目の寺院、活神の宮
3月23日(月)。
ホテルでの清算をすませていよいよポカラを後にしようという朝、空港へと向かう背後に高峰が顔を見せていた。昨日は厚い雲に覆われて遠い山はひとつとして見られなかっただけに、白い雪冠を抱いた「世界の屋根」の景観は一峰とはいえ少なからぬ感慨を俺たちに抱かせる。
つきまとっていた物売りのおばちゃんにYとKが訊いたところによると、その山の名はマチャプチャレ、というらしい。マチャプチャレの威容をふりかえりふりかえり、俺たちは空港への短い距離をゆっくりと歩いた(Y注:マチャプチャレ、とは“マチャ(魚)の尻尾”という意味だそうです)。
朝食は空港の目の前のアンナプルナホテルというところで摂った。ポカラに来てから俺はまともな飯にありつけてなかったのでちょっとでもうまいものを、という配慮からだ。といっても単なるブレックファーストのメニューだ。パンを食ってお茶を飲んだだけなので、まずくはないが特にうまいというわけでもない。なにより、はじめて食ってみたオートミールというシロモノがどうにもまずくて食えない。駄目だ。やはり俺はポカラでは食い物に呪われているのだ。ああ。
空港に向かうと、例によって手つづきはのんびりとしてなかなか進まない。チェックは素通りで、飛行機はなかなか到着しない。砂埃ばかりが待合室にぶわあと舞いこんでいる。ただひたすらぼわーと飛行機の到着を待った。ん? 来たらしい。んじゃ乗るか。万事に行動がだらけてしまう。んだらーっ。
飛行は往路以上に荒っぽい運転だった。上下左右に自在にピッチングローリング、ジェットコースターより面白かったのだが、俺の前の座席でこどもが一人、酔ってぶろぶろ戻していたのは少々かわいそうだった。おい、もうちょっと静かに運転してやれよ。
そしてふたたびカトマンズへ。もう少し長くポカラでだらだらして、ドラッグなりトレッキングなりしていたかったのだが、帰りまでのスケジュールと飛行機のチケットの取得状況を考えるとどうしても一泊のみにとどめざるを得なかったのである。
カトマンズに帰還して最初によるところは、ボードナートとかいうところだそうだ。どういうところなんだか例によって俺にはよくわからない。いけば何かがあるのだろう。とばかりにタクシーに乗る。
降ろされたのは何だか妙な商店街だった。その先を左に曲がれば目的の場所だという。なんなのだろうと言われたとおりに左に曲がると、門の向こうに巨大な卵があった。いや、この表現は誤解を招くな。
白い椀を伏せたコンクリートの巨大な塊を想像してみるといい。その天辺に塔がそそり立っている。椀の表面にはイースターの卵よろしく巨大なブッダ・アイが描きこまれている。そしてその表面にオレンジ色の僧衣を着た無数の人間が、ところ狭しと群れているのだ。なんだかさっきからマイクを通して妙な演説が広場全体に流れている。まるで新興宗教の集会のような雰囲気だ。
タイ(Y注:台北。台湾のまちがい)からの交流使節か何かだということだが、どうもこう異様だな。などと思いつつブッダ・アイの刻まれた寺院を真ん中に広場を半周する。ハンドマイクからはなんだか聞き苦しいおっさんの声でわけのわからない妙な歌が流れはじめていた。
寺院内への入口を見つけ、入ってみた。観光客らしい連中が建物の下部にひしめいている。脇に小さな仏堂らしきものがひかえ、その内部では無数の蝋燭が幻惑的に朱々と燃え盛っていた。左まわりに進むと、卵上部へと昇ることのできる階段があった。その階段にも外国人がぼやーと人だかりを形成している。卵上部には黒山の――とはいかぬ橙山の人だかり。なんだか教団の幹部らしきおばはんの一団が寺院中央部に列をつくって、真ん中でマイクにがなり立てる妙なおっさんの歌に唱和している。皆も一緒に歌おうとでも言いたげににこにこしながら周囲を見まわしたりしているのだが、オレンジ色の大集団の大部分はなんだか所在なげにそんな光景を眺めるばかりだ。むろん観光客にも単なる野次馬の域を踏みこえる気など毛頭ない。いかにも空々しい情景だ。
階段上は人が群れててそれ以上進める余地もなさそうなので、中途でおりかえして壁と寺院の間に設けられた狭い通路を巡りはじめた。頭上の奇妙な人だかりに比して、この通路には人影がない。ああ、あの歌うるせえなあ。最初っから同じメロディ、同じ歌詞を延々とくり返してやがる。満場に集ったオレンジの集団のテンションはまるで盛り下がったままだというのに。
スワヤンブナートと同じような、真言の刻まれたハンカチみたいな旗が洗濯ものみたいにはためくのをくぐり抜けて裏手にまわる。この壁をよじ昇ればあの連中と同じ高さに立てるぞ。幸いここらあたりには橙山の人だかりも途切れているし、とKとYを置き去りに壁にとりつき、卵の上に降り立った。
