太鼓とサリー
3月24日(火)。ホテルでブレックファーストを食っていると、自転車に乗って新聞屋の爺さんがやってきた。新聞屋といっても新聞配達ではない。なんでもジャーナリストのチーフ格の人物らしい。そんな人物がなぜ訪ねてきたかというと、Yが現地の新聞を郵送で定期講読するというからだ。そんなお偉い人物がなぜ自転車でというと――よくわからない。ネパールでは車は貴重品らしいが、この爺さんビル一件もっているお金持ちらしいので、車買う金がないということもなさそうなのだが。
さて「俺のビルならいつでもタダで泊めてやるぜ」と豪語して新聞屋の爺さんがぎこぎこ自転車で颯爽と帰ってからしばらくして、俺たちは銀行へいった。先日もいったスイス銀行だ。スイス銀行だが、働いている行員は全員ネパールの人だった。あたりまえだ。でもなんだか妙な気分だ。
昼飯は『コト』という店にいくことにする。これもS(ネ)とM(日)さんのご推薦。日本食レストランは二日連続になってしまうが、いいかげんカレーにもあきが来ていたしみそ汁はなつかしいし、この時は知らなかったけどYは赤痢患者で腹具合が最悪だったしで、なんでわざわざネパールまできて日本食、とちらりと思わないでもなかったのだがまあよかろう。俺は最初『コト』を『琴』と思っていたのだが、看板には漢字で『古都』と書かれていた。あ、なーるほど、古都、ね(Y注:“古都”と“串藤”では“古都”の方が良い店でした)。
この店はきのうの店とちがってつくりが小規模で、全体の雰囲気もより日本風という感じだった。そしてなによりカウンターの奥で調理に精出してる数人のうちのひとりが、なぜか日本の大衆食堂の親父という感じだ。ふむん。
ここでも日本式にやたらといろいろ頼んだ。天ぷら、コロッケ、あげだし豆腐、かつ丼、うどん、天そば、みな死ぬほど懐かしくてうまい。ああ。もっとも豆腐だけは駄目だ。まずくはないのだがこれは豆腐ではない。俺はこれいらない。
なんだかYはもそもそとあまり食が進まない。そうとう具合が悪そうだ。そりゃそうだ、われわれは誰ひとりとしてまるで思いあたりもしなかったのだが、この時点ですでにこの娘は……しつこいからやめておこう。
飯を食い終えてバザールをゆっくりと経めぐる。なんだかあっちでもこっちでもバザールばっかりまわっているみたいだけど、ちっとも飽きがこない。それに安ものの義理ものばかりで、メインの土産をまだ買っていない。で、曼陀羅屋、装身具屋とまわった。曼陀羅は交渉がうまくいかずになにも購入せず、装身具屋で数種類の耳飾りを買った。けっこうな値段だ。だけど耳飾りなんぞ切実にほしいものでもないのでどうも交渉に身が入らず、あまり値切る気になれないのだ。
バザールをぬけて川のほとりに出た。なんのこたない、また道に迷っているのだがネパールタイムにすっかり感化されたか三人とももともとそういう性格なのか、道に迷っているという感覚さえ希薄だ。橋の上の歩道に沿って商店が軒をつらねている。妙な野菜。なんだこりゃ大根か? 赤い大根。うーん。
橋の端から下をのぞく。うわあ。汚い川だなあ。どぶどろという感じだ。仮にこの水を口にしたとしたら一夜にして体内の養分すべてが肛門から光速で流出しはて、運よく生き延びても骨川筋衛門だ。ちなみに俺は生涯通じて極端な痩身で、よく親父に「骨川筋衛門」と呼ばれたものだった。
川の傍にはなにやら汚い身なりをした婦人が――洗濯をしている。こんな川で洗濯なんかしたら汚れものがいっそう汚れてしまうことうけあいなのだが、よくもまあ躊躇なく……。あれをやるから川の汚れにも拍車がかけられているのかもしれない。俺が熱で寝ている時に二人が訪れたパタンの識字学校では、文字の読み方書き方の講習のほかに「あなたたちが飲み水として自分で使う井戸で洗濯をすると、飲み水が不潔になって病気が流行してしまいます」などということを紙芝居ふうに講義していたという。衛生観念。
