとKが呆然として俺を見た。
異様に安いのだ。S(ネ)さん、M(日)さんの知り合いだということでずいぶん待遇がよかった上に、宿泊代も通常より抑え目にしてくれるというので無邪気に喜んでいたのだが――宿代は、俺たちが予想していた額のさらに三分の一にまでダンピングされていたのである。
それじゃいくらなんでもあんまりだ、これでは本当にタダ同然じゃないかアマルさんそりゃいけない。と困惑の体の俺たちにアマルさんはいいんだいいんだ大丈夫だとうんうんうなずく。
案の定、ホテルオーナーとアマルさんとの間に悶着がはじまった。が、アマルさんはいつでも強気だ。いいんだいいんだこれでいいんだと強引にオーナーを解き伏せてしまう。おーいアマルさん、馘にされちゃうぞー。
ホントにそんなことになったら寝覚めが悪いので、玄関前でとったホテル全景の写真をパネルに落として郵送することを約し、タクシーがつくのを待って俺たちはホテルを後にすることとなる。この旅は最初から最後まで、Yのコネに援けられた。コネといっても社教関連の細い糸をたよってのごく形式的なものに過ぎなかっただろうに、だれもかれもが驚くほどの親切を俺たちにくれた(Y注:本当に、良い旅でした)。
ナマステ、と最後のあいさつを交わし、俺たちは走りはじめた。ビルの谷間を吹きぬける風、街路樹のつらなる大通り、リクシャ、ベビタク、歩道を群れ歩く褐色の肌の人びと。お馴染みの風景を貫いてタクシーはカトマンズをかけ抜け、空港にたどりつく。
ここで飯を食うことにした。倍近くにふくれあがった巨大荷物をえっちら運ぶ病人のYに多少ペースをあわせつつ4階のレストランに居をさだめる。広くて小ぎれいなレストラン。窓からは見送りデッキに集う大量のネパール人と飛行機が見わたせた。天井に電光掲示板。
多量の荷物を傍若無人にそこら中にほうり出し、メニューを繰る。何を食おうかなあ。カレーはもういいや。んー。もの珍しいものは見あたらないなあ。
……スパゲティ。やめといたほうがいいかなあ。でもポカラ以来、なんだかやたらスパゲティが食いたいのだ。んー、しかしネパールタイムで麺茹でられたら、どんな茹でかたしても煮すぎになっちゃうのは目に見えてるし……。
いいや。食いたいもの食おう。と俺はついにスパゲティを頼んだ。Yはブレックファーストにホットチョコ、Kはチキンチーズカツ、チーズサンドにトマトサンド。アイスクリームも頼もうか。こいつはポカラで唯一うまいと感じたメニューだ。いちばんまずかったものといちばんうまかったもの、うん、いいラインナップだ。よし。
と待つことしばし――ほどでもなかった。いきなり出てきた。アイスクリームが。……おい、まさかあのアイスクリーム、俺たちのじゃないだろうなと遥か彼方の厨房からカラカラと手押し車に鎮座して運ばれつつあるアイスクリームを指さしながら俺たちは呆然とする。おっさんの給仕はさも当然とでもいいたげににこやかに微笑みながらテーブルにアイスをならべはじめる。おいおい、いったいどういう順番なんだ? ……できたもん順なんだろうなあ。
まあいいや。食ってみる。うん。悪くない。なかなかうまいぞ、このアラモード。よし。これならスパゲティも期待していいかもしれない。うまいなあ、甘いなあ。
たしかに甘かった。スパゲティはやはり茹で過ぎであった。味はまあ悪くないのだが、茹で過ぎた麺ものなどうまいものにはなり得ない。結論。どんなに高級な外国人向けレストランだろうと、ネパールで麺類を頼んではいけない。
体調の悪さにダウン寸前でホットチョコレートをすするYをそこに残して、Kとふたり搭乗手つづきを完了させた。出発まで時間があるし土産ものでも物色していこうと港内土産店のディスプレイをしばし眺め、Yはどうしたろうと様子を見に戻るとホットチョコレートのおかわりなんぞ頼んでずずずと飲んでいる。やっぱりぐったりしている。おまえはそこでゆっくり休んでろと言い残して一階下のKのところに戻った。薄情きわまる奴らだ。
ずらずらとガラスケースの中におさまったガラクタを眺めわたしたのだが、どうもあまりめぼしいものが見あたらない。しかし宿泊費が予定のさらに三分の一ですんでしまったのでルピーの残りがやたらにある。銀行の換金証明書があったのでドルに戻せないこともなかったのだが面倒くさい。で、役にもたたんような安ぴかものを値切りもせずに次から次へと買い漁った。まったくこんなお大尽買いする奴がいるから、観光地の諸物価があがるんだよなあ。
一階ロビーで簡易土産として紅茶をKが購入し、ふたたび三人そろって税関をくぐる。待合室で搭乗を待つことしばし――とはこれまたいかない。いつまで経ってもインフォメーションがかからないのだ。むう。まさかBIMANめ。またか。
予想どおり飛行機の到着が遅れているとのこと。しかもダッカではすでに前日から遅延が決定していたという。ったく、びいいいいいいいいいいいいいいいいいまんはあ。
で、俺はさっそく太鼓を取り出してぽこぽこ叩きだした。日本の空港ではこうはいかない。外国だからって迷惑に思っているひとも当然いたのだろうが、まあ、いいじゃないか。頭脳警察のトシのコンガを思い出しながら俺はたどたどしく太鼓を叩きつづけた。Yはついに力つきたかぐったりとした姿勢で眠りこんでいる。眠れよい子よーと太鼓を叩いた。いつまでも叩いた。いつまでもいつまでも叩いた。叩きつづけた。いつまでもいつまでもいつまでもいつまでも、おい、いったいいつまで俺に太鼓を叩かせるつもりだBIMAN。
結局飛行機は一時間遅れて到着した。まあましな方なのだろう。Yを叩き起こす。と、「Jさん太鼓叩いてた?」と訊く。おお愛をこめてな、と答えると、こともあろうに悪夢を見ていたという。その悪夢のBGMに太鼓の音がいつまでもいつまでもいつまでも……なんと失礼な娘だ!
