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ガジェット ボックス GADGET BOX ネパールの三馬鹿20



    象


 3月25日(水)。最後の一日のはじまりだ。ホテルでのんびりと朝食をとり、外に出た。なぜかこの日の最初の目的地もきのうと同じスイス銀行だ。きのうサリーなどを購入したせいもあり、YとKは金欠になってしまったらしい。かくいう俺も、ホテル代の清算を考えるとかなり心細い。Yに借金もある。だから少し多めに換金した。
 だらだらとしたペースで進む作業をやっとのことでクリアし、後につづくKを待ってベンチに腰をおろすと、Yが隣の席にすわった男となにやら会話をかわしている。んー? いつのまに友だちができたんだ、なんだ俺がちゃんといるのになんだかおもしろくねえなあと思っていたら、どうもそのネパール人単なる軟派野郎らしい。しつこくつきまとって離れないのだという。なんでえ(K注:冷たくしても、いやな顔してもしつこかったー)(Y注:日本女性というだけで日々もてました)。
 Yがトイレに立った。椅子ひとつはさんで俺とその男が席をならべる。なんか一言いってやろうかなと思ったのだが、どうもなにも言うことが浮かばない。しまらねえなあ。
 と白々としているとふいにその男、立ちあがった。帰るのかな、と思ったら何を考えてるんだかYが消えていった方角にのこのこと歩いていく。なんだ? トイレまでつけまわす気か? それじゃおまえ変態だよ、妙な真似したらタダじゃすまさないよといつでも飛び出せる姿勢で観察していると、さすがに逡巡している様子。それにしてもあからさまな奴だなあ。
 銀行を出るまでその男はなんだかつきまとっていたのだが、どうも俺がふたりの連れだと納得したのかしぶしぶ、といった感じでどこかへ去っていった。変な奴。外国人の女というとそういう目で見る、とKがしきりに憤慨する。俺が一緒にいて助かったという。俺なんにもしてないけど。
 さて、この日は移動にタクシーを使った。ベビタクだのリクシャだのと狭苦しい乗り物ばかり常用してきたので普通の乗用車だと広く感じられそうなものだが、これがけっこうそうでもない。後部座席に三人ならべば窮屈なことには変わりない。もっとも俺は、このほうが嬉しいのだ。ふふふ。これじゃ変態だな。どんな国へいっても、男の本質はかわらない。
 街をぬけて狭い繋ぎ道を通り、ふと気づくとそこはもうパタンだった。YとKはすでに一度ここを訪問しているのだが、俺はその時床にふせって十五分ごとの鐘に悩まされていたので初めてだ。カトマンズとはまた少しちがった雰囲気があるがやっぱり街だ。そういえば国内線の空港でポカラ行きを待っているときに話したネパール人の若者、住まいはパタンだと言っていたな。
 動物園前で車を降りると、広場の中央に凛凛しく着飾ってポーズをとった国王の銅像だかがある。広場はさらさらとした砂地で構成されており、表通りから道に沿って露店が軒をつらねていた。妙な菓子を売っている。うまそうだな。いやいやいやいかんいかん。
 入場料は10ルピーである。これはネパール人と外国人では値段にかなり開きがある。当然、高値なのは外国人。むー。その上、象に乗るなら一乗りで50ルピー、一日なら桁がちがってきてしまう。むー。けっこうな暴利だな。どうせろくな動物もいやしないんだろうに。俺は象に乗るのはいいや。
 というわけでKとYだけ象チケット50ルピーを買いこんだ。さあ入ろうか。と手前の回転扉をくぐって詰所らしきところに詰めた爺さんに入場券見せると、爺さんしげしげと券を眺めまわしたあげく「ここは入口じゃない。あっちにまわれ」とくる。がお。
 宗教の関係らしいが、寺社仏閣はどこでも左回りで観覧することになっているらしい。宗教施設でもなかろうに、なぜかこの動物園も順路は左回りだった。最初になんだか妙な鳥舎がある。動物学者でもない俺にとってはとりわけ珍しい鳥がいるわけでもないのだが、ペリカンみたいな奴がひょいひょいと円形の台地を走りまわったりしているのは見ていておもしろい。
 順路にしたがって進むが、その後もべつにとりたてて珍しい動物に遭遇することはなかった。猿だの鹿だの鼠だのと、でもまあ動物というのはホントに見ていて飽きが来ない。「これこれこの豚、猪八戒のモデルになった豚なんだよ」とKが、ふてぶてしいツラした巨大豚を指さして言う。するとこれは中国原産の豚か。なるほど、いかにも人をとって食いそうなツラがまえしてやがる。実になんというか、憎々しい。ぶう。
 それにしても、ここでもなんだか俺たちの周囲に人が集まって俺たちと同じペースで移動してやがる。動物園の動物と同じくらい俺たちが珍しいのか。まったくしようがない奴らだ。