軒をつらねるスラムの彼方に、どぶどろの川はとうとうと流れていく。反対側に目を向けると地震で崩れたらしい旧い橋のむこうに、高いビルが遠景までせせこましく占拠している。
肉屋の店先で、解体された肉に蝿が縦横無尽に飛び交っている。頭上に巨大な荷物をのせて、重く、ゆったりとした足取りで行きすぎていく老人。女たち。裸で跳ねまわるガキども。橋の下には巨大な豚の家族がどぶどろの水をうまそうにすすっている。盛大に排気ガスをまきちらしながらせわしく行き交う車の群れ。笑顔、疲労、絶望、日常。表裏一体の聖俗の街。そしていきずりの旅人。
道を引きかえして数刻、俺たちはダーバースクエアに出た。うろうろとしていると、なんだか古道具屋みたいな店があるのでなんだと思ったら楽器屋だった。
縦二畳ほどの狭いスペースに、おもしろそうな楽器が山づみになっている。西洋も東洋もごちゃまぜだ。ほー。これはラッパだね。これはコンガ、ありゃシタールもある。いいなあ。カティ? え? そりゃ破格だ。五十分の一でも手が出ねえや。ちょっとこれ吹いてみていい? ぶわー。なんだこの音。うーん。むかし吹いてたことあるんだけどなあ、これ。まあいいや。これは? 叩いていい? よし。
おお! いい音だ。これは、どう表現すればいいんだろう、なんというか、底の底まで響きわたるような感じ。いいねえこれ。カティ? え、そりゃちょっと高いなあ。うん? こっちの方はもう少し安い? ほう。おお、音はやや落ちるが響きは同じだ。よし、これを買うぞ。買う。さあ、あんたの最初のラストプライスはいくらだい?
てな調子で俺は、なんだか椰子の実を半分に割ってそれに水牛の皮をかぶせたような妙な太鼓をわきに抱えて店を出た。先行していたYとKに鞄屋で合流、ぽんぽこぽんぽこ太鼓叩きながらバザールの裏側までいくと――
なんだか妙な喫茶店がある。店先のショーウインドウに数種類のケーキがディスプレイされてて、つくりは小ぎれいだがなんとなく小汚い雰囲気で、なんつうか日本のさびれた街の裏通りあたりで長髪の胡散臭い連中がたむろしていそうな感じの店だ。喉もかわいていることだし、入ってみるかと入ってみた。大きなまちがいだった。
そりゃね。
べつにユーミンはいいと思うよ。べつにね。文句をいうつもりはないよ。はい。東京大好き。ああそうですか。卒業シーズンの定番。たいへん結構。リゾートの定番。いいですとも。しかしネパールはリゾートか? まあそれはいい。いいけどさ。なにも、アルバムまるごとダビングした品、最初から最後までかけなくてもいいと思うんだけどさ。それに、ね。やっと終わった、ああネパールにきてからこっち最悪の拷問だったなあ、ああほっとした――なんて人をほっとさせといて、おんなじLPをもう一度最初からかけ直すなんてそんな人非人な真似……しなくてもいいじないか。糞っ。ばかやろう。ふざけるんじゃねえよ。男だったら泉谷しげるを聴けばかやろう。いい歳こいてふにゃけてんじゃねえよテーブルひっくりかえして暴れちゃうよ。ぐわああああああああああああああああああ!
と爆発寸前の癇癪をかろうじて抑えてどうにか無事に店を出た。あああ、死ぬかと思った。助かった。
それから、スダさんの見立てでサリーを買いにいくというK、Yとわかれて俺はひとりになった。
バザールのあちこちで、なんだか妙な台に特大オハジキみたいな変なシロモノを配置して指ではじいて遊んでいる。こどものグループも多いが、たいがいいい歳した大人が数人で台をかこんでいる。台上にはオハジキの大きさにあわせて何本か仕切り線が引かれていて、四隅にはやはり、オハジキがすこんと落ちこむのにちょうどいいくらいの大きさの穴が穿たれている。ぼんやり眺めていると何だかビリヤードの変種のようなルールらしい。各玉は三種類に色分けされ、まんなかの色、自分の色、敵手の色と決まっているようだ。対戦は二人で行なわれている。あとの数人はギャラリーか順番待ちだろう。