さらに機内で少々待たされたあげく、飛行機はカトマンズを下方におきざりにして大空へとはばたいた。はばたいたったらはばたいた。糞、俺はほんとうに別れ際がへただ。席順は窓際に俺(わほーい)、隣にY、通路隔ててK。Kなどは一人でほうっておいては寂しいと泣きだすんじゃないかと思っていたら、隣にすわった見知らぬ女の子と一瞬で仲良くなってしまっており、ダッカやカトマンズで起こったできごとを微に入り細に入りおしゃべりしている。たいした記憶力と適応力だ。
実は赤痢患者のYに愛をささやきながら(ポカラの空港でKが秀逸な指摘をした。「Jさんて、暇になると女のこ口説きはじめるんだよね。興味の対象がある時はおとなしくしてるもん」正鵠を射た意見だ。射すぎてる)俺たちはなぜBIMANの飛行機がこうもいいかげんなのかについて議論を展開する。
Yと俺の共同分析によると、これは実は信仰に関わった問題なのだ、ということになる。バングラデシュの信仰とくればこれはもうイスラムだ。ダッカの空港で「PRAY ROOM」なる一室をKと見物したりもしたのだが、なぜかこの街では祈っている人などとんと見かけなかった(Y注:私は帰りの飛行機の中で伝統的なスタイルのお祈りをしている人を見ました)。それでもイスラムはイスラム、どこか人の見ていないところででも祈っているのではないか。
じゃあ飛行機なんて一日中飛んだり降りたりしてるシロモノではいつ祈ってるんだ? という疑問が浮かび、はっと胸をつかれる。そうか! まさか操縦中にメッカに向けてひれ伏すなんて真似、いくらBIMANでもできるわけがない。となれば、祈りの時間にあわせて飛行機を飛ばすしか方法はないではないか。そうするとますますダイヤが乱れる。その上に、たとえばランディングした飛行機の清掃員などにも当然祈りの時間は必要だろう。ところが、機長が祈りの時間をずらしたりしてスケジュールが狂ってしまったために清掃員の祈りの時間と到着時間とが重なってしまった。当然清掃員がメッカにむけてひれ伏している間は飛行機は飛ばない。こうして悪循環はくりかえされ、かくしてBIMANのフライトスケジュールはぐちゃぐちゃになっていく、というわけだ。
ばかばかしい議論を展開しているうちに、ダッカについた。まさかまたここで足どめ食らうんじゃないだろうなといやな予感がしていたのだが、意外なことに驚くほどすんなりと通関は終わり、ほとんど素通りのようにしてふたたび機内へ。もっとも「これはなんだ?」と問われて「ロキシーだ」と馬鹿正直に製造禁止のシロモノを開示してとめられている間抜けな日本人も見かけたりはした。
午後の暑い陽ざしのもと、俺たちはふたたび空の人となり馬鹿話はつづく。エッセンスはもちろん、愛。から始まって、鰐と象の表裏一体などという哲学的にわけのわからん文句まで飛び出した。なぜこんな話になったのだろう。
バンコク。熱帯樹の揺れる蒸した夜。
シンガポール。深夜の宝石箱。ここでは雷雲が発生していた。恐いほどの高空をびしりと光の帯が切り裂く。飛行機はゆっくりと弧を描きながら降下し、真っ黒な雷雲をよぎったりする。黒い塊が宝石の街の上空にいくつも、いくつも、ぼっかりと浮いていた。胸に迫るものがある光景だった。
さて、俺は実は糞をがまんしていた。機内のトイレは混んでてやたら汚いしおちつけない。だがシンガポールのトイレはめちゃくちゃきれいに違いない。だからこのチャンスをひたすら待ちつづけていたのだ。いそいそと機を降り、自走歩道をへこへこと歩いて手近のトイレに飛び込んだ。お、お、お、美しい、いや、清潔だ。
快適に用をたした。糞も固くてケツの穴が痛いほど健康だ。よし。俺は不死身だトイレットペーパーもちゃんとしたトイレットペーパーだぞこりゃあいい、はっはっはっ。と外に出るとKとYがベンチにごろ寝して待っていた。なんだ、二人で遊びにいってりゃよかったのに。