 その動物園は敷地のまんなかに湖、というか池があって、そのまわりを取り囲むようにして動物舎だのがあるのだが、しばらく進むと池側の路傍に象が立っていた。なんだかひどく皺だらけの象だ。顔の部分に赤い色で変な模様が描きこまれている。妙だなあ。背中には調教師だかがどっかり腰を降ろし、ぼんやりと笑って俺たちを見おろしていた。どうもこの象、あまり元気がなさそうだが、象というのはこんなものだったか。それにネパールの動物は犬も牛も豚も水牛もみんなだらーっとしてるからな。この象なんだろうな、50ルピーの乗象てのは。
 と、なんとなく鹿舎のわきに腰をおろしてだらーと眺めていると、爺さん婆さんのコンビや妙な家族の一団などが、かわるがわる象の背中の調教師に金をわたしては皺だらけの額をぴたほたほたと触っている。こどもを抱きあげて無理矢理さわらせるお父さんまでいる。「そうか、神さまなんだね」とKがいう。なるほど、象頭人身のガネーシャ神というわけだ。しかしこの象、なんだか迷惑そうな顔してるように見えるのは俺の気のせいかな。
 ガネーシャを後にしてまたしばらく進むと、犀がいた。泥水の中に、所在なげに立っている。犀、というのも泥水が好きらしい。
 その後ろに石垣の円台みたいなものがあって、そこにまた調教師らしき若いのがだらりと腰を降ろしていた。ところがこの調教師、なんだかやけに楽しそうだ。なんだろうとしばらく眺めていると、手にした鞭でいきなり犀の尻をぴちりと叩いた。がお、とは吠えなかったが犀は驚愕してばっちゃんと泥水の中に半身ほうりだし、どばちゃんぼちょんと背中や腹を縦横無尽に泥水にこすりつけてもがきまわる。
 すごい迫力だ。俺たちはもちろん、まわりに集った一団の群衆も大喜び。口に出しはしないものの、さらなる展開に期待の雰囲気がぐぐぐと膨れあがる。動物虐待の現場だ。と、その気配を察したか、若い調教師さらに二度三度と犀の背をたたいてはもがきまわらせたあげく。
 ふいに、にたあと悪魔のような笑いを浮かべてひらりと台座から飛び降り、唐突に痛烈な一撃を犀の尻に浴びせかけた。
 おお、と、その場にいあわせた一同から異口同音に、ため息にも似た声があがる。一撃喰らうや犀はやにわにがばと跳ね起き、小さな目をぐりぐりに見開かせてどどっ、どどっ、どどっと盛大に地響きを轟かせつつ円形の敷地内を重量感たっぷりにかけまわりはじめたのだ。
 悪魔のような調教師は犀のあわてぶりを冷静に眺めやりつつ素早い身ごなしで敷地内を横ぎると、奥のほうに仕切られた柵を開いた。仕切られた向こうにはどうやら犀舎らしい屋根つきの建物がある。犀は盲目的な突進でもって開かれた柵をくぐって犀舎に消えた。あざやかなものである。それにしてもあの、最後の一撃を加えようとする時の調教師の、いかにも嬉しそうな笑顔は忘れられん。
 さらに先には虎だのライオンだのハイエナだのがいた。まあ普通の動物園だ。看板だけ出ていて中には何もいない舎もいくつかある。ネパールレストランのメニューと同じく、揃ってなくてもいちおう名札だけは、ということだろうか。がらんとした畜舎はどう考えても異様だ。逃げた、とか、ね。ははは。
 一段低く奥まった場所にしつらえられた鳥園を一周し、またしばらく檻の中の動物を眺めやる。なんだこれ、さっきのとこにもいたじゃないか。なぜかこの動物園は、同じ動物があちこちに配置されていたりする。こうして、さしたる時間もかからずに園内を一巡し終えた。予想はしていたが、小さな施設だなあ。
 池畔で鳥を追いかけたりKに膝枕させたりしながら(Yは警戒が厳しくて膝頭枕もさせてくれない)うだうだと過ごした後、飯を食うために園外に出る。
 近くを少しうろついて、結局園裏手の二階の食堂に居を占めた。この食堂、一階は厨房、二階がテーブル四つの小規模なかまえだ。三階もあったのかもしれないがまあこんなもんで充分なんじゃないのかな。つくりは小ぎれいで外国人向け食堂といったところか。
 このあたりでYはもうダウン寸前といったところだ。腹が減ってて食欲は狂おしいほどあり余っているのに、いざ食い物を目の前にすると何も食えないのだという。かわいそうだが何もしてやれない。無理せず食えと矛盾したアドバイス与えつつ、もそもそといかにもつらそうにまずそうに一所懸命咀嚼する姿を尻目に己の食欲を貪欲に満たすことくらいしかできない。ちなみにこの日の俺のメニューはBAMBOOなんちゃらという、筍を使った中華料理。これもなかなかだぞ。Kはチーズスパゲティ。ポカラのグラタン化したシロモノよりはましだが、やっぱりこれも茹で過ぎだなあ。
 Kにわけてもらったフルーツサラダにロシアンサラダを何とか詰めこもうとしてなかなか果たせず苦しむYを横目に、俺たちは飯を貪り食った。うまいっ。うまいなあ。ああ幸せ。健康ってすばらしい。ね、Y(Y注:KちゃんもJさんも食べ物を前にすると私のことを忘れ去って、ガツガツと食べることに専念してしまった……! 食べ物のうらみは恐しいんだぞっ!?)。