自分のオハジキを指ではじいて、自分の玉を穴に落とす。うまく落ちればつづけてもう一発打つことができる。失敗したら今度は敵手の番だ。同じように自分の玉に玉あてて穴めがけてシュッとすべらせる。シュッ、カチン、シュッ。なんだか二人ともあまり手慣れていない。が、真剣さだけは人一倍だ。賭てでもいるのだろう。一勝負つくまで俺はじっくりとそれに見入っていた。ふと気づくと夕方になっていた。
タメルでもうろつこうか。と方向もさだめず闇雲に歩き出した。ビル群のわきを通って裏通りにまぎれこんだ。銀工房で一心に細工の腕をふるう褐色の肌の職人たち。みな若い。そして真剣だ。奴らが汗を流して銀を打ちつづけている姿を見て、こういう暮らしもいいかもしれないとふと思った。でもカーストの関係もあるだろうし、職にあぶれた連中も街にあふれているらしい。俺はあくまで局外者だ。
この日、俺は得意のティベタンの衣裳はホテルにおきざりにして、ブレザーにジーパンとごく尋常な格好をしている。なぜかというとこのブレザー、あまり気にいってない奴で日本ではまず着ることがない。だからネパールで盗まれてもいーやと着てきたシロモノだ。ところが意に反してちっとも盗まれない。だからいっそ物々交換してしまおうと着てきたわけだ。
で、タメルの裏側あたりまでたどりついたところでさっそく行商をかけてみた。まずは二日目に購入したティベタンの衣裳と同じ柄の、胸前であわせて着るシロモノを選定。ここからが難物だ。
これと交換してくれと俺の着ているブレザーさすと、女店員「あちきには着りゃれませんえ」と微笑みながらいう。じゃあそこに男がいるじゃないか、サイズも合いそうだぞと言うと男、ちょっとばかり食指の動いた様子。よし試着してみるのだそれそれそれそれと無理矢理わたすと、まず裏地をたしかめ、つぎに製造地を確認する。ところが、このブレザー「日本製」と日本語では書かれているのだがなぜか「MADE IN JAPAN」の文字がない。これ日本語だよちゃんと日本製と書いてあるぞ本当だってばと力説する間も店の人間全員集まってしげしげと見てる。なかなかしっかりしてる。日本製品ステータスといってもやはりモノはしっかり見るわけだ。
結局物々交換はなんとか成立し、俺はニューティベタンの衣裳をズタ袋につめてさらに奥地へと進軍した。ずらずらずらと歩いていると何だかまるで見覚えのない街なみだ。またもや道に迷ったらしいが、なに歩いていればそのうちどこかに着くだろう。しかしそれにしても日も暮れちまったし腹も減った。このへんで飯でも食うか。うまくて安そうなレストランは、と。
と飯屋を物色しつつ歩いていると笛売りがつきまといはじめた。笛売りは実にあちこちにいてバザール地区を歩いていると必ず一度や二度はつきまとわれる。竹に穴をあけただけのちゃちいシロモノのわりに結構な値段をふっかけてくるので、カトマンズでもポカラでもまったく相手にしなかったのだが、この笛売りやけに粘り腰だ。めんどうなのでめちゃくちゃ安い値段で追いはらってしまおうと思ったのだが、なにげなく値段を口にしたとたん「よしOK、その値段で買ってくれ」ときた。しまった。さして安い値でもない。こんな竹っきれ、荷物になるだけだしどう考えてもこっちの損だ。うー。うー。うー。しまった。ほんっとうに、しまった! 一日中歩いたは腹は減ったはで思考力が低下していたのだ。それにしてもよくよく思考力の低下する奴だ。しょうもない。ああ。今さらいらねえやというわけにもいかず、しかたがないので買わされてやった。はあ。吹いてみる。ああ。いい音が出ねえ。だいたい俺って小学生時代から笛だけは苦手だったんだよなあ。ああ、いったいなにやってんだろなあ。馬鹿。
がっくりきてると前方から歩いてきた男が「こんばんは」と日本語で声をかけてきた。トレッキングに来た日本人という感じだ。今度はなんなんだ、と思うと「飯食いましたか」とくる。ははあ、ひとり旅で日本人恋しで一緒に飯食う奴でもさがしてるんだなと一人合点し、一緒に食おうってのいーよと言うと、いや俺はもう食っちゃったんですけどね、とか言う。なんだ?