いちばん高い位置まで昇ると、ガラス容器におさめられたオレンジ色の蝋燭が壁ぎわに無数に並んでいる。なんだか二、三、落ちて割れているのもある。むう。けっこういい加減な寺院だな。
ふりかえり一望すると、カトマンズの市街が見えた。びょうびょうと風が吹いている。ティベタンの衣裳がばたばたとはためいた。うん。なかなかいい。
と、なんだかオレンジ僧衣の一団がおもむろに立ち上がり、ぞろぞろだらだらと移動しはじめた。歌はまだつづいているのだがどうやら奇妙な茶番劇は一応の終幕をとげたらしい。ぞろぞろと俺のわきを擦り抜ける坊主頭の老若男女の面貌には、一様にほっとしたような表情がはりついていた。中にはあの奇妙なメロディを口ずさんでいる奴もいた。口ずさむくらいなら、唱和してやればよかったのに。
巨大なコンクリートの塊の上をふらふらとあちこちさ迷い歩いたが、どこをどう見ても内部への入口らしきものが見当たらない。もしかしてこの建物、小っぽけな仏堂以外には内部というものが存在しないのかもしれない。中身までコンクリートで詰まってるのかな。異様な建物だな。外見も異様だけど。異様な歌は群衆の大部分が散ってしまってもまだつづいていた。なんなんだいったい。
寺院を後にしてお茶の時間。例によって現地食堂らしきところへ入ったのだが、ここで妙なものを見つけた。みそ汁である。すでに一度ジャヤさん宅でごちそうになったので大体どんな味かは見当がつくのだが、妙に郷愁がわいてしまう。なにより俺の郷里は赤みそを使うので、東京に出て以来赤みそのみそ汁にはほとんどお目にかかっていないのだ。
というわけで、みそ汁を頼んでみた。ほかにチョコレートシェイクというメニューが目についたので、「それはできない」と言われそうな気がしないでもなかったのだが試しに頼んでみると「OK、Try」と恐ろしい返答がかえってきた。大丈夫かな。
みそ汁は、まあ、うん、現地の味だったよ。まあ、おいしかったね。うん。うん。いいんだよ。うん。で、紅茶をほこほこと飲むYを尻目にチョコレートシェイクが出てくるのを待っていたのだが、これがなかなか出てこない。なぜだろう。手こずってるのかな。なにせOKトライだからな、と気長に待っているのだが、どうもいつまで経っても一向に出てくる気配がない。これじゃいくらネパールタイムといってもひどすぎる。と声をかけてみたら、どうやらオーダー受けたのをころっと忘れていたらしい。ひどい。
出てきたチョコレートシェイクは、うん、まあ、なんというか、その、ココアの粉とシェイクがほとんど分離していたなあ、と。まあ。
通りに出てベビタクとっつかまえ、またまた長い時間をかけて王宮通り裏に降り立った。今日あたりリコンファームをしておかないと下手すっと帰れなくなってしまうのでBIMANのカトマンズオフィスをさがして歩く。腹が減った。足も疲れている。おかしいな、たしかこのあたりにあったような気がしたんだが、いくつか航空会社の出店がならんでいるのにあの妙なマークのBIMANだけがまるで見あたらない。ああ。疲れたなあ。もしかして、表通りの方なんだろうか。そういえば王宮前からこっちっ側にも航空会社がたくさん立ちならんでいたよなあ。
と道を聞き聞きずるずる歩いているうちに、あった。馬鹿だ、ここは初日に通りがかったじゃないか、そういえば確かに「ここにBIMANがあるなあ」と確認した覚えがあるぞ。まったく疲れているというのに間が抜けているにもほどがある。
無事リコンファームを終え、昼めしはこれも初日にその看板を見かけた「串ふじ」に入る。この日本食レストラン、つくりは確かに和風を模造しているのだが、従業員は全員ネパーリだ。柱や梁を見ていると日本だが、窓の外に目を向けるとやっぱりネパールだった。それでもひさしぶりに畳の上に胡坐をかけてずいぶんリラックスできた。なんだこのネパーリの兄ちゃん、わざわざ正座しながらメニューとりやがる。うーん。ぎごちない正座だなあ。無理してそんな姿勢つくらなくてもいいのに。店の方針かな。
やがて食卓に焼肉定食、うどん、雑炊、牛ヒレの照り焼き、あげだし豆腐、大根おろし等が無節操にならんだ。店のネパーリ、こいつらいったいなんなんだと思ったろうがそんなことおかまいなしに俺とKは野獣のごとく食欲をみたす。Yは雑炊とうどんを進まぬペースでもそもそ。
ふうと一息ついて両足投げ出し、ここで俺たちが奇行をおこなえばそれがそのまま日本人の評判につながるのだぞとさまざまな奇行例をKとともにあげつらってYを困惑させたりしながら長い時間をのんべんだらりとそこで過ごした(Y注:実際に口にしたことを実行しかねない2人だから困惑したのです!?)。やはり畳の部屋はおちつくなあ。