 コーヒーと紅茶を流しこみつつしばらく休憩した後、再び動物園に戻る。象の騎乗は午後三時からということで、50ルピーの象券を二人はまだ使っていなかったのだ。動物に与える餌にと露店で豆買うKを待って、再度10ルピーを払って園内へ。
 今度はちょっとちがうルートをとろうと鳥舎の裏側にまわって、小公園みたいな一角に出ると、都合のいいことに象の威容が休憩所の手前に所在なげにつっ立っている。あれじゃねえかと連れだっていくと、やっぱりそれだった。
 Yからカメラマンに任命されつつ「すっかり休日の家族サービスのお父さんだね」などと言われてしまった俺は、すべり台を踏み台にしていかにも楽しそうに象の背中へと移乗するふたりを下界からぼんやりと見上げながら、このカメラいったいどう使うんだろうとぼんやりと考えていた。ちぇっ。あいつら手、ふってやがる。
 試しにシャッターを押してみる。ファインダー内部で赤いランプがついた。それでちっともシャッターが降りない。「だめだよー」と叫ぶ。シャッターを押しつづけろと指示がとぶ。押しつづける。赤ランプが点灯する。かまわず押しつづける。赤ランプ消えない。かしゃともいわない。やっぱ駄目だ。のそのそとした足取りの癖にやけに歩行速度の速い象をへえへえ追いながらシャッターを押しつづけるのだが、全然だめだ。「移動してるからシャッター降りないのかなー」とYの声。もういいよーとやっとのことでお許しを得、ああ疲れたと手近の木陰のベンチに腰をおろした。
 さて暇だ、することがない――とはいかない。実はこの日持ち歩いていたズタ袋の中に、きのうダーバーで買った太鼓がしっかり入っている。頼りなげな記憶に鞭うってジャヤさんの講習を思い出しつつぽんぱんぽんぱんと基本練習を無心にくり返していると、前方からにこやかに微笑みながら裕福な身なりの若者が二人、声をかけてきた。なんだかよくわからないが、その太鼓をちょっと貸してみろといっているようなので貸してみると、ぼんたかぼんたかばばんちぱん、ぽん、と実にリズム感がいい。ジャヤさんといいこいつらといい、ネパールでは義務教育で太鼓のカリキュラムでも組まれてるのだろうか。
 基本練習をくり返したおかげで多少はいい響きを出せるようになっていたので、今度はリズムの練習だとばかりに隣に腰をおろした青年から講習をうける。こう打つんだ。よし、こうだな? ちがう。貸してごらんよ。こうだってば。それにこういう打ち方もできるんだぞ。よしわかった、こうだな? それに、こう? ちがうってば。なかなかうまくできない。
 そうこうする内、象が戻ってきた。ずいぶん時間が経っているようだし、出てきたのが往路と反対方向だったので、どうやら園内一周してきたらしい。なんだ意外とサービスいいじゃないか。高い金とるだけはある。と思ってたら、どうも一緒に乗りあわせた上級カーストの青年が「そっちも回れ、そこに降りてみろ」と強権を発動して無理矢理園内一周させてしまったらしい。鳥舎の集まった階段下の一角までまわってきたという。
 ところでカメラは? というのでわたすと、Yはしばらくの間しげしげとカメラを見まわしたあげく「電源入ってなーい。これじゃ映るわけなーい」と言った。ええっ? と見ると、あんれま、たしかにパワースイッチがOFFのまま。これじゃシャッター降りるわけない。Kも呆然としている。そりゃそうだ。悪ィっ。いやあ、悪ィなあ。機械オンチが露呈しちまったい。
 動物に餌やってくるねとピーナツの袋にぎりしめて去るKを見送り、休日のお父さん役の俺と実は赤痢患者のYは、その場で腰を降ろしてぼんやりとした。青年に教えられたリズムを乏しい記憶力と間の抜けたテクニックでたどたどしく再現していると、ふいにY「でもずいぶんうまくなったね」と言う。おお!
 しばしそうして池畔の風に吹かれた後、Kのあとを追って動物舎をめぐった。ほどもなくKとも合流を果たし、檻の中の獣に餌をやったり棒でつついたりしながら半周した。
 少し休んでいこうかと池畔に降りた。
 水辺で風に揺れる木の葉やがあがあと仲良く泳ぐ水鳥を眺めながら俺は、なんとなく井の頭公園を思い出していた。あすはもう出発の日だ。短くて長くて、やたらと楽しい旅だったよなあ。
 などと思いつつぼんぼこ太鼓たたいてると、Kも「でもホントにうまくなったねえ」とくる。おお! おお!
 いつの間にか俺の膝枕に頭のっけてぐってり寝そべるKと、微風にかすかに長い髪なびかせるYを横に、俺はそうしていつまでも太鼓を叩きつづけていた。

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