「いや、そこの食堂なんですげとね、今食ってきたとこ。めちゃくちゃうまかったんで、もしよかったらどうかと思って」
なあるほど、そういうことか。こっちもいい加減腹減りまくってたとこだし、じゃあ入ってみるよありがとうと、手をふって別れ、くだんの食堂に入ってみた。
うーん。
こりゃ怪しい。
一歩足を踏みいれて最初に抱いた感想がこれだ。
開け放った扉の店先から辺りはばからぬ笑声が響きわたるのを耳にした時から、予感はあった。内部のつくりは店の手前にキャッシャー、その奥に雑然とならぶテーブルが八、九卓。少々うす汚れたテーブルクロスに巨大厚手コップに満載された水。厨房は店の奥に配置されているらしい。夜だから電球が煌々と輝いているが、昼間入ればうす暗い印象を受けるだろう。
この手のつくりの店は今までにも何軒か見かけた。食事はしなかったが、壜ジュースを飲みに入ったことも何度かある。だが、こうして食事をしに夜入ってみるとどうにも怪しい雰囲気だ。それに拍車をかけていたのが、その店の客層。
妙に、若い奴らが多かったのだ。群れて楽しげに歓談している。店員らしき若い女の子も、なんの躊躇も見せずにその輪に加わっている。これはカトマンズでは少しばかり不思議な光景だった。若い男女が群れをつくって歓談にうち興じている、という姿はたぶんこの時はじめて見たと思う。むー。俺も仲間に入りたい。
さっきの日本人は「チベット料理の食堂」だと言っていたのだが、手渡されたメニューをざっと眺めわたすとメインはやはりカレーだ。チベットもカレーベースの食文化なのかなあ。モモ……はポカラでひどい目にあったからやめ。オーソドックスにチキンカレーとコーラをオーダーする。
さほど待たされることもなく、カップ入りのカレーと皿に山盛りのインディカ米が俺の目の前にならべられた。スプーンをつっこんでとろとろとご飯にかける。日本のカレーよりはしゃぶしゃぶだが、今まで食ってきたものに比べると少しとろみがつけられているようだ。
一口、口にしてみた。
うまい。かっ、と辛味が口中に広がり、つづいてぐわあっと複雑なうまみがおし寄せる。かっ、ぐわあっ、かっ、ぐわあっと一心に食った。うまい。これはたしかになかなかだ。貪り食って一息つき、コーラを傾けつつ555をくわえながら相席したおっさん二人とカタコト会話を交わし、店を後にした。
電球の灯された街の佇まいを眺めながら歩いていると、風がなんだか冷たい。Tシャツ一枚では昼はちょうどよくても、日陰や夜は肌寒い国、季節だ。さっそくさっき物々交換したティベタンの上着を着てみよう。と神社の傍に腰をおろしズタ袋ひらく。ズタ袋の中はあちこちで山のように買いあさったガラクタの土産ものでいっぱいだ。あったあった、これだこれ。
着てみる。なんだかこれは、複雑なつくりだな。む? このボタンをここにとめるんだな。よし。と。で、これがここで……これがここ、と。……あれ、ちょっときついな。えーと、これがここでこれがここで、これが、ここ、と。合ってるよなあ。……きつい。……着れないことはないが……はっきりいってこれ……窮屈だ。
だああああああああああああああまたやりやがったサイズが合わない。なんてこった物々交換に夢中で試着するのを忘れてた。相手はしっかり裏地の感触まで確かめていたのに俺はいったいなにをしとるのかっ。はあ。
しかたがないので手近の店に飛びこみ、また少しちがった形をした同じ模様の一品を買った。うーん。デザインはさっきの奴のほうがいいんだがなあ。でもこれ、かなりあったかくて具合がいいぞ。
さあそれじゃ日もすっかり暮れちまったしそろそろ帰るかな、とふらふら歩き出したのだがなんだかまわりの風景まるで見覚えない。どうも裏側に来ちまったらしい。こっちの方へいけば王宮通りに出られそうな気がする。よし、こっちだ。
ところがなんだかちっとも出ない。街がごちゃごちゃしていて細部の構造が基本的に同じなので、見覚えのある場所に出たと思ってもまるで知らないところだったりする。
煙草が切れたので雑貨屋に入った。ちょっと年のいったご婦人が、店先に集ったガキどもになにやら説教口調で話しかけている。どうもどこの国でもガキというのは一緒だな。
555とチョコレートを手に入れて、もう少し歩いてみた。すっかり闇に沈んだ街の一角で、四人組の爺さんが煌々と照る電球のもと、太鼓とハルモニウムを並べていかにも楽しげに演奏している姿に出くわした。ああ。気持ちよさそうだなあ。飛びいりしたいけど、俺のへたくそなリズムじゃばらばらになっちまうよなあ。いいなあ。俺もあんなふうに調子よく叩けるようになりたいなあ。
そのうちに、道が下りはじめた。最初にタメルをうろついた時に出たあの坂の方角に向かっているらしい。いかんこりゃ正反対だ。くるりと踵を返す。またしばらく歩く。うーん、このあたりなんか、すごく見覚えあるんだけどなあ。あの寺といいあの食堂といい……ありゃ? なんだあの食堂、さっき飯を食ったチベット料理の店じゃないか。げ。笛売りがまだうろついてやがる。こりゃもういかん。リクシャを頼んでしまおう。
俺はついに自力でタメルの土地勘を養うことをあきらめ、リクシャに声をかけた。おーい、いいかい。ラトナ公園のあたりまでやってくれ。なに? 10ルピー? 高いなあ。もうちょっと負けろよ。ダメ? しようがねえなあ。じゃあそれでいいよ。よいしょっと。ん? なにこのおっさん。あんたの友だち? なに、このリクシャのオーナー? 公園までついてくんの? あ、そ。べつにいいけど、料金も二人ぶんで20ルピーなんて言っても払わないかんねっ。
という具合で十四、五の笑顔の素敵なリクシャマンは俺とオーナーのおっさんを乗せて筋肉を躍動させながら夜の大通りを勢いよくかけぬけた。道々、公園についたら飲みものをおごってくれないかと要求する。ダメだよ、俺はさっさと帰りたいんだ。だいいちこんな時間だしもう店しまっちゃってんじゃないの?