少し余裕をみてそのままトランジットルームに入る。この部屋はなぜか禁煙だ。飛行機の中も離陸が完全に終わるまで煙草喫えねえし、ヘヴィスモーカーには風あたりがつらいなあ。Kに言わせりゃ「そりゃ当然だ」となるだろうが。そのKだが、最初に訪れる外国は漠然と「香港が最初なんだろうなあ」と思っていたらしい。たぶん香港がいちばん行きやすそうな外国だからだろう。実は俺もまったく同じ思考をしていた。最初の外国はネパールと決めつけてそれを果たしたYはべつにして、俺たちには予想とはまるでちがった初めての外国だったが何、これからだって何度でもいける。次は香港だよ、と俺とKは固く誓いあったりしていたのであった。
やがて夜の街を立ち洋上に機が踊り出たころ、俺たちは狭いシートの中で眠りこけていた。なんだか映画をやっていたが、よく覚えていない。ジョディ・フォスターが監督主演の映画だったらしい。ちと、惜しいことをしたような気もする(K注:“リトル・マン・テイト”ハリー・コニックJr.がでてた)。
ふと目が覚め、窓の覆いをあげてみた。
空が赤かった。紅を溶かして流しこんだような暁だった。あざやかな色彩をぬって、飛行機は日本の鼻先にまでたどりついたらしい。やがて太陽がまばゆくさし染めて機内を満たしはじめた。もっと外を眺めていたかったのだが、あまりの光量と熱気に覆いを閉じざるを得ない。そして長い上空待機の時間を経て、成田へのランディング。
朝の成田の巨大な敷地内にはバラエティに富んだ無数の飛行機が発着をくりかえしていた。日本だ。バスにのって構内に入ると、エスカレーターの壁にNECの看板がかけられていた。日本だ。税関で俺は鞄の底まで調べられたのにKとYはあっさり通り抜けてしまった。日本だ。
検疫で俺とYがひっかかった。予備調査票にばか正直に「腹をくだした」と書いたからだ。妙な病気でも抱えてるなら早めにわかってしまったほうがいいとの判断でそうしたのだが、「症状がおさまってるんなら別にいいですよ」と日本の癖にアバウトな処理だなあ。流行ってんだろ、コレラ。ネパールで。ここでちゃんと検査しとけば、後の赤痢騒ぎでわざわざ保健所出むくなんて二度手間かける必要もなかったのに。ね、Y。
なかなか検疫から出られないYを待つことしばし、「せっかくだから成田エクスプレスで帰ろう」と次発のチケットを手に入れた後、飯を食いにいく。なんだかごちゃごちゃしててよくわからねえなあこの国の空港、と田舎者よろしく構内をあちこちうろうろしたあげく、なんだか値段の高い中華料理屋に入った。高いなあ、物価がこの国は。とつつましく一品ずつ注文すると――あっという間に料理が出てきた。おおお、日本だ日本だ。それにこれは、おお、日本米だ!
飯を食い時間も来たので駅へと向かう。改札をくぐる。Kは横浜行きの車両、俺とYは新宿いきだ。乗車位置もちがう。じゃあね、とエスカレーターを下るKに、またなと後ろ手に手をふり、俺は歩いた。
成田エクスプレスは全車禁煙だった。けっこうスペースのとれる荷物置場に巨大荷物をほうりこみ、座席に腰を降ろす。悪くない。けっこうゆったりしている。向かい側にはサラリーマンの二人づれ。ビジネスかな。
列車はすうと走りだし、俺は窓外の千葉の風景に見るともなしに見入っていた。妙な寺の屋根みたいなものが見えた。あれはなんだと二人で首をかしげていると、正面にすわった年令不祥のビジネスマンが「あれは成田さんだよ」と教えてくれた。ほー。あれが。よく知らんけど。
新宿までの一時間を、眠って過ごした。中央線に乗りかえ、通勤電車に揺られていると窓の外に菜の花が見えた。やがて電車は吉祥寺のホームへとすべりこみ、またね、と俺はYに背を向ける。
荷物を満載した自転車でアパートに帰りつくと、庭に桜の花が咲きはじめていた。日本の春だ。
こうして俺たちの旅は終わった。
ネパールの三馬鹿(了)