すっかり満腹した俺たちが次に訪れたのは、ダーバースクエアである。ジャヤさん宅の近くということもあり、すっかりお馴染みの場所のように感じていたのだが、ちょっと奥まったところにいくと途端に雰囲気が変わった。
窓の桟に精緻な彫刻をほどこされた巨大な建造物。旧王宮だという。門をくぐって中庭に入ると、壮大な光景の上空でなにかがチリチリと清澄に鳴り響いている。なんの音だろう。
中に入ってみると、薄暗い。それに狭い。現代ネパールの一般市民のアパートほどではないが、雰囲気には似たものがある。が、それ以上に俺の記憶の琴線に触れるものがあった。
狭い急な階段を昇って徐々に上階へと歩を進めると、斜めにはりだした格子窓の向こうの市街の風景が次第に広く拡大する。この斜めにかしいだ形で張りだした窓というのもネパールの伝統的な建築様式だそうで、これは今の一般住宅にも多く見られる特徴だ。木肌をさらした柱と天井。吹きぬける高空の風。ふと見ると、軒先に無数の金色の風鈴がつりさげられていた。風が吹くたびにチリチリと清らかに震える。音の正体はこれだった。
さらに上へ。あいかわらずYの歩調が遅れ気味だが、俺とKはいささかの慈悲心も発揮せず容赦なく先を目指す。いま思うと赤痢患者に気の毒なことをしたものだ。ね、Y(Y注:単に、ゆっくり歩くのが趣味なのっ!!)。
最上階にたどりついて遠く広がる高山の市街を眺めわたした時、俺は確信した。この雰囲気は、日本の城とまるで同じだ。敷地の狭さと建造物全体の形、そして斜めに傾いだ窓を除けば、戦国の世に派遣を競った英傑どもの富と力の象徴と瓜二つの雰囲気がそこにはあるのだった。
びょうびょうと吹きつける風に(K注:まじでまじでこわかった。冷汗がでてた)(J注:Kには高所恐怖症の気があるね)旧王宮は堂々とそびえ立つ。かつてこの国を統治していた権力者たちは、どんな想いを抱きながらこの壮大な市街を見おろしていたのだろう。群れ集い生活に追われる民人どもの蟻のごとき姿を冷たく眺めやっていたのか、はたまた己の権力の感触を掌の上で存分に転がしてみてでもいたのか、あるいは己のしろしめす世界の平和と繁栄を、あるいはさらなる膨張への野望を……などとごちゃごちゃ考えつつふと内部に視線を戻すと、柱の出っぱりに引っかけられたビニール袋の中で蜜柑の皮が干からびていたりもする。あー、なんなんだ、ホンマに。
中庭に降りて壁や窓の桟に刻まれた彫刻を堪能した後、妙な資料館は無視して旧王宮を後にする。そして小路ひとつ隔てたあたりに、次の目的地はひっそりと佇んでいた。
クマリチョーク。和訳すれば、活神の宮、とでもなるだろうか。ネパールには古来、初潮前の女児をひとり現人神にでっちあげて讃え崇める風習がある。クマリ、とそれは呼ばれる。その活神は女の徴が訪れる日までカトマンズの一角にある神の宮で清らかに暮らし、そして訪れる民衆の尊崇をその身で受けとめる。
クマリの威光には、王でさえも太刀打ちできぬほどのものがあるらしい。この奇妙な風習は現在も受け継がれている。この現代のクマリチョークの中にたしかに本物の、クマリと呼ばれる存在が生活しているのだ。実はこのクマリチョークこそ、Yがネパールを訪れようと決心した最大の原動力だったらしい。どうもYは小さい女の子が好きなようだ。道理でさんざ俺が口説いてもちっともなびかないわけだ(Y注:日頃の行ないに問題があると思うのは私だけだろうか… ^^;)。
建物のつくりは王宮に劣らず荘厳だが、規模は小ぢんまりとしたものだった。中庭に踏みこむと、四囲を一部の隙間もなく精緻な彫刻が埋めつくしている。四面それぞれが対称形に対応しつつ、微妙な差異をも体現していた。中国からきたらしい若い娘の一団がしきりと奥方向の頭上を指さしながら喧しくなにやらお喋りしている。クマリが出てくるのを待っているらしい。「無神経です」とYが小さな声でぽつりと言った。なに、俺たちも似たようなもんだ。
やがてその一団が活神見物をあきらめて立ち去ったころ、ふいにクマリが姿を現した。
単なるこまっしゃくれたガキだった。
予想はしていた。が、あまりにも予想どおりすぎる。思わず「馬鹿らしい」と俺はつぶやいていた。あんまり馬鹿らしいので、クマリを無視してこれ見よがしに反対側の彫刻をしげしげと眺めわたしていたら、活神さまはいつのまにかお隠れになってしまわれた。信仰てのは、まあ結局こういうものなんだろう。仮にこのクマリが、ほんとうにその第三の目を使って世界を見透すことができるのだとしてもそれはそれだけのことだ。直接接触して言葉でも交わせるんならともかく、これなら彫刻の精緻さのほうがよほど俺の興味を引く。
ま。
こんなものだろう。