歩道橋ゲートでリクシャとわかれ、やっとのことでホテルにたどりついた。YとKの部屋をノックすると、ジャヤさんがいた。オーJさん、ネパールダンス来ない、ピクニック来ない、わたしたちのこと忘れてしまいましたか、わたしとても哀しいとくる。いやいやいや熱出して寝こんでたんですよ、ホント、いきたかったんだけど。我ながら調子のいい奴だなあ。
Yが新聞紙にくるまれたサリーを自慢げに見せた。赤いサリーだ。色はきれいだけど、どうも俺には単なる布きれにしか見えないな。Kのも同じ赤色、ただしこちらのほうが若干色調が明るい。年令にあわせての選定だという。さぞ高かったろうなと思ったらなんと、最初の日に俺が買ったティベタンの衣裳上下ひとそろいと同じくらいの値段だったという。そりゃスダさんご用達の店だということで顔きいたんだろうけど、ちょっとねえよなあと少々落胆した。Yはこのサリーのほかにむくむくとしたヤクのセーターも手提げ袋に山盛り購入していた。日本に帰ったらまずあぶら抜きしなきゃと、いかにも嬉しそうに言う。またこの娘はかさばるものばかり買って。
ああそうだ。この衣裳、ジャケットと交換に買ったんだけどサイズあわなくてさあ。K、着てみろよ。と試着させてみると、おお可愛いじゃねえか、似合ってるよ。あんたにあげるそれ。なに? やっぱりちょっときつい? ダイエットしなさい。
ティベタンの衣裳着て鏡の前でくるくるするKを横目に、ジャヤさん見て見てこれダーバーで買ったんだよと太鼓をぽんぽこ叩いてみると、ああそれはこう叩くんだよと俺の隣に腰をおろして太鼓を抱え、
ぼん、ぱん、ぼん、ぱん、ぼぼぱぱぼぼぱぱぱんぱかぱっぱぼんぱんぼぱぼぱぼぱぼん。
俺がぽこぽこ叩くのと響きがまるでちがう。店のおっさんが叩いた音と同じ、じつにすばらしい響きだ。Jさん、いですか、ここで叩くんです。ライクジス。と太鼓のへりに手をかけてぼん! 底まで響くいい音がする。ははあそこですか、なるほど。とやってみると、ほわん。なんだこの気のぬけた音は。Jさん違うよ、こう叩くんだよ貸してみ? とKがぽん。そうかそうかよしわかったと叩いてみると、ほへん。ああっなぜだっ。Jさんこうですライクジス、ぼん、ぱん、ぼん、ぱん、ぼん、ぱん、ぼん、これが基本ね。こういう叩き方もできるよ、ぼんたかたった、ぼぱぼぱととんと、ぼんかっ、ぼんかっ、かっ、ぽっ、かっ、ぽっぽっかっ、ぼぼんぽぼん、ぽん。かっぽん。ははあ、なるほど、指輪を使って太鼓の側面を叩きながらオカズを入れるわけですね。明日俺も指輪買おう。で、基本練習がこうですね。ほひん。あれ? 違うったらJさん、あたしが見本みせてやるってば。ぼん。ね、こうやって指の腹で叩くの。ぼん。ぱん。そうか。よし。じゃそれやってみる。こうだな、ほら。こぽん。 夜に轟く太鼓の